15.姫と騎士
あらかじめ言っておくけれど、僕は妹イリスに関しては兄バカだ。
目に入れても痛くないくらいに大切に想っているし、大好きだ。兄として心から愛している。もはや溺愛していると言ってもいい。
だから、イリスに対する僕の言動や感じ方が常軌を逸していても許して欲しい。
――って、僕は誰に許しを請うているのか。
「イリスは変わらないね」
いきなり現れることが多い妹はいつも一緒にいる弟によれば、落ち着きがないの一言で評される。
天真爛漫でいつも元気いっぱいで、イリスは笑顔を絶やさない。どんなに辛いことがあっても、妹の姿勢は変わらない。
半年ぶりに会った今でも、イリスは腕の中で嬉しそうに笑っていた。
「うん、そうかも。ノア兄さんは、ちょっと痩せたかなあ」
「ちょっ……、イリスくすぐったいよ」
首を傾げながら、妹はペタペタと身体に触れてくる。彼女はそうしなくてはいけない理由があるんだから、我慢だ。それが兄としての務めだ。たぶん。
たとえルーエルが戸惑った目で、僕を見上げていたとしても。
「こぉら、イリス!」
慣れたもので、イリスはいきなり大きな声が聞こえたってびくりともしない。
そろそろ追いつく頃合いだと思っていた。常に彼女のそばにいるお目付け役……ではなく、
「ヴェル兄さん、なあに?」
「何じゃねえだろ。いきなり消えるな、お客様の前でいきなりノアに抱きつくなとか、言いたいことは山ほどあるが、とりあえず離れろ。みんなが戸惑ってるだろ」
「もう言ってるよー」
ころころと笑いながら、イリスはすぐに離れてくれた。素直なところがまた可愛いんだよね。一方、まったく、とため息をつく背の高い
さっきの人影はこの二人だったのだ。
短い人影は妹のイリス。そして、長い人影はオリヴェルと言って、僕のすぐ下の弟だ。僕達みんなは親しみを込めてヴェルと呼ぶ。
弟とはいえ、ヴェルは僕よりも背が高いいわゆる色男だ。
品のあるリボンで一つに結んだ蜂蜜色の長い髪に、切れ長の翡翠色の目。普段から鍛えている彼は程よく筋肉がついていて背丈もあるからスタイルがいいし、服装や身に着けるアクセサリーだっておしゃれでセンスがいい。今日だって、絹のシャツに焦げ茶色のベストとスラックス、鮮やかな青いスカーフという出で立ちだった。相変わらずおしゃれなヤツだけど、しっかりは帯剣しているところもヴェルらしい。
「ルーエル、妹のイリスと弟のヴェルだよ」
放心しかかっていた彼に僕は改めて二人を紹介した。ルーエルははっとして、勢いよく頭を下げる。
「あ、あのっ、おれルーエルって言います。お邪魔してますっ」
「あー、そんなかしこまらなくっていいって。もっと肩の力抜こうぜ。よろしくな」
誰にでも気さくに接するヴェルは微笑みながら手を差し出す。おずおずと出してきた小さな手をしっかりと握って、彼は顔を綻ばせた。
いつだってヴェルの笑顔はひとの心をほっとさせる。理屈は分からないけど、彼が笑いかけると誰でもつられて笑顔になるんだ。性別や年齢、種族に関わりなく。
今回も緊張が緩んだのか、つられてルーエルも微笑みを浮かべた。
「よしよし、その調子だぜ。笑った顔の方がかわいいからなお前」
「ヴェル、口説かないでくれるかな。おまえはそういう趣味だったっけ」
この無自覚のタラシめ。優しいのはいいことだけど、誰彼構わずこういう態度なのはいただけない。
「はあ!? いやいやいや、違うって! つーか、オレはフツーに女が好きだし。って何言わせんだよ」
うん、分かってる。だけど、時々ツッコんで分からせてあげないと、いらぬ問題の種を運んでくるかもしれないからね。僕だって、決して意地悪で言ってるわけじゃないよ?
「でもヴェル兄さん、女の子を見ればすぐに口説くし……」
隣でイリスまでもが眉を潜めて彼を評する。ヴェルに対してだけ、妹はいつも辛口だ。この二人は幼い頃から一緒にいるから互いに気の置けない仲なんだけど、そのせいかイリスもヴェルには遠慮がないんだよね。
「だから口説いてねえって。そもそも、オレに恋人がいたことなんかないだろ。ルーエルも本気にするなよ?」
ため息交じりに肩を落としつつも、弟はしっかりとルーエルに釘を刺して予防線を張ったようだ。
戸惑いつつも、本人はこくこくと頷いていた。
「一応補足しておくとな、オレは
いや、ネタじゃないから。きみは自覚ないかもしれないけど、城を出て行く前の晩も使用人の女の子を口説いていたの見たから。
「もう、ヴェル兄さんばっかりずるい! イリスもルーエルとお話しするんだから」
「はいはい。どうぞお姫様」
軽い口調で受け流されて妹はますますむすっとしたけど、場所を空けてもらえたと分かるといそいそとルーエルの真正面に来た。
「イリスだよ。よろしくね、ルーエル」
微笑みかけてからイリスは手を伸ばした。その細い指先で、今度はルーエルの顔を触り始めた。
両手でしっかりつかんで、ペタペタと。
「……え」
当然、本人は固まるしかない。
けれど妹は気にしない。頬や額、髪や鼻筋に至るまであますところなく、触っていた。
「ごめんね、ルーエル。すぐに済むからちょっと我慢してもらえるかな」
こくりと彼は頷いた。というのも、顔を触られているから会話をするのもはばかられたみたいだ。
戸惑いは覚えていても聡いこの子のことだ、なぜイリスがこういう行動に出たかすでに察していることだろう。
なぜなら、妹はずっと目を固く閉じたままだからだ。
「よし、覚えたっ。ごめんね、ルーエル」
ある程度触ったらイリスは素直に手を引っ込める。相手を驚かせている自覚はあるのか、ぺこりと頭を下げて謝っていた。
そんな妹に対し、ルーエルはふるふると首を横に振る。
「ううん、大丈夫。イリスは……その、目が見えないんだね」
この子なりに遠慮がちに顔色を伺いながら言ったようだったけど、イリスは気にした風もなく、うんと頷いた。
「見えなくなったのは一年くらい前なんだけど、これでもだいぶ慣れたんだよ。まぁ、ちょっと不便だけど、普通に生活するぶんには大丈夫なの! ちゃんと覚えてしまえばそのひとのことが分かるようになるから」
にこにこと満面の笑みで、迷うことなくルーエルの手を握るイリス。初対面の彼に妹の言葉がすぐに理解できるはずもなく、ぽかんと口を開けていた。
なんだかルーエルには申し訳ないな。けど、これがイリスのペースだから仕方ない。兄貴である僕やヴェルはいつも彼女のペースに巻き込まれているから慣れているんだけど、これは説明してあげないと。
――と、思っていたんだけど、僕より先に口を出したのは弟のヴェルだった。
「イリス、端的に言ってもルーエルが訳分かんねえだろ。ごめんな、ルーエル」
「うん。それはいいんだけど、どういうこと?」
「こいつは確かに目が見えない。だけどな、こうして目を閉じて視界を遮断している今でも、ある意味では視えているんだ」
「視えている?」
背の高い弟をルーエルが見上げておうむ返しに問い返すと、ヴェルは目を細めてああ、と首肯した。
「イリスはな、精霊に愛される魂を持った子なんだ」
そっと、ヴェルが妹の頭に手を乗せてぽんぽんと撫でる。するとイリスはくすぐったそうに肩をすくめて、屈託のない笑顔を浮かべた。
この二人はなんだかんだで仲良しなんだよね。
「オレも
「んー、でもやっぱり見えていた頃と違ってノア兄さんやヴェル兄さんと同じものは視えていないのよ。やっぱり記憶にないものは視えなくて分からないから、触って覚えるようにしてるんだ。そうしたらある程度はイリスの記憶と精霊の力がうまーく働いて形くらいは視えるようになるから」
「そうなんだ……。それって、なんかうまく言えないけど、すごいことだよね」
「まあな。普通のひとにはできねえよな。少なくともオレは無理だぜ」
苦笑いを浮かべるヴェルには僕も心から同意する。妹はなんなくこなしているけど、失明しているのに外の世界が視えるなんて、一種の奇跡みたいなものだ。
「じゃあ、本とかも読めるの?」
「ううん。精霊はひとの文字は読めないからね。だからイリスもご本は読めないの。でも読書大好きだから、寝る前にヴェル兄さんに読み聞かせてもらってるんだ」
「そっか。良かったね、優しい兄ちゃんだね」
「はははは。注文多いけどな、このお姫様」
顔を引きつらせながら笑うヴェル。弟は見た目からすれば背丈の差こそあれ、僕と同年代くらいだ。妹のイリスは十代半ばの少女って感じ。
遠慮なくわがままを言う妹に、常にそばにいて文句を言いつつなんだかんだで願いを叶えてあげる弟。
二人を見てると、まさに絵本に出てきそうな姫と騎士のように思えてくる。
「ちなみに、さっき突然イリスが僕の目の前に現れたのも魔法なんだよ」
横からルーエルに言ってあげると、彼は首を傾げる。
「そうなの?」
「うん。この子は僕みたいに
まあ、慣れないうちは度肝を抜かれるけどね。気が付いたら忽然と姿を消すことが多いイリスに、ゼレスも何度肝を冷やしたことか。
「ふふん、すごいでしょ。これでもイリスは一人前の
ルーエルの目の前で胸をそらして得意気な顔をする妹に、ヴェルは軽く頭を小突く。
「だから突然消えるなつってんだよ。お前を護衛しているオレの身にもなれよ」
「ヴェル兄さんは大丈夫だよ」
くるりときびすを返して、イリスはヴェルに向き直る。目を固く閉じたまま顔を上げて、笑みをこぼした。
「だって、ヴェル兄さんはイリスがどこにいようと絶対見つけてくれるもん」
満面の笑顔で言われたものだから、ヴェルは深いため息をついてそれ以上何も言わなかった。結局は弟もイリスには勝てないのだ。
否定されなくてますます嬉しくなったのか、イリスはヴェルの腕に抱きついてはしゃぎ始める。
僕は時々、この二人の絆が羨ましくなる。
妹の次兄であるヴェルに寄せる信頼は、誰よりも強い。少しも疑っていないんだ。その姿勢に尊敬を覚える。
ヴェルに負けないくらい僕もイリスのことは大切で守ってきたけど、この二人の信頼関係には勝てる自信がない。
「イリスは、ヴェルさんを信じているんだね」
二人を眺めていたら、不意にルーエルがそう呟いた。そうだね、と返して僕は思わず頬を緩める。
なぜ妹は弟を信じきっているのか。
理由は簡単だ。ヴェルには実績があるからだ。あいつはどんな時も、僕がイリスに出会う前から妹のそばにいて、確実に守ってきた。僕の手が及ばない場面でも、ヴェルは己の経験と勘だけで妹を見つけ出して守ってきたんだ。
「イリスだけじゃない。ヴェルに関してはゼレスも、そしてカミルも信用している。僕も弟達の中では一番背中をあずけられる相手だと思っているよ」
心からそう思ってる。
だって、あいつのすごいところは誰よりも僕が知っている。
一番記憶に残っているのは、ノーザンのスラムで再会した時のことだ。
スラムに捨てられて僕達兄弟がバラバラになった状況で、僕は真っ先に弟や妹達を捜した。
一番最初にヴェルと再会した時、あいつはすでにイリスを見つけ出していた。右も左も分からず土地勘もない上に、一度も城の外に出たことがなかったはずなのに。
もちろん、ヴェルは怪我をしていて満身創痍だったし、イリス自身も全く無事だったわけじゃなかった。
それでも。
誰よりも先に、全力で、ヴェルはイリスの命を守ってみせたんだ。
「何かあった時、間違いなく頼りにできるし共に戦える。僕にとって自慢の弟なんだ」
抱えているものをすべて、あずけられるほどに信じられる。ヴェルがいたから、安心して家出できたとも言える。こいつはイリスや他の異母弟達を放り出すほど愚かではない。
そんな話をルーエルとしていた時だった。ようやく落ち着きを取り戻したイリスから視線を移し、ヴェルが僕の方に翡翠色の目を向けたのは。
なぜだか、いつもの和やかな目が一瞬のうちに鋭くなる。
あれ。どうしたんだ、ヴェル。
「ノア、話がある。今夜、お前の部屋に行くから」
「え、あ……うん。いいけど」
剣呑な光を宿していた両目はすぐに元に戻った。けど、いつになく声が低かったのは気のせいではないだろう。
嫌な予感しかしない。
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