伍
ライオンズファミリーの諜報員がモンキーズへ派遣されてから、二日が過ぎた。
テルは武器を新調してもらうため、ニコルの店に居座っていた。トムには渋い顔をされたが、本人の強い希望でテルもサミュエルの救出作戦に加わることになったのだ。
ニコルが構える鍛冶屋の内装は、商人市場の外観とは違い煉瓦で出来ていた。どうやら商人市場に一人の職人が貰える範囲は二階もあるようで、下が店、上が私用の部屋という造りだ。
テルは来客用である木製の椅子にのんびりしている。テルが待っているのは剣や銃ではなく、殴打の威力を上げるナックルだ。そしてオーダーメイド制ではなく、元から店に商品として飾ってあったもののサイズを調整しているだけ。
「これでどうでしょうか」
ニコルが調整したナックルを、テルは手にはめてみた。寸法の按配はわからないが、なんとなく安定していたのでこれでいいとテルは伝える。
「テルさんのお兄さん、博識な方ですね」
「ああ、トムな。おれとは違って勉強が好きでさ。サミュエルの書庫も譲り受けてるから、そのへんの人よりは頭がいいぞ」
「いえ、とんでもない。テルさんと同じか少しはマシくらいかと思っていましたが、ライオンズの学者以上でしょう」
「おい、おれに酷いぞ」
二人は顔を見合わせて笑った。
笑いが収まってから、テルは表情を綻ばせて訊ねた。「ニコルは、兄貴とかいるのか?」
不意をつかれたのか、ニコルは眉を上げて頷いた。「ええ」彼の顔はどこか強ばっているようにも見える。「一人だけ、兄が」
「どんな人? 一緒に住んでるのか?」
「いえ、最近は離れて暮らしてます。兄は……」ニコルは口ごもり、やや俯いて答えた。「とても、素晴らしい人でした」
それ以上の質問を、テルはしなかった。
「サミュエル様の収容所がわかった」
レオがそう告げたのは、テルが館へ戻ってからすぐのことだった。
赤髪の頭領は、テルが帰ってから間もなくして幹部やリオナ、ヴィスキー、ニコル、そしてテルとトムを会議室へ招集した。会議室は、やはり赤い家具で整っており、奥の壁紙には大きく獅子の顔が写っていた。
「明日、モンキーズと会談を行う。その書状も既に送った」
レオは円卓に黄ばんだ白地図を広げた。
「当日はこの面子を主たるメンバーとしてモンキーズへ乗り込む。我々の到着場所はここ、モンキーズ頭領の館付近にある大使館。ここから皆で頭領の館へ向かう。実際に会談に入れるのは幹部以上のみで、他護衛は別室に案内される。
そこで、リオナ、テル、ニコル、ヴィスキーの四人はサミュエル様をこっこり救出に向かうんだ」
「サミュエルはどこに閉じ込められているんだ?」テルが訊ねた。
「そこが少々厄介でな。調査によれば、地下牢の奥のまた奥……厳重警備の先にいらっしゃるようなんだ。リオナは案内出来るから加えたが、他三人はくれぐれもリオナを守るように。いいな?」
レオの忠告に、ニコルだけが頷いた。「その地図は預かれるんですか?」
「そうだな、一応渡しておこう。なんだヴィス、テル、不服そうな顔だな」
名指しされた少女は更に顔を不機嫌そうにしかめるが、頭領の姿を見て大人しく引き下がった。レオは彼女の様子に一つため息をつくと、テルへ視線を移す。それに気付いたテルは首を縦に振った。
「トムを作戦から外してほしい。……ライオンズで待ってて欲しいんだ」
ぴくりと副頭領は眉を一つ動かした。
「悪くないが、理由を聞かせてくれ」
「トムはおれら兄弟の中で一番頭がいいけど、一番弱かったんだ。一緒に来られると、心配になって集中出来ない」
「とのことだが、当のトムさんはいいのかな?」
金髪の彼は苦い笑みを浮かべた。
「テルの言う通りにします」
モンキーズ内に侵入するのは簡単だった。問題なく鍵によって到着し、計画通り、幹部以外は客室に案内された。
モンキーズの建物の造りはライオンズとあまり変わらない。ただ、ライオンズは赤が多いことに対し、こちらは橙色を基調としている。
客室に置かれた警備の数は約二名。それも、中ではなく扉の外。これは好機だと周りに応援され、リオナを先頭に窓から客室を出ていった。
四人は気づかれないようにそっと隣のベランダへと渡り、先行するリオナが中に誰もいないか覗いた。無人だと確認すると、後ろの三人へ頷き更に次のベランダへと移る。
何度もそれを繰り返し、端までやって来た。そこでようやくリオナが鞄の中から鉤爪のついた縄を取り出す。
「ここからずっと下に地下牢へ行ける道があるのよ」
「ずっと下って、どれくらいだ?」ヴィスキーが訊ねた。
「そうね、ざっと四階分かしら」金髪の美女は着実に準備を固めながら答えた。
「四階!?」
少女は思わず大きめの声を出してしまい、他三人から同時に叱られた。そして今度は囁き声で怒りを顕にする。
「そこまでへぼっちい縄で降りろって言うのかよ!」
「嫌なら部屋へ戻れば? あなた一人くらい抜けたところで男二人もいるなら私は困らないわよ」
一応聞き入れたのか、それでも不服そうにヴィスキーは口を噤む。
「その縄をひっかけたくらいで無事に降りきれるのかよ」
次に声を上げたのはテルだった。
「重いだろ」
「レオなら絶対に降りられなかったでしょうね。私たちはどうかしら。やってみなきゃわからないわ」
そう言って、リオナは体をベランダの外へ投げ出した。縄をしっかりと手に掴み、慣れた様子で何度か壁に足をつきながら降りていく。その度に鉤爪を引っ掛けた場所が軋み、テル達は固唾を飲んでただリオナの無事を祈っていた。
どうやら何事もなく辿り着いたようで、暫く待っていると張っていた縄が緩んだ。テルはベランダの下を覗くが、リオナの姿はどこにもない。
「次はおれが行こう」
テルもまた、リオナ以上の身軽さで降りていった。危険な行為ならこれよりも酷いことをしてきたテルだ。余裕を持って下がっていく。
しかし、どれだけ降りてもリオナがいそうな道らしきものは見つからない。ついにテルは地面に足を付けてしまった。
が、その瞬間、足場はくるりとひっくり返り、何の把握も出来ないままどこかへ叩き付けられる。
「いってえ……」
普段から鍛えられていた脊髄反射で受け身の体勢になれたからいいものを、もしこれがトムなら確実に頭から落ちて首を折っていたことだろう。
強く打ちつけた部分の痛みに耐えながら、おもむろに立ち上がった。転がっていた時から気付いていたが、やや距離をとった所にリオナが片足重心で立っている。
「おまえ、せめてこういう仕組みだって話しておけよ」
「ここに着いてから気付いたの。ほら、さっさとそこをどかなきゃ、次が来るわよ」
彼女の言う通りにテルが三歩進むと、情けない悲鳴と共にニコルが落ちてきた。彼は起き上がると、涙目でリオナへ抗議の声を荒らげた。
「あなたはまた何の説明もしないで勝手に進んで! こんなこと前にもありましたよね!」
「あったのか?」
リオナは首をかしげた。「あったかしら?」
「忘れたんですか!? あの時はあなたのおかげで足の骨が折れたんですよ!」
「そんなことより、さっさとそこ退かないとヴィスキーが来るわよ」
しかし忠告を言い終える前に、甲高い悲鳴と共にオリーブ色の髪の少女がニコルを下敷きに落ちてきてしまった。
「ほら」
「ほらじゃない!」
散々な目に遭った二人が声を揃えて怒鳴りつけた。
「そんな大きな声出したら気付かれるでしょう? さっさと行くわよ」
「行くって、この暗闇の中どうやってだよ」
ヴィスキーは起き上がるが、どうにも足もとが覚束無い。
「何も見えないぞ」
「誰かマッチを持って来てないの?」
テルが
「そうね。じゃあテル、周りに何があるか私に逐一伝えて。それで今どの辺か確認できるから」
そこから一行は細心の注意を払って先へ進んだ。テルの化け物じみた目では体感出来ないが、他三人は目を閉じて不気味な地を進んでいるものと同じ。いつモンキーズがやって来るかもわからない。和やかだった空気も、自然と張り詰めていった。
そして何事もないように思えるが、テルを除いた三人はこの異変に気付いていた。
あれだけ騒いだのに、誰も来ない。
「リオナさん、あとどれくらいで着きますか」ニコルの頬に冷たい汗が流れる。
「あと少しよ。テル、この先には何がある?」
「行き止まりだ」彼はやや間を開けてから伝えた。
「ええそこね。その壁の向こうが、地下牢の最奥独房なの」
「壁の向こう?」
ヴィスキーが訝しげに声を出した。
「どうやって行くんだよ」
「青龍帝との手筈で、壁のどこかに穴があるの。そこから青龍帝に出てきてもらう事になってるわ」
ふと、先頭を歩いていたテルが立ち止まった。手を繋いでいたため、彼に続いていた三人も足を止める。
「穴は無いが、メッセージならある」
「メッセージ? 青龍帝は何と仰っているんです?」
テルは、壁一面に張り巡らされた蔓に触れた。そう言えば、サミュエルはたまにおかしな力を使っていた。植物を作り出し、操る力だ。
「『先へ行く。君たちはどうか大人しく待っていてくれ』」
「知っていたか? 兄弟。今年の優勝候補はホークスだと噂されているんだぜ」
モンキーズの頭領、『
目の前で朗らかに笑むディーは、きっとレオ達の真の目的に気付いている。
冷や汗ものの内心を覗かれないよう、ライオンズの頭領は微笑み返した。
「ホークスのルーキーが大活躍なんだってな。実際に会ってみたが、実に快活な青年だった」
「しかも、かの青龍帝に似ているとも聞いたが」
何故そのお方の話題に触れられる?
しかし、レオは自身の動揺を一瞬も晒さずに苦笑した。
「まあ、確かに目の形や輪郭は似ていたな。だがそれだけだ。まさか、お前まで『青龍帝の息子』なんて噂を信じているんじゃないだろうな?」
「そうだったら面白いだろう? この世界のどこかで青龍帝が息を潜め、玄武帝の首をとる機会を探ってるということだ」
この男はどの口で物を言うのだろうか。
「その時は、お前はどちらにつく?」
レオの鋭い視線を受け、ディーはニヒルな笑みを浮かべた。
下手なことは言えないだろう。モンキーズは玄武からの恩恵を強く受けている。広い
「ライオンズは、青龍帝だろうなあ。
「よく言うよ」
レオは、思わず素で笑っていた。
嫌いじゃなかった。
ディーという男は、計算高く腹黒い。しかし、レオはどうにも嫌いになれなかった。彼との会話は透明な糸の上を綱渡りしているような緊張感が漂うが、相手からどれくらい情報を多く拾えるか競い合うような感覚が、レオには面白かった。
最近どうにも玄武との接触が多いと報告を受けた時は、いつかこんな時が来るという予感が当たってしまった失望感に苛まれたものだ。元よりきな臭いファミリーではあったが、明け透けなディーのおかげで、彼らとは戦いたくないと思うほどには仲を深めてしまっていた。
今までは直接的なことは互いに言ってこなかった。会話のゲームを楽しむため、そして、対立を避けるため。
「何故、かのお方の住処を荒らし、連行した」
ディーの細い目が僅かに見開かれた。
「玄武に献上する気か?」
二人の間に、今まで以上の緊張が走った。暫くじっと睨み合っていたが、とうとうディーが喉の奥で笑い出した。
「まるでそれが罪だとでも言いたげな表情だな、兄弟」
ディーは体を乗り出して語り出した。
「この世界において、青龍帝はお尋ね者だぜ? 俺とお前、一体どちらが罪だ?」
「玄武部族の圧政が正しいとでも言うのかよ」
「圧政だと? レオ、お前は復讐に目が眩んで現実が見れていないようだな。
「自分のファミリーが幸せなら他はどうでもいいのか?」
「ああ。他に目を向けてやるほどの余裕は無いもんでな」
レオの切なる考えをディーは一笑に付し、言葉を続けた。
「それに、今更青龍帝があらわれたところでこの世界は変わらないぜ」
「それはどうかな」
一触即発の状態だった。隣室で待機している幹部達にまで伝わっていそうなほど、空気が冷えきっていた。
二人がお互いにのみ集中していた時、焦りが滲むノックが緊張を割った。
興が削がれたとでも言うようにディーはため息をつき、入室を許可した。
部屋に入ってきたモンキーズの男は、ディーのそばまで小走りで近寄り、レオを気にしながらも小声で何かをディーに囁いた。しかし、男の心配をよそにディーは先程までと変わらない声の大きさで対応する。
「逃げられた? あの厳重警備の中、お前らは一体何人に出し抜かれたと言うんだ?」
「ひ、一人です」
「はあ?」
男の報告に、レオも眉をひそめた。
「青龍帝が、一人で堂々とこちらに向かって……! 」
モンキーズの男が言い切る前に、扉がけたたましい音を立てて開かれる。
その音に釣られたのか、幹部達が待機していた隣室から両ファミリーの幹部が出てきて、更に奥で息を潜めていたのであろうディーの護衛達も顔を出した。
問題の扉にいたのは、不思議な輝きを魅せる青髪を持つ、恐ろしい程に妖艶な美貌の男。
一目見れば二度と忘れられない容貌だからこそ、十数年経った今でも、驚愕の中一目見てレオは確信を持った。
「大切な『鍵』を返して貰いに来たよ」
彼こそが、青龍帝サミュエルだと。
「待っていてくれって、一体どこで待てって言うんだよ」
壁の文字を読み上げてすぐ、テルは呟いた。
「自分で全て解決できるから、ライオンズに帰れってことかしらね」
「と言うことは、どちらへ行くつもりでしょうか」
「おおかたモンキーズの頭領のもとじゃないかしら。今はレオと会談中だから、会議室ね」
「そんなこと、あの人は知らないだろ?」ヴィスキーが言った。
「そのへんの適当な人間捕まえて吐かせればすぐにわかることよ。青龍帝なら朝飯前じゃなくて?」
朝飯前どころか、準備中でも出来るんだぞとテルは思った。
幼い頃、悪戯で隠したジャスミンの宝物──浜辺で見付けたという貝殻──の在処を、サミュエルが料理中の時に吐かされた経験があったのだ。
「じゃあ、わたし達は待機室に戻るのか?」
「や、おれはその会議室へ行きたい。リオナ、案内してくれるか?」
「お安い御用よ。でも、どうして? あなたの保護者が待ってろと言うのよ。それも、あのお方に助けはいらないみたいだし」
「おれの助けなんていらないことくらい最初からわかってるよ。それでも行きたい。待つのは嫌いなんだ」
「確かに嫌いみたいですね」ニコルは苦笑した。「待機命令が出たあの数日間、あなたが落ち着いていてくれた時間なんて一瞬もありませんでした。常にそわそわしていましたね」
「そういうことだ! 引き返すぞ」
自信満々に自分は短気だとテルは告げ、皆の手を引き元来た道を辿った。
三人の認識では、テルは戦闘力が高いただの世間知らずだった。しかし、思えば青龍帝と推測される『サミュエル』の手で大事に育てられた少年。
もしかしたら、彼はただ者ではないのでは、と今頃になって思い始めていたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます