16.城で芽吹いた不信感

 半年ぶりに自分の部屋に入ったけど、何も変わっていなかった。

 家具の位置も僕の私物も、出て行った時のままだ。けれど埃一つ落ちていなくて、きちんと掃除されていた。

 まるで、僕がいつでも帰ってきてもいいように整えられていたかのようだった。

 思わず口元が緩んだ。


 あれから夕食をみんなで食べたけど、ノクトは当然出て来なかった。どうやらカミルが管理している医務室にいるらしい。ルーエルはやっぱり小動物みたいに震えながらナイフとフォークを見比べてパニックになっていたから、こっそりテーブルマナーを教えてあげた。

 そしてヴェルは相変わらず笑みを欠かさずにいたけれど、僕と目を合わせようとしなかった。


 やっぱり怒っているんだろうか。


 そりゃ突然出て行ったのは僕が悪かったし、イリスを放ってあいつが僕を追いかけてこれないと踏んであえて書置きを残したりしたけど。でもそれは、ヴェルのことを信用していたからだ。


 ヴェルより下の弟二人はそれぞれの育ってきた環境とスラムの件が原因で心身共に傷ついていて、部屋に引きこもりがちだ。それは仕方ないことだと思ってる。そのうちの一人は重傷で、今もカミルのもとで治療を受け続けているんだ。だからこそヴェルのことをあてにしていたし、任せればちゃんとこなせるヤツだと信じていた。


 だから、なにも怒ることないじゃないかと言いたいところだけど、僕はもうあいつには文句を言えない。

 なぜなら、僕は知ってしまったからだ。ノーザンを留守にしたせいで、この白亜の城の中で何が起こっていたのかを。今日一日、城の者達と接してみて分かってしまった。


「……!」


 ノックの音が聞こえた。


「ノア、いるんだろ? 入るぜ」


 ドアノブに触る前に、向こうから先に開けてきた。遠慮なく入ってきたのは、背の高い蜂蜜色の髪の色男。ヴェルだ。


「うん、いいよ」


 僕が承諾する前からおまえは部屋に入ってきてるけどね。

 いつもの彼ならともかく、今日のヴェルに突っ込むのは藪蛇になる気がして、あえて心の中だけでとどめておいた。






「何か飲む?」


 部屋に入ってから、妙にヴェルはピリピリしていた。やっぱり怒っている。

 なんとなく感じる気まずさから苦し紛れに聞いてみれば、弟は顔を上げた。


「じゃあコーヒー」


 意外に素直じゃないか。


「オーケー。ヴェルはブラックが好きだったよね」


 部屋の隅にあるお茶セットの中から適当に棚からカップを取り出す。

 うーん、僕は何にしようか。苦い飲み物、実は苦手なんだよね。苦い味がそのままお腹の底にたまっていくような感じがするから。

 よし、今日はこれにしよう。ミルクココアだ。

 男のくせに、僕は甘い飲み物が好きだ。特にココアが大好きで、よくイリスと飲んだりするんだ。


 ことん、と部屋に置いてあるテーブルにのせて僕はヴェルの向かいの席に座った。彼はサンキュ、と短く言ってからカップに口をつける。僕も彼に倣ってココアを飲んだ。


 話があると言っていたくせに、何も話そうとしない。

 これは、やっぱり待っているんだよな。僕の方から話を切り出すのを。


「ねえヴェル、怒っているんだろう?」


 だいぶ言葉を選んだつもりだけど、ありきたりになってしまった。

 けれど会話をするきっかけにはなったみたいだ。噛み付かんばかりの勢いで、ヴェルは目をつり上げた。


「当たり前だろ」


 怒気を含んだ声だった。

 そういえば、ゼレスが言ってたっけ。僕を連れ戻してくれと頼みこんだのはヴェルだって。


「さすがにお前も、城の中の変化に気付いただろ」


 予想通りの反応だった。


「まあね。なぜかカミルとゼレスが悪者扱いになってる。貴族達の間だけでなく城の下働きの子供に至るまで、みんな口を揃えて言うんだ。あの二人には近づくなと」

「ノアが家出なんかするからだろ。最初の頃は大変だったんだからな。イリスは泣くし、カミルは部屋に引きこもって落ち込むし。ったく、ノイシュを追い出したからってお前まで出て行くことないだろ」


 ヴェルの言い分にむっとする。僕にだって色々ある。おまえにとやかく言われる筋合いはない。

 だけど、思ったことをそのまま言い返すわけにもいかなかった。火に油を注ぐだけだ。僕の見えないところで、彼が苦労をしたのは事実なんだし。


「ごめん。もうちょっと準備してから出て行くべきだった」


 一応謝っておく。もちろん僕なりに心からの謝罪だ。本来、僕が背負うべきだった苦労をヴェルに負わせてしまった。


「謝るところ違うだろ」


 なのに、なぜか睨まれた。一体、何が不服なんだよ。


「オレが被った手間とかはいいんだよ。特にイリスの面倒を見ることなんか、日課みたいなもんだし。オレが怒ってるのはな、お前がぜんぶ抱えてオレに何の相談もせず一人で勝手に消えたのが我慢ならねえんだ」


 えっと……、つまりどういうことだ。頭が追いつかない。


 僕が何も言わずに城を出て行ったことで、怒っている。そういうことなのだろうか。僕がいなくなったことで生じた波紋を受けて、大変な思いをしたせいで機嫌を損ねてるんじゃなかったのか。


「なんで一人で抱えるんだよ! ノアが一人で背負っても効率悪いだけだろ。もっと頼れよ! そりゃ親父には捨てられたけどさ、オレ達は家族だろ!? 他の誰でもないお前がオレ達を引き合わせて本物の家族にしたんじゃねえか!」


 ガタッと、勢いよく椅子を引く音がした。


 気が付くと僕はヴェルに胸倉をつかまれていた。背丈の差があるから僕が宙に浮かないように屈んでくれているのが、弟らしい優しさの表れだ。兄としては、かなり情けない話だけど。


「だって、僕はその家族の一人を追い出したんだ」

「追い出したなら、追いかけて謝ればいいだけの話だろ。お前も一緒になって出て行ったって何の解決にもなんねえんだよ! ちょっとは残される方の身にもなってみろ」


 反論の余地もないな、これは。たしかに僕が悪い。

 きっと、イリスやカミルを目の前にしてヴェルは泣けなかったんだ。次男とはいえ、こいつも兄貴だから我慢したんだ。さびしいって、声を大にして言えなかったんだ。

 半年間我慢し続けて、ようやく彼はゼレスにだけ本音をぶつけたんだろう。あの狼は僕やヴェルよりもはるかに年上で、よく兄貴みたいな顔をしているから。


「悪かった。本当にごめん。せめておまえには、真っ先に相談しておくべきだった」

「今度からは絶対話しに来いよ。オレだって忙しくても、ちゃんと聞いてやるから」


 ヴェルは手を離してくれた。屈んでいた姿勢から身体をまっすぐにして、そしていつもの極上の笑みを浮かべる。


「それにオレは将来、王になったお前の隣に並ぶ騎士になるんだ。オレには気兼ねなく頼ってくれよ」


 呆気に取られる。数秒間思考が停止して、ヴェルを見た。それから。


「……い、いや。無理だから。僕が王になれるわけがないだろ」


 喉を振り絞って出した声で思わず全否定してしまった。いきなり何を言い始めるんだ。びっくりしたじゃないか。


「なんでだよ」

「考えたら分かるだろう。僕らはもう王族じゃないし、今の国王はカミルだ。どう考えても僕が王になれるわけがないじゃないか」


 だってそうだ。父上が暗殺された時点で僕の夢は潰えた。次の王になるひとはカミルの実子でなければならない。


「そうは言っても、これから先のことなんか分かんねえだろ? それにカミルは吸血鬼ヴァンパイアの部族だ。あの部族の奴らは、普通に子供が作れない」

「それはそうだけど……」


 そう、吸血鬼ヴァンパイア魔族ジェマが子どもを作る方法はひとつだけ。それは、他種族の子どもをさらってきて魔族ジェマに変えるのだ。ノクトが帝国の魔族ジェマにされたことと同じように。


「他種族の子どもを魔族ジェマに変えるだなんて。たしかにそんなこと、カミルがするはずがない」


 彼にとって赤の他人である僕が反抗して勝手に城を出たにも関わらず、毎日マメに手紙を送り続けた優しい吸血鬼ヴァンパイア。たしかにひとを手にかけているけど、子どもに牙を立てるようなことができるはずがない。僕はそう信じてる。


「だろ? まあ生憎、城の中にいる奴らはそう思ってはいねえだろうけどな」


 テーブルに肘をついてヴェルは溜め息まじりにそう言った。思わず僕はテーブルに身を乗り出す。


「そうだよ。僕はそのことについて聞きたかったんだよ。僕が城を出てから何があったんだ?」

「ノイシュが出て行った上に、お前まで城を出てからすぐのことだった。まずノアと親交の深い貴族連中が、カミルが第一王子を追い出したと言いだしやがったんだ。……貴族達には会ったか?」


 その問いかけに、僕は首を横に振る。城で仕事をする兵士や使用人達にはたくさん会ったけれど、今日は貴族達の顔を見かけることがなかったんだ。


「まだ会っていないよ」

「そうか。親父の中ではノイシュが跡継ぎだったんだろうけど、貴族達の間ではお前に次の国王になって欲しかったんだ。だから、カミルがノアを追い出したことで、自分の王座を盤石なものにしたとあいつらは考えたみたいだな。それで三ヶ月くらい経った時だっけな、貴族の奴らがついにカミルに直訴したんだよ。お前がノア王子を追い出したのかってな」


 そんな大事にまで発展していたとは知らなかった。

 たしかに貴族達を自分の側へ引き寄せるためになるべく親しくしてはいたけれど、僕のことでそれほどこじれることになろうとは。


「カミルはなんて言ったの?」


 問いかけると、ヴェルは苦虫を噛み潰したかのような顔で答えた。


「……その通りだって頷いちまったんだよ」

「え、否定しなかったってこと!?」

「ああ、そうだ。肯定しちまったんだよ」


 信じられない。何だよそれ。

 カミルは追い出していない。ノイシュを追い出したのか僕に追及しただけだ。僕が勝手に自分への罰として、城を出て行ったんだ。


「オレ納得できなくてさ。だって、そうだろ。カミルはオレ達になにか陰謀を企てるような奴じゃねえ。そもそも前王統のオレ達を追い出すつもりなら、最初から城に招いたりしねえはずだろ。だから、カミルの一番そばにいるゼレスを問い詰めたんだよ。なんでカミルは否定しなかったのか。そうしたら……」


 眉を寄せたヴェルが口を閉じる。言いよどんでいるようにも見えた。


「そうしたら?」


 ヴェルの翡翠の両目は揺れていて、尋ねてもすぐに返事はなかった。

 けど、それは数刻の間だけで、意を決したように彼は口を開いた。


「ゼレスも否定しなかった。大将がそう言ったのなら、そうなんだろうと」

「……意味が分からない」

「まったくだぜ。一応聞くけど、ノアはカミルに追い出されたのか?」


 もちろん否定して、再び首を横に振った。安堵したように、ヴェルは溜め息をつく。


「そんなわけないじゃん。僕が自分で出て行くって言ったんだし」

「だよなあ。出て行く前にカミルと話をしたのか?」


 肯定して、そうだよと返した。


「ノイシュが突然いなくなったからカミルに問い詰められたんだよ。だから、僕が追い出したって。そのことでお説教されそうな雰囲気になったから、じゃあ僕も出て行くって当てつけみたいに言って家出したんだ。……あ」


 もしかして。

 はた、とヴェルの顔を見たら同じような顔をしていた。どうやら考え付いたのは同時だったらしい。


「それで自分がノアを追い出したと思ってんのかもなあ。ゼレスがいつも言ってるけど、カミルって自己肯定感が低いみたいだし」


 そうか。だから否定しなかったのか。カミルは本気で、僕を追い出してしまったと思い込んでいたのだ。


 溜め息をつかずにはいられなかった。気が重い。頭を抱えたくなってしまった。


「否定しなかったら、みんながますますカミルに不信感を募らせるだけじゃんか……」


 だから城の下働きの者達まで、カミルとゼレスを悪者扱いしてたってことか。


「やっぱり、今の状況はまずいよな」

「当たり前だ。貴族の誰かがクーデターを起こしかねない案件だよ」

「ま、それも以前までの話だろ。今は違う」


 え、とつぶやいて顔を上げた。

 そんな僕を翡翠の両目で見つめて、ヴェルは艶然と微笑む。


「今、この白亜の城にはノアがいる。お前が貴族達に直接話してやれば、きっと納得してくれるさ」


 それは楽観的すぎないかなあ。

 でもまあ、だからと言って他に何か策があるわけでもない。放置しておくには危険すぎる状況だし、このまま当人である僕が口をつぐんでいても良い方へ向かうはずもないか。


「そりゃ貴族達にはちゃんと話してみるけど、すぐに誤解が解けるとは限らないよ」


 半年の間に降り積もった不信感は、そう易々と一掃できるはずがない。

 軽く睨んでも、顔色を変えることもなく弟は首肯した。


「そりゃそうだ。だからくれぐれもクーデターの旗頭になってくれるなよ。血なまぐさいことはもう勘弁な」


 まったくきみってやつは、簡単に言ってくれちゃってさ。


 これからのことを思うと気が重い。でもそのままにはしておけない。

 ノーザンは僕の国、この城は僕の家だ。帝国のスラムにいた頃のように、カミルやゼレスには頼れない。これは僕自身がどうにかしなくてはいけない問題だ。


 とりあえず、明日にでも貴族達には手紙を送ることにしよう。考えるのはそれからだ。

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