第3話

 この時期にしては、寒さが肌に沁みる。一限目明けの休み時間だが、早朝というには日は既に昇ってしまっている。それなのに寒さは容赦なく肌を刺してくる。

 まだ十一月なのにこれほどまでに寒いのは、北高の校舎の造りに原因がある。三階建ての二つの棟からなる校舎は、なぜか平行でなくハの字型に並べられている。デザイン性を重視したのだろうが、そのせいでこの渡り廊下は寒くなってしまうのだ。

 なぜかというと、ハの字の開いた入り口からご丁寧にも冷たい北風を取り入れようという恰好になっているためだ。風はハの字に沿って圧縮されて強くなって――あぁ、来た。寒い寒い。私のいる二階の渡り廊下は風のちょうど出口になっていて、その場を通る者の襟を立たせることになるだろう。

 でも、他に生徒なんていないんだけどね。この寒さのために、三階の教室の生徒も二階の渡り廊下を避けて、一階を使う。そちらは壁と窓に守られているからだ。そんなわけで私はこのだだっ広い空間を独り占めしている。嬉しくはないけど。

 人がいないのは好都合、はばかることなく行動に移せるから。私は冷たい鉄製の手すりにしがみつき、ぐっと力を入れて乗り越えた。

 中庭が目の前に広がる。寒いという欠陥はあるけど、末広がりの視界の中庭はやっぱり良い眺めだ。ずらっと並ぶポプラの紅葉が校舎の窓ギリギリにまでせまっている。中央の噴水は水が止まっているが、放射状に配置された通路や植木は幾何学的な美しさがある。

 これがこの世界の最後の光景だと思うと、悪くはない。

 これでやっと異世界に行けるのね!魔法と冒険と、ファンタジーの世界!チート能力もらえるかな?できれば、可愛い魔法がいいな。あっ、でも女勇者も捨てがたい。あえて能力なしで、努力で道を切り開いていく系もいいよねっ。

 ……おっと、いけない。また妄想がはかどっちゃった。晴琉香、しっかりしなさい!もう妄想じゃなくて、リアルになるのよ。異世界といえど、楽しいことばっかりじゃない。いきなり魔王が現れるかも。気を引き締めなくちゃ。

 足を少しずらすと、砂が擦れる音がして、中庭へと落ちていった。思ったより、高いのね。二階だから大したことないと思ってたけど、やっぱり高い。実際の距離よりも迫って見える中庭の地面。

 やらなきゃ。やると決めたんだから。夢の異世界が私を待っているのよっ。

 ぐっと足に力を入れる。その時突然強い風が吹いて、バランスを失いかけ、手すりにしがみつく。こんなのじゃ駄目なのに……。手すりに完全に体重を預けて、安全なのに、膝はガクガク震えている。

 目を閉じた。これなら行けるかも。二階の渡り廊下にいることを忘れるのよ、私。ほら、プールサイドにいるだけ、水の中に飛び込むだけだよ。うん。気が楽になってきた。膝の震えも止まっている。

 行ける!これなら行ける!一、二の三で行くわよ。全然怖くないもんっ。大丈夫。大丈夫。

 よしっ。ゆっくり。いーーーち、にーーーーーーーーぃ、さーーーーーーーー

 (行けるって、大丈夫。ここはプール。プール。へーき、へーき。ぜんぜんへーき。うーんでも。少しだけ目を開けようかな?二階の高さは何メートルだっけ。あー駄目駄目。余計なことは考えちゃ行けない。よしっ。)

 さーーーーーーーーんっ!

 

 私は思いきって地面を蹴った。

 固いコンクリートが、ズックの上履きから離れ、私の体は一時重力を忘れた。

 そしてまた重力を取り戻し、下降し、異世界へと転生する。

 

 ――はずだった。

 すぐに足が着いた。いや、早すぎる。いくら二階でも早すぎる。その場で足踏みしただけみたいな。事実その通りだった。腕に強い握力を感じる。振り返って目を開けると、手すりの向こうによく見知った男の子がいた。

 「馬鹿野郎。こんな朝っぱらから死ぬ奴がいるかよ」

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