9.将軍の来訪

「僕は、帰れない」


 ゼレスの顔をまっすぐに見て、僕はそう告げた。真剣な気持ちを込めて言ったつもりだった。


「ノア、往生際が悪すぎるぞ」

「何を言われたって帰れないんだ。今、僕の寝ぐらには、吸血鬼ヴァンパイア魔族ジェマに変えられたばかりのひとがいる。それにこの街に来て知り合った子どもが、僕の代わりに彼の世話をして留守番しているんだ。その二人を置き去りにして帰るほど、僕は愚かじゃないよ」


 僕の気持ちと言葉はゼレスに伝わったようだった。もう一度ため息をついた後、ようやく僕の上から離れてくれた。

 直後、狼の身体が淡い光で包まれる。何回か瞬きした後には、同じ位置に元の背の高い男が立っていた。狼から人の姿に戻ったらしい。


「変えられたばかりならまだ寝たきり状態だろ。そんなヤツを抱えて、こんなところでずっとやって行けるわけない。尚更ノーザンに戻って大将に頼るべきだ。あの人は名医でもあるんだし」

「だから今は動かせる状態じゃないんだってば」

「あのなあ、こんなところで生活させるくらいならいっそ……やめだ。これ以上お前と話してもキリがなさそうだしな。ほら」


 しゃがみ込んでゼレスは手を差し伸べてきた。身体を起こして、僕も人型に戻る。

 大きな手を取って握り返すと、彼はそのまま僕を引っ張り上げてくれた。

 勢いにまかせて立ち上がると、こっちが底抜けするくらいゼレスは明るく笑った。


「とりあえずお前の住みかに案内しろよ。そこでゆっくり話しようぜ」


 うん、とにかくこいつが素直に手ぶらでノーザンに帰る気がないことは分かった。……憂鬱だ。





 * * *





 寝ぐらに戻ると、足音を聞きつけてきたのかルーエルがひょっこり顔を出した。


「ノア兄ちゃんおかえり!」


 いつも通り元気いっぱいな弟分だ。おかえり、と答えてから僕は笑って金色の頭を優しく撫でてあげた。


「お前ここでも兄貴って言われてんのかあ。本当にお人好しと言うか、面倒見がいいというか……」


 普段と違っているのは、後ろにいたゼレスが横ヤリを入れてくることくらいか。

 後ろを振り返って僕は腕を組む。そして怒っている様子を隠さず、軽くゼレスを睨みつけた。


「うるさいな。いいだろ別に。悪い子ではないんだし」

「悪いとは言ってねえだろ。さっき言ってた知り合った子どもっていうのが、こいつだな」

「こいつじゃない。この子の名前はルーエルっていうんだ」

「はいはい。いちいち噛み付くなよ」


 未だにゼレスに捕まったことが悔しくて、僕は心中穏やかでいられない。

 そりゃ敵わないのは分かってたけどさ。剣の腕も戦いの経験も、彼の方が上なんだし。


「ノア兄ちゃん、このひと誰?」


 琥珀のような瞳を丸くして、ルーエルが自分よりずっと高い背丈のゼレスを見上げる。

 外見的にも大人の姿をしているゼレスは倍以上の年数を生きている。おまけに一般的な人狼ワーウルフ魔族ジェマと同じく、彼は背が高いし体格もいい。


「彼はゼレスと言ってね、僕の……知り合い、かな」


 こいつを紹介する時、何と言っていいか分からない。下手なことを言うと、ルーエルは彼に対して敵意を抱きかねないし。

 とりあえずは知り合いと言って誤魔化したけど、ルーエルは納得してないみたいで、じぃっと大きな瞳でゼレスを観察している。


「大丈夫なの?」

「うん、大丈夫だよルーエル」

「……ならいいけど」


 若干困り顔なのは、なぜなのだろうか。気になるけど直接聞くのもなんか変だ。

 それよりもゼレスにノクトのことも紹介しておかなければ。


「ノクトは?」

「まだ起きてるよ。さっき薬湯を飲ませたところ」

「そっか。じゃあ顔を出しておこうか」


 ちら、と背高の魔族ジェマを見る。送った視線に気づいたところで、僕は口を開いた。


「ゼレスも来るだろ?」

「もちろん」


 切れ長の碧い瞳を細めて、ゼレスは首肯した。もう獲物を狙うような目つきではなくなっていて、内心ホッとする。

 そんな自分が情けなくて、悔しかった。






「ノクト、調子はどう?」


 扉を開けて部屋に入ると、ノクトは顔をこちらに向けた。薄い青色の瞳を穏やかに和ませて、彼は頷いた。


「今日はだいぶいいんだ。空腹も感じるようになってきた。お前とルーエルが作ってくれた薬湯のおかげかもしれないな」

「そう、それは良かった」


 穏やかに笑うノクトに、僕は心の中で胸を撫で下ろした。

 最近はよく喋るようになってくれて本当に嬉しい。まだ自分に関することは話してはくれないけど、他愛のない会話はできるようになってきた。


「へぇ、こいつが例の吸血鬼ヴァンパイア魔族ジェマか」


 会話に割って入るようにして、ゼレスも部屋に入ってきた。

 ここが僕の家だからなのか、遠慮もなにもない態度だ。まったく、どうしてこうこいつは馴れ馴れしいのか。


「ゼレス、まだ彼の紹介してないんだけど」

「ああ、そういやそうだな。紹介してくれ、ノア」


 そうじゃなくてさ。……もういい。文句言うのも疲れてきた。


「彼はノクト。スラムで行き倒れていたところを拾ったんだ。最近は薬湯を飲めるようになってきたんだよ」

「固形物はまだダメなのか?」

「うん、まだダメだね。もうちょっと療養してからでないと」


 カミルが書いた例の指南書によると、薬湯での治療を一ヶ月続けた後でなければいけないらしい。いきなり固形物だと、彼の胃や内臓に負担がかかってしまうそうだ。


「ノア、彼は?」


 当然だけど、ノクトも見慣れない男に気づいたみたいだ。不思議そうな顔をして尋ねてくる。


「彼はゼレスと言って、僕の知り合いなんだ」


 と、紹介すると同時に本人がずいっと進み出た。


「ノアは俺の弟みたいなもんでな。ま、よろしく頼むぜノクト」


 誰が弟だよ、誰が。

 ベッドに近付いて笑いかけるゼレスの背中を殴りたくなったけど、我慢した。僕は空気を読む男なんだ。


「彼はノアの兄なのか?」


 なんでも真面目に受け取ってしまうのがもともとの性格なのか、ノクトは困惑気味に僕に視線を投げかけた。


「違うよ。この前も言った通り、僕は長男だから」

「……そうか。それなら、彼はノアとどういう関係なんだ?」


 まっすぐに見つめてくるアイスブルーの瞳は真剣で、僕は悩んだ。

 どういうわけか、ノクトは僕のことを心配してくれている。最近少しずつでも快方に近づいているからなのかな。誰かのことを思いやることのできる余裕がでてきたのは良いことだけど。

 それはともかく、困った。

 揺るぎない瞳でじっと見つめてくるノクトを誤魔化す方法なんて、僕は知らない。


「ノクト、彼はねノーザンから来たんだ」

「お前の故郷から?」


 僕は首肯した。

 結局、すべてを明かすことにする。それがノクトに対する誠意というものだ。


「実を言うと、僕はノーザンの前王統の王族なんだ。で、ゼレスは僕の父親から王座を奪った今の国王の部下というわけ」


 目を丸くした後、瞬きひとつ。そしてノクトは眉をひそめた。


「ということは、彼はお前を無理やり連れ戻しに来た刺客なのか?」


 うん、やっぱり予想通りの反応だ。敵意を持ち始める前にしっかりと否定しておかなければ。

 首を横に振ってから、僕は口を開く。


「違うんだ。そうじゃない。たしかに現国王は僕の父親を殺したけれど、彼らは僕に危害を加える気はないんだ。むしろ、ゼレスは僕の恩人なんだよ」

「どういうことなんだ?」


 さらにノクトは質問を重ねる。

 答えようとする僕の隣でゼレスが動いた。彼はきびすを返して、ドアのノブに手をかける。


「とりあえずお前らだけで込み入った話はした方が良さそうだな。俺は別の部屋で待ってるから、何かあったら呼べ。隣の部屋は空いているか?」

「……うん。空き部屋になってるけど。この建物、療養施設を兼ねた研究所だったみたいで暖炉も付いているから、寒かったら使って」

「了解。ルーエル、お前も聞いておいた方がいいだろ。何かあったら呼ぶんだぞ」

「うん!」


 去り際に、ルーエルの金色の頭を撫でてゼレスは出て行った。

 パタンとドアが閉じた後、しばしの静寂が部屋を満たす。


 ベッドの近くまで椅子を持ってきて、僕は座った。ルーエルも倣って、同じように僕の隣まで椅子を持ってきて座る。


「少し昔の話をしようか。うまく話せるか分からないけど、いいかな?」


 二人の顔を見ると、ノクトもルーエルも頷いた。

 目を伏せて、思いを過去に馳せる。


 王都の真ん中に立つ白亜の城。見た目はきらびやかでも、中に入ると印象はガラリと変わる。幼い頃から僕はその城で、スラムに住む子供達と変わらず歯を食いしばって生きていたんだ。

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