一行は、高い木々に囲まれる獣道を進んでいた。


 植物の形は様々で、高々とそびえ立つものもあれば、それに巻きついてつるを上へと伸ばすもの、そしてよく見れば、木々や岩から生えるものもあった。

 しかし、周囲の獣を警戒して張り詰めた空気の中、長く歩いている彼らに周囲を注意深く見る余力はない。


 そして、島は一様にじっとりと暑く、『戦闘員』達の額には汗が拭いても拭いても流れ出てきた。

 一方のこの中で最も年下のテルは、別とはいえ近くの島で住んでいたためか、大して疲れた様子もない。だが、生涯ここまで黙り込むことがなかったため、やりづらいとは感じていた。


 テル達は、この島の海辺に住む男のもとへ歩いていた。男と『頭領』のレオは旧知の仲だそうなのだが、この話を本人から聞いた他の人達は僅かに驚いたようだった。


 日が暮れ始め、オレンジの光が射し込んで来た時、ようやくその男の小屋に辿り着いた。そこは木の板と藁のようなもので出来た、これで本当にスコールに耐えられるのか疑問になる小屋だった。


 彼らは中から現れた男の案内で、小屋の中で寛いだ。

 レオと旧知の仲という男は、熊のような風貌で、口元が縮れた髭に覆われて見えない上、ずっと眉間に皺を寄せているため、喜怒哀楽が読みにくい。テルが自己紹介した時だって、僅かに目を見張っただけで、一言も発することがなかった。


「気を悪くしないでくれ、テル」


 男とジェスチャーを交わしていたレオが、テルの隣に座った。


「あいつ、声が出せないんだ。目付きに関しては、まあ、どうしようもないな」

「いいさ」テルは肩をすくめた。「ハリー──おれの一番上の兄さんも似たような目付きをしてるから慣れているよ。そう言えばレオもダグに『兄貴』って言われてるよな。兄弟なのか?」

「ああ。ダグだけじゃないさ。一応、これでも俺はファミリーの頭領だからな。直々に盃を交わしたやつは皆そう呼ぶ」


 すると、テルは首を傾げた。「……あのさ、ファミリーってなんだっけ?」


「はあ?」


 『戦闘員』を含めた、テル以外の六人が声を揃えた。小屋の主も声こそは出さないが、呆れ、珍動物でも見たかのような顔をした。

 サミュエルに教えて貰った記憶はある。彼がどうファミリーについて説明していたかを忘れただけだ。そう言えばもっと情けない気がして、テルは口をつぐんだ。


「ファミリーすら知らないなんて……」レオは呆然としていた。「むしろお前は何を知っているんだよ……」

「聞いたことはあるんだ。それがどんなものなのかは忘れた」結局、テルは弁明することになった。「島に生活する上で大して重要なものじゃなかったんだよ。会話の中で出てくることもほとんどないし」


 レオ達は、改めてテルの特殊性を思い知ったようだ。この調子だと、『スワロウテイルズファミリー』に攫われたジャスミンもきっとこれから苦労するだろう。

 テルに説明したのはダグだった。


「ファミリーは何か、なあ。当たり前のことすぎて、どう説明すればいいかわからねえや。まあ、強いていえば、“血の繋がらない大きな家族”かな。

 中央街の外の世界じゃあ、生身の人間が少人数で生きていくのは難しいんだよ。だから、獣と契約した頭領の下につくんだ。そのときに盃を交わすもんだから、この大きな集団を家族ファミリーと呼ぶんだ。どの役職の奴も、盃を交わせば皆ファミリーさ。戦闘員は特に、その意識が高い」


「部族は?」テルは質問を重ねた。「朱雀部族とか、玄武部族とか。なんでファミリーとは呼ばねえんだ?」


「それは、頭領が獣とは格が違う四神と契約したからだ」これにはレオが答えた。「俺ら『ライオンズファミリー』は、昔外世界を支配した朱雀部族の残党でね。だから、朱雀部族にとって神聖なこの島へ続く、唯一の鍵を俺が持ってるんだよ」


 テルの口がアヒルのように変形した。これは、難しいと感じたら自然となってしまうテルのあほ面だ。


「残党……」


 心底面倒くさそうにレオは自身の後頭部を掻いた。


「詳しいことはまた別の人に聞いてくれ。今は隣の島のことだ。そこの熊男の話によれば、今日の昼過ぎ辺り、霧が晴れたように島が姿を現したらしい」


「それまでは見えなかったということですか? 兄貴」ダグは眉をひそめた。「本当に霧でもあったんじゃ?」


「霧はある時はあるがない時はない。天候の問題だ。しかし、彼は隣に島なんてものは無いものだと思っていたらしい。今日まではな。それがどういうことかは彼も俺もわかっていない。丁度準備も整ったことだからいつでも向かえるらしいが……そろそろ日が暮れる。今日はここで休むのが賢明だが、テル、お前はどうしたい」


「行く」


 少年は少しの間も開けずに答えた。


「サミュエル達が心配するし、今もジャスミンがどこかの誰かに酷い目に合わされていると思ったら、寝ていられねえ」

 頭領は重く頷いた。「ならば、もう行くぞ。今は風が味方をしてくれている。日が完全になくなる前に着きたい」


 結局、隣の島に辿り着いたのは完全に日が沈んだ後だった。熊のような男がいなければ夜の海をさ迷うことになっていたかもしれない。

 彼らは、先頭にテル、最後尾にダグを置いて、未知の島(テル以外にとって)を進んでいた。先頭から一人置きに松明を持って、周囲を警戒している。獣は、昼よりも夜に活発になるからだ。


「おかしいな」


 だいぶ進んだ頃、テルが立ち止まって呟いた。先頭が歩みを止めれば、全体も止まることになる。


「どうした、テル」テルのすぐ後ろにいるレオが訊ねた。

「島が静かだ。気持ち悪いぐらいに。虫の鳴き声すらしない」

「言われてみればそうだが……」頭領は思案した。「いや、俺らが足を踏み入れたからかもしれない。俺はライオンズファミリーの頭領……獣化した獅子と契約して、体の中で眠らせている。島の生き物はこいつを恐れているのかもしれない」


 それでもテルは腑に落ちない。

 テルが納得しないのも無理はない。隣の島に入ったときはこんなことは起きなかった。ならば、ここが弱肉強食が顕著な島とはいえ、島中が怯え黙り込むことはない筈だ。

 論理的に考えられなくても、テルの勘が、何かを警鐘していた。


「ごめん、歩く速度を上げるぞ」


 皆──特に戦闘員──はずっと歩きっぱなしで疲れていた。しかし、闇の中テルの姿を見失わないよう、必死についていった。


 それから暫く歩くと、またテルが立ち止まった。

 丁度土の感触が変わった時だった。彼はゆっくり松明で足下を照らす。

 すると、そこにねぎの残骸が浮かび上がる。よく目を凝らせば、畑一面全ての野菜がぼろぼろになっていた。中には明日収穫出来る種類のものもある。

 そして、そう遠くない所から、男達の下品な笑い声が聞こえてきた。耳を澄ますと、その中にくぐもっているが、別の男の切羽詰まった声が埋もれているのがわかる。


「トムだ……トムの声だ! 家から聞こえる」

「ただ事じゃねえな」レオは少年の肩に手を置き、皆に小声で指示した。「ゆっくり進もう。急ぎたい気持ちもわかるが、テルの言うトムが危険になるかもしれない。中の様子を見るぞ。灯りを消す」


 そう言うと、誰も何もしていないのに炎が消えた。テルは自分の持っていた炎の灯っていない松明を見て目を丸くする。


「これもライオンズファミリーの特徴さ。炎は自在に操れる」レオが言った。


 一行は闇の中、テルの化け物じみた闇目と感覚を頼りに建物まで行き着いた。少年の案内で、裏口から中へと入っていく。音を立てないように、皆慎重だ。


 中に入ってすぐ、彼らは靴を脱いだ。靴のままだと音が響くからだ。

 明かりもなしに、手を壁に触れさせながら慎重に廊下を進む。トムや男達の声は居間の方からした。普段は気にしていないが、廊下は長く、じれったくなる。


 ようやく居間の扉の前に来た。中から光が漏れていた。扉には窓がついているので、皆しゃがんでいる。テルだけ、中の様子を覗いた。


 酷い有様だった。ジャスミンの誕生日のためのご馳走が顔も知らない男達に食い散らかされ、酒を飛ばしたのか、壁に身に覚えのない紫色の染みがいくつもある。気分が高揚しすぎたのか、カーテンも破かれていた。

 そして、そこに金髪の義兄、トムが縛られ倒れている。何かを言いたがって声が出ているが、布で猿轡を噛まされ言葉にならない。


 テルの腹の底から堪えようのない怒りがぐつぐつと湧いてきた。彼の様子に気づいたレオが、腕を引っ張ってしゃがませた。


「落ち着け」気付かれないよう、小声でレオは話しかける。「まず、敵は何人いる。人質は」


 今にも爆発しそうなテルは、歯を食いしばってから答えた。


「敵は五人……。トム──俺の二番目の兄貴が、カーテンの下にいる。動けないみたいだ」

「距離は。そのカーテンと、奴らの距離だ」レオは重ねて質問した。

「遠い。……でも、俺らの方が、トムと遠い」

「遠いなら安心だ。ちなみに、相手はどんな色の上着を着てた?」

「そこまで見てないよ。蜜柑色だったかもな。なあ、もういいだろう。行かせてくれよ」

「わかったよわかった」レオはため息つく。「暴れて来い」


 獣のようだった。


 後ろからライオンズの戦闘員たちが交戦しようとしていたが、その必要はなかった。

 扉を開けてテルがしたのは、転がってる瓶を男の頭で叩き割ることだった。そして、振り返った男の目に割れた瓶を突き刺し、驚き抵抗して来た男を一発殴って気絶させる。


 更に自分に襲いかかってきた男の股間を膝蹴りし、殴りかかってくる男の拳を軽く避けて後ろから応戦しようとした男を殴らせ、最後の止めとばかりに後ろにいた男を殴り飛ばした男の顔面を殴った。

 男達の呻き声を無視して、テルは金髪の義兄のもとへ駆け寄った。きつく縛ってあった縄を強引に解き、彼の体を起こす。


「トム、怪我は!」

「ああテル……大したものはないよ。無事でよかった……」


 トムが、優しくテルの震える体を抱きしめた。ようやく会えた家族のぬくもりに、テルの胸が熱くなる。

 暫くしてから、トムからテルの体を離した。


「テル、ジャスミンはどうした?」

 彼の質問に、どっと自責の念が押し寄せてくる。「ごめん……、守れなかった。拐われたんだ。変な奴らに」


 眉を八の字に下げて俯いてしまったテルを見て、トムは再び彼を抱きしめる。今度は、回した手で背中をゆっくり叩いてあげた。


「辛かったね……。ジャスミンならきっと大丈夫だよ。彼女はただで拐われてはやらない子だから。もしかしたら、今頃脱走しているかも」


 この間に、ライオンズの人達は侵入者の男どもを縛り上げた。そして、レオの指示で家の中に他にいないか捜索に向かわせた。しかし、リビング以外の部屋が全てが完全に閉じられていて、開けることなんて出来なかった。

 その旨を戦闘員らが頭領に伝えると、レオは抱擁を交わす二人に近付いた。


「感動の再会の中、ごめんね。どの部屋にも行けないんだが」


「そういう風になっているんです、この家は」

 トムはテルを放すと立ち上がった。

「家の住人以外の人間は、住人の案内なしには家にすら入れない。例え案内されても、案内された部屋にしか行けない。

──でも、彼らは鍵を持っていた。鍵を持つ人とその人の連れは、リビングだけには入れるようになっているんです」


「それも俺のせいだ」追い詰めた表情で、テルが呟いた。「鍵をどこかに落としたんだ。それをこいつらが拾って、偶然“あの言葉”を言って、扉の場所を突き止めたんだ……」


 誰も何も言えなかった。重い沈黙を破ったのは、ダグだった。


「こいつら、『モンキーズファミリー』の戦闘員ですよ、兄貴。しかも、こいつはそれなりに上の立場にいる男だ」そう言いながら、彼は茶髪の男の頬を叩いた。「会合の時に見たことがあります」

「詳しい話はホームに戻ってからしよう。が、その前に」ダグの方を見ていたレオは、家の住人に向き直る。「君たちの保護者が見えないが。どこにいるんだ? トムさん」


 すると、トムの顔色が変わった。青白く染まった顔で、彼はレオの足にすがり付いた。


「連れていかれたんです……! こいつらの仲間に!」


 その瞬間、全員がヒュッと息を飲み、顔を青ざめた。

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