14.帰還

 乱戦になるかと思っていたけど、勝負はあっという間に片が付いた。


 一応、作戦は決めていた。

 追跡が得意なゼレスが潜んでいる子狼もとい伏兵を見つけ出し次第、捕獲。それでも複数を一人で相手をするから、一人や二人は逃がしてしまうかもしれない。その捕まえ損ねた子狼を僕が捕獲する、はずだったんだけど。


「僕、出る幕なかったじゃん」


 地面に転がっている少年達をぎゅうぎゅうと縄で縛るゼレスを見下ろして呟くと、彼は得意気ににぃっと笑った。


「結構なことじゃねえか。万が一お前に怪我でもさせたら、俺が大将に怒られるからなあ」

「なんでゼレスが怒られるんだよ」

「アホか、お前は。当たり前だろ。大将はお前の保護者だぞ」


 こんな他愛のない会話をしている僕らだけど、当の捕縛された少年達は夢の中だ。

 ちなみに魔法による眠りではなく、ゼレスが物理でこいつらを昏倒させた。多少魔法の心得があるとはいえ、彼の本職は剣士だ。魔法使いルーンマスターでもない限り、そんなにばんばん魔法は使えない。もともと多くない魔力が尽きてしまうからね。


 外に出てから、どんなに息を潜めていようと、一人残らずゼレスは子狼達の居場所を暴いていった。

 見ていて気持ちがいいくらい手際がよく無駄がなくて、尊敬してしまった。なんとなく、カミルが彼を単身で使いに出す理由が分かったかもしれない。


「さて、これで一安心だな。これで心置きなく帰れるってもんだろ」


 そうか。もう僕達を襲う脅威はなくなったのか。

 ついに帰らなくてはいけない。

 もう言い訳はできないし、ゼレスにも誤魔化せそうにない。


「……うん、そうだね。とうとう僕はノーザンに帰るのか」

「なんか俺が無理に連れ戻しに来たみてえだな、その言い方」

「違うの?」


 軽く睨みつけると、何がおかしいのかゼレスは吹きだした。


「いや、違わねえ。首に縄くくってでも連れ戻すつもりだったさ」


 なんだとこの野郎。

 よし、帰ったら覚えていろゼレス。





 * * *





 ノーザン王国の王都ルカニア。最も栄えている街の中心部にそびえ立つ白亜の城、それが僕の家だ。

 身動きできないノクトをできるだけ負担にならないようにゼレスが抱え上げ、そして僕はルーエルの手を左手で繋ぎ、右手で箱を抱えて、ぼんやりと城を見上げていた。


 そう、ついに僕は帰ってきたのだ。


 僕の背丈よりはるかに高い城門に、ルーエルは圧倒されたのか息を詰めていた。


「王子! ノア王子殿下ではありませんか!」


 門兵が僕の顔を見るなり、駆け寄ってきて顔を綻ばせた。

 もちろん顔なじみの兵士だ。いつも挨拶すると嬉しそうに返してくれる、気さくでとってもいい奴なんだ。


「だから、もう僕は王子じゃないってば」

「いえ、何をおっしゃいます! たとえ事実上王子ではなくなっていようとも、あなたは我々にとって尊いお方なのです。もう帰ってこられないのではないかと心配していたのですよ」


 大げさだなあ、たかが家出くらいで。

 突然出て行った僕も悪かったけどさ。


「さあ早くお入りください。どこもお怪我はありませんでしたか? そこの番犬に乱暴な真似はされていませんでしょうね?」


 あれ……? ちょっと待って。

 なにか言葉の端々に引っかかりを覚える。

 彼はもともと根は悪くないヤツなんだけど。なんだろう、齟齬があるような。


「おや、そちらのお方は……?」


 さすがに彼は僕が手を引いている子どもの存在に気付いたようだ。城の前に立ってから、門兵と視線を合わせないようにずっと俯いていたルーエルの小さな肩が跳ねた。

 心配しなくても大丈夫なのに。

 まるで怯える小動物みたいな弟分の動きに苦笑しながら、僕は門兵を見上げた。


「この子はルーエル。旅先で親しくなった大事な友人なんだ」


 紹介した後、そっと当人を見ると顔を強張らせていた。なんだか可哀想だ。


 目を丸くしていてルーエルを見た彼は顔を綻ばせる。


「そうですか。王子殿下のご友人ならば丁重におもてなししなければなりませんな。使用人頭には伝達しておきましょう」

「うん、ありがと。ところでカミルは?」


 そうそう、彼にはノクトの治療を頼まなきゃ。それに、早く託してベッドに寝かせてあげたいしね。


 つい軽い口調で聞いた僕は、すぐに後悔した。

 あんなに気さくな笑顔いっぱいだった門兵が、すっと無表情になったからだ。


「……あの新王ですか。恐らく執務室におられると思いますが」


 何これ。僕はもしかして、彼に聞いてはいけないことを聞いてしまったんだろうか。


「そ、そう。じゃあ、そっちを当たってみようかな」

「ノア、俺は先に大将のところへ行ってるぜ。いつまでもノクトをこのままにしておくわけにはいかないからな」


 くるりときびすを返して、ゼレスはさっさと行ってしまった。いや僕も一緒に行かないとまずいだろ。どうして置いて行くんだよ。カミルには、直接ノクトのことを頼むのが最低限の礼儀だというのに。


 早く、僕も追いかけなくては。そう思っていたんだけど……。

 ルーエルの手を握ったまま先へ行こうとした時、再び門兵に呼びかけられた。


「ノア王子」

「何?」


 振り返って彼を見ると、眉をひそめていた。さっきのように笑いもせず、険しい表情だった。

 一体、どうしたっていうのさ。


「あまりあの男と新王にお近づきになられますな。奴ら、今度はあなたのお命を狙うかもしれません」


 はあ?

 カミルとゼレスが、僕の命を? 何を馬鹿なことを言い出すんだ。


「大丈夫だよ。考えすぎだって。あの二人が僕を殺すわけないじゃん。だって僕達王族には危害を加えないって確約してくれたんだから」

「ですが、あの男達はノーザンを我が物とするためにノア王子を城から追い出したではありませんか!」

「……はい?」


 だから、なんでそういうことになってんのさ。

 大臣や文官達と違って国王に接する機会が少ないとはいえ、彼はまだ新しい国王には慣れてないんだろうか。


 宮廷魔術師だったカミルが王になってから、もう一年になろうとしている。いい加減打ち解けてきてもいい頃合いだと思うんだけれど……。

 まあでも、カミルも仕事や研究に夢中で部屋から出てこないことが多いからなあ。それに愛想よく笑うタイプでもない。言葉数もどちらかといえば、少ない方かも。


 だから、こんな門兵にまで誤解されるんだろうか。


「なんか勘違いしてるみたいだけど、僕は彼らに諭されて戻ってきたんだ。それにカミルとゼレスはきみが思っているほど悪いやつらじゃないさ」


 なんとかあの二人に対するわだかまりをなくしたかった。

 下っ端の兵士まで悪者扱いされているのなら、城で働いている者達のほとんどがきっと同じ考えに違いない。これから共にうまくやっていくためにも、カミルやゼレスとの溝を埋めてあげたい。

 僕はそう心から願っているのだけど。


「王子、あなたはあの二人に騙されているのです。気をしっかり持ってください!」


 逆に肩をがっしりつかまれて、諭されてしまった。






 もしかすると、いやもしかしなくても、衝動的だったとはいえ家出を決行したのは軽率だったのかもしれない。


「ねえ、ノア兄ちゃん。なんか変じゃない?」


 さすがにさっきの門兵との会話を聞いてから緊張が解けたのか、ルーエルはいつもの調子で首を傾げた。


「さっきの兵士の人もそうだけど、会う人みんな新しい王様やゼレス兄ちゃんの悪口ばっかり言ってる」


 そう、そうなのだ。

 あれからなんとか門兵をなだめすかして城の中に入ってからというものの。声をかける女中、通りすがりの兵士や騎士達みんな、カミルの話題を出すといい顔をしない。挙句の果てには、あの二人には近づくなの一点張りだ。


「これは、かなり深刻な問題かもしれないなあ」


 城の者達と国王が対立関係にあっては、いずれ大きな亀裂が生じる。最悪、再び大きなクーデターが起きるかもしれない。

 そうなった時、僕達兄弟にだって火の粉が降りかかるかもしれないのだ。

 もうこれ以上、城で諍いが起きるのはもうたくさんだ。傷ついた妹や弟達はようやく心穏やかに暮らせるようになったのに。カミルやゼレスは、もう僕にとっては赤の他人じゃない。恩のある人達で、うまく言えないけどとにかく大切な人達なんだ。


「それにしてもさ、ノア兄ちゃんってすごいよね」

「何が?」


 城に来てから魔法を使った覚えはないし、剣をふるった覚えはない。なにかのマメ知識を教えてもいない。

 ええと、僕は彼の前で何かすごいことをしただろうか。


「城に入ってからノア兄ちゃんが話しかける前からみんな寄ってくるんだもん。それってさ、お城で働いている人達みんなノア兄ちゃんを慕っているってことでしょ?」


 ああ、そのことか。こんなの、なんてことはないんだけどな。


「城にいた時から、僕は兵士や使用人達みんなに声をかけるようにしていたからね」


 挨拶がほとんどだけれど、みんな気のいい人達だからよく笑顔で返してくれていたっけ。もともとは、無愛想で自分勝手で、民のことなんか少しも考えない独裁者となっていた父を反面教師にして始めたことだ。


「街に住んでいる人達はもちろんのこと、城で一生懸命に働いて僕達を支えてくれている彼らだってノーザンの国民だよ。僕は元王族として彼らに感謝を示したいし、大好きなんだ」


 高貴な生まれではないけど、彼らだって懸命にノーザンに尽くしてくれている。

 それに僕が母の違う弟や妹達に近づけたのは、彼らの協力があってこそだったんだ。


 父はあまり知らなかったかもしれないけど、王妃やその妾達の争いはひどいもので、常に互いを牽制し合っていた。相手を貶めようと虎視眈々と狙っていたのだ。

 母親同士がそんな仲だったんだ。おいそれと弟達に会いに行けるはずもない。それに、僕の母親は王妃だったから、なおさらだった。


 そんな時、弟や妹達で出会うきっかけをくれたのが、城で働く使用人達や兵士達だったんだ。

 弟達が今どこで何をしているか、そんな些細な情報だったけれど僕にとっては十分だった。

 だから感謝してもしきれない。彼らがいなければ、僕は兄弟みんなと手を取り合うことなど不可能だったのだから。


「きっとさ、ノア兄ちゃんの大切にしたいっていう気持ちがみんなに伝わっているんだよ。だからみんなノア兄ちゃんのこと好きなんじゃないのかな」

「そうかな?」

「きっとそうだよ! だって、おれもノア兄ちゃん大好きだし」


 たしかに人は鏡だって言うけれども。

 それにしたって、ルーエルもみんなもお人好しすぎるだけなんじゃないかなあ。


 そもそも僕は彼らに何もしてあげれていなかった。まだ子供の域を出ない僕では、父を弑して王になり替わるほどの大胆な行動に出られなかったんだ。カミルみたいに行動に移せば、早く国を良くすることだってできたはずなのに。


 まあ、あれこれ考えたって仕方ない。

 今僕がすべきことは、片手で抱えているこの箱を自室に置いてルーエルを客間に案内することだ。


「見つけた!」


 不意に聞こえたのは、鈴を転がすような声。ルーエルにも聞こえたみたいで、はっとして歩いていた前方の人影を見た。


 人影はふたつ。短いのと、長いのと。


 そのまま眺めていると、短い人影がすっと消えた。

 僕は声の主には覚えがあるし、この現象は毎度のことだから耐性がある。だから次に何が起こるかは知っている。

 だから、すぐ目の前に女の子が何の前触れもなく現れたと同時に抱きついてきたって、僕は驚いたりはしない。


「ノア兄さん、おかえりなさいっ」


 抱きついた拍子にふわりと薄い金色の髪が揺れた。ルーエルの手を離し、腰にまで届くその波打つきれいな髪を撫でてあげながら、僕は慈しみを込めて抱き返してあげた。

 後からどさり、と箱が床に落ちる音が聞こえた気がするけど、どうでもいいことだ。


 だって半年ぶりの再会なのだから。


「ただいま、イリス」


 とても大切な、ただ一人の妹。毎度のごとく場所を選ばないイリスの抱擁は周囲の人達を驚かせるものだけど、今回もルーエルを見れば完全に驚いて固まってしまっていた。

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