20.白き新王

 その日の夜、ドアをノックするとすぐに返事があった。


「ノアか?」


 声を発するよりも前に言い当てられて、驚いた。どうして分かったんだろう。


「うん。少し話をしたいんだけど、いいかな」

「ああ、構わないよ。入ってくるといい」


 本人から承諾を得られたことで、僕はためらいなくドアを開けて部屋に入った。


 この部屋はもともと前国王が使っていた私室だったのだけど、以前とは印象がガラリと変わっていた。

 たくさんの本棚が立ち並び、厚い本がいくつも詰め込まれている。簡素なベッドがひとつと、ソファとテーブルがワンセット。そして部屋の端には書斎机があって、カミルはその机の上で書き物をしていた。とてもじゃないけど、一国の王の寝室とは思えない。まるでどこかの研究室みたいだ。


「先日はずいぶんと無茶をしたようだな」


 顔を上げて、カミルは立ち上がった。ゆったりとした足取りで僕の方へ歩み寄り、紅い宝石みたいな目をわずかに細める。

 彼が言わんとしていることが酒場での一件のことだと、すぐに分かった。


「ごめん。心配かけちゃったみたいで」


 なんとなく視線を床に落として謝罪すると、ひとつのため息が聞こえてきた。


「心配した。おまえの身にもしものことがあったら大変だ。……ひとまず、ソファにかけなさい」


 促されるままに、僕はソファに腰をかけた。やわらかい素材でできているそれは、体重をかけるとどんどん沈んでいく。

 カミルは僕の向かい側に座った。


 僕の後見人でありノーザンの現国王である彼は、小柄で僕と背丈はそんなに変わらない。魔法使いルーンマスターみたいな袖や裾が長い衣装を着た、肩にまで届かない長さの白い髪の男だった。


「それで、話とは何だ?」


 眉ひとつ動かさず、カミルは淡々と聞いてきた。

 少し黙って、僕はどう切り出そうか考える。


「どうして貴族達との誤解を解こうとしないの?」


 彼はすぐに答えなかった。目を伏して、引き結んでいた。


「カミルだって、今の危うげな状況に気づいているはずだ。城の貴族達だけじゃない。城の守りについている兵士や下働きの女中まで、カミルとゼレスのことを誤解して悪者扱いしている」

「誤解ではない。事実だ」


 紅い目を上げて、彼はようやく口を開いた。


「私は実際にクーデターを起こして、お前の父親を殺した。力で王座を奪ったのだ。彼らが私を嫌うのも当然だろう」

「でも、僕達には親切にしてくれた!」


 負けじと言い返す。カミルは自分にとって不利な言い分を否定せず、ありのまま受け入れている。心がけは立派なのかもしれないけど、そんなの誰のためにもならない。


「右も左も分からない僕達兄弟の命を救ってくれたのはカミルだ。あの時、イリスは目にひどい怪我を負っていたし、ラーシュだって大怪我をしていた。僕達だけではみんなを守りきるのは不可能だった。最悪、兄弟そろって死んでいたかもしれない。きみが僕達を保護して城に招き入れ、怪我の治療をしてくれた」

「それは当然するべきことだったのだ。おまえたちから父親を奪った以上、面倒を見るのは当たり前だろう」

「僕はそうは思わない。きみは命の恩人だと、心の底から思ってる」


 まっすぐにカミルを見つめる。

 無の状態だった彼の表情が変化していた。戸惑っているような、困ったような顔をしていた。


「今日の夕食を終えた後、部屋でカミルがくれた手紙を読みなおしていたんだ。ほら、僕がスラムにいた時に送ってくれていたやつ」


 笑いながら話題を切り出すと、紅い宝石みたいな目が丸くなった。


「まさか、あれらを全部持ち帰っていたのか」

「捨てるわけないじゃん。カミルが僕のことを心配して毎日気持ちを込めて送ってくれたものだ。最初は僕も戸惑ったよ。個人的な手紙なんてもらったことなかったからさ。どういうつもりで送ってきてんだろうって思ったけど、毎日手紙に目を通すうちに分かったんだ。取引とか駆け引きが目的じゃなくて、ただ僕を気にかけて送ってくれているんだって。とても嬉しかったんだよ」


 ちゃんと食べているのかとか、身体は大丈夫かとか。そんなこと、実の親にも言われたことなかった。

 父親は僕を息子とも思っていない扱いだったし、ノイシュが生まれてから母親までもが僕を疎んでいた。

 生きていようが死んでいようが、たぶんあの二人は僕のことなんかどうでも良かったんだ。


「必要とされているみたいで、嬉しかったんだ。カミルと僕は血の繋がっていない赤の他人のはずなのに、後見人だからという理由だけできみはまるで本物の父親みたいに僕のことを想ってくれた」

「ただの手紙だ。そう大げさにとらえるほどのものじゃないだろう」

「大げさじゃない。短い文面でも、僕にとっては宝物だよ。だから不思議でならない。他の大人達よりもきみの方が優しくていい人だ。なのに」


 膝の上に置いた拳に力を込める。

 ここからが、本題だ。


「どうしてカミルは、父上を殺したの?」


 紅い両目が大きく見開かれた。


 やっぱり、彼はすぐに返答することはなかった。

 眉間に皺を寄せて俯き、口を開いたり閉じたりしていた。

 静寂がしばらく部屋を満たした。コチコチという時計の針が進む音が、やたら耳についた。

 それでも僕は辛抱強く答えを待った。


 どのくらい待っただろうか。不意にカミルは重い口を開いた。


「……そうだな、話すべきだろう。息子であるおまえには知る権利がある」


 よく見ると、彼の顔色は沈んでいた。父親を殺した時のことでも思い出したのだろうか。


「カミル、何か理由があるんだろう? きみが権力欲しさにひとを殺すだなんて、僕にはどうしても考えられないんだ」

「理由など……特にはない。強いて言えば、ただの衝動だ」

「衝動?」


 何を言い出すのだろう。いぶかしんでいれば、カミルは続けて詳細を語ってくれた。


「おまえも知ってのとおり、本来の私は宮廷魔術師だった」

「うん」

「同時に王の相談役でもあったせいか、よく前国王に相談を持ちかけられたのだ。おまえたちがスラムに放り出された後、あの男は私に言った。ノイシュに他種族の子どもを食べさせたい、と」

「なんだって!?」


 驚きのあまり、僕はソファから立ち上がった。

 あいつ、よりにもよって自分の息子にそんなおぞましいことをさせようとしていたのか。

 でも予想外というほどの話でもない。僕の父親は他種族の命を狩ることで、実際強くなった。いずれ王となるノイシュを強くするために、食人習慣を強要する可能性は十分にある。


「ひとの命を狩るなど、当然褒められる行為ではない。それでも今は、帝国のように力を得る代償として他種族の子に手をかける者が多い時代なのも事実だ。だから、大人になって自分の意思でその道を選択するのなら、それも仕方のないことだと私は思うのだ。自分で選び取って、自分で責任を取るのだからな。だが」


 言葉を切って、カミルは目を閉じて深く息を吐いた。少しは落ち着いたのかすぐに目を開けて、再び口を開く。


「子供にひとを殺させるなどもってのほかだ。あの行為は自分や周りの者の人生を狂わせる。何も知らない幼い子供に背負わせるものじゃない」

「だから殺したの?」

「いや……」


 言いよどんでから、カミルは僕から視線を逸らした。紅い両目は泳がせて、彼はぽつりと言った。


「ノイシュのことを考えていたらつい頭に血が上って……、気がついた時にはあの男が燃えていたんだ」


 気が付いたら、燃えていた。

 えーと。どこからツッコめばいいのだろうか。

 カミルは衝動で殺したと言っていた。それはつまり。


「魔法が暴発したってこと?」

「当たらずとも遠からずといったところだな。おまえも知っての通り、精霊達は私の感情に敏感で引きずられる傾向にある。普段から気を付けていたのだが、ノイシュやスラムに送られたおまえたちのことを案じるあまりに思わず……。すまなかった」


 絶えず揺らぐ紅い目は、どこか危うげに見えた。膝の上で組まれた両手は、指先が白くなるほど強く握られていて。

 なんとなく察してしまった。


 彼は今まで自分を追い詰めてきたんだ。だってひとを一人殺したんだ。優しいカミルが自責の念に駆られないわけがない。僕達兄弟を引き取ったのだって、責任があったからって言っていた。


「カミルは後悔しているの?」


 ゼレスとは違って、彼は華奢な体をしている。その細い肩に命を背負っているんだと思ったら、聞かずにはいられなかった。

 ノーザンで自分勝手な統治をした独裁者で、親として絶対認めたくない僕の父親。あんな男でも、ひとつの命を持った人族なのだから。


「後悔はしていない」


 さっきまでの苦悩に満ちた表情とは打って変わって、カミルは毅然とした態度でそう言った。揺らいでいた両目には強い光が宿っている。


「あの男は、ノーザン王国内の翼族ザナリール獣人族ナーウェアの村をいくつも潰していた。あのまま生きていたら、森に住む妖精族セイエスにまで牙を向けていたかもしれない。この国は多くの種族の国民が力を合わせて生きてきた。そのありかたがノーザンの良いところだったのに、王の身勝手な行動のせいで日に日に国民も減ってきていたのだ」

「それについては僕も知っている。何度も父上に抗議したけど、いつも相手にされなかったよ。兵士達を動かそうとしても、彼らは主君に逆らうのがこわがってたから無理だったし」

「当たり前だ。すでに精神が正常ではなかったのだ。狂気に侵されたあの男は、もはや力をつけることにしか興味を持っていなかった。ノイシュのことを可愛がっていたわけでもなかった。あの子はいつもあの男に背を向けられて泣いていたよ」


 一度言葉を切って、カミルは再び深いため息をついた。

 当時のことを思い出しているんだろうか。


「重ねて気にかかっていたのは、あの男の親としての一面だ。長男であるおまえにも、ヴェルにも、そしてラーシュやミカルにも愛情を注ごうとはしなかった。そればかりか、イリスを幽閉した」

「そういえば、父上が生きていた時からイリスが閉じ込められていた部屋を訪ねていたってヴェルから聞いたんだけど、本当なの?」


 ふと浮かんだ疑問を投げかけると、カミルは首肯した。


「あの子は私と同じく精霊に愛される魂を持っていて、強い感情を抱くと精霊達も引きずられた。だからあの男は恐れたのだろうが。よく魔法を暴発させていたイリスを見ていると、とても他人事には思えなかったのだ」

「そっか」


 ぜんぶ聞いたら、心のどこかでホッとしている自分がいた。

 やっぱりカミルは僕達に対して悪意は抱いていなかったんだ。そればかりか、以前から気にかけていてくれたんだ。


 落ち着いてきたところで、再びソファに腰かけた。まるで待っていたかのように、カミルは再び口を開いた。


「ノア、おまえは私を恨んではいないのか?」

「え、なんで?」


 首を傾げて聞き返すと、カミルは沈鬱な表情になった。


「どんな経緯や理由があるにせよ、私は理不尽な仕方でおまえから父親を奪った。恨まれて当然だと思っている」


 突然何を言い出すんだ、と思ったけれど、これはカミルの中でずっと心に引っかかっていたことなのかもしれない。

 きっと、彼は根が真面目なんだ。そしてひとの命を重く、大切に見てるんだ。


「うーん、たしかに父上が亡くなったと知った時はまったく平気ってわけじゃなかった。絶対にいつか僕こそが王位を継承するにふさわしいって認めさせるつもりだったから、悔しかったかな。まあ、認めさせる前に僕は捨てられたんだけどさ。でも」


 紅い宝石みたいな両目が僕を見ている。少しでも彼の心が晴れるように、僕は笑った。にっこりと、満面の笑顔で。


「カミルのことはちっとも恨んでないよ。さっきも言ったけど、きみは僕達の恩人だ」

「そう言ってくれるのか、おまえは」


 一瞬、紅い目が揺らいだ。不安を覚えないように、僕は強く頷いてみせる。


 こうして話してみて感じた。カミルって意外と繊細なのかもしれない。普段から表情の変化が乏しいから気付かなかったけれど。


「うん、もちろんだよ。そしてノーザンをより良い国に変えるために、今も尽力してくれている。だから、貴族のみんなや城で働く人たちにもカミルが良い王だってことを知ってほしいんだ。そしてずっと、ノーザンの国王でいて欲しい」

「……ノア、その件に関しておまえには話しておくことがある」


 顔を引き締めてカミルは唐突に、そう切り出した。

 たぶん真剣な話だ。思わず僕は背筋を伸ばす。


「何?」

「私はいずれ、おまえに王位を譲ろうと思っている」

「――え?」


 それって、つまり。


「王位継承者……つまり跡継ぎってこと、だよね。僕がカミルの養子に入るってこと?」


 確認のために尋ねると、彼は固まった。目を見開いて、驚いた顔をしていた。どうやらそこまで考えついていなかったらしい。


「……養子、か」


 ようやく現実に戻ってきたのか、ぶつぶつと小声でなにか呟き始めた。脳内会議中なんだろうか。

 どうやら僕の養子縁組発言が、彼を動揺させてしまったようだ。


「僕がカミルの子供になってしまえば、王位を継ぐ手続きもしやすいと思う。それになにより、みんなの誤解を解く一番いい方法なんじゃないかな」

「おまえは私みたいな者が父親でいいのか?」


 少し困ったような顔でカミルはそう尋ねてきた。

 どうしてそう不安がるかな。ううん、違う。たぶん彼は自分に自信がないんだ。


「いいに決まってるじゃん。僕だけじゃなく、ヴェルや他のみんなの父親になってよ。カミルは僕にとって今でも、誰よりも最高の父親なんだから」


 どこにいても僕を思いやってくれる大人は、世界のどこを探してもカミルだけだった。

 僕を認めていたからこそ、彼は最初から連れ戻そうとはしなかった。最終的にはヴェルに頼み込まれたのもあってゼレスを使いに出したんだろうけど、彼がそうしたのも弟の気持ちを思いやった結果だと今なら分かる。


「そうか。私にはもったいない言葉だ。ありがとう、ノア」

「お礼を言うのはこっちだよ。これからもよろしくね、カミル」


 嬉しさのあまり僕は立ち上がって、目を潤ませる彼に近づく。カミルの目の前で笑って、僕はそのまま彼に抱きついた。とてもあたたかかった。

 血の繋がりのない他人同士だけど、こうして僕達はほんとうの家族になった。


 いや。


 僕の場合、家族になるために血縁なんて関係ないのかもしれない。目に見えない絆でつながっていれば、大切な家族になれるんだ。




 ずっと誰かに認められたかった。僕はこの世界にいてもいいんだって思えたから。


 ずっと誰かに愛されたかった。僕はもっと自分に自信を持てたから。


 ずっと誰かに必要とされたかった。ぽっかりと空いた心の穴が満たされていくから。




 欲しかったものが、ようやく手に入ったんだ。

 夢にまで見たあたたかい家族と幼い頃から抱き続けた夢、その両方が。


 カミルやゼレス、ヴェルやイリス、他の弟達。そしてルーエルとノクト。彼らと一緒なら、手と手を取り合って前に踏み出せる。


 もう悲劇は必要ない。血も涙も、流させはしない。


 これからみんなでしあわせになるんだ。ノーザンを、毎日笑って過ごせるような国にしていくんだ。


 そのための布石は、すでに整いつつある。

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