4 月の六ペンス(前編)
ぼくには神さまの友達がいる。彼女の名前はテレプシコーラ。ぼくが勝手にそう呼んでいる。ぼくの名前はアウトサイダー。彼女が勝手にそう呼んでいる。どこに向かっているのかも分からないぼくたちだけれど、今の間はそれでいい。ついたところが目的地なのだ。
コートの襟をかき合わせるようにしながら歩く。向かっているのは、もちろん、神さまの住んでいる路地裏だ。冬だなぁ、と思った。おもちゃめいた家や謎の店の、窓辺の花の種類が変わっている。テレプシコーラの巣に続く螺旋階段には、赤いつやつやした実がたくさん落ちていた。可愛らしいそれを踏まないように気をつけながら、三階のかど部屋の前に立つ。変な形のドアノッカーの周りにもいくつかの飾りが増えていた。あ、よく見るとこのリース、全部廃材だ……。テレプシコーラが作ったのだろうか? 神さまも、浮き立った雰囲気につられたりなんかするのかもしれない。
うきうきとリースを編む彼女の姿を思い浮かべてちょっと愉快な気分になりつつ、ぼくは扉をこんこんこんと叩いた。
「テレプシコーラ?」
「ああ、アウトサイダー。開いているよ」
扉の向こう、ガラクタのようなものたちに囲まれて、テレプシコーラは座っていた。いつもの彼女の指定席、鳥籠みたいなソファもいつの間にか冬支度を終えていて、敷かれたクッションやなんかが真っ白でふわふわ、もこもこのものに変わっている。ぼくが寒そうに身を縮こまらせているのを見て、テレプシコーラはちょんちょん、と手招きをした。
「きみ、ほっぺたが冷たくなってしまっているよ? はやく入ってきたまえ、こっちは温まっているから」
「うん、そうするよ。今日起きたら突然冬みたいになっているのだもの、びっくりしたよ」
「ああ、一気に冷え込んだものね。ボクも少し驚いた」
部屋の中では、どこか潜水艦や宇宙船に似たストーブが、小さな音を立てながら燃えていた。上に乗ったやかんがしゅんしゅんと煙を出すから、余計にそう見えるのかもしれない。ピイイイイ、とやかんが汽笛を鳴らした。テレプシコーラはひらりとソファから立ち上がるとやかんを手に取って
「お湯が沸いたね。ねぇ、アウトサイダー。ボクは今日はミルクティーの気分なのだけれど、君はどうだい?」
と、聞いた。
「ぼくも。あ、そういえばぼく、きょうはマシュマロを持って来たよ」
「素晴らしいね! ではせっかくだし焼きマシュマロにでもしようか。少し待っていてくれたまえ」
そう言って彼女は部屋の向こう、多分キッチンがある方へとひらひら、向かっていく。ちろちろとガラスに張り付く火を眺めながら待っているとすぐ、テレプシコーラが帰ってきた。手には銀色のお盆があって、その上に同じ色の小ぶりなティーセット、焼き菓子やチーズの器なんかがちょこんと乗っている。テレプシコーラはやかんをもう一度火にかけて沸かし直しながら、
「これでマシュマロを焼くといいよ」
と、やっぱり銀色の串を渡してくれた。
「ありがとう。きみの分も焼いておく?」
「頼むよ」
もす、もす、とマシュマロを刺していく。銀色の串に連なったマシュマロはもこもことして、船外活動中の宇宙飛行士みたいに見えた。火にかざした串をくるくる回して、均等に焼き目をつけていく。甘い匂いが立ち上り始めたころ、ちょうどお茶も入ったみたいだった。ストーブの上にかこんとお菓子のお皿を置いてから、
「はい、アウトサイダー。熱いよ、気をつけたまえ」
と、ティーカップを差し出してくれた。
「ありがとう、テレプシコーラ……わぁ、面白い形のカップだね? 二重になってるんだ」
「そうだろう? こうやって寒い日にはちょうどいいのだ。熱が逃げてしまわないからね」
受け取ったカップは、陶器で出来た内側に、銀製のカバーとハンドルがついたような形になっている。そういえばここで出てくる食器はいつもきれいに磨かれているけれど、これはテレプシコーラが自分でやっているのだろうか? 彼女のこの巣になら、お手伝いをしてくれる妖精がいてもおかしくはなさそうだ。そんな風に思いを巡らせたりしていると、テレプシコーラが隣から
「あ、アウトサイダー。ボクもマシュマロもらっていいかい?」
と、ぼくに声をかけた。
「あ、ごめんごめん。はい、どうぞ」
「どうも。……考え事?」
「うん、ちょっとぼーっとしていたよ」
テレプシコーラはマシュマロを頬張りながら、くすくすと笑った。
「熱いから気をつけたまえと言ったのに、大丈夫かい? やけどなんかしたりしてないだろうね」
「それは大丈夫。おかげさまでね」
「じゃあ何よりだ」
それきりぼくたちはしばらく、静かにマシュマロやチーズを焼いたり、お茶を飲んだりしていた。部屋中に甘い匂いの湯気が漂っている。銀色のカップや串がきらきらと、外からの澄んだ光を反射していた。
ふと、テレプシコーラが
「そろそろいいかな」
と、立ち上がった。さっきストーブの上に乗せていたお菓子のお皿の蓋を、濡れた布巾で持ち上げる。中にあったのはドーム状の、見るからにずっしりとした茶色い焼き菓子だった。上には青々とした柊が乗っている。テレプシコーラはそれをぼくに示して、
「これ、知っているかい? アウトサイダー」
と、首を傾げてみせた。
「ううん……なんだか見たことはある気がするんだけど、わからないや。ケーキ、でいいのかな?」
「その通りだとも。イギリスで食べられているお菓子でね、クリスマスプディングというのだ。作ってしばらく寝かせておくだとか、中に小物を入れて占いをするだとか、色々と面白いケーキだけれど、何より興味深いのはその食べ方でね。ラムをかけて……」
言いながらテレプシコーラは切子細工の四角い小壜を取り出して、中身をとっとっとっとそのケーキにかけていった。こっくりとした飴色のお酒だった。空になった壜を置いて、お皿を手にすとんとしゃがみ込む。ストーブの円窓を開けて手にしたキャンドルに火を移し、それから、カーテンを閉めてしまった。ストーブとキャンドルの火だけがぼんやりと明るい。それで、テレプシコーラはケーキのお皿を持ち上げて、
「火を着けてしまうのだ」
と、いたずらっぽく言った。キャンドルの火が、生地に灯る。とたんその色は青く変わって、一気にケーキを包み込んでしまった。ゆらゆらと幻想的に青い火が揺れている。
「ラムやブランデーを燃やすと、こんな炎になるのだ。ボクはこの色が好きだよ」
「うん。すっごくきれいだね、テレプシコーラ。……でも、それって黒こげになってしまったりしないの?」
不安になって尋ねたぼくに、テレプシコーラは悠然と手を広げて
「しそうかい?」
と、言った。
「……大丈夫そう。不思議だね」
「ねぇ。おや、そろそろ火も消えるね」
彼女がそう言ったとたん、青い火はフッとかき消えた。部屋の中がほんの少し暗くなる。
「さ、食べ頃だね。アウトサイダー、カーテンを開けてくれるかい?」
「うん、わかったよ」
カーテンを開けると部屋の中はぱっと明るくなって、少し眩しく感じるくらいだった。テレプシコーラの髪や服が、ぴかぴか光っているみたいだ。思わず目を細めて立ち尽くしていると、
「こっちも切り分け終わったよ」
と、声をかけられた。
「あ、ありがとう、テレプシコーラ。いただきます」
「召し上がれ」
ラグに座り直して、一口かじってみる。焼き菓子っぽい見た目からは予想もつかないくらい、濃い果物の味がした。それに、スパイスとお酒の匂いも。
「わ、すごいね。美味しいよ、テレプシコーラ」
「それは良かった!」
テレプシコーラは嬉しそうに笑って、薔薇の飾りのついた銀のスプーンで自分の分のプディングを口に運んだ。
「今年のはよく味が染みていそうだったからね、きみにごちそうしたかったのだ」
「えへへ、なんだか嬉しいな。いつも自分で作っているの?」
「いいや、譲ってもらっている。そこに赤い屋根のベーカリーがあるだろう? あそこのパンは美味しいよ」
「へぇ、今度入ってみようかなぁ?」
そんなことを話しながら食べ進めていると、ぼくのスプーンが何か固いものにぶつかって、キンと高い音を立てた。一体なんだろうと視線を落とせば、ドライフルーツの間から何か、銀色の物がのぞいている。テレプシコーラがぐっと顔を寄せて言った。
「アウトサイダー、それ、フェーヴじゃないかい?」
「フェーヴ?」
「お菓子の中に入れる、小さな置物や品物のことだ。ほら、さっき言っただろう? クリスマスプディングの中には色々な小物が入れてあって、それで占いをしたりするのだって」
「ああ! じゃ、ぼく、当たりを引いたのかな?」
「まだわからないよ? 何が入っているか見なくっちゃ」
ぼくはどきどきしながら、スプーンの先でそっとそれを引き出した。ついてきてしまった生地を払うと、その形がはっきり見える。
それは、少し歪んですり減っている、銀色の小さなメダルだった。今日はなんだか銀色づいているなぁ、と思う。
「メダルみたいだよ。銀色の、ちょっと歪んだ小さな硬貨だった」
「なんだって?」
ぼくがお皿の上の銀貨をつつくと、テレプシコーラは目を丸くした。
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