17.酒場へ

「ノア様、よくぞご無事で!」


 貴族達との再会は、想定していたよりも早かった。手紙を出した翌日、ノクトの見舞いに行こうとしていた時に声をかけられたんだ。


「アレク久しぶり。元気だった?」


 たくさんの書類を抱えて駆け寄ってきたのは、痩身の魔族ジェマだった。正確にはアレクセイという名の貴族で、財務を担当する大臣の一人だ。

 昨日は会わなかったから、きっと政務に追われて部屋にこもっていたんだろう。


「私はいつもと変わりありません。ノア様は大丈夫ですか? あの新王の番犬があなたを乱暴に連れ帰ったという話を耳に挟んだのですが」


 にこやかに笑っていた僕は、一瞬で固まった。

 噂というものは一人歩きするものだ。気が付くと事実がねじ曲がって伝わっている時もある。


「別にゼレスには何もされていないよ。普通に穏やかに帰ってきたんだから」


 まあ、そこに至るまで色々なことがあったけれど。


「ノア様、無理せずとも良いのですよ。たとえ奴に不利になる条件を叩きつけられ口外しないよう脅しをかけられていたとしても、我々はノア様をお守りいたしますから。ええ、もう前国王陛下の時のような失態は致しません!」


 がし、と両手を握られた。別にアレクに他意はないんだろうけど、なんか手が自由に動かせないのっていやだな。


「いや、あのさ。事実だから。ほんとにゼレスには何もされてないって」

「いいえ。私はあの狼を問い詰めたところ、白状しましたとも。あなたを見つけて捕まえたばかりか、手荒な手段を使ったと!」


 ああ、もう! ゼレスのバカ野郎! なんで事態をややこしくするかなあっ。

 たしかに僕はあいつに追いかけられたし、捕まった。でもそれは、僕が逃げたからだ。ゼレスに説得はされたけど、結局のところ自分で決めて僕は戻ってきた。

 だけど今、アレクは頭の中でずっと悪い想像をしているに違いない。よく見たら、僕を見る彼の若草色の両目は怒りに燃えていた。絶対、ゼレスに対して誤解してる。


「本当にゼレスは僕に戻って来るよう説き伏せただけなんだ。第一、彼が僕に危害を加えるつもりなら、城に連れ戻さないだろう?」

「ノア様はあの二人に騙されているのです。我々が厳しく問い詰めたから、新王は番犬を使ってあなたを城に連れ戻したのですよ」

「いや、そうじゃなくてね」

「なにはともあれ、あなたが戻ってこられて本当によかった! やはり国王はノア様でなくては!」


 聞いちゃいないな、こいつ。しかも話の流れがだんだん不穏な方向にいこうとしてる。

 これはまずい。


「あのさ、一度みんなと話したいんだけど」


 ぴた、とアレクの動きが止まった。

 真剣に見つめたら、空気を読んでくれたのか彼はようやく僕の手を離してくれた。


「みんなと言うと、上流貴族との会談をお望みでしょうか?」


 彼の問いかけに僕は首肯する。


「そういうこと。招待したいひとには、日時と場所を書いて昨日手紙を出したよ。だから日を改めて一緒に話そう。もちろんきみも来てくれるよね」


 首を傾げて尋ねてみれば、アレクは強く頷いた。




 * * *




 一週間後、貴族達との会談の日はやってきた。

 城を出て空を見上げると、どんよりとした雲ばかりで今にも降り出してきそうだった。まるで僕の心情を表しているかのようだ。


 貴族達を説き伏せられるのかと聞かれれば、あまり自信はない。数ヵ月にわたってためこんだ疑念をひといきに消し飛ばせる魔法の言葉を僕は知らない。けど、これは国を出て問題が表面化するまで放置してしまった僕の責任だ。なんとかしなくちゃいけない。

 とはいえ、単身で彼らに会うのも危険が伴う。一貴族の屋敷で会うのなんてもってのほかだ。だから今日は、弟のヴェルにも一緒に来てもらっていた。


「護衛をオレに選んだのは別にいいんだけどさ、なにも今日じゃなくたっていいんじゃねえかな」


 同じ元王子の立場である弟に護衛を頼むのもおかしいと思うかもしれない。けど、彼の剣は隙がないし、とても強いんだ。実のところ、いつもヴェルと手合せしても互角で終わることが多い。


「だからこそだよ。ヴェルのために、ちゃんと今日に合わせてあげたんだから。指定した場所もほら、きみのお気に入りの酒場なんだよ」

「なんでだよ! 普通の客ならともかく、貴族の連中が急に大勢でおしかけたらマスターがビックリするだろ!?」


 いつになく狼狽して落ち着きのないヴェルも見ていて飽きないな。

 憂鬱な気持ちになりそうだったのが嘘みたいになくなって、なんだか笑えてくる。


「大丈夫だよ。ちゃんとマスターには事前に話して貸切にしてもらってるから。……ところで、どうしてルーエルを連れてきてるのかな、ヴェル」


 ちら、と視線をやると、弟の背中からルーエルが顔を出した。まったく、こいつはこの子を引っ張ってきて何を考えているんだか。ひとつため息をつく。

 スラムにいた時よりもルーエルはきれいになっていた。ボサボサだった髪は城できれいに洗われて、すっかりサラサラの金髪になっている。いつも着ていたボロボロの服ではなくて、今は城の方であつらえた清潔な絹のシャツと紺の短パンという出で立ちだった。


「ノア兄ちゃん怒らないでよ。おれも一緒に行きたいって、ヴェル兄ちゃんに頼み込んだんだからさ」


 ヴェルのヤツ、いつの間にルーエルと仲良くなったんだ。すっかり懐いてるじゃないか。


「別にいいだろ。こいつは頭が回るし、頼りになるぜ? それにルーエルはお前のことをずっと心配していたんだ」


 琥珀色の瞳は、憂いに満ちていて揺れていた。

 たしかにノーザンに帰ってきてから、城の中は微妙な緊張状態が続いていたからな。しばらく貴族達との会談のために奔走していたのもあって、あまりルーエルと話せてないしノクトのお見舞いもまともに行けていない。


「それにノクト兄ちゃんにも頼まれたんだ。ノア兄ちゃんを助けてやってくれって。大丈夫! おれはおれにできる方法で兄ちゃんを守るからね」

「そっか。ありがとう、ルーエル」

「へへっ、まかせといて」


 金色の頭を撫でてあげると、ルーエルは満面の笑みを浮かべた。ノーザンに来てからリスやウサギみたいに震えていたこの子もようやく城に慣れたのか、最近ではいつもの調子が出てきている。


「それで、今からどこに行くの? 指定した会談が行われる場所が、さっき酒場って聞こえたけど」

「そうだよ。高貴な人達がまず絶対足を運ばないような、いわゆる庶民ご用達の酒場さ」

「悪かったな。庶民の酒場で」


 声のトーンを低くして、ヴェルが睨んできた。そろそろイジメすぎると本当に怒られるからやめておこう。


「スラム出身のおれが言うのもあれだけど、普通は会談の場所に酒場って選ばないよね? 何かあるの?」


 ルーエルが僕とヴェルの顔を見比べて首を傾げる。

 仕方ない。ここは僕が弟に代わって教えてあげるとしよう。


「意味はあるよ。今から行く酒場にはね、いわゆる高貴なひとがいるんだ。そのひとに立ち会ってもらおうと思ってね。その方が危険も少ないし」

「高貴なひとって? 貴族のひとたちとは別のひとだよね?」


 純粋なルーエルの問いかけに僕は首肯する。


「うん。今となってはたった一人になってしまったノーザンの前国王の妻、ヴェルの母親だよ。彼女は今では城を出て、酒場で働いているんだ」






 彼女に関しては血の繋がっていない僕よりも、ヴェルの口から語ってもらうことにした。


「オレの母親はもともと庶民で、高貴な生まれの連中とは縁のない人生を送ってたんだ。それが運がいいのか悪いのか、国王だった親父に見初みそめられて城に入ったんだよな」


 繁華街を進みながら、僕達は耳を傾けていた。夕暮れ時だけに人がたくさんいて賑わっている。


「まぁ、貴族じゃねえから城の貴族の連中と価値観合わなくてさ。があってからは、ますます嫌気がさしてたんだと思う。たぶん、あの時から決意していたんだろう。クーデターが起こって親父が殺された時、好機とばかりに城を飛び出したんだ」

「あんなことって……?」


 足を止めずにルーエルが聞いた。

 少し間を置いてから、ヴェルは答えた。


「イリスの母親が亡くなったんだ」


 息を飲む気配がした。僕からはなにも言うつもりはない。ヴェルがぜんぶ語るだろう。


「母さんとイリスの母親はもともと仲が良くてさ。もともと身体の弱かったイリスの母親を妹のように可愛がってたんだ。普通は有り得ないんだぜ? 王妃や他の妾達は相手を蹴落とそうとするもんだしな。母親同士が仲がいいからオレも、イリスとはガキの頃から一緒にいるんだぜ」

「そうなんだ。でも、どうして亡くなったの?」

「病気だな。イリスが生まれてすぐだった。一人産むのだってやっとだったのに、親父が無理をさせたんだ」



 ちら、とヴェルを見る。彼は視線を落とさず、ただ前を向いていた。


「母さんはオレには何も言わないけど、城の中ではイリスの母親が唯一の心の拠り所だったんじゃねえかな。だから、今でも城には戻ろうとはしない。王妃でなかったとはいえ、一応オレの母親で王族には違いないんだ。一人でいる方が危険なんだが、オレがいくらいっても聞きやしねえ」

「だから、ヴェルは月に一度彼女に会いに行ってるんだ」

「そうそう。まさか自分の母親のことまでゼレスやカミルには頼れねえしなあ。よし、着いたぞ。ここだ」


 僕達はようやく立ち止まる。目の前の建物はだいぶ年季の入っていた。ヴェルによると、普段ならたくさんのお客さんで賑わっているらしい。看板に書かれている文字は消えかけていたけど、『火蜥蜴の煙突亭』とかろうじて読めた。


「母さんはここで歌姫をやってるんだぜ。息子のオレが言うのもなんだが、きれいな歌をうたうんだ。ルーエルもノアも、機会があれば聞きに来てやってくれ」


 破顔して、弟は白い歯を見せた。

 あんまり嬉しそうに言うものだから、僕はヴェルが羨ましいなと思う。

 たぶん、父にも母にも疎まれた僕よりも、弟の方がほんとうの家族を知っているんだ。

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