第4話
どこかの廊下で生徒の走る足音が聞こえた。次の授業まであまり時間はない。中庭の時計を見れば、あと三分。今すぐに解放されたら、教室まで走らなくても間に合う距離だけど……。
「おい、聞いてんのか!聞いてないだろうな!俺の言うことを毎回聞いていれば、あんな馬鹿げたことやろうだなんて思わないからな!」
相手の説教はどうにも終わりが見えそうにない。
昔から何かと腐れ縁で、なにかにつけて私の後ろに付いてくる。でも、それは私に恋愛感情を差し向けているとか、そういうことではない。だってこいつ、いつも私のことを邪魔してばかりなんだもの。小さい頃からそうだった。
昔の夏に花火を振り回して遊んでいたら、いきなり水を掛けられたし、調理実習のとき二刀流でにんじんを切ろうとしていたら、取り上げられたし。断崖絶壁の縁で逆立ちしようとしていて、殴られて気絶させられたことだってある。いつもいつも邪魔ばっかりしてくるの。
他の友達からは優しくて頼りになるだとか、困った人を見逃せない人だとか、慕われているようだけど、私はちっとも分からない。
それに説教が趣味なんじゃないかって思うくらいずっとやってるの。もうこれがすごく長いんだぁ。昔からこの時間が辛い。というか、私が異世界ものにはまってから、さらに説教が長くなって、気合いも入ってる。なんでかなぁ。
まぁ、悪い奴ではないんだろうけど。
「晴琉香!絶対聞いてないだろ!もうこんなことをするのはやめにしろ。どうせまた異世界とかよく分からんこと考えてこんな奇行に走ったんだろ」
「あ、分かる?」
「“分かる?”じゃねーよ!異世界なんてもうやめろ。いいか、晴琉香?異世界ブームだなんてもうとっくにピークは過ぎたんだ。読む奴は減ってるけど書く奴が減らないからまだ盛況しているように見えるだけだ。いい加減目を覚ませ。異世界ものなんてのはな、晴琉香、もうガキか精神年齢十四歳以下の奴しか読まねえんだよ!分かったらおまえの持ってるラノベ全部焼かせろ。そしておまえは現実を見ろ」
「分かったような指摘ありがとね。でも大丈夫。私、電子書籍派だから。ネットで見る派だから。焼けるような紙の本はないの」
「だったらおまえのスマホ海の中に落とさせろ」
「残念、私のスマホ、マリアナ海溝の深さの水圧に耐えられる超防水性能だから」
「どこのメーカーか教えてくれ!」
「それに、ね、浩助。私既に現実を見ているんだよ。だって異世界は現実にあるんだもの」
「おまえもうそんな段階まで行っちまってんのか……。というかそれが、この飛び降り自殺に繋がってるのか?飛び降りたら異世界に行けると思ったのか?」
「うん。よく分かったね、さすが浩助。ところで浩助、さっき私の邪魔をしようとしたとき、さりげなく胸触ってたよね。私を止めようとしているように見えて、実はそれは口実なんじゃない?」
「わざとじゃねえから!まさに飛び降りようとする寸前だったから必死だったんだよ。それにおまえの無い胸をどうやって触るんだよ!」
「今は確かに小さいけど見てなさいよ。異世界転生したら私巨乳になるから」
「どんだけ都合良いんだよ!確かに異世界もののヒロインって巨乳多いけど……」
「あんたもちゃっかり読んでるじゃん。あーもうこんなこと言ってたらきりがないよぉ。もういい?飛び降りていい?」
一度は浩助に廊下の方に押し戻されていたが、私は当然の権利と言わんばかりにまた手すりを掴んだ。
「駄目だって!二階だから死ぬことは無いだろうが、骨折捻挫は避けられないぞ」
「大丈夫、転生は成功するはずだよ、たぶん。でもどっちにしたって私の自己責任、浩助には関係ないよねっ、だから、いいでしょ?」
すると浩助は突然声を一段低くして囁くように言った。
「関係なくないだろ。おまえが傷つくのを見たくないんだよ。だっておまえは俺の大事な……」
「なんか言った?」
「何も。といかマジでやめろって。学校にも迷惑になるだろうが」
「もう、そこまで言うんだったら……」
「お?晴琉香にしては物わかりがいいな」
「池のある方に飛び降りるわ」
私は不意に浩助の腕を振り切ると、廊下を十メートルくらい進んでから、手すりを乗り越えた。
「ほら、この辺りなら大丈夫でしょ」
下の中庭を見るとそこにはちょうど池がある。ここなら飛び降りたとしても、最悪水が衝撃を和らげてくれるはず。
「そういう問題じゃないから!飛び降りるのをやめろって言ってるんだよ」
すぐに浩助が追いついてきた。手すりの外で、私たちは腕を絡めて錯綜する。小学生のころよくこんな喧嘩をしたものだ。うん、浩助の言うとおり、私たちは精神年齢十四歳以下かもね。
「ほらまた。二の腕、肩、胸、腰まで触ってくるじゃない。一応これでも私女の子なのよ。さすがにそこまでは……」
「うっさいだったら飛び降りようとすんな!」
「嫌。異世界転生するんだもん。もう邪魔するのは……ひゃん」
浩助の手が私のお尻に触れた。思わず声を出してしまう。動揺し、バランスを失った。体が池の方へ傾いていく。
「じゃあね、浩助。異世界に転生しても、浩助のことは忘れないよ」
私は感慨深げな微笑を浮かべてみせた。
「くっ、させるか!」
浩助が腕を突き出して私の背中を押した。勢いで私は手すりに引き戻される。代わりに浩助は……。
じゃぼん。
「あっ……」
池は大きく波を立てた後、しばらく静かになった。……数秒後、学ランをびしょ濡れにさせた浩助が水面から出てきた。恨みがましく私を睨み付ける。私は頭を掻きながら、苦笑いをした。
「なーんだ。飛び降りても異世界に行けるわけじゃないんだね。えへへ、勘違い♪」
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