11.人間族の国シャラール

 ノクトの両親は帝国の国王に殺された。

 その事実を本人から聞いた途端、僕の隣で勢いよく椅子から立ち上がる音がした。


「そんなのひどいよ! どうして王さまはノクト兄ちゃんの家族を殺したの!?」


 ここにきて初めてルーエルは声を荒げた。

 たぶん賢いこの子のことだから、僕が話していた時には黙って聞いてくれていたんだろう。

 それでも心を抉りかねない理不尽なことには、スラム育ちの彼だって黙ってはいられない。だってこの子は純粋で優しくて、とてもいい子だから。


「ねえ、ノクト」


 淡い金色の頭を撫でてあげながら、僕はそのまま頭に浮かんでいた疑問を投げかける。


「もしかして、きみも王族だったんじゃないのか?」


 確信はあった。

 親が帝国の国王に殺された。その事実を聞いた時、もしかしてと僕は思った。冷酷無慈悲と知られるあの王が直接手を下すほどの相手と考えれば、容易に想像がつく。


「ああ、そうだ」


 瞑目して、ノクトは小さく頷いた。


「前にノアが口にした時があっただろう。帝国は他国を侵略し続けていて、つい最近人間族フェルヴァーの国を攻め取ったと」


 そういえば前に言ったっけ、そんなこと。一応帝国の情勢はチェックしていた僕は、引き合いに出すたとえとして出したんだけど。

 どうやら無自覚に、僕は地雷を踏んでいたらしい。


「……そっか。その国がきみの故郷なんだね、ノクト」

「じゃあ、ノクト兄ちゃんは人間族フェルヴァーだったの?」


 首を傾げて尋ねるルーエルを見て、ノクトは静かに首を横に振る。


「確かに父は人間族フェルヴァーだが、俺は妖精族セイエスだった。母が妖精族セイエスだったからな」


 光の民として知られる妖精族セイエスは、僕達魔族ジェマと同じくらい長寿の種族だ。医術が得意で、基本的に森に住むと言われている。


「シャラールという国なんだ。東大陸の中でもひときわ寒い国で、一年中雪と氷で覆われているところだった」


 ゆっくりと目を開き、ノクトは天井を見上げた。


「春が短いせいで作物は育ちにくく、山の方ではは時おり雪崩が起きる。暮らしていくには大変なところだったが、自然が豊かで精霊がたくさんいてな。帝国に比べれば小さな国だったけど、俺はシャラールが大好きだった」


 力無く笑う姿に胸が軋む。

 いてもたってもいられなくなって、僕はノクトの手を握った。アイスブルーの目を丸くして彼は驚いたようだったけど、すぐに穏やかな笑みを浮かべる。


「両親は俺に愛情をそそいで大事に育ててくれた。父も母も優しいひとで、寒さのせいで生活が困窮気味な民のことをいつも気遣っていたよ。俺はそんな二人を誇りに思っていた」

「大陸が離れているから本や新聞での情報しか僕は知らないけど、シャラール国は帝国の隣国だったっけ」

「ああ、そうだ。だから標的にされたんだ」


 まるで領土を広げるように、数年前までは他国を侵略し続けていた帝国。僕の記憶が確かなら、シャラールへの攻略を最後に戦争はピタッと止まったはずだ。


「帝国は最初、軍師を通して書簡を送ってきた。降伏するなら、国民に手を出さず血を流さない方法で事を収めると。俺の父は国王で、国民を心から愛していた。だから向こうの条件に了承し、書簡を通して約定を結んで大人しく降伏したんだ。だが、実際にはどうだ。帝国は軍隊を引き連れて城に踏み込み、俺の目の前で父と母を殺した!」

「何だって……? 一国の王が約束を反故にしたのか!?」


 信じられない。そんな話聞いたことがない。

 約束は守るべきものだ。守るためにあらゆる努力を払うべきものだ。国同士の約束事ならなおさら。

 帝国ほどの大きな国の王が自ら約定を破るだなんて。それはシャラール国王の信頼に対する裏切りと同義だ。


「国王と王妃を殺したのは、帝国の国王なのか?」


 ふと浮かんだ疑問をそのままノクトに投げかけると、彼は頷いた。


「そんな話って……」


 ひどすぎる。口の中にとどめた言葉を出す寸前で、僕は口を閉じた。

 帝国の悪い噂は海を越えてノーザンまで届いていたけれど、これほどだったなんて。


「仕方ないさ。帝国は国王自ら他種族を喰らい、国民にも奨励するような国だ。狂気に侵された王が約定を守るなどと、信じた俺達が馬鹿だったんだ」


 氷のような薄青の瞳は潤んでいて、今にも泣き出しそうだった。

 見ているとこっちまでもが胸が痛くなってくる。


「帝国に侵略され両親が殺された後、俺は帝国の貴族のもとへ送られた。ノアは察しているだろうが、そいつは吸血鬼ヴァンパイア魔族ジェマだった。そしてそいつは俺を魔族ジェマに変えた途端、興味を失ったみたいでな。人を使ってこのスラムに俺を捨てた」

「なんでそんなひどいことができるの!? ノクト兄ちゃんがあまりにも可哀想だよ……」


 声を荒げてルーエルは眉をひそめた。

 魔族ジェマに変えられたばかりのひとには、付きっきりの世話が必須だ。そんなことは子どものルーエルだって知っているくらい、僕らの間では当たり前の常識なのに。


「ああ、そうだな。ひどい話だ。国民のほとんどが人間族フェルヴァーだったシャラールももう前とは随分様子が違っているに違いない。もう俺は、あの雪を踏むことはできないんだな」

「ノクト……」


 胸がしめつけられるように痛かった。


 彼の目は氷片のように何の感情も映してなくて、ぼんやりと天井に向けられている。さっきまで泣きそうだったのに。

 見ていると痛々しくて、そのまま消えてしまいそうで。


 僕には耐えられなかった。


「いつか、取り戻そう」


 ノクトの手を握る力を少し込めながら、言った。え、とアイスブルーの瞳が僕を見返す。


「いつになるか確約はできないけど、一緒に取り戻しに行こう。僕が手伝ってあげる」

「だが、ノアはノーザンの王子なのだろう?」

「元・王子だよ。今のノーザンの国王はカミルで、僕は前王の息子ってだけ。だから自由のきく身分になってるしさ」


 ふっ、と笑って僕はまっすぐノクトを見つめる。

 口にするのは、彼と結ぶ約束。一種の誓いのことば。


「いつの日かシャラール国を取り戻して、ノクトの大好きな雪景色を見に行こう」


 氷の色みたいな目が揺らぎ、まなじりからあふれた涙がこぼれた。コクリと幼い子どものように、彼は頷いた。


「ああ、そうだな。いつか……一緒に」


 彼の小さな笑みに、強く頷いてあげた。


 そうだよ。向こうが帝国の領土でも、シャラールの雪や氷の世界がそう簡単に消えるわけがない。

 生きてさえいれば、再び白い雪の上を歩くことだってできるさ。


「おれもノクト兄ちゃんの生まれたところ見に行きたいなぁ」

「もちろんルーエルも一緒さ。僕達は血は繋がっていないけど、もう家族みたいなものじゃないか」


 琥珀色の目を丸くして、何度か瞬く。そして、ぱあっと花が咲いたように笑った。


「家族かぁ。そうだね! おれたち家族みたいなものだよね!」

「うん、そうだよ。だからずっと一緒にいよう。もちろんノクトと三人でね」

「……俺もいいのか?」


 柔らかい金色の頭を撫でてあげながらノクトを見ると、彼は少し戸惑っていた。

 だから僕はノクトの不安を払拭するために、笑顔で頷く。


「当たり前だよ。僕ら三人はずっと一緒で、家族だ。だから、全力で君の力になるよ」

 

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