13.子狼来襲

「ノーザンに帰るなら、面倒な狼どもが来る前の方がいい。荷物はいいから今すぐ行くぞ」


 碧い瞳を細めて、ゼレスは僕に言った。


 普段の僕なら荷物には執着がしない。

 ほとんどの私物は城の自室に残してきたままだ。このまま荷物を置いて帰ったってスラムの誰かが盗んで勝手に使うか、金に換えるかのどちらかだろう。

 だけど――。


「ゼレス、ごめん。どうしてもひとつだけ、持って行きたいものがあるんだ」

「何言ってるんだ。今それどころじゃねえことはお前も分かってるだろ」

「そうなんだけど、それを承知の上で頼むよ。すぐに済むからさ」


 服でもアクセサリーでも盗られても構わない。でも、あれだけは他には換えられない。

 譲る気はなかった。何を言われたとしても頑として聞き入れないつもりだった。いい顔をしないゼレスの服をつかんでしきりに言い募っていると、彼はついにひとつため息をついた。


「分かった。なら、俺が一緒について行く。すぐそこまで賊は来てるんだし嫌とは言わせねえぞ」


 そう言って、彼は抜き身の長剣ロングソードを鞘にしまった。承諾を得られたことで、僕もすぐにゼレスの服から手を離す。


「うん、それはいいけど。ノクトとルーエルはどうするの?」


 まさかそのまま二人だけにしておくわけにはいかない。ノクトは身動きできないし、ルーエルは剣を扱えない子供なんだ。

 ドアノブに手をかけようとしていたゼレスは振り返り、ルーエルに目を向けた。


「ルーエル、少しの間任せてもいいか?」

「うん、大丈夫だよ」


 え、嘘だろ。まさか本当に二人だけにしておくつもりなのかゼレス。何を考えているんだ。


「いやでも……、やっぱりゼレスがここに残った方が」


 いいんじゃないのか、と言葉を続けようしたところでルーエルの声に遮られる。


「大丈夫だよ、ノア兄ちゃん。おれこう見えてもワナ張るの得意だし、自慢の爆弾だって持ってるんだ。ちゃんと自分のこともノクト兄ちゃんのことも守れるよ」


 にぃっと白い歯を見せて、弟分は満面の笑みを見せた。


 そうだ、そうだった。僕はゼレスよりもずっとこの子のことは分かっているはずなのに。

 こう見えてルーエルは僕よりもずっとスラムで経験を積んでいる。縄張り争いも慣れっこで、何度も修羅場を潜り抜けてきた。ある意味で、僕の先輩なのだ。


「だからさ、ノア兄ちゃんの大事なもの早く取ってきなよ。おれ待ってるからさ」


 琥珀色の目を輝かせて不敵に笑う彼は、もはやただの子供ではない。

 その辺の大人達よりもずっと、頼もしく見えた。






 早く戻らなければ。こうして廊下を歩いている時点で、すでに外から乱暴にドアを叩く音が聞こえてくる。


 私室として使っていた部屋に入って、僕はすぐに机の引き出しを開けた。中身は白い封筒の束だ。いくつもあるそれを紐で縛ってある。封筒の束はひとつだけではない。たくさんあるから、手で抱えて持っていけない。適当に手近な紙箱に入れていく。


「なんだこれ」


 作業をしている僕の傍らで、手伝いもせずにこの男はひとつの束を拾い上げた。


「手紙か?」

「うん、そう。カミルが送ってきた手紙」


 動かしている手を止めずに、僕は素直に答えた。我儘で付き合ってもらっている以上、ゼレスに文句を言うつもりはない。

 けど、せめて話しかけてこないで欲しい。集中して作業したいんだけど。


「大将が? つか、これ全部か!?」

「そうだよ。だって、城を出てから毎日送ってきてたんだもん。この半年の間ずっと」


 数えたことはないけど、たぶん九十通くらいはあるんじゃないかなあ。


「毎日!?」


 なんだ知らなかったのか。城で一緒に政務をしたりするから知っているかと思ってた。


「ゼレスからは一ヶ月に一度程度だったけどね」

「やかましい。俺は毎日政務とか大将から頼まれる雑用で忙しいんだよ」


 ちょっと意地悪を言っただけで、軽く小突かれた。

 悪い気はしないけど、やっぱりこいつは僕に馴れ馴れしい。将軍だからってなんか偉そうだしさ。


「にしても、知らなかったぜ。大将がそんなマメに手紙書いてたとはな」


 増えていく箱の中の束を眺めつつ、ゼレスはどこか感慨深げにため息をつく。


「まああの人、自分のことはあんま話さねえからな。まあ何も言わなくても、お前のことを心底心配していたのは傍目でも分かりやすかったけどさ」


 まあ、うん。分かるよ。おまえに言われなくてもさ。

 短い文ひとつだけの手紙だったけど、いつも僕の心配してくれていた。まああの内容は父親というよりも、母親みたいでちょっとおかしかったなあ。


「だからさ、これだけは誰にも盗られたくないんだ。カミルが心を込めて、そして大切な時間を使って書いてくれた手紙だから」

「……そうか」


 ぽん、と頭に手をのせられてそのまま撫でられた。

 まったく、いつもゼレスは兄貴みたいな顔して、元とはいえ王子だった僕をとことん弟扱いしてくる。

 不快ではないけど、だからと言って素直になるのも負けを認めてしまうみたいで、いつも反発してしまう。たまには優しい言葉くらい返してあげたい気持ちはあるものの、言えた試しがない。


「よし、これで終わり」


 最後に厚みのある冊子、カミルが送ってきた例のマニュアルを箱に入れ終わってから僕は箱を抱えて立ち上がった。

 続けて、ゼレスも立ち上がる。


「ありがとう」

「ん? 今日はやけに素直だな」


 きょとんとして目を丸くするものだから蹴ってやりたい衝動に駆られたけど、僕はなんとか耐えてみせた。

 無理を言って付き合わせたんだ。今日くらいは素直にならないと。


「ゼレスにもありがとうくらい言ってやらないと、と思って。ちゃんとおまえの手紙も入れといたから」


 こんな言い方じゃなくたっていいのに、なぜ僕はもう少し優しく言葉を選べないのか。なかなかうまくいかない。やっぱりこいつ相手には憎まれ口を叩いてしまうんだ。

 でも、ゼレスは絶対に怒らない。

 どんなに喧嘩をしかけようと、皮肉や嫌味を言っても、こいつは絶対本気で怒らない。


「そうかそうか。サンキューな、ノア」


 心の底から嬉しそうに、ゼレスは明るく笑った。その笑顔が僕には眩しくて。

 まるで太陽みたいなヤツだな、と思った。






 廊下に出た途端、ついに窓ガラスの割れる音が辺りに響いた。


「急ぐぞ!」


 駆け出し始めるゼレスを追いかけるように、僕も走る。箱を抱えながら走るのはちょっと大変だけど仕方ない。

 幸いノクトを寝かせている部屋までの距離はそんなには離れていないし、すぐに合流できるだろう。


「ちっ、入り込んできやがったな」


 そうゼレスが舌打ちをすると同時に聞こえてきたのは、複数の乱暴な足音だった。

 なんて耳がいいヤツなんだ。まるで聴覚に優れているといわれる獣人族ナーウェアみたいだ。


「見つけた、吸血鬼ヴァンパイアだ!」


 ルーエルではない聞き覚えのない子供の怒声が聞こえてきた。

 くそ、少し遅かったか。間に合ってくれ!


「やっちまえ!!」

「おれとノクト兄ちゃんにそれ以上近づいたら、いいものプレゼントしてやるよ」

「どうせハッタリだ! こいつも潰しちまえ!」


 怒鳴り声の中に混じる、ルーエルの凛とした声。そして数刻の後に聞こえてくるボンという爆音に、前を走っていたゼレスの肩が跳ね、僕は思わず吹き出してしまった。


「うわあああ! 何すんだ、このチビ!」


 たどり着いた頃には予想通り、廊下には何人もの魔族ジェマの少年達が転がっていた。見た目から判断すると十代半ばってところか。僕より少し年下くらいの子狼達だ。


「いってえ! 目が痛い! しみる! 何投げつけやがった、このチビ!」

「ふふん、聞いて驚け。唐辛子と胡椒の粉を混ぜた、ルーエル特製の赤い爆弾だよ」


 握りこぶしくらいの赤い玉を片手に、僕の弟分は得意気な顔で子狼達を牽制していた。よく見れば、倒れている少年の目はこちらが気の毒に思うほど赤くなっている。そのうちの一人なんかは、水くれえと悲鳴をあげ始めていて。

 ルーエルのこういう特技をあらかじめ知っていた僕はともかく、ゼレスはここまで健闘することさえ予想しなかったらしい。彼は引きつった笑みを浮かべていた。


「うわあ、こりゃシンプルな手法だけど確実にダメージにくるな。お前、将来いい盗賊シーフになれるぜ」

「本当? うーん、でもノア兄ちゃんの役に立つ仕事がしたいなぁおれ」

「ははっ。それならゆっくり考えるといいさ。お前には大人になるまでの時間がたっぷりあるんだからな」


 もちろんある意味で悲惨な状況に呆気に取られるほど、ゼレスは愚かではない。

 

「さて、ガキはガキらしく、大人しく寝てな」


 人狼ワーウルフの少年達を睨みつけた後、彼は魔法語ルーンを唱えた。これは【眠雲スリープクラウド】だ。

 咄嗟に僕はルーエルを抱えてそのまま部屋に飛び込む。扉を閉め、背を向けてそのまま体重をかけて簡単には開けられないようにした。


「どうしたの、ノア兄ちゃん」

「ゼレスがあいつらに闇魔法の【眠雲スリープクラウド】をかけたのさ」


 魔法もまだ初心者の域から出ないルーエルはきょとんとするばかりだ。仕方ない、僕もこの子くらいの時はそうだった。


「相手をまとめて眠らせたか」


 ベッドに横になったままのノクトがそう呟いた。


「【眠雲スリープクラウド】は眠らせる雲を造り出す魔法だ。雲の中にいるものは人族であれ動物やモンスターであれ、必ず眠ってしまう」

「へぇ、そうなんだ」

「まあ浅い眠りだから、刺激を与えるとすぐに起きてしまう危険性はあるが、それでも相手の自由を奪う時間を作るには有効な魔法だろう」


 なんか意外だ。魔族ジェマは魔術の民とも言われるほど魔法に長けた種族だから、僕くらいの年になるとみんな勉強していれば詳しいものだ。だけど、彼はもともと魔族ジェマではないのに。


「ノクト、やけに詳しいね。魔法使えるの?」

「いや、使えない。ただ隣国が帝国だったからな。相手の王は魔族ジェマということで、ある程度は学んでいたんだ」

「なるほどね」


 彼も元王子だもんな。そして、たぶん僕と同じく将来は父親の跡を継ぐ気だったに違いない。

 だから共感してしまう。同じ夢を持っていた僕としては、複雑な感情が胸をふさぎ始めている。


 まあ、それはひとまず置いておくとして。


 やけに静かだな。剣に関しては僕よりもはるかに技量が高いゼレスが負ける可能性は全くないけれど……、あいつ何やっているんだろう。

 そう考えていた時だった。噂をすればなんとやら。ドアをノックする音が聞こえた。たぶんゼレスだ。


「俺だ」


 予想に違わず、声の主は彼だった。体重をかけていたドアから離れて開けてあげると、立っていたのはゼレスだけだった。

 他の子狼達はどうしたんだろう。


「廊下にいた奴らは全部縛って、適当に部屋へ放り込んでおいたぜ」

「すっごおい! さっすがゼレス兄ちゃん!」


 僕の後ろでルーエルが歓声をあげる。

 手際はさすがと言ったところか。咄嗟の判断とか選び取る魔法のセンスとか、戦い慣れしている。やっぱりこういう時、こいつは頼もしい。なんだかそれが、僕にとっては悔しい。


「ほら。忘れ物だぜ、ノア」


 そう言って、彼は抱えていた紙箱を僕に差し出す。カミルの手紙がたくさん入った箱だ。

 さっき咄嗟に部屋に駆けこんだ時に箱を放り出したのを完全に忘れていた。

 わざわざ自室まで取りに行ったというのに、何のために危険を冒したのやら。


 無我夢中だったんだ。だって【眠雲スリープクラウド】は術者本人には何の影響もないけど、あの魔法は敵味方関係なく眠らせるから急いで逃げる必要があったんだ。


「ありがとう」


 ここは素直にお礼を言って受け取っておこう。そして、一旦箱は室内に入れて、置いておくことにする。


 さて、と。

 第一陣はゼレスのおかげで凌ぐことはできた。


「これからどうする?」


 とりあえず、僕の兄貴を自称する彼の意見を聞いておこう。


「あいつらが狼のガキなら、これで済むはずがねえさ。集団の狼どもは連携が得意だ。必ず第二陣が来る。だから、その前に叩く」

「向こうが大体どこに潜んでいるのか分かるの?」

「まあな。俺もルーエルと同じで生まれも育ちもスラムなんだ。お前よりは鼻がきくさ」


 知らなかった。それは初耳だ。もともと高貴な生まれじゃないだろうと思ってたけど。慣れなれしいし、口も悪いし。


「役割を決めるぞ。ルーエル、さっきの爆弾はまだあるのか?」

「うん、まだまだあるよ。それにこの建物はあらかじめおれのワナも仕掛けてあるし。ノア兄ちゃんにはちゃんと位置を知らせてあるから大丈夫!」


 得意気に胸を張る弟分の頭を撫でて、ゼレスは笑みを深めた。


「よし、じゃあお前はノクトの守りを任せるぜ」

「うん、まっかせて!」

「俺とノアで外にいる狼ぜんぶ叩いてくるからな。急いで【瞬間移動テレポート】を使って逃げることもできるが、落ち着いた状況じゃねえと魔法も無事発動するか分からねえし、本来ノクトも動かしていい身体じゃないからな。ここは一番安全な方法を取ろう」


 ドアノブに手をかけるゼレスを見て、僕も急いで部屋の隅に置いてあった長剣ロングソードを取る。


「ルーエル、気を付けるんだよ」

「うん。ノア兄ちゃんもね」


 笑いかけてくる彼に、僕はひとつ頷いて部屋を出る。前を行くのは急ぎ足で廊下を歩いていくゼレスだ。


「ノア、油断するなよ。あのガキ一人一人の実力は大したことないしお前なら勝てるだろうが、まとめてかかられたらいくらお前でも返り討ちに遭うからな」

「うん、分かってる。ゼレスも油断しないでよ。きみに怪我させたらカミルにも申し訳ないし」

「油断?」


 はっ、と息を吐いたと同時に聞こえてきたのは、ゼレスの笑い声だった。

 一体、そんなに何がおかしいのか。


「お前と一緒にすんな。あの程度の子狼どもなんざ、束でかかってこられても負ける気がしねえよ」


 不安だった気持ちが、胸の中から消し飛んだ。それくらい僕の前を行く大きな背中は頼もしかった。

 そして不覚にも、そんなゼレスがカッコいいと思ってしまった自分を殴りたくなった。

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