6.できることから、ひとつずつ

 次の日、カミルから返事がきた。


 二日前に送った手紙の返事、つまりノイシュの安否についての情報が書かれていた。



 

「——それで、何て書かれていたの?」


 鍋の中身をおたまでかき混ぜながら、ルーエルが言った。

 今は二人で食事の準備だ。僕はというと、市場で買ってきたパンを切り分けているところだったりする。


「……うん、とりあえず無事みたい」

「そっか。やっぱりノーザンの王様はノイシュくんの居場所をちゃんと把握してたってこと?」


 その質問に、僕は首肯した。


「割と細かく情報を書いてあったんだ。どうやらあれから王都を出て、行き着いた先で旅仲間を作ったみたい。今はその友達とジェパーグにいるらしいよ。一緒にいる友達のうち二人が手練れの剣士だから、心配はいらないだろうってさ」


 家出中の僕に毎日手紙を送っているカミルのことだ。当然ノイシュにも送っているのだろう。

 ノイシュはあまのじゃくな僕とは違って素直な子だし、丁寧に返事を返しているに違いない。


「良かったじゃん、ノア兄ちゃん。他には何か書いてた?」


 まるで自分のことのように嬉しそうに笑うルーエルが、今の僕には眩しい。


 うん、と返してから僕は視線を落とした。手を止めて、包丁を置いてから話すことにする。


「……うん。もう自分がしてしまった過去は変えられない。だけど、これからどう行動するかによって、未来はいくらでも変えられるって」

「えーと、それってどういうこと?」


 鍋をかき混ぜる手は止めずに、ルーエルは首を傾げる。


 ありのままの文面をそのまま言ったんだけど、やっぱり一度では飲み込めない。カミルと出会ったばかりの僕もそうだったなあ。

 一瞬だけ昔を懐かしんだせいか、思わず口が緩む。


「いつかノイシュと再会した時に、素直に謝ればいいってこと。そうすれば仲直りすることだってできるぞ、と言いたいんじゃないかな」

「なるほど……? 分かりやすいような、分かりにくいような」

「あの人が話す言葉って抽象的なものが多いから、そう感じるかもしれないね」


 慣れてくると彼の言いたいことがすぐ分かってくるものだけど、大抵の人相手ではカミルの言葉はすぐに飲み込めない。実際、僕のすぐ下の弟もそうだった。


「でも、分からなかったら聞けばいいし。聞いたらすぐに教えてくれるよ。……問い返されるけど」

「どういうふうに?」


 うーん、なんて説明しようか。


 少し考えてから、口を開く。


「たとえば、未来を僕の望むように変えるにはどうしたらいいか、って感じかな。それで、僕はノイシュと仲直りしたいと答えるとする。で、次に仲直りするにはどうしたらいいか、って聞き返される。そうしたら、」

「謝りたいって答えるよね」


 だいぶ意味をつかんできたらしい。やっぱりこの子は賢い。すぐに言いたいことを把握する。


「そうだよね。で、そうするならおのずと道は開けるって言ってくれるんだと思うよ」

「へぇー、さすが王様。でも、なんか回りくどいかも」


 どういうところが「さすが王様」なのか僕には分からないけど、子どもの感覚からすれば当たり前なのかもしれない。一国の国王という立場は雲の上の存在すぎて、なんとなくエラい人って感じにしか捉えられないだろうから。


「そう感じるかもしれないね。でも、自分で答えを見つけられるようにしているんだよ、彼は。国王だからって言うよりも、教師みたいな教え方だなあって僕は思うけど」


 幼い頃、僕に付いていた教師も似たようなやり取りで教えてくれたっけ。


 もしかしたら、カミルは王様より教師が合っていたりして。そんなこと言ったら、彼の腹心の部下に怒られてしまうかもしれないけど。


「さて、と。ルーエル、スープの方はどうだい?」

「うん、いい感じだよ」


 鼻腔をくすぐるいい匂い。肉団子と野菜を煮込んだスープの香りだ。


「じゃあ、準備してご飯にしようか。お皿を三つ出してくるね」


 臨時収入があったから、今日は奮発して栄養たっぷりの食事だ。


 今度はノクトも、口にしてもらえると嬉しいのだけど。

 

 



 

「せっかく作ってくれたのに、すまない……」


 食事を摂るのは、やっぱり難しかったらしい。逆に気を遣ったのか、ノクトは申し訳なさそうに謝ってきた。


「別に謝ることないさ。食べられないのは仕方ないんだし」


 身体が弱っている時は、たいてい気持ちだって落ち込みやすいものだ。

 なるべく心配かけないために笑顔を作ったけど、それが良くなかった。


「だが、食べ物を見つけることさえ難しいだろう。スラムで上等の食事を作るのが、どれだけの労力と金銭を使うのか分からないわけじゃない」

「だからきみは気を使い過ぎだってば。もともと僕達三人で食べる予定だったんだからさ」


 顔色が沈んでいくノクトに、僕はため息をついた。その隣で金色の頭をひょっこり出して、ルーエルはにっこり笑う。


「気にしなくて大丈夫だよ、ノクト兄ちゃん。おれとノア兄ちゃんで食べちゃうから無駄にはならないんだし。できることからひとつずつ、やっていけばいいんだよ!」


 相変わらず満面の笑顔で、明るい声のルーエルだ。


 対するノクトは呆気に取られたように固まっていた。数秒後、アイスブルーの瞳をゆっくりと瞬かせる。


 そういえば、初めてなんだった。ノクトとルーエルが顔を合わせるのは。


「ノクト兄ちゃん……?」


 ツッコムところそこなのか、ノクト。


「うん、ノクト兄ちゃん! おれより明らかに年上だもんっ」


 力強く笑顔全開で頷くルーエルに勢いで圧されたのか、ノクトは目を丸くしたままだ。

 そして彼は呟いた。


「そうか」


 そのまま観察していると、ノクトの視線は天井へと戻る。


「兄ちゃん、か。まるで家族みたいだな……」


 弱々しく掠れたその声に、胸のあたりが締めつけられるように痛みを感じた。


 奪われた彼の人生。もう、ノクトはもとの家族のもとには帰れない。

 彼は魔族ジェマになる前は、どんな人と共にいて、どのような生活を送っていたのだろう。





 * * *

 



 

 翌日にきた手紙は、僕にとっては待ちに待った返事だった。

 吸血鬼ヴァンパイアに変えられたばかりの人に対して、どのような世話が必要か。その詳細が書かれた手紙だ。


 具体的に、また段階を踏んで細かく情報を書いてくれたみたいで、便箋は十数枚にもなっていて封筒がいつもより厚かった。


「とりあえず、最初は水だけ与えていても問題はないって。二週間くらいすると薬湯を飲ませるといいみたいだね」


 ノクトを寝かせている部屋で、僕は手紙を読み込む。隣に椅子を持ち込んだルーエルが手元を覗き込んでくるけど、浮かない顔だ。


「んー、文字って難しいね。読めないや」

「覚えないと読むのは難しいからね。今度教えてあげるよ」


 苦笑いしながら言ってあげると、曇っていた琥珀色の目がとたんに輝きを取り戻す。


「本当!? やったあ! おれみたいな子どもでも読めるようになるかなあ」

「大丈夫だよ。ルーエルは覚えがいいし。文字を読めるようになったら、本をたくさん読むといいよ。知識が増えるから」

「うん、そうするー」


 機嫌よく笑う彼の金色のあたまを撫でていると、いつのまにか目を覚ましていたのかアイスブルーの瞳が僕を見つめていた。

 ひとつ瞬いた後、口が開く。


「ノアは、文字の読み書きができるのか。スラムでは珍しいな」

「まあね。僕はもともとここのスラム出身じゃないし」

「そうなのか?」


 瞳が揺れ、もう一度瞬いた。


「……それなら、おまえはどこから来たんだ?」


 うーん、どう答えたものか。


 逸らすことなく僕をまっすぐに見つめる薄い蒼の瞳は、ただ純粋に答えが知りたいように感じる。


 まったく。今は余計なことを考えずに、身体を治すことだけをかんがえていればいいのに。

 まあ、隠す理由があるわけではない。それにいずれ話すことだから、今でも構わないか。


「僕は北の王国ノーザンの出身なんだ」

「ノーザン王国か? ここより海の向こう、西大陸の……?」


 ふーん、意外とくわしいなノクト。


「そうだよ」


 微笑んで返せば、ノクトはますます不思議そうな顔をした。


「なぜそんな遠くから、帝国のスラムにいるんだ? こんな住みにくいところ、おまえはいる必要はないだろう」

「まあ、そうなんだけど……」


 本当なら、くわしく話してあげたいところだけど。

 彼はまだ、すべてを理解できるほど身体が元気なわけでもない。弱っている時は、いつもより頭が働かないものだ。


 だから、ノクトに話すのはまた今度にしよう。


 そう考え、僕はにっこり微笑む。


「ここに滞在しなくちゃいけない事情が、今の僕にはあるのさ。いずれちゃんと話してあげる。だから、ひとまずきみは大人しく寝てな」

「…………」


 あ、黙り込んでしまった。もしかして気を悪くしたんだろうか。


 胸の中で不安が広がり始めた頃、ノクトの唇が再び動いた。


「分かった。そうしよう」


 そう言って、彼は目を閉じた。どうやら僕の言葉を素直に受け入れたらしい。

 しばらくしてから小さな寝息が聞こえてくる。


 心の底から僕はホッとして、胸を撫で下ろす。


「ルーエル、部屋を出ようか」


 ノクトを起こさないように小声で耳打ちすると、同意見らしくルーエルは首肯した。


 なるべく足音を立てないようにゆっくりと廊下に出た後、静かにドアを閉めた。


 知り合ったばかりの上、身体が弱っているせいであまり話もできないからか、いまだにノクトがどういう人物なのか分からない。逆の立場も然り、だけど。

 表情の変化が乏しい彼は、一体何を考えているのだろう。


 ただ言えるのは、危害を加えてきた魔族ジェマに対して、ノクトは良い感情を持ってはいないことは確かだろう。


 なるべく怖がられないために、彼に対する言動には細心の注意を払うようにしなければ。

 ルーエルを連れて台所へ向かいながら、僕はひそかにそう決意したのだった。

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