12.ワガママを言ってもいいんだよ
話がだいぶ落ち着いてきた頃、すでに日は沈み始めていた。時刻は夕刻から夜へ移ろい始めている。
いつの間にかずいぶん時間が経っていたみたいだ。
そういえば、お腹が減ってきた。
「そろそろ夕飯を作ってくるよ」
そう言って僕が立ち上がると、ルーエルも倣うように席を立つ。
「おれも手伝うよ、ノア兄ちゃん」
「ありがとう。今日はゼレスの分も必要だから多めに作らないとね」
腰に手を当てて言うと、ルーエルは満面の笑みで頷いた。
さて、と。ノクトの薬湯はカミルのレシピ通りに作るとして、僕達の夕飯のメニューは何にしようか。
いつもは野菜をたくさん入れたスープと乾いたパンってところだけど……。スラムの市場で手に入るもので作るものといえば、具だくさんのスープが無難なんだよね。具なしスープに比べれば、ここで食べるものの中では十分なご馳走だ。
――と、僕が思案にふけっている時だった。何の前触れもなく、部屋のドアが急に開いた。
「話は終わったか?」
姿を見せたのはゼレスだった。
片手には食料品がたくさん入った紙袋。やけに静かだと思ってたら買い物に行ってたのか。
「終わったけど、ゼレスどこに行ってきたんだよ」
「見ての通り買い出しだ。どうせここじゃロクなモン食ってねえだろうから、王都まで【
なんてヤツだ。ゼレス、王都にまで直接出向いたことがあるだなんて。
「イージス帝国のスラムだけじゃなくて、王都にまで行ったことあったんだ」
「大将の命令で偵察くらいはしていたからな。向こうもウチのことは目を付けてるし」
「ふーん」
まあ、知ってたけど。帝国と肩を並べるほどに広い国土と魔法科学が発展してる国なんて、ノーザンくらいなものだ。
「さて、ひとまず飯だ! 腹ごしらえしながら、今後の方針も決めていかねえとな」
世界でも屈指の大国イージス帝国の中心街で購入してきたという食料品を確認して、僕は心底呆れていた。彼がわざわざ何を買ってきたかと思えば、肉だった。
「――なんで肉?」
しかもステーキにできそうなくらいの肉のカタマリだった。
包丁で切り分けて三等分にしても、厚みは十分にある。
「飯といえば肉だろ」
いや。いやいやいや、そうじゃないだろ。
「別に肉以外にも色々あるじゃん。そもそも野菜も摂らないと栄養バランスが悪いって」
特にウチは今、成長期真っ盛りのルーエルがいるんだから食事のバランスは考えるべきだ。ただでさえ、スラムではロクなものが食べれないんだし。
「同じ狼のくせに、お前も大将みてえなこと言うようになったなあ。だから伸びねえんだぞ」
お前は、またも言ってはならないことを言った。
我慢の限界。こいつには容赦は無用だ。
ゼレスの脇腹に、僕は遠慮なく蹴りを入れた。不意打ちをくらったのか、いい感じにダメージになったみたいだ。少し呻き声をあげてから、彼は数歩よろめいた。
まったく気にしているというのに、こいつときたら。
少しばかり残っていた理性が働いて、握っていた包丁はまな板に置いた僕を褒めて欲しい。
「誰がチビだ、誰が!」
腰に手を当てて、未だにおさまらない怒りをそのままぶつけたらゼレスも睨み返してきた。
「……こんの不良オオカミめ、何しやがる!」
「身長のことに触れるからだ!」
「仕方ねえだろ。実際、半年ぶりに会ってみれば、ちっとも変わってねえんだし」
「またもその口から言うか……!」
両者睨み合いが続く。
やっぱりこいつにだけは負けられない。同じ
床を蹴り、自分より大きいゼレスに体当たりする。今度はある程度予測されてたのか踏みとどまられた。
「おいっ!」
もう何も聞く必要はない。
服をつかんで、奴の足を払う。バランスを失ったゼレスを床に押し倒して、簡単には起き上がれないようにこいつの腹の上に乗ってやった。続けて両手で肩も押さえ込む。
ふふん。どうだ、こうすればいかに僕より大きかろうと、早々優位はとれまい。
――と、ほくそ笑んだところだった時。
「コラー! ノア兄ちゃんをイジメるなあ!」
勢いよくドアを開けて台所に入ってきたルーエルが叫んだ時点で、ようやく僕は我に帰ったのだった。
小さな騒動が起きつつも、テーブルには無事に夕飯が並んでいた。
サイコロ状に切ったステーキ三人分と、野菜サラダ、白いパンそしてコンソメスープという久しぶりの豪華な食事だった。
ちなみにサラダの野菜や白パンは、もう一度ゼレスを使いにやって買わせてきた。
僕はともかくルーエルの身体のためだと言えば、いい大人のあいつも行かざるを得なかったみたいだ。
「にしても、なんで上に乗ってたこいつじゃなくて、乗られていた俺が怒られるんだよ……」
フォークに肉を突き刺して口に運びながらゼレスがぼやく。すかさず反論したのは、もちろんルーエルだ。
「あったりまえじゃん。おれはゼレス兄ちゃんのこと、まだ信用したわけじゃないもん」
「あのなあ、俺は被害者だぞ?」
大人げない。大人げないよ、ゼレス。ポッと出ただけのおまえより、僕の方が信用されるに決まってるじゃん。
「滅多に怒ったことがないノア兄ちゃんがあれだけ怒るのには、何かワケがあるに決まってるもん。ゼレス兄ちゃん、たぶんノア兄ちゃんにとって嫌なこと言ったんでしょ」
図星だったのか、ゼレスは黙り込んでしまった。その反応だけでやましいことがあることを示している。
一方、ぷんすかと怒りおさまらないルーエルは、未だに食事に手をつけていなかった。
「ルーエル、冷める前に食べなよ」
店で出される食事ほどではないにしろ、いつもより美味しいメニューなんだしルーエルに食べて欲しかった。いつも乾いたパンや具の少ないスープばっかりだったんだし。
「だってノア兄ちゃんまだ食べられないでしょ?」
眉尻を下げて、琥珀色の目で僕を気遣うように見る弟分。
その僕の手には湯気の立つ薬湯が入った器があった。食事にする前に、ノクトに飲ませていたのだ。
「ノクトの食事が終わってから僕も食べるよ。気にしないで先に食べてていいよ」
なるべく優しく笑いかけて言い諭したけど、ルーエルは首を縦に振ってくれなかった。
「やだ。ノア兄ちゃんと一緒に食べる」
頑固だ。なんて頑ななんだ。隣に座ってるゼレスは遠慮なくガツガツ食べてるのに。
これではノクトがますます居心地が悪くなるかもしれない。
「悪いな、ノア。両手だけでも動かせたら良かったのだが」
「そんなこと言わないでよ。きみは病人みたいなものなんだから、身体が元気になるまで僕に甘えていたらいいんだからさ」
不安を拭うように笑顔で薬湯をスプーンですくうと、僕は彼の口元まで持っていってあげた。
最優先にすべきなのは、自分より年下の子や弱っているひとから。
僕の優先順位は幼い頃からいつも変わらない。だって、兄貴としての習慣はそうそう変えられるものじゃないし、この身体にはすっかり染みついている。
「それに、こういう時に言うべき言葉は〝ありがとう〟じゃない?」
口に含ませた薬湯を飲み込んでから、ノクトは何度か目を瞬かせる。そして強張り気味だった表情を少し緩めて、穏やかに笑った。
「……そうだな。ありがとう、ノア」
「どういたしまして」
ああ、心が満たされていく。
たいしたことはしてないのに僕のしてあげたことで誰かが笑顔になるのなら、こんなしあわせなことってない。こんな狼に過ぎない僕でも、誰かの役に立てるんだ。
しあわせだな。
ノクトもルーエルもゼレスも、そして
でもそれは叶わない夢だ。もう僕は第一王子ではないから、王にはなれない。
今の国王に不満はない。実際、カミルが王になってからノーザンはずっと良くなった。だから僕は現状に満足している。安心して国を出て、こうして帝国のスラムに家出するくらいには。
それでも時々は心のどこかで、少し痛みを感じるんだ。
父親なんかより絶対に良い統治者になれる自信があったんだけど、大人になってももう僕は王様にはなれないのか。
少しだけ、残念だな。
「美味しかったー!」
夕食の片付けが終わっても、ルーエルはご機嫌だった。
無理もない。ステーキや生野菜のサラダを食べたのは生まれて初めてだったんだし。
「喜んでもらえて何よりだよ」
「えへへっ。ほんとにほっぺたが落ちちゃうかと思ったよ」
笑顔全開でしあわせそうな弟分だ。僕まで嬉しくなってくる。
「良かったな、ルーエル。さて、腹もいっぱいになったところで、これからの話をするか」
今、僕達はノクトを寝かせている部屋に集まっていた。
小さなテーブルの上には、欠けたカップを三つとヤカンが一つ並んでいた。ゼレスが台所にある食器棚の奥から見つけてきたらしい。
「ウチには今紅茶しかないけど」
コーヒー好きなゼレスが探し始める前にあえて言えば、彼は構わねえよと返してきた。
いつも使っているポットを使って僕が紅茶を淹れて、それぞれカップが行き渡った頃。見計らったかのように、ゼレスが最初に口を開いた。
「ひとまず、ノーザンに帰ってきたらどうだ?」
カップから手を離さずに、僕は彼の碧い目を見返した。
敵意なんて一欠片もなくて、いつもの穏やかな目だった。
「……うん。それは、僕なりに考えたんだけど」
視線を落として、ゼレスから視線を逸らす。
言葉がうまく出てこない。
もう絶対帰らないという気持ちは凪いでいて、実は帰ってもいいと思っている。まあ本音を言うと、帰らないではなく帰れないだったんだけど。
カミルもゼレスも帰ってこいと言ってくれている以上、そんな言い訳は無意味だ。
「帰ってもいいかな、とは思う。だけどやっぱり僕は、ノクトやルーエルを置いて自分だけノーザンに帰ることなんてできない」
力の弱いひとが生きていくことさえ難しいこの街に、二人を置きざりにすることだけは死んでも嫌だ。
もう赤の他人じゃない。大切な家族なんだ。
家族を見殺しになんてできない。
「ノア、帰る場所があるなら帰るべきだ。お前にはもう十分すぎるほど良くしてもらった」
「何言ってるんだ。見損なうなよ、ノクト。僕達はもう赤の他人じゃない。家族だろう?」
「分かっている。だからこそ、送り出したいんだ。家族のしあわせを願うのは当然の感情だろう」
アイスブルーの目を和らげて、ノクトは僕を諭すようにそう言った。穏やかな声がとても優しかった。
そんな言い方はずるい。
「帰る場所があるなら、おれも帰った方がいいと思う」
「何言ってるんだよ、ルーエルまで」
顔を上げた弟分は、琥珀の瞳をまっすぐ僕に向けて告げる。
「だって本来ノア兄ちゃんはこんなところにいていい人じゃない。帰る場所があって待っている人がいるなら、帰った方がいいよ」
涙が出そうだった。突き放すようなことを言う二人に対する恨みからの涙ではない。本当に僕のことを考えて言ってくれてると分かるからだ。
だって、ノクトもルーエルも優しいまなざしで僕を見ている。
僕は経験から知っている。本当に不快や恨みを向けるひとの目はあんなに澄んでいるわけがない。
「でも、僕はやっぱり二人を置いて行けないよ……」
まだ身体が回復しきっていないノクトとしたたかだけど非力な子供のルーエル。ここで二人に別れを告げてノーザンに帰ったら、絶対一生後悔する。
だって二人とも大切なんだ。ほんの短い間だけの付き合いだけど、大好きになってしまったんだ。
「あー、なんだ」
俯いてカップの紅茶を眺めていると、ゼレスは微妙な空気をあえて破るように口を出してきた。
顔を上げると、彼はにやりと口端をつり上げる。
「なんなら二人とも連れて行ったらいいんじゃねえか?」
「え……?」
どこに、なんて答えは分かりきっている。だけど。
「いいの?」
「いいも悪いも、ノーザンの城はお前の家だろ。ノアがやりたいようにやればいいさ」
「でも今の国王はカミルで、もう僕は王子じゃないし」
本来は城から追い出されたって文句を言えない立場なのだ。城に置いてくれたばかりか、妹や弟達を守ってくれているだけで十分すぎるほどで。だから、これ以上頼るわけにはいかない。
「あのなあ……」
あからさまにそしてわざとらしく、ゼレスは深い溜息をついた。
何だよ、その顔は。僕の言ってることは間違ってないだろ。
「お前と大将ってほんっと似てるよなぁ。何でもかんでも自分で抱えようとするところ、マジでそっくりだぜ」
「何だよ。今そういうことを言う場面じゃないだろ。喧嘩売ってるのか?」
「そうじゃねえよ。だけどな、あの方はお前の後見人で、複雑な思いで口には出さねえけど親代わりでいようとしているんだ。大将の言動を考えると、お前だって思い当たる節はあるだろ」
否定できなかった。むしろ心当たりがありすぎるくらいだ。
啖呵を切ってノーザンを出た次の日からは手紙が来ていた。一言だけの素っ気ない文だったけど、毎日届いていた。僕が返事を出さなくても変わらなかった。
家出した僕を叱りつけるのでも帰ってくるよう催促するのでもなく、カミルがいつも気にかけていたのは僕の安否だ。
いくら心の中で反発していようと、それだけは分かる。とても分かりやすかったんだ。
だって、僕の両親は手紙はおろか話しかけてくれたことなんてなかった。
元気でいるのかとか、ちゃんと食べているのかとか。日ごとに言葉をかけてくれたのはカミルが初めてで。
きっとそれが、世間一般で言う普通の親としての行動なのだろう。
「子供は大人にワガママ言ってもいいんだよ。お前は今までそういうことができなかったから慣れねえかもしれないけどさ。今は俺も大将もちゃんと聞いてやる。そうしてやれる力も持っているんだからな」
どうしよう。泣きそうだ。
こいつの前では絶対に泣きたくないのに。
泣いたら頭をくしゃくしゃに撫でられて、子供扱いするに決まってる。
「……じゃあ、二人を連れて帰ってもいい?」
顔を上げたらゼレスのにやにやした顔を目の当たりにする気がして俯き気味に言ったら、乱暴に撫でられた。
ほら、また子供扱いする。どうして、こう馴れ馴れしいヤツなのか。全くもって腹立たしい。髪だって乱れたし。だけど。
「ああ、城に連れて行ったらいいさ。大将だって、寝たきり状態のノクトを見たらきっと診てくれるさ。あの方は名医だから」
太陽みたいなあったかい笑顔を向けられると、いつだって苛立たしい気持ちがすぐに引っ込んでしまうんだ。
「本当にいいのか? どこの馬の骨とも知れぬ俺を城に、だなんて」
「心配するなって。それに大将も
うん、そうだよね。どの時期にどのような世話が必要なのか詳細を記したマニュアルを送ってくるくらいだし。
いくらノーザンの将軍が大丈夫だと言っても、ノクトとしてはすぐに納得はできないかもしれないけど。
「ノア兄ちゃん、おれも行っても大丈夫なのかなあ」
琥珀色の瞳は不安げに揺れていた。にっこりと笑って、僕は彼に答える。
「うん、もちろんだよ。ルーエルはもう僕の弟みたいなものなんだから」
「でもおれはスラムの小汚い子供だし。きれいな服を着ている王様や王族の人達がいるお城に行っても叱られないかな……」
僕やノクトと違って、生まれも育ちもスラムだからかルーエルは遠慮がちだった。
たしかにこの子の立場からすれば、城も国王も、王族や貴族の世界も別世界に違いない。これはもう、遠慮というよりも未知の世界に対する恐怖なのかもしれない。
「大丈夫さ、ルーエル。僕の大切な友人としてきみのことをみんなに紹介するよ。だから一緒にノーザンに来て欲しい。今では住みやすくていい国なんだよ」
隣に座っているルーエルに、僕を手を差し出す。優しく笑って、言葉を重ねる。
「それに、僕はまだきみやノクトと一緒にいたいんだ」
目を瞬かせて、彼は僕のてのひらに視線を落とした。そしてすぐに、ふんわりと可愛らしい笑みを浮かべた。
「うん、分かった。おれもノア兄ちゃんと一緒にいたんもん」
てのひらに小さな手が重なる。やんわりと握るとあたたかかった。
「んじゃ、決まりだな」
「すぐにでも準備した方が良さそうだよね。荷物をまとめてくるよ」
お金以外何も持たずに家出したとは言え、今では僕の私物は多少なりともある。なるべく最小限にまとめるにしても、まずは整理して来なくては。
――と、立ち上がろうとした時。
不意にゼレスが僕の眼前に手のひらを突き出して制止してきた。
「待て」
さっきまで穏やかだった碧眼には剣呑な光が宿っている。立ち上がって、腰のベルトにあるロングソードの柄を手にかける。
誰の目から見ても、彼の様子は尋常ではなかった。
「一体どうしたんだよ、ゼレス」
「囲まれている」
たった一言だけだったけど、すぐに僕は彼が言わんとしていることを理解した。続けて、弾かれたようにルーエルが席を立つ。
「ほんとだ、気配がする。しかもたくさんいる」
「ああ、複数だな」
長剣を引き抜いて、ゼレスは窓の外を睨みつけた。部屋の明かりを反射して、剣の刃が鈍く光る。
「それってまさか」
昼間に交わした酒場のマスターとの会話がよみがえる。同時にゼレスは強く頷いて、目を外に向けたまま鋭くさせた。
「そうだ。ついに狼の悪ガキどもが襲撃に来やがったんだよ。
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