epilogue
当日は、気持ちのいい天気だった。
見渡す限りの青空と、白い絵の具を引きのばしたような白い雲が少し。
「雨じゃなくてよかったね、カミル」
「……ノア、本当に私が出なければならないのか」
閉めきったカーテンの隙間から外を覗き見てから室内にいる彼の方へ振り返ると、なんとも自信なさげな声が返ってきた。
数日前から何度も聞いてるそのセリフに、思わず苦笑する。
「そうだよ。だって、カミルが直接自分の口から言わなくちゃ意味がないんだし」
「それは、そうなのだが……。しかし、私の言葉よりもノアの口から出た言葉の方が皆は聴くのではないのか」
あちゃー、完全にネガティブモードだ。昨夜からよく話し合って、みんなと一緒に何度も言い聞かせて準備してきたというのに。
どうしよう。
今さらやめるわけにもいかない。そんなこと、カミルが一番よく分かってるはずなんだけど。
「往生際が悪いぞ、大将」
「そうそう、頑張ってこいって。さっさと終わらせて、早く親父って呼ばせてくれよ」
丸くなったカミルの背後に立つ影がふたつ。それを認めると僕はバルコニーの扉を開け放った。そして続けて、カミルがよろめきながら外に出る。強引に彼の背を力強く押した二人に呆れつつ、僕は彼のあとについて行った。
「ゼレスとヴェルめ、仮にも王を押し出すとは何事だ。後で説教してやらねば」
「仮にじゃなくて、カミルは今のノーザンの王だよ」
「…………」
「大丈夫。僕も隣にいるから。今度はきっと、みんな分かってくれるよ」
小声で諭すように話したら、カミルは最後には頷いてくれた。彼は小さく笑っていたような気がした。
僕達は手を繋いだまま、バルコニーの端までゆっくり歩いた。
手すりから下をのぞくと、中庭にはたくさんのひとが集まっていた。貴族だけじゃなく騎士や兵士、城で働く厨房のコックや女中たちまで。今日という日のために僕が呼びかけて、集まってくれた人たちだ。
カミルの手を握る力を少し込めた。
言葉にしなくても、もう彼に僕の気持ちは伝わっている。
強く頷いてからカミルは顔を上げ、毅然とした表情で口を開いた。
「皆に聞いてもらいたい、重要な報せがある」
国王の登場にみんなは歓声のひとつもあげなかったけど、心配はしていない。
だってほら。
ゆっくり語られていくカミルの言葉に、みんなの顔が変わっていく。少しずつ、感嘆の声が波紋のように広がっていく。
そして最後には、国王が語り終えると同時にたくさんの称賛の声が、バルコニーにいる僕達にまで届いた。
* * *
「そうか。養子縁組の話を正式に発表して、お前達は王族に戻ったんだな」
翌日の午後のあたたかい時間に僕はノクトのお見舞いに来ていた。
まだ寝たきり状態が続くとはいえ、調子のいい状態が続いているみたいだ。
「うん。それだけじゃなくて僕を次期国王にするつもりであることも公にして、そしてどういう経緯でクーデターを起こしてしまったかも全部話したんだ」
「誤解は解けたか?」
「まあね。みんな、もともと他種族のひとたちに危害を加えることに反対だった人たちだから」
「しかし、よく国王陛下が自分の口から話したな。自分がどんなに悪く言われても否定しなかったのだろう?」
直接教える機会がなかったのに、ノクトはなぜか事情に通じている。
まあ、ここはカミルが管理する医務室だし主治医も彼だから、城の誰かの言葉がたまたまノクトの耳に入ったのかもしれない。
「カミルは自分を擁護するようなことは言わないからねー。前国王が亡くなる直前、何をしようとしていたかは僕が直接話したよ。だってそうじゃなきゃ、カミルってば自分を悪役に仕立て上げようとするんだもん」
ベッドの近くで椅子に座っていた僕は足を組み替えて憤然と言ったら、ノクトはクスクスと笑い始めた。
「ノアはしばらく見ない間に、すっかりカミル国王のことばかり話すようになったな」
「そ、そうかな? もう戸籍上では僕の父上だもん」
そう、彼は間違いなく僕のことを愛してくれている。聞かなくたって分かる。いつも思いやりに満ちた声で僕の名前を呼んでくれるから。
「そうか。その調子なら、養子縁組もとどこおりなく済んだのだろう?」
穏やかに微笑みながらノクトはそう言った。けど、僕は首を横に振った。
「それがそうもいかなくてね。もちろん僕は大丈夫だと思ってたんだけど、予想外のところからひとつ問題が浮上しちゃってさ……」
きっと、今の僕は乾いた笑みを浮かべていることだろう。
それもそのはず。あんな事態、きっとカミルが一番予想していなかったと思うんだ。
あれは、貴族や城の下働きのみんなに声明を出す数日前のことだった。
僕達兄弟、国外に出ているノイシュを除いたみんなで集まって、カミルが養子縁組の話を持ち出した時の話だ。
現国王の養子になって、再び王族になる。僕だけじゃなくヴェルや弟達は快く同意したんだけど、たった一人だけ首を縦に振らなかった子がいた。
それは――。
「絶対にいや! カミルの子供になんかなりたくない!」
妹のイリスだった。
この事態には、僕も驚きを隠せなかった。僕達兄弟の中では一番カミルに懐いていたのに。
「ちょっ、バカ! 少しは言葉を選べよイリス!」
隣にいたヴェルがあわてて妹の口を塞ごうとする。しかし、時すでに遅し。
カミルは大きく目を見開いて固まってしまっていた。みるみるうちに顔色も青ざめていっている。
「だって、本当のことだもん。イリス、嘘は言ってないよ」
「たしかにそうなんだけどさ、お前のまっすぐすぎる発言がカミルに誤解を生んでんだって……」
ヴェルの大きな手のひらから逃れて、イリスは不満げに唇をとがらせる。
弟はなんとかなだめようとしているみたいだけど、彼女の機嫌が治る気配はない。
「……そうか。イリスはそれほどまでに私のことを恨んでいたか」
ぽつりとカミルがつぶやいて、ハッとした。青ざめた顔のまま力なく笑う姿に、なにも言えなくなる。
そんなことない。そう声をかけてあげたいけど、彼にとって根拠のない言葉は慰めにすらならないだろう。
せめて、イリスの口からなにか言ってあげないと……。
「恨んでないよ!」
俯きはじめていたカミルにぐいっと近づいて、イリスは声をはりあげた。
目が見えなくなるよりも前から顔見知りだったせいか、失明した今でも妹はカミルの姿は精霊を通してちゃんと視えるらしい。固く瞼を閉じていても、迷いなくカミルの手を取る。
「逆だもん」
「……逆?」
紅い目を丸くする。イリスはうん、と強く頷いた。
「イリスはカミルのことが好きなの。初めて逢った時からずっと大好き。イリスにとってカミルは、助けにきてくれた白馬の王子様なんだから」
まさしく爆弾発言だった。
たぶん僕よりも本人の方が予想していなかっただろう。ちらっとカミルを見ると、再び固まっていた。
「……たしかに、私は白いが」
「そっちかよ、大将」
「カミルは馬じゃないのー! 王子様の方だってば!」
頬をふくらませて不満顔になったイリスだったが、すぐに気を取り直すと背伸びした。そしてなんと、みんなの目の前で妹は、そのままカミルの頬にキスをしたのだ。
「カミルがお父様になるなんていやなの。子供じゃなくて、イリスのことをお嫁さんにしてください」
少し恥ずかしそうに頬を紅く染めて妹はにっこりと笑った。
こんな大事な場面に口出しできるはずもなく。
黙って見守っていたら、カミルは魚みたいに口をぱくぱくさせた後、そのまま背中から倒れてしまった。
「た、大将――――!?」
「うわあっ、カミルが失神した! イリスなんてことしてんだよ! 医者だ、医者! ゼレス、医者を呼べ―!」
「大将が医者だ――!」
当然、部屋の中は大混乱。暴走しかかっていたゼレスとヴェルをなだめて場をおさめたものの、一番の関係者の意識が飛んでいたのでは話し合えるはずもなく。
結局、落ち着いて発表声明の段取りを無事決めることができたのは、翌日のことだった。
「ははははは! それは災難だったな」
普段は寡黙なノクトもこれほど声に出して笑うのだから、よほどおかしかったのだろう。
「笑いごとではない」
背後から、諌めるような低い声が聞こえてきた。
どうやらノクトの主治医がやって来たようだ。
「悪い、カミル国王。しかし、結局養子縁組の件はどうなったんだ?」
「とりあえずイリスの意思を尊重して、あの子だけは養子にはしなかったよ」
「彼女の告白の件は……」
「それとこれとは話が別だ。イリスの相手が私のような者などもってのほかだ。ノアだって、そう思うだろう?」
いきなり話を振られた。なんで僕に同意を求めてくるかな。
「別にそう思わないよ? カミルみたいに強い
「ノア」
責めるような目を向けたってダメだよ、カミル。
こういうことは誰かに決めてもらうことじゃあない。自分で決めなくちゃ。
「たぶんイリスにとっては一世一代の告白だったんだろうし、ちゃんと考えてあげなよカミル」
「それはそうかもしれないが。いや、しかし……イリスとは年齢差がありすぎる」
「
「たしかにそうだな。ノアと並んでいると親子というよりも、むしろ兄と弟と見えなくもない」
「おまえたち……」
あ、マズイ。眉間に皺をよせ、彼の細い腕がわなわなとふるえ始めた。
そろそろこの件でカミルを弄るのはやめておくか。今にも怒りだして説教してきそうな雰囲気だ。
こういう時は話題を変えて、気を逸らすのが一番。
にっこりと笑って、僕はカミルに話しかける。
「そういえば、カミル。ヴェルに聞いたんだけど、ローズってまだ城にいるんだって?」
「ん? ああ。うまくゼレスが説得したみたいでな、まだ城にとどまっているらしい」
息子のヴェルでさえ引き止められなかったのに、一体どんな言葉でローズを納得させたんだか。
自分で頭はいい方じゃないと言ってるわりにたまにこういうことをするから、ゼレスには驚かせられる。
「そっか、良かったね。とりあえずは」
「そうだな。せめて国が落ち着くまでは城にいてもらいたいが、彼女の気持ちも分からないでもない。どうしても出て行くと言うのなら、止めることはできないだろう」
「……うん、そうだね」
彼女がどこにいたって、きっとヴェルは放ってはおかないだろう。
もしローズが前みたいに王都の街に戻るようなことになれば、きっと以前のように弟は月に一度母親に会いに行くんだと思う。彼は彼女をとても大切にしているから。
* * *
「ノア、私はイリスの目を治そうと思っている」
中庭での発表声明から一週間ほど経った後、カミルは僕にそう打ち明けた。
「でもイリスの目はもう治らないんだよ? あらゆる癒しの精霊に手伝ってもらっても無理だったって、カミルが言ってたんじゃないか」
いや、僕が直接言葉にしなくても、カミルが一番よく分かってる。彼はイリスの主治医なのだから。
「たしかにそうだ。だが、まだひとつだけ方法がある。限りなく可能性の低い手だが」
そう言って、カミルは部屋の棚から一冊の本を引き抜いて僕に差し出した。
厚い表紙のそれは初めて見る本だった。「無の属性に関する考察」というタイトルで、専門書のようだ。著者はユークレース=ウィル=マグノリア。どこかの貴族の名前かな。
「無属の術式を組み立てれば、イリスの目を治せるかもしれないのだ。だが、それを完成させ無事に発動させるためには膨大な魔力が必要なのだ」
「カミルの魔力でもダメなの?」
本のページから顔を上げて聞いたら、カミルは紅い両目を伏せた。
「私ではだめだ。人族の持つ魔力では足りないのだ。魔石の使用も考えたが、それでも足りない。そこで私はこの本の著者に目をつけたのだ」
「著者って、このユークレースってひと?」
僕の問いかけに首肯して、カミルは続きを教えてくれた。
「この本を書いた者は女性でありながら、無属に関する研究だけでなく、いにしえの竜に関する知識に通じているらしい。いにしえの竜は私達人族よりも膨大な魔力を有していると聞く。この著者と連絡を取れば、手を貸してくれそうな竜に関してなにか教えてくれるかもしれない」
ここでいにしえの竜の話題が出てくるだなんて。
いや、だからこそなのかもしれない。
「ゼレスが言ってたんだ。カミルがいにしえの竜について調べてるって。ぜんぶイリスのためだったんだね」
何も言わず、カミルは窓の方へゆっくり歩いていった。僕はその場から動かずに、彼を目で追っていく。
今宵は満月みたいだ。淡く光る月の周りには銀色の砂を撒いたかのような、無数の星が輝いていた。
「いずれあの子には返事をせねばならないことは分かっている。だが、ちゃんと目を治してやってから、ちゃんと向き合ってやりたいのだ」
「イリスがそれまで待ってくれるといいけどね」
苦笑しながら言えば、カミルは振り返って苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「そう願うばかりだ」
果たして、その願いは一途な想いを胸に抱えるあの子に届くかどうか。それは本人でなければ分からないことだ。
まあ、急ぐことはない。時間はたっぷりあるんだ。
僕がなにもしなくても、きっとなるようになるだろう。今は妹に危害を加えるようなこわい大人は、もういない。だから、あの子もカミルに想いを告げる気になったのだろうし。
ただ、前へ。
僕達はゆっくり前へ進んでいこう。
正式に王子へと戻った僕は、もちろんノクトとの約束は忘れちゃいない。いつになるかは分からないけれど、絶対に叶えてみせる。
そしていつの日か。
家族みんなで、ノクトのふるさとの大地を、白い雪の上を歩くんだ。
その時にはイリスの目も見えるようになっているだろう。ノイシュとも仲直りできているといいな。
ノーザンだって帝国に負けないくらい、もっといい国になっているに違いない。
だって、もう僕はひとりぼっちなんかじゃない。カミルと手を取り合って助け合いながら、愛する民達を導いていくのだから。
Fin.
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