5.魔術の天才
翌日、カミルからの返事がきた。
「マジで……?」
信じられない気持ちで、僕はてのひらの上の手紙を見つめた。
そんな奇跡、魔法で起こせるわけがない。いくら精霊でも、海で隔たれた国へそんな早く行けるはずが、ない。
震えそうになる心を落ち着けて、僕は封を開けた。
カミルの手紙は、二日前に僕が送った内容に対する返信だった。
ミルクとパンもいいが、それだけで足りるのか。
おまえは育ち盛りなのだから、少しは栄養のあるものを食べなさい。
少しばかりの金を同封しておく。
カミル=シャドール
封筒の中から、便箋と千クラウンが出てきた。
少しどころか大金だよ。一ヶ月普通に暮らすのに全く困らないくらいの額なんだけど、カミル。
まあでも、お金はありがたくもらっておこう。うん。
今は僕一人だけじゃなくて、ノクトの面倒を見ているからお金は必要だ。ルーエルも僕の寝ぐらに居着いているけど、あの子は自分に必要な分は自分で稼げるし。
それにしても。
「二日で、返事が僕のもとまで届くのか」
封筒を手に取り、僕は信じられない思いでそれを見つめる。
つまり僕の手紙は、一日でカミルのもとへ届いたというわけだ。そして僕の後見人はすぐに返事を書いて、彼の手紙はたった一日で海の向こうにいる僕のもとまで届けられた。
半分の時間にまで急がせるほど、精霊を駆り立てる力は僕にはない。
僕は
だとしたら、導き出せる答えはひとつだけ。
「……魔術の天才、か」
そういえば、いつもカミルのそばにいる腹心の部下がそう言ってたっけ。
ノーザンの現国王は今の時代では珍しくヒトを食べていない
「カミルなら、分かるのかな」
他の部族は大抵他の種族と変わらず赤子や卵を産んで子孫を残すけど、彼らは違う。吸血によって相手の命を奪い、他種族のひとを
カミルもノクトも
彼らは被害者だ。赤の他人に命も人生における時間さえも奪われた。ほんとうなら、家族としあわせに暮らしていたかもしれないのに。
結局のところ、
そして僕は、そういう愚行を犯す一部の
ノクトの世話をするにあたり、必要な知識はいくらあっても困らない。
そう判断した僕は、カミルに手紙でどのような世話が必要か聞いてみることにした。
「風の精霊シルフよ。この便りを僕の望む相手に、僕の保護者カミル=シャドールのもとへ。疾風のごとく届けてくれ」
てのひらの上にあった手紙がポンと軽い音を立てて、真っ白な小鳥に変わる。羽ば
たきの音を僕の耳に残して、開いていた窓から飛び立っていった。
無事に魔法が発動してみたいで良かった。
ホッと一息をつくと、僕の隣にいたルーエルが歓声をあげた。
「すごーい! ほんとに鳥になって飛んで行った!」
窓から空を見上げる金茶色の瞳は、キラキラと輝いている。子供らしいその表情が可愛くて、自然と頰が緩んだ。
「ルーエルは
光に属する性質が部族だからか、例にもれずルーエルも光の属性を持っている。
「うん、そうなんだよねえ。ノア兄ちゃんに比べれば、おれの魔法はまだまだ半人前だし」
「大丈夫だよ。努力して研鑽を積めば、ルーエルなら上達するさ。さて、と」
運んできた踏み台に乗って、窓を閉める。軽くジャンプして降りると、ギシと悲鳴をあげた。
予測だと、カミルの返事がくるのは二日後だ。
「とりあえず、ノクトの様子を見てこようか。そろそろ寒くなる時期だし、午後から毛布を買いに行こう」
それまで僕はできることをやっていこう。
一人で頑張らなくてもいい。今はルーエルという、頼りになる小さな相棒がいるのだから。
* * *
かろうじて、ノクトに水だけは飲ませることができた。
固形がダメならせめて液体状のものということで、スープとか進めてみたけど喉を通らなかった。仕方がないので作ったスープはルーエルと二人で食べた、けれど——。
「本当に、水だけで大丈夫なのかな」
「大丈夫じゃないかな。心配なら、手紙の返事次第で方法を変えてみてもいいだろうし」
水で流した食器を拭きながら、ルーエルは僕の顔を見上げた。
「そうだね。顔色は良くなってきているわけだし」
「部屋を暖かくしてあげてるおかげかも」
「うん」
ひとまずカミルから返事がくるまで、待つことにする。
毎日手紙を送ってくる上に他愛もない内容に対して返事まで丁寧に寄越すのだから、今回もきっと返事がくると確信している。
「あ、そうだ。ルーエル、今日からきみもここに住んでくれて構わないからね」
「え?」
食器を棚にしまってから振り返る小さな少年。琥珀色の目を見張って、僕を見る。
「いいの……?」
「もちろん。ルーエルは色々と狙われやすい理由もあるから、僕も心配だし」
濡れた手をタオルで拭く。それから彼の方に向き直って、僕はにっこりと笑ってみせた。
「それにこの建物は元研究所だけあってしっかりしているから、夜は風も入ってこなくて暖かいよ。おまけに暖炉付き。安心して眠れる夜を過ごせる。魅力的だろう?」
「うん、それはそうだけど……。おれ、何もノア兄ちゃんにあげられるものないよ」
珍しく浮かない顔をしてるかと思えば、そんなことか。
クスリと笑って、腕を組んで僕はルーエルを見る。
「別に、何もいらないよ」
「そういうわけにもいかないよ。だって、ここスラムでは等価交換の掟は絶対だもん。タダでもらうことなんてできないよ」
ふるふると首を横に振る金色の少年。子どもらしくない頑なな態度に、思わずため息をついてしまった。
「だからいらないってば。他の人だったらもらってるところだけど、きみは僕の相棒だし。それに、僕はルーエルに情報屋になるためのノウハウを教えてもらうんだから」
そろそろ素直に頷いて欲しいところなんだけどなあ。あまりに過酷な環境で生きてきたせいか、この子はなかなかうんと言ってくれない。
それでも困った顔をしなくなってくれて良かった。ルーエルは目を瞬かせて首を傾げる。
「コンビを組むから、ノア兄ちゃんはおれをここに住まわせてくれるってこと?」
「そういうこと。僕はきみが好きなんだ。それこそ、本当の弟みたいにね」
これは本心だった。
素直で優しいルーエル。こんな意地悪でひねくれ者な僕の弟だなんて、嫌かもしれない。
けれど。
スラムに逃げ出してきた僕を慕ってくれて、荒んでいた心を癒してくれたのは、他でもないきみだから。
「一緒に暮らそうよ、ルーエル。ノクトもきみも、僕が守ってあげるからさ」
今度こそ彼は、僕の差し出した手を取ってくれた。そっと触れてくるてのひらがあたたかい。
僕の手を握ると、ルーエルは眩しいくらいの全開な笑顔で頷いてくれた。
「ありがとう、ノア兄ちゃん」
「どういたしまして」
ああ、良かった。きみの笑顔とその言葉が僕は聞きたかったんだよ。
嬉しくて、思わず頰が緩んでしまう。
もう一人じゃない。ノクトもいるし、ルーエルだって一緒にいる。
そう思うと、胸のあたりがほんのりとあたたかかった。
しあわせだなと思った。
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