綺麗な貴方と汚い私

くるみ

綺麗な貴方と汚い私 上

 昨日ね、こんな夢を見たの。

 そうたいして面白い話ではないのだけれど、まぁ、暇潰しにでも聞いて頂戴。

 そうね、あれは不思議な感覚だったわ。

 知らない街の、なんというか、何とも言えない夢。最後は本当に嫌な夢だったけれど、忘れてはいけないような気がするから整理するために話しておくことにした。

 ……そこにいるのは確かにわたしで、確かにこの目で見ているのだけれども、どこかわたしでないような、いえ、ちがう、映画を見ているような感覚。けれどもその人の考えていることとか、気持ちとかがありありとわかってしまうの。

 やっぱり、あれは不思議だった。

 まさに誰かにとり憑いたような、映像を見ているだけでわたし自身がなにかを思うことはなかったもの。

 ふふっ、さて、じゃあ紅茶もきたことだし、冷めてしまう前に話してしまいましょ。


――――――――――


 貴方はある日、突然私の前に現れた。


 寝ようと目を閉じた次の瞬間、瞼を上げると既に朝が来ているかのように、ある瞬間、ふと気がつくと存在していたのだ。周囲の人間関係も伴って、確かにそこにいたのだ。

 こんな恐ろしいことがあるだろうか。

 直前まで知覚していなかったものが唐突に現れたのである。

 

 とある高校の校門で、私は初めて、彼女を見た。

 私は彼女が、その友人と話しながら門をくぐる様子を遠くから見ていた。


 歩調に揺れる、肩まで伸びた髪はやや茶色く、明るい色が軽い印象を与え、同時に柔らかく優しい雰囲気を醸し出す。つるんと滑るような肌は黄色人種にしては白っぽく、くっきりとした目元にあるのは大きく黒い、澄んだ瞳。すっと通った鼻梁びりょうとシャープなあごが彼女を作り、見る者を惹きつける。彼女の体は小柄で、細い肩、細い腰、言うなれば華奢と呼ばれる類のものであった。

 その顔にニコリと笑みが浮かぶ度、長い睫毛が快活に跳ね上がり、目鼻の整った顔立ちは、豊かな表情を際立たせ、多様に切り替わる表情こそが彼女の魅力の源のようであった。


 校門に入っていく姿は女子だけでなく男子も見えることから、そこが女子校でなく共学であることがわかる。ちらりちらりと彼女を見る学生服は少なくない。それでも彼女は表情を変えずに足を進めていた。

 白いセーラー服を身にまとい、膝上のスカートを揺らしつつ、それこそ今まで通り、もはや見られることに慣れているかのように。


 彼女の周りには笑顔の花が咲いていた。

 季節は初秋。

 私の周りには枯れた木々が立っていた。


 何も変わらない日常。変えられない日常。


 彼女は今日も、一日を変わらず過ごす。 


――――――――――


 私は今日、なにとなく、というか、それとなく、というか、なんにせよ、隣街を訪れていた。


 電車を乗り継ぎ三十分ほど、特にどこかケガをしたというわけではないのだが、駅から少し歩いたところにある隣街の総合病院に着いていた。白い壁にたくさんの窓がついており、左右対称な造りの真ん中には十字架が見えている。その建物を、丁度私がいる正面から見てみると、病院なのにも関わらず荘厳な雰囲気が漂っているように感じられた。貫禄、風格があると言えばいいのか、そこらへんの芸術について私は良く知らないのでなんとも言えないが、輝いて見えるほどの白い壁と圧倒されるような大きさ、そしてその形状が私にそう感じさせているようであった。

 私が今立っているのは、この病院の敷地内にある大きな広場のようなところなのだが、建物の左右の端が広場の側に少し曲がっており、反対に言えば真ん中が窪んでいるような造りが、どこかこの建物に囲われているように感じられるのである。


 さて、私がここ来たことには、さっきも言ったように意味はないため、取り合えず鳥居のようなものをくぐって、開いていた正面の自動ドアから屋内に入った。中の空間は広々としていて、白い床や壁と相まって清潔感や解放感がある。私と一緒に病院に入った女性はすぐ右にある受付へと向かった。どうやら人が多いらしく、受付の人は目前の長椅子に座っている人の案内に忙しくて、いちいちどんな人が入ったとか出ていったとかは気にもしていない様子であった。


 私は、やはり、することがないので近場のソファに腰を掛けようとしたところで、不意に、身体の赴くままたったとロビーを走り、受付横の閉まりかけたエレベーターに乗り込んだ。すでに乗っていた、先ほどとは違う、お腹の大きな女性とともにおりたのは、その壁の数字を見ると四階と示されていた。


 はて、なんでここに来たのだろうと辺りを見渡し、考えたところで元からこの病院に来た理由すらなかったわけで、そこでまた、行動を体に任せてみると不思議と自然に動き、その先には少人数で集まれるようにか少し広めの空間があった。椅子がいくつかおいてあり、壁に貼られている透明なガラスの向こうには先程まで私がいた広場がある。どことなく安心するこの場所で、椅子に座りどことなく外を眺めていると、三、四人の子供が木やら電灯やらを縫って走っている様子が見えた。


 あれは何をしているのだろう。


 見えているのは少年その数だけだが、他にもどこかにいるかもしれない。どこかで走り、隠れ、逃げているのかもしれない。

なんて思い、気がつけば、まるで間違い探しをするかのように広場を端から端まで注意深く視線を向けていた。


 地面は明るく光を照り返している。


 少年たちはぎゃあぎゃあと騒いでおり、ここから見ても分かるほどのはつらつとした笑顔で走り回っていた。よくよく見てみると、一人の少年が他の子供たちを追いかけていることがわかる。幾分か経ったのち、しかし一向に様子は変わらず、果てにその子は泣き崩れてしまったのだが、するとそれを見かねた他の子供たちがものの陰からぞろぞろと現れて、その子を励ますのだ。


 そこにあらわれる、笑顔、えがおエガオ。


 あんな人たちが、私の周りにいればいいのに。

 

――なんて思ってしまうのは何故だろう。


 ふっと心に浮かぶそれらの言葉。

 厚い雲が太陽を覆う。辺り一帯がしんと暗くなった。


 ついで、心より湧き出てくるこの何かは、羨ましい。というよりも、妬ましいというべきか。

 私は徐に右手を左胸にのせる。

胸はひもで縛られていた。

 あの子たちを見ていると、明るい黒色の感情が心を占めていくようであった。実際、明るい黒色など想像もつかない、存在しないであろう色なのだが、そうとしか筆舌に尽くし難い、なんとも気味の悪い、この世の凡そ悪と呼べるべき感情を一つに集めたような醜さ、それでいて同時に何かを渇望するかのような前向きさを兼ね備えたような可笑しな感情である。

 徐々に視界からは少年たち以外が消えていき、さらに雲が太陽を覆って暗くなっていく。


 ―――とんとんとん。


 と、不意に後ろの廊下から聞こえてきたのはそんな足音。


 どこか心持が悪くなって、その場を去った。


 それから広場に降り立って、ふと後ろを振り向いてみると、妙な圧迫感を感じた。

 その黒い塀が私を覆っていたのだ。

私はそこからにげだした。

私は結局何もしなかった。


――――――――――


所々雲に覆われた空の下、私は大きく深呼吸をした。先ほどより、幾分か呼吸が楽になったような気がする。


 広場を走り回る少年達を横目に見つつ病院を抜け出すと、しかしやはり、何処へ行くとも目的がないため、私は気の赴くままに道を歩いた。

 

 どこへ行こうか。


 なんて雑念は捨て、我が身の思うがままに、風のまにまに進んでいく他はない。


 道を進み進み進み、歩き歩き歩き。


 いつの間にか景観は移り変わり、建物の密集する住宅街に差し掛かっていた。入り組んだ大小の道を、重そうな荷物を持って進む老婆。頭上少し上の高さにある塀。この体は、それこそこの道の行きつく先を知っているかのように、迷いなく足を進めていく。すると、いつしか、不思議な感覚が迫ってくるのだ。知っているか、と聞かれればノーと答えるし、見覚えがあるかと聞かれてもノーと答えるけれど、どこか、パズルのピースをはめるが如く、この道という道を進んでいくたびに、しっくりとくる、『そういえばこんなだった』なんて納得がいく。そんな奇妙な感覚である。


 ある瞬間、ふっと意識を手に掴む。寝ぼけた頭が覚めた時のように、目を意識して開くと、そこの看板には丸く可愛らしい文字でこんなことが書かれていた。


『あさひの幼稚園』


 フェンスの奥には園庭が広がっていた。

 その中では多くの幼稚園児が、女性の先生数人と一緒に遊んでいる。

 そのほとんどはやはり、にこやかとした笑顔やにんまり顔を浮かべているのだが、しかしその端、他の児童から少し見えにくい場所で、二人の少年少女と一人の若い男の先生が話し合っているのが見えた。どこかしんみりとした様子で、顔を伏せながら、三人頭を合わせている。


 私は何故かその様子がとても気になってしまった。

 何を話しているのか。どんなことを喋っているのか。

 不意に、不可思議にも気になってしまったのだ。

 糸に引かれるように、あらぬ何かに押されるように、園庭の内建物の陰に隠れている一部分へと直線的に足を進めてしまう。


男は二人をなだめたのち、こうきりだした。優しげに、促すように。


「ゆうくんは、なんでなおちゃんを叩いちゃったの?」

「だって……こいつ、ボールボールって、うるさいから……こいつが先に、俺、叩いたから」

 

 男の先生が尋ねると、ゆうくんと呼ばれた少年は涙ぐみながら、ぐじゅぐじゅと鼻水を垂らしつつそう答える。片手では未だ丸いボールを離すことなく、もう片方の手の甲で涙を拭いた。

 対面する少女はそれを聞くと、しかし首を横に振り、ううと老婆のような声を喉から絞り出すように発すると、ごくりとつばを飲み込んで、こちらも砂でうす汚れた手の甲で涙を一挙に拭き取ると、勇気を出したかのように顔を上げて次のように話した。


「――ゆうくんぎゃ! わたしあしょんじぇたのに、ぼーる、とってって……、わたしたち、あしょんじぇたのに……とられたから、とりかえしたくて……」


 声を張り上げて力強く話した最初の言葉は、しかし、しくりしくりとしゃくりあげるような音と共に少しずつ弱まっていく。双方の目からはなみだがぼろぼろと流れ落ちていた。


「なおちゃんは、ゆうくんにボールを取られて嫌な気持ちになって、思わず叩いちゃったんだね?」


先生が言うと、少女はどこか躊躇うような様子でしかしゆっくりと頭を縦に振る。

つまりこういうことである。

少女がボールで遊んでいると、少年がそれを奪い、苛立った少女が少年を叩いて、叩き返されたということ。

ただそれだけ。

ただそれだけである。

なのになぜ、そんな、目を水に濡らすのだろう。

一体全体、私にはまったくもって分からなかった。


「でもゆうくんは叩かれて痛かったと思うよ。だから、ボールを返して欲しかったら、返してって口で言うようにしようね。ゆうくんも、叩き返したら、なおちゃんは痛かったと思うよ。それにゆうくんは、人の使っている物を勝手に取ったら、その子は嫌な気持ちになるから、貸してって口で言うようにしようね」


 二人はうんと頷く。

 先生は二人の頭を大きな手でがしがしと撫でると「はい。じゃあ二人とも仲直り。二人ともが優しくなってくれたら、先生はとっても嬉しいよ」と、笑いながらそう言った。


 涙をひとしきり流した後、園庭へと二人で一緒に駆けていくその様子を男の先生は優しげな瞳で眺めていた。目尻を下げて、瞼を細めて二人を眺めているその様子に、私はどこか目を引かれてしまった。


 私はフェンスのその奥にある陰へそっと手をのばす。


どこかで感じた醜い感情が心を占めていくようで、しかしそれと同時に、心の何処かでこんなことを考えてしまっている。


-――私が『優しく』なったら誰かが『喜ん』でくれるのだろうか。


なんて。

不相応にも

だから、

私は

優しくなりたい。

そう思った。そう願った。そう望んだ。

目尻を下げて、瞼を細めて振り向いてからその場を離れる。


道端で、重そうな荷物を持つ老婆に「運びましょうか」と尋ねた。

しかし、老婆は一度周りを見渡すと、私を無視して、歩調を早め道を進んでいった。



 

 

 


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