レオは朱雀帝の唯一の弟子であった。

 そのため他の部族長とも面識があり、当時の幹部ほどではないが、そこそこ四神の頭領の事情にも詳しい。彼らは四神と絆を結んだ瞬間に、髪色や瞳の色なども四神の色に染まり、老いがなくなった。

 だから、現在のサミュエルが十数年前と全く変わらない美貌であっても、何らおかしくはないのだ。


「一人であそこから抜け出して来るなんて、化け物かよ」


 ディーのため息混じりの発言に、サミュエルは心外だとばかりに眉を上げた。


「俺が誰かわかっていてあそこに収容したのだから、いつ抜け出されても構わない、と暗に言われているのだと思っていたのだが?」

「嫌味な男だぜ」


 この時、レオは声すら絞り出せなかった。長年崇拝してきた方々の一人だ。ようやく会えた感動に震えることしか彼は出来なかった。


「大事な子供たちが無事だと聞いてね。ならさっさと鍵を返してもらって、家族のもとに帰ろうかと思ったんだ。きみが持っているんだろう?」


 青髪の美しい人は、腕を組み体を壁へ預けた。殺気すら感じられない。自分を脅し牢にぶち込んだ張本人の前で、本気でくつろいでいるのだ。


「大事な家族、ねえ」

 ディーの眼光と纏う雰囲気が鋭くなった。

「よく言うよ。他人の家族は皆殺しにしてきたくせに」


 ディーの言葉と同時に、テル達が走ってきた。ディーの発言をしっかり聞き取れていたのだろう。皆一様に表情が固かった。

 これは好機だとばかりにディーは微笑んだ。


「忘れたのか? 青龍帝様。モンキーズと聞いて閃くものがあるんじゃないのか?」


 テルはやっと会えたサミュエルの顔を伺った。その表情には、たまに彼が見せるあの憂いの帯びた複雑な色が滲んでいる。


「いい所に客人も来たんだ。教えてやるぜ」

 モンキーズの頭領をおもむろに立ち上がり、サミュエルに人差し指を向けた。

「こいつはたった一人で俺の故郷を蹂躙した。罪のない女子供も皆な。青龍帝は、英雄の片割れでも腰抜けでもない。殺人鬼だ」


 他人からは、サミュエルの表情は一切変わっていないように見えた。だからか、ディーは何の反応も見せない彼に苛立ち、手をおろして自ら語り出した。


「俺は忘れもしない。二十二年前だ。あの頃、モンキーズの頭領は俺の兄だった。他には容赦なく血なまぐさい性格をしていたが、俺にとっては優しくたった一人の肉親だ。兄の采配でそこそこホームも拡がり、モンキーズはこれからって時だった。

 だがある日突然、ホーム内の植物という植物全てが俺たちに牙を向いた!」


 モンキーズの男達も初耳のようで、じっとディーの言葉に聞き入っていた。


「木々は、急に伸びた枝で体のどこかしらを掴み人を地面へ叩きつけ、根っこで足を攫って生き埋めにした。草花は群集となって人に巻き付き、鼻や口に侵入し窒息させてきた。毒性の植物に狙われた人は泡を吹いて死んだ。建物に逃げ込んでも無駄だ。壁、床、あらゆる所から蔓が伸びてくる。火をつければ瞬く間に燃え移り、辺り一面を火の海にした。あんな一方的な攻撃、お前らには想像出来るか?」


 誰も一言も発せなかった。


「俺はそんな混乱の中、色んな人に守られてなんとか門まで逃げ切り、確かに見た。領壁の上に立ち、地獄絵図を冷やかに見下ろすこの男の姿をな!」

 ディーは自らを落ち着かせるため深く息を吐いた。

「なあレオ、もう一度聞くぜ。この大罪人を玄武に突き出すつもりの俺と、守り崇拝し共に玄武を復讐するお前、どちらが正しい?」


 赤髪の頭領は眉をひそめた。だが、彼が口を開く前に、声を出した者がいた。テルだった。


「お前、正義とか罪とか、そんな理由で動いてんのかよ」


 一気にその場の注目がテル一人へ集まった。しかし、彼は物怖じせず、堂々と話を続ける。


「正しい道なんてどこにもない。それは誰かがとっくに切り開いて踏み固めた道だ」

 テルは手をディーに向かってゆっくりと伸ばすと、ぎゅっと力強く拳を握った。

「先頭を切る奴は、どんな建て前を引っ提げても、結局は自分の欲望のために進む。お前は、サミュエルに復讐したいだけだ」


「ああ?」


 テルは固めた拳でディーを指差した。

「お前はサミュエルに復讐したい。そして」

 彼は指をそのままレオへ向けた。

「よく知らんが、レオは玄武に復讐したい」

 そして、手を下ろした。

「それだけの話だろ。正義の皮被って、復讐を狙う自分に気付けない奴が、一番だせえよ」


 暫くの沈黙が続いた。

 すると、ディーは喉の奥で笑い始め、それは次第に大きくなり、彼はお腹を抱えて高笑いした。よろけながら少しずつ笑いがおさまり、完全に止まったかと思えば、サミュエルの目の前で狂気の色を全面に顔を上げた。


「そうだ。俺はお前を殺したい。玄武に突き出して点数稼ぎをと思ったが、やめた。お前の生首を玄武に渡せりゃいいんだ。ここで殺る」


 ディーは素早く懐から黒光りする銃を出し、サミュエルの額に突き立てた。同時に、この場にいるライオンズファミリー全員がディーへ銃口を向ける。


「いいぜ。こいつを殺れたらすぐ兄貴のもとへ逝く。本望だ。さあ聞かせてくれよ、お前の最期の言葉を」


 ディーの瞳孔は今までにないくらい開き、口角は裂かれたように上がっていた。


 他の誰も、手を出すことが出来なかった。ディーを撃てば、その引き金は引かれるだろう。そもそも自分の弾が青龍帝に当たる可能性だってある。

 ニコルやヴィスキーからの角度なら、青龍帝へは掠める程度で済むかもしれない。しかし、ディーから動向が丸見えで、下手な真似をすれば青龍帝が危険だ。


 流石のレオも、額に脂汗が流れた。


 その刹那、レオの視界の横でどす黒いものがディーへ襲いかかった。

 ディーも、青龍帝から銃を外す気はなかった。


 しかし、意思とは別の場所にある本能が、それへ銃を向けてしまっていた。引き金を引くが、弾は掠めることすらなく、頬に強い衝撃を受けた。

 全てがほんの一瞬のことで、何があったのか把握もままらない。気付けば、ディーの視界は虫けらのような位置へと傾いていた。


「サミュエル、大丈夫か!?」


 黒いものは、テルだった。


「無事だよ。俺より彼の方が重傷だろう」

 サミュエルは未だ落ち着いた様子でしゃがみ、倒れてからぴくりとも動かないディーの上腕部に触れ、その後胸に、そして口元と鼻のあたりに手をかざした。

「だめだ。モンキーズのそこの人、そう、君のこと。医者を呼んで来て。……急いで!」


 指名された男はサミュエルの大声で目が覚め、部屋の外へと駆けて行った。他のモンキーズの男達はどうしたらいいのかわからないらしく、頭領の傍に寄ってディーを呼ぶことしかしない。

 ナックルつきの拳で殴られたディーの頬は、青く腫れ血にまみれ、酷い有様になっていた。


「サミュエル様、ここには玄武の者がいます! 離脱しなければ」声を上げたのはレオだった。


 しかし、肝心のサミュエルは、ディーの胸の中心を両手で強くそして速く押している。

「テル、気道確保。わかるよね?」


「でもサミュエル、こいつは……」


「速く!」


 迷っていたテルだが、サミュエルの怒号でようやく動く気になった。ディーの頭部へまわってしゃがみ、自身の両肘を床に固定すると両手でディーの下顎角を掴んだ。そして、そのままディーの下顎を前方へ押し出すように挙上した。


「玄武に捕まりますよ!?」レオの声に焦りが滲む。


「サミュエル様!」

 他のライオンズの幹部達もそれぞれ呼び始めた。


 サミュエルの名と「兄貴」とディーを呼ぶ男達の声が、部屋中を飽和する。

 テルが不安げに彼の顔を見た。いつになく葛藤しているのか、ただひたすらにディーの胸を圧迫し続けている。しかし、視線を感じたのかテルの顔をちらりと見ると、今度は歯を食いしばり顔を上げる。


「きみ。そう、俺の目の前にいるきみ。胸骨圧迫出来る?」


 指名された男は困惑しどもりながら否定した。


「なら俺が教える通りにやって。まず利き手を出して。そう、その手にもう片方の手を重ねて、下の指を持ち上げるように掴んで。掌の中の下の部分で、胸の中心を強く押すんだよ。じゃあ、俺が五回数えたらすぐ交代」


「けどこんな事やったことないです! もしやり方がおかしかったら……」

「やらなきゃ君の頭領は死ぬよ。いいのかい? 大丈夫。最初の十回は見ててあげるから」


 男は迷いを振り切り、力強く頷いた。「はい」


「いくよ。一、二、三、四、五!」

 サミュエルが離れてから間髪入れずに、男が交代した。

「もっと強く押して。そう、それくらい。医者が着いても続けて。テルも代わってもらいな」


 テルは頷き、隣にいた男にやり方を教え代わってもらった。


「レオ!」ディーを見て苦い表情をしていたレオを、テルが大声で呼んだ。


「ああ。急いでモンキーズから出ましょう」

 

 

 



 ライオンズに戻れたのは、すっかり日が落ちてからだった。

 遅い時間になってもトムは起きたままで、一人で震えて祈るように待ってくれていた。再開を果たした三人は、ようやく抱擁を交わしたのだった。


 モンキーズ頭領危篤のため軍での報復は暫くはなくとも、個人での報復が来てもおかしくないので、『扉』は全て閉じ、取り敢えず食事をとることにした。

 例の通りサミュエルは食事中に話すことを嫌うので、会談が始まったのは食事と更に入浴まで済ませた後の事だった。


「お久しぶりです、サミュエル様」

「レオナルドかい? 最後に会った時より随分と老けたね」

「もう三十六ですから」


 会談の席にいたのは、家族三人と頭領のレオと副頭領は勿論、本人達の強い希望でニコルとヴィスキーとリオナまでがついてきていた。大人な幹部達は流石に皆遠慮した。


「知り合いだったのか?」テルが質問した。

「ああ、彼は親友の弟子なんだ」

「朱雀帝の弟子ってことかよ! 知らなかったぞ」


 サミュエルは隣に座っているテルの前髪を梳いた。「テルも、教えられたんだね」


「サミュエルは青龍帝なんだよな。おれだけかよ、知らされてなかったの。いつもおれだけ何も知らないよな」


「テルにだけは気付かれないから、そっとしておいたんだよ」

 サミュエルを挟んで隣に座るトムが、優しく微笑んだ。

「いつもそうだろう?」


「さて、今回のことですが」

 レオは真剣な面持ちでサミュエルを見つめた。

「なぜ計画通りに動いて下さらなかったのですか」

「『鍵』だよ」


 青髪の彼は自らのポケットの中から鍵を取り出した。「誰かさんの落とし物を回収しに行ったんだ。ぞろぞろと他人を連れて行くと身動きしにくいから一人でね。もっと理由が欲しいかい?」


「結構です」


「おかげでこっちは酷い目に遭い損だったんだよ!」

 ふくれっ面になっているのは、オリーブ色の髪の少女、ヴィスキーだった。

「先に言ってくれていれば計画の中に入れられただろうに!」


「『鍵』がモンキーズの頭領の手にあるなんて思ってもみなくてね。説教はまだ続く?」


 レオは気が抜けたらしく、ふっと笑った。「あなたは全く変わらないですね」


「おかげで世界の大きな変化についていけないよ。ねえ? テル」

「おれはちょっとだけわかったぞ! ほんのちょっとだけ」


 語尾がしぼんだテルを、サミュエルとトムは愛おしいと感じた。相変わらず自信の無いものには正直だ。


「けど、おれも聞きたいことがあるんだ。それも二つ。いいか? サム」

「可愛いショウ坊や──サミュエルはたまにテルのことをそう呼ぶ──からの質問ならいくらでも」

「モンキーズの頭領の話なんだ。どうしてあいつを生かしておいたんだ? またサムを殺しに来たりしたらどうするんだよ」


「その時考えるかなあ」

 青龍帝は呑気に答えた。

「死んで欲しくなかったんだ。彼のために、俺のために、そしてテル、お前のために」


 ぽん、とテルの頭にサミュエルの手が乗った。


「俺だって忘れもしない。今のテルよりも少し小さいくらいの少年が、こっちを見て怯えてたんだ。そこでようやく、自分がしていた残酷さに気付いた」

 信じたくないと目で訴えてくるテルに、サミュエルは儚げに微笑んだ。

「本当だよ。モンキーズ頭領のディーが言っていたことは全て、事実だ。俺はこの手で罪なき人を大勢殺した」


「しかし、何か理由があるのでしょう?」そう問うたのはリオナだ。


「言い訳にしかならないし、だからと言って誰かを殺していいわけがない」


「その言い訳が聞きたいんです」

 食い気味にリオナが言った。


 レオと副頭領以外の全員が、じっと食い入るようにサミュエルを見つめていた。あんなに青龍帝を貶していたヴィスキーですらもだ。

 彼は諦め、一つ息を吐いた。


「復讐だよ。妻を殺して喜んだ、あのファミリーへのね」

 






 日中は焼けるように暑いライオンズホームも、夜になればすっかり冷える。家族がすっかり寝静まった頃、テルはベッドを抜け出し広大な庭まで来ていた。

 庭と言っても、頭領の館の庭は酷く殺風景だ。申し訳程度に芝生が生えているが、他に草木は見当たらない。


 そんな庭の中央にある朱雀帝の墓石の前で、テルはしゃがみこんでいた。墓石はゆうにテルの腰より高いため、すっかりテルは墓石の影に隠れている。


「テル、寒いだろう」


 不意に、肩に温もりの残る上着がかけられた。

 この優しく甘い声は、確かめなくてもわかる。


「付けてきたのかよ、サミュエル」


 彼はテルの隣に膝を折り、顔を覗き込んだ。

「こんな夜更けに出ようとするお前を一人にする訳がないだろう。どうした?」


 目の前の綺麗な顔を、テルは不安げに見つめた。


「おれは、家族のことすら何も知らなかったんだと思って」

「寂しくなった?」

「情けないんだよ」少年は素早く頭を振る。「家族の全てを知ってる気になって、知ろうともしていなかった自分が、情けない」


 そう言って項垂れてしまった頭を、サミュエルは優しく撫で、自分の肩に引き寄せた。


「誰かの全てをわかろうだなんて、傲慢だなあ」


「サム?」テルはすっぽりと彼の腕の中に収まっている。


「気になったその時に聞けばいい。家族なんだから」


 触れる箇所から、じんわりと温もりが伝わってくる。他の誰かでは感じられない安らぎが、サミュエルの腕の中にはあった。

 この腕の中にいれば何も怖くないくらい心強い。早くジャスミンにもこの温もりを分けてあげたいとテルは思った。

 そして、ふと墓を見上げた。


「そうだサミュエル、この文字読める?」


 彼も目の前の墓石をゆっくり見上げる。

「『我、友を信ず』」

 サミュエルは墓を見上げたまま、読めない表情で訊ねた。

「これは何?」


「朱雀帝のお墓。ここで死んだんだって。朱雀帝の言葉を刻んだとさ」


 言い終えた後にサミュエルが朱雀帝の親友だったことを思い出し、彼へ視線を移した。

 不思議なことに、サミュエルは随分と穏やかな表情だった。あの寂しげな表情で親友の死を憂うのかと思っていたが、優しく微笑んでいるようにも見える。

 そして、彼は何かを呟いた。小さ過ぎてしっかりは聞き取れなかったが、確かに最後、『エド』と口を動かしていた。

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君を追って世界掌握ラプソディー もなもか @monamoka03

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