ジャスミンとサミュエルが誘拐された翌日、テルとトムはライオンズの頭領の館へ案内された。通された客室は赤いアンティーク調の家具で整っていて、案内人のダグの説明によれば、寝室やキッチンもくっついているそうだ。

 普段なら探検の一つでもしたテルだが、今はそんな気分にはなれなかった。ジャスミンどころか、サミュエルまで拐われていたなんて。


 二人は低めの長方形テーブルを囲むソファーに向かい合って座り、ただ黙っていた。客室に着いてから、彼らは一言も話していない。心配事が起きた際、不安を和らげてくれる役はいつもサミュエルかジャスミンだったのだ。

 昼、比較的テルの精神が安定していたのは、サミュエルが助けてくれると信じていたからだ。

 テルが頭を抱えて呻き声を上げたとき、扉がノックされた。トムが扉を開け、ニコルが部屋に入ってくる。


「失礼します」


 ニコルをテルの向かいの席に座らせ、トムはテルの隣についた。その後からライオンズ頭領のレオ、さらに初めて会う男がやって来て、レオは上座に、男は隣の席についた。


「副頭領だ。兄貴からお話は伺っているから、自己紹介はいらない」


 不思議な面子だが、テルは呆然としていて気にならなかった。トムも同様に、何も考えられないようだ。

 明らかに重い空気を纏う二人に、ニコルはおずおずと話しかける。


「すみません……僕が先に鍵を見つけ出せていたら……」

 テルはかぶりを振り、ゆっくりと背もたれに寄りかかった。「あの様子だと、ニコルが捜し出し始めた時には既に盗まれていた。ニコルのせいじゃない。……おれが悪いんだ。だから、ニコルはそんな顔をしないでくれよ」


 薔薇色の髪の少年の顔は、それでも晴れない。どうしたものか、とテルが困ったときだった。



「誰が悪いなんて後で決めればいい。今はどうやって二人を救うか、考える時間だ」

『誰が悪いなんて後で決めなさい。今はどうやってこの崩落から抜け出すか、考える時間だよ』



 兄弟の視線が一気にレオへ集まった。サミュエルの声が、頭領の声の裏側から聞こえた気がしたのだ。


「君たちのなら、きっとこう言ったんじゃないかと思ってな」

 レオが優しく微笑んだ。

「テルがぼろ雑巾にしたモンキーズファミリーの幹部からなんとか絞り出した情報によれば、サミュエル様の連行は頭領直々のご命令だそうだ。君たちの家の発見は襲撃の三時間前。頭領が別件で席を外していたため報告が遅れ、夕方の襲撃になった、とのことだ」


「サムは今……」トムの瞳が不安げに揺れた。「俺が人質にさえ取られなければ、あんな奴らに連れて行かれることもなかったんだ……」

「それはどうかな」レオはきっぱり言った。「これは俺の推測に過ぎないんだが、かなりの確信を持って言える。君たちのサミュエル様は、……青龍帝なんだろう。あのお方は人質を取られたくらいで大人しくなることはない。何か思惑があって、自らついていったのではないかな」


 サミュエルが青龍帝だなんて、テルは聞いたことがない。そんなまさか、とトムを見ると、どこかバツの悪そうな表情をしていた。


「だから、あのお方なら心配することは無い。ちょうど最近、『諜報員』にモンキーズ内部を探らせているところだった。情報が入り次第、救出作戦を練ろうと考えている。その間、テルには近辺の紹介をしようと思うんだ」

「おれにだけ?」レオの発言に、テルは眉をひそめた。「トムは?」

「彼には聞きたい話がある。副頭領に同席してもらうが、なるべく人は少ないほうがいいんだ。ニコルには先の作戦に備えてこれから自分の店に戻って欲しいから、テルに心細い思いをさせると思ってな。庭で待たせている女の子がいる。その子に周辺を案内してもらってくれ」

「おれは同席するなってことかよ」

「テル、この人の言うことに従ってくれ」暗い表情でトムが言った。


 テルは肩をすくめた。


「無事に生きたきゃ、彼女には手を出さないようにな」冗談めかしてレオが笑った。


 ニコルに庭まで道案内をしてもらった後は、すぐに彼と別れた。言葉は少なかったが、やはり彼は柔らかい雰囲気を纏う男だ。そばにいるだけで、テルの心は落ち着いていた。離れるのが名残惜しい。


 どれだけ見渡しても女の子はいないので、テルはあの朱雀の墓を眺めることにした。昨日とは違い、墓に白薔薇が一輪添えられている。誰が供えたのかは知らないが、朱雀と言えば赤なのに、何故あえて白を選んだのかテルには疑問だった。


 トムならこの文字が読める筈だ。テルが心から憧れた男の言葉を。後で聞いてみよう、そう決めてすぐ、レオの告げた言葉を思い出した。

 もし本当にサミュエルが青龍帝だったなら、朱雀帝の墓を見たら何を思うのだろう。どんな花をお供えするのだろう。

 二人は盃を交わした義兄弟であり、唯一無二の親友だった筈だ。そう、サミュエルから聞いていた。


 まだテルは信じられず、呆然と墓石を眺めていた。


「あんたがテル?」


 背後から陽気な声に呼ばれ、テルは振り返った。

 彼女は片手を腰に当て、片足に重心を傾けて立っていた。オリーブ色の長い髪を後頭部で一つにまとめあげ、くっきりとしたブルーの瞳が可愛らしい少女だ。

 レオの部下達と同じ赤いスカジャンの下には胸を覆うサラシだけで、下半身はデニムのショートパンツを着て大胆に足を出している。


「おれにライオンズの案内をしてくれるそうだな」

「そうだ。わたしはヴィスキー。あまりこう呼ばれるのは慣れてないから、ヴィスと呼んでくれ!」

「よろしく、ヴィス。なんだろう、お前の話し方ってなんだか男みたいだな」

「男社会に生きてるとどうしてもな。これでも一戦闘員なんだよ。さあ行くぞ! レオナルド・タウンは色彩的にはつまらない街だが、何せライオンズホームの頭領街だ。きっとお前も気に入るだろう!」


 ヴィスキーにがっちり手首を掴まれ、そのままテルは引っ張られていった。

 




 高台にそびえ立つ商人市場の最上階から見たときは、建物は全て家だとテルは勘違いしていた。

 確かに二階は家であるものが多いが、完全な家だと思っていたものの殆どは店だった。人が建物の間を縫うように行き交っていたのも納得がいく。


 ヴィスキーの宣言通り、レオナルド・タウンはテルの想像以上に愉快な街だった。人と人との交流が多く、ヴィスキーと同じ赤スカジャンを着る者同士は殆ど知り合いとのことで、店案内をしてくれている間にも多くの男と挨拶をしていた。

 中でもテルの目を引いたのが衣服店だ。

 セウ商店街では見られない奇抜な衣服が所狭しと並べられていた。ジャスミンがこの場にいれば、きっとはしからはしまで見ようとして中々先へ進めなかったことだろう。


 館の周辺を一周したところでテルの腹の虫が盛大に叫び出したので、二人は定食屋で食事を始めた。


「ヴィスはどうしておれの名前を知っていたんだ?」


「そりゃあ、待ち合わせるのにどんな人間なのか知らないんじゃしょうがないじゃんか。まあ、前もってニコルから聞いていた、というのもあるけどさ」

 もの言いたげなテルに、ヴィスキーは一口飲み込んでから話し続けた。

「友達なんだよ。腕もいい。あんたに申し訳ないって話して、珍しく酔っぱらっていたよ」


「やっぱりあいつ、いい男だよなあ」

「だろ? あいつはお人好しなんだよ。そのせいで損することも多い。仲良くしてやってな」


 和やかな雰囲気の中、二人は三口ほど料理を食べた。


「話を変えるんだけどさ。青龍帝ってどんな人だったんだ?」

「えらい変えたな」

「朱雀帝のことならよく聞いていたんだが、よくよく考えたら青龍帝は知らないんだと気付いてさ。何か知らない?」


 途端に彼女の顔から陽気さが霧散した。苦い味でも思い出した顔をしている。


「どうしたんだ?」


「腰抜け」

 ヴィスキーは吐き捨てるように言った。

「最低の腰抜け頭領だよ。あの大戦で、部族を捨てて一人で逃げたんだ。『ホークス』のお偉いさん達は腰抜け頭領を庇うけどさ、『三大獣』の殆どが、どこかでこそこそ生きてるあの男を嫌ってる」


「どういうことだ?」

「いくら世間知らずだからって流石に知ってるだろ? あの大戦……。まさか、嘘だろう?」


 テルは潔く頷く。「聞いたかもしれないし、聞いてないかもしれない。覚えてない」

 ヴィスキーは軽くのけ反り、驚嘆の声を上げた。

「『世界四神大戦』を知らないのかよ。ニコルの言った通りだな」


「そんな大戦があったんだな」


「朱雀帝と白虎帝が亡くなった最悪の戦争だよ。玄武帝が外世界制覇のために、当時頂点に立っていた朱雀部族を襲ったんだ。朱雀だけじゃあない。完全な征服のため自分達以外の部族を叩きやがった」

「そんなに玄武は強かったのかよ。連合は力の均衡を保っていたんだろ?」


「中央街の頂点、『巫王』と手を組んだんだよ。巫王は四神よりもずっと強い力を持ってるから、白虎や朱雀がいくら対抗しても敵わなかった。そう、相手が巫王だと知ったから青龍帝はさっさと尻尾巻いて逃げたんだ。朱雀帝は最期まで前線で戦ったのに」


「なんでそんなことまで知ってるんだ? 見てたのか?」


「まさか。十六年も前だぞ。朱雀帝の遺体が見つからないのは、前線で自身の繰り出した大爆発の炎に焼かれたからなんだよ。敵に大打撃を与えると共に自害して、部族への攻撃を止めさせたんだ。かっこいいよな」

 酸っぱい物でも食べたような顔をするテルに、ヴィスキーは笑い説明を付け加えた。

「ああ、そっか知らないんだよな。どちらかの頭領の死をもって、戦争は終わるんだ」


「じゃあ、今の外世界の頂点は玄武なのか? ライオンズはどれぐらい大きいんだ?」


「ああ、そうだ。力関係で言うと、三番目くらいだな。朱雀、白虎、青龍の三つの部族の残党ファミリーがあるんだけどさ。それがさっきわたしが言った『三大獣』ってわけ。二番目は、元青龍部族の『ホークスファミリー』。三大獣の中で唯一部族時代の幹部が皆生き残ってるからさ。経験の差だな」


 話を聞き終えたテルは、手の中のお皿を見てそのままご飯を掻き込んだ。

 







 館へ戻った頃、日はすっかり沈んでいた。廊下の照明がランプだけでは心もとなく、足下が見えるよう、ヴィスキーがランタンを持って部屋の前までの案内役を買ってくれた。

 テルとトムが借りている客室には、頭領のレオと、初対面の女性がいた。二人はソファーに並んで座り、どうやらテルを待っていたようだ。


 ヴィスキーはレオに対して頭を下げただけで、部屋の中には入って来ないまま去っていった。テルはトムに隣りに座るよう促され、ソファーに腰掛けた。


「つい先ほど、優秀な諜報員が帰ってきた。彼女がそうだ」

「リオナよ」


 白金色のふんわりとしたセミロングの髪と、暗いヘーゼルのアーモンド型の瞳がセクシーな女性だ。唇も厚めで、それが更に全体的な色っぽさを上昇させていた。

 彼女はその美乳を押し付けるようにレオにしなだれかかっている。


「確かに君たちのサミュエル様と思われる男が、昨日連行されたという報告が上がった。青髪だろう?」


「はい」トムは頷いた。

「あと美しい」テルがぽそりと呟いた。「そこの女よりもずっと」


「残念。顔は見えなかったのよ。青龍帝って絶世の美青年だったんでしょう? 是非拝見したかったわ」


 しかし、テルは盛大に眉をひそめ、真剣な表情でレオへ視線を移した。

「違う。サミュエルは青龍帝じゃあない」


 三人の視線がテルへ集中した。

 テルは語尾を強調して言葉を続けた。

「サミュエルは腰抜けなんかじゃない」


「腰抜け?」レオは耳を疑った。「青龍帝が? 誰がそんなことを」

「ヴィスが全部教えてくれたんだ。青龍帝は仲間を置いて一人で逃げた腰抜け頭領なんだってな。けどサミュエルだったらそんなことは絶対にしない。だから、サミュエルは青龍帝なんかじゃない」


 何のことだ、とトムは顔をしかめたが、他二人はどうやら思い当たることがあるそうで、特にレオは困り顔をしている。


「貴方、本当にあの青龍帝の育てた子なの?」

 リオナは背筋を正し、蔑んだ目でテルを見た。

「青龍帝は領を繁栄させる力があっても、子供を育てる能力は乏しいようね」

「ヴィスが嘘をついたとでも言うのかよ。俺にはそんな風には見えなかったぞ」

「そんな噂信じるほうがどうかしてるわ。青龍帝は偉大なお方。それが真実よ」


 テルは黙りこくった。ヴィスキーとリオナ、二人とも自信を持って言っている。どちらを信じればいいのか分からなくなってしまったのだ。


「青龍帝には色んな噂がついているみたいだね」

 しかめっ面をしていたトムが、ようやく口を開いた。

「何を信じるかはテル、お前の勝手だよ。しかし、お前のサミュエルはいつも何が大事だと言っていた?」


 幼い頃に何度も聞かされていた言葉、それは……。


「信じる強さ……」

「テルは何を信じる?」


 朱雀帝は全てを信じたとサミュエルは言う。それはどういうことなのか、今になって分からなくなった。

 噂もサミュエルも信じるなんておかしな話だ。そして、頭が沸騰し始めたテルは、考えることを放棄した。


「サミュエルもヴィスも信じる」


 リオナが失笑した。しかし、トムが胸を張ってテルの話を引き継いだ。


「俺達のサミュエルは腰抜けじゃないよ。けど、こういう噂が出てもおかしくないようなことがきっとあったんだろう。その二つの事実を、俺は信じる。……そういうことだろう?」

「うん。そう。それ」

 テルは間抜けな顔で即答した。


 リオナにただの莫迦だと認識された瞬間だった。


 レオは咳払いをした。

「さて、本題に入ろうか。

 作戦のことだが、まず数日間は待機になる。焦る気持ちもわかるが、リオナの報告からして即処刑とはならないと判断した。サミュエル様のそばには玄武部族の戦闘員がいたと言う」

「ええ。二人ほどいたわ。私が見たのは、昨日あのお方が連行されている瞬間だったの。収容される瞬間まで尾行出来れば良かったけど、この話を聞いたのは今朝。玄武部族の捕まえた囚人を他のファミリーに護送することはよくあるし、引き返してきちゃったわ」


「要するに」

 レオが付け加えた。

「サミュエル様がモンキーズにいらっしゃることは確定したが、位置までは特定出来ていないんだよ」


「そのための数日間の待機、ですか」

 トムは渋い表情になり、手元のティーカップに視線を落とす。

「あなた方を信用していないわけではないんですが……」


「位置を特定する間は無駄にはしない。モンキーズも中々に手強い相手だし、少数ではあるが玄武部族とやり合う可能性だってある。常日頃から準備があるにしても、今の戦力では心もとない。戦闘準備を整えるのにも時間は必要なんだ」


「では、位置を特定した後は? どうサミュエルを救うのです?」


「ライオンズとモンキーズは、これでも盟友だった。冬に行われる武闘会の会談を毎年この時期に行っていたから、それを利用する。位置を特定出来次第、同盟ファミリーにのみ許される扉でモンキーズへ入り、俺や幹部達が歓迎されている間、救出班が動く。大事にして戦争を起こしたくはないから、こっそりと救出、そして何食わぬ顔で帰る。

 名付けて『こそこそ青龍帝奪還作戦』だ」


「上手くいくかはわからないけどね」

 リオナは肩を竦めた。

「主にの部分が」


「最悪の場合は玄武部族との戦争にもなりかねないが、そうなった場合は三大獣の戦力をもって対抗する。……青龍帝は、玄武の圧政を覆す唯一の希望なのだ。三大獣の頭領とホークスの幹部はずっと、あの大戦以来姿を消したままのあのお方を捜し続けていた。みすみす玄武部族に渡す訳にはいかねえんだ」


 そう語るレオの膝に、震える拳があった。

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