4.狼と黒猫の話

「昨日、夢を見たんだ」


 淹れ直した紅茶を二つのカップに注ぐ。一つを椅子に座っているルーエルの前に置くと、琥珀色の目が僕を見上げた。


「何の夢?」

「末弟の夢さ」


 ポットをテーブルに置いてから、僕はルーエルの隣に座る。体重をかけた拍子に、やっぱりギシッと鳴った。


「僕には弟や妹達がたくさんいるんだ。そのほとんどは母親が違う、いわゆる異母兄弟ってやつなんだけど」

「お母さんがちがうの? どうして?」


 ああ、そうか。一般的な国民の間では母親は一人、っていうのが基本的な常識なんだっけ。


「ルーエル、本当のことを言うよ。僕は海の向こうにある北の国、ノーザン王国出身なんだ。で、僕の父親はノーザンの国王だった」


 予想に違わず、琥珀の目が丸くなった。


「ええ!? じゃあ、ノア兄ちゃんって王子様なの?」

「……元王子だけどね。政変が起きて、前国王は殺されたから。それで話を戻すけど」


 湯気の立つ紅茶が入ったカップを口につける。

 うん、いい香り。ノーザンの紅茶ほど美味しくはないけど、まあまあだ。


「貴族や王様は、たくさん奥さんを抱えるものなんだ。帝国の王様は知らないけど、前国王はそのタイプだったね」



 カップを再びテーブルに置き、息を吐く。


 貴族がみんな複数の女性を囲うってわけじゃないんだろうけど、父の場合はたくさんの女と関係を持っていた。あいつの妾の顔を全員把握しきれていないくらい。


「僕には五人の弟や妹がいるんだけど、そのうちの四人とは異母兄弟。でも僕にとっては大切な家族だし、かわいいからよく面倒は見てた。末の弟を除いては、ね」

「どうして?」


 本音を言えば、ルーエルは軽蔑するだろうか。それとも、恐怖を抱くだろうか。


「憎らしかったんだ」


 手元の紅茶を睨みつける。

 彼は今、どんな目で僕を見ているのだろう。


「僕は長男で、第一王子だった。父と同じ部族ではなかったけど、これでも将来は王位を継ぐために血の滲むような努力をして、結果を出してきた。だから父は認めなくても、周りの貴族は僕のことを認めてくれていたよ。なのに、百年経って母は末弟を産んだ。弟は、ノイシュは……父と同じ闇猫ケットシーの部族だった」

「……じゃあ一番下の弟さんは、ノア兄ちゃんの実の弟なの?」


 口を開かずに、僕は首肯した。それだけでルーエルには伝わったようだった。


「僕の父親はね、跡取りは自分と同じ闇猫ケットシーでないと認めない、いわゆる〝部族主義者〟だった。あの人は僕のことを息子として接したことなんか、一度だってない。ノイシュが産まれてからはさらに拍車がかかって、まるで赤の他人のような扱いをされたよ。そして挙げ句の果てには、ノイシュ以外の王子達をスラムに放り出したんだ」

「そういうことだったんだ」

「……僕はノイシュのことだけは、好きになれなかった。むしろ嫌いだった。ノイシュが僕達の人生を狂わせたんだ。ノイシュさえいなければ、僕達はスラムに棄てられたりはしなかった。だから、」


 言葉を一旦止めて、重い息を吐き出す。湯気の立つ紅茶に視線を落としたまま、再度口を開く。


「ノイシュを、城から追い出したんだ」


 ルーエルが息を飲んだのが分かった。ゆっくりと彼に視線を向けると、琥珀色の瞳を揺らしていた。


「ノア兄ちゃんは後悔してるんじゃないの?」


 何を、と言われなくても言葉の意味は分かった。

 目を閉じて、ゆっくりと頷く。


「後悔しているさ」


 あの時は頭に血が昇っていて、冷静じゃなかった。それに。


「一人になった今なら分かるよ。僕は真正面からノイシュと向き合おうとはしていなかった。ただ闇猫ケットシーの部族だから嫌っていたんだ」


 心の中が嫌悪感で満たされて、たまらず頭を抱える。苛立ちの対象は自分自身だ。


 どうしようもなく、泣きたくなった。


「僕は父が嫌いだった。どんなに努力しても、剣や魔法を磨き知識を積んでも、あいつは僕を認めようとはしなかった。それは僕が人狼ワーウルフの部族だったからだ。そんなあいつを軽蔑していたはずなのに、僕はあいつと同じことをノイシュにしてしまった」


 目を開けると、視界が歪んだ。ぐいっと腕で涙を拭うと、ルーエルの顔がクリアに見えた。

 真剣な顔で見上げる目はちっとも似ていないのに、いつも僕の後をついてきていた純粋な末弟の目に重なる。


 きっとノイシュが狼だったら、僕は嫌わなかった。他の弟達やルーエルと同様に可愛がったと確信できる。


 だからこそ、自分が嫌になった。


 結局のところ、僕はノイシュに八つ当たりをしていたんだ。


「取り返しのつかないことをしてしまった。僕や弟達はあいつにスラムに放り込まれて酷い目にに遭ったのに。……もしあの子が路頭に迷って、ノーザンのスラムに入り込んでいたらどうしよう」


 父に可愛がられていたであろう末弟は、世間知らずで不器用だ。自分で言うのもなんだけど、僕は剣士としての技能は高い方だし、魔法だってそこそこ使える。でもノイシュは——。


「ノイシュは剣も魔法も、絶望的に才能がないんだ。器用な立ち回りだって無理だろうし」

「そっかあ。安否が分かる方法ってないのかな。お城には新しい王様が住んでるんだよね?」


 テーブルに頬杖をついて、ルーエルが首を傾げた。


「……うん。実は、その国王が僕達の面倒を見てくれててね」

「へえ、変わってるねー。普通新しい王様が前の王様やその子どもを殺しちゃうものなのに。帝国の王様がそうだから」


 やっぱり他国でもカミルの行動は変わり者としてみられるみたいだ。帝国の国王は冷酷無比で、血も涙もないって言われているし。まあヒトを食べているから、すでに心が狂気に侵されているせいなのかもしれないけど。


 ……そうか、カミルか。


 彼なら把握しているのかもしれない。スラムの奥にいた僕達を巧みに見つけ出し、迎えを寄こしたくらいだ。だから僕や弟達は保護されて、城にいられたわけだし。


「ノーザンの現国王なら、ノイシュが無事かどうか調べているかも」

「面倒を見てくれるくらいだもんね。ノア兄ちゃん、連絡取ってみたら?」

「そうだね……」


 まさか帰るわけにもいかないし、手段は手紙になるかな。


 手紙の返事を書いたのが昨日。ノーザン王国は海を隔てた他大陸の国だから、風魔法でもカミルの元に届くのに二日はかかるだろう。

 そもそも彼の手紙が毎日届くのは、僕が返事を書こうと書くまいとカミルが日ごとに送っているからなんだし。


「手紙、書いてみようかな」


 僕が書いた返事を読んでカミルがさらに返事を返すとしたら、手紙が届くのは三日後になるだろう。

 善は急げって言うし、早く送ってみよう。今すぐにでも。


「うん、それがいいよ。もしかしたら王様がノイシュくんを保護してるかもしれないしさ」

「そうだね。ありがとう、ルーエル」


 立ち上がって、僕は机の隣にある引き出しから便箋とペンを取り出す。紙の上にペンを走らせる僕を、ルーエルは何も言わずに紅茶を飲みながら眺めていた。

 文章を書いているのがそんなに面白いのかな。


 そういえば、今日の手紙は「寒くなってくる時期だから気をつけるように」とだけ書かれていたな。


 まるで僕の両親よりも、本当の親みたいだ。カミルって本当に変な人だな。

 無性におかしくなって、思わず笑みがこぼれた。なぜか、同時に身体の奥がくすぐったくなった。

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