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「土の気があるから、こういうのが得意なのかもな」

 一番声を上げて笑顔を見せたのは、淡い色の髪を後頭部で一つに結んでいる、ネティレという名前の女の子だった。いつも色々なことを優しく教えてくれる、リュークの一番お気に入りの友人だ。自分の周りにいる年上の友人達は、いいなあ、羨ましい、などと言いながらリュークを取り囲むのだ。まだ九歳になっていないから、と仲間外れにされることなんてなかった。樹下では他の子供と関わることが滅多になかったこともあった。自分が上手くできることをこんなに沢山の人に喜んでもらえたのは初めてだったのだ。

 だから、家に帰る道すがら、リュークは葉をひたすら集めた。頬杖をついた父が「喜んでくれるといいね」と言って微笑みながら見守る前で、ネティレに褒められることを考えながら、沢山の笛を作った。そして、樹下で暮らす母が作ってくれたお気に入りの袋に入れて、枕元に置いて眠った。

 次の日の朝、リュークは食事を取った後に、沢山の笛を〈ゆりかご〉へ持って行った。

「はい、どうぞ!」

 まだまだ出来ないことが多い自分が作ったものを、凄い、と言ってくれたネティレに笛をあげたら、絶対に喜んでくれる。リュークはそう思ったのだ。だが、差し出した両手の向こうで、少女は戸惑った表情をしている。ややあって、その小さな口から飛び出てきたのは、ありがとう、ではなかった。

「……なあに、これ?」

「なあに、って、笛だよ。昨日、凄い、面白い、って言ってくれたからね、あげる!」

 こっちを見ている父の姿が視界の端に映る。その表情を見なかった振りをして、リュークはもう一度両手を差し出した。だって、彼女は昨日、あんなに喜んでくれたのだ。

「……ありがとう」

 梢を伝う木の葉達は、落ち着きのない風を巻き込んでざわめき、こちらには理解できない言葉で内緒話をしている。ネティレは、喉の奥に何かが引っ掛かったように声を詰まらせながらそう言って、リュークの両手の中からサーディアナールの葉の笛を取った……まるで大人が使っているような笑みを、少女が口の端に浮かべた時だ。

「お前、何を貰った?」

 枝を揺らす音を立てて、年上の少年達が五、六人ほど、すぐ脇に着地する。目ざとい一人が、ネティレが衣嚢の中に何かを素早くねじ込んだのを見ていて、声を上げた。

「何でもないよ」

「嘘だ、そこに何か仕舞っただろう」

「見せろよ、何か面白いものだろ」

 ネティレはただ肩を竦めるだけの動作をしただけだったが、少年達はその周りをぐるぐる回ってにやにやしている。それを見てリュークは思うのだ、きっと彼らも自分の作った笛を喜んでくれるのではないか、と。

 リュークは、足元に置いていたお気に入りの袋の中に手を突っ込んで笛を幾つか掴み取り、両手の上に乗せて差し出した。

「これだよ、皆、あげる!」

 少年達の表情の変化は劇的だった。それまでは目を輝かせて笑っていた顔が、リュークの手の中を見た瞬間に動きを止め、あっという間にしらけた表情になってしまったのだ。

「なあんだ、笛か……もしかして、ネティレが持っているのもそれか?」

「お前、そんなに一杯作ってどうするんだよ」

「そりゃ見せたくねえわ」

 少年達は口々にそんなことを言う。ばつの悪そうな顔をして、ネティレが衣嚢の中から笛を取り出した。慌てて雑に入れてしまったからだろうか、巻いた葉が折れて、断面が覗いている。それを見た瞬間、リュークは折れてしまった笛の気持ちがわかったような気がして、俯いた。

「……皆、凄いって言ってくれたから、欲しいかなって」

 すると、〈ゆりかご〉の中でも一番大人びた表情をしている茶髪の少年が、皆に向かってこんなことを言うのだ。

「まあ、おれ達だって、リューク程器用じゃないけどさ、作れないわけじゃないからな」

 彼の名前はアルディールだ。リュークが初めて〈ゆりかご〉へ足を踏み入れた時に、色々と構って、わからないことは何でも教えてくれた。確か、火の気を持つが故に樹下へと降り、今は退治人をやっているらしい姉がいるとか。自分の母も樹下にいる、と打ち明けた時に、アルディールが泣き出しそうなのか笑顔なのかよくわからない表情になったのを、リュークは覚えている。

 仲間意識のようなものを呼び起こしたのだろうか。彼はリュークに優しかった。

「でも、頑張って作ったんだろ、リューク。よくこんなに一杯出来たな」

 見上げると、アルディールはにやっと笑ってから、リュークの両手の中にある沢山の葉の笛を片手でそっと掴み取りながら、足元にある袋を拾った。

「貰っといてやるよ、毎日一つずつ遊ぶからさ。ちょうど今日、姉貴も会いに来るし……袋は借りていっていいか? 後で絶対に返すから!」

「うん、いいよ!」

 アルディールがにっこりするのを見ると、リュークも嬉しくなった。くるりと振り返ると、父がこちらを見て安心したように微笑んでいる。

 ネティレの質問が聞こえて、リュークはそっちに向き直った。

「会いに来るって、イーレさん、上がって来るの?」

「ああ、火の気を持っているからいつもは下にいるんだけど、上がってこられるって。戻ってくるのは初めてだからって、とうさんもかあさんも、イエルファに乗って朝からあっちに飛んだりこっちに飛んだりしているよ」

「大変そうだけれど、よかったね」

 よかった、よかった、と周りの皆も口々に言った。アルディールはありがとう、と礼をひとつ、それから今まで見ていた方向とは別の場所に視線をやってから、リュークの方を見て、こんなことを零す。

「姉貴がこっちに上がってこられるのは、ヴィオライトさんのおかげだからな」

「……とうさまの?」

 リュークは不思議に思った。自分の父が何かしたのだろうか。

「おれが言うのも変な話だけどさ、ヴィオライトさん――お前のとうさまはな、凄いんだぞ。サーディアナールから落ちたのに生きていただろ? そもそもそれだけでも凄いし、下ではお前みたいな土使いを産める優秀な番いを見付けたし、何より、竜の巫女様が直々にお許しを与えて上に戻ってきたんだからな」

 リュークはふうん、と鼻から返答を出した。同時に、アルディールの言う〈お許し〉という言葉に何かよくわからない靄のような感情を抱きながら、あの時、竜の巫女という立場にあるファイスリニーエは、きかんをようせいする、などという難しい言葉を使っていたが、それは、許す、というよりも、帰ってきて欲しい、と言っているようにリュークには聞こえたのだ。

「でも、下に降りたから、穢れ、っていうものが残っているんじゃないの?」

「恩寵がまだちゃんと宿っているのなら、穢れ、とかいうものはない、って父さんが言っていたけど、本当かなあ」

「リュークだって下にいたよね。でも、七歳になっていないから大丈夫なのかな」

 騎士見習いの尾白達はそんなことを口々に言った。こっそり振り返って窺うと、父は〈ゆりかご〉の中で机に向かって何か書き物をしていて、こちらには注意を向けていない。どうしてかはわからなかったが、リュークは何だかほっとした。大好きなネティレでさえも頷いてこんなことを口に出すのを、父に聞いて欲しくはないと思った。

「恩寵を得られる人は誰だって穢れてなんかいないのかも」

「なるほどな」

「それか、恩恵を受けていないから穢れないとか?」

 友人経ちは好き勝手なことをあれこれ並べ立てている。そんな時に思い出すのは、森の中から帰ってきた母の姿。結われた真っ赤な髪の毛は房が飛び出すほど乱れているけれど、沢山の緑の中で陽の光を受けて輝く赤はとても綺麗だった。父よりも勇ましい顔は誰よりも優しく微笑んでいた。その時に細められるのは切れ長のつり目、空の色とは少し違う蒼の瞳。そんな母が返ってくるのが嬉しくて、母の歩く足音が聞こえただけで、リュークはどんな時でも飛び出していった。それよりも少し遅れて家から出てきた父が、腕で獲物を担ぐ母をしっかりと抱き締めるのも好きだった。

 足を動かすと、靴の底が大樹の枝と擦れて、ざらついた音がした。

「……サーディアナールから落ちたとうさまを助けたのは、かあさまだよ」

 気が付いたら、リュークの腹の底から、思ったよりも大きな声が出た。

「三日寝なかった、大変だった、って、かあさま、言っていた……かあさまはいつも優しくて、森からいつも食べ物を取ってきてくれて、僕も妹も産んだし、凄く強いんだ……かあさまは凄く強い火の気を持っていて、凄く強い退治人なんだ、だから……だから〈烈火の魔女〉って呼ばれているよ」

 ただ、会いたいと思った。リュークは妹であるアリエンの顔すら知らない。母の手紙で、赤毛で母に似ていて、随分大きくなって産まれてきた、ということしか知らされていない。父が〈語り部〉に就任して、第一の試練を潜り抜けた〈尾白〉と呼ばれる子供達や、試練に挑む子供達の毎日の教育を受け持つようになってからは、樹下へ降りる機会などなかった――母と妹は樹下の森よりも近い環状都市に滞在しているというのに。

「かあさまがいなかったらとうさまは生きていない、って、とうさまは言っているよ……そうしたら、僕だって、アリエンだって、生まれていなかった……かあさまは凄いんだ」

 小鳥達の歌が背後で聞こえる。一定の拍子を刻む美しい旋律は嘴黒鳥の恋だ。未だ淡き思いや試練を知らぬ子供達は一様に皆黙り込んで、戸惑ったような表情をしていた。

「……アリエン、って、妹もいるのか」

 ただ、アルディールの囁きだけがそよ風のようにリュークのすぐ傍を抜けていく。それに乗って一羽の小鳥がすぐ傍の枝から飛び立った――尾白鳥だ、足に何かを付けている、小さな身体は子供達の頭上を通り過ぎて〈ゆりかご〉の方へ飛んでいく。それは、枝の上の教室の、土の精霊王クレリアの加護を受けて文字通り籠のようになっている壁をいとも容易く通り抜けた。

 尾白鳥を労う父の声がくぐもって聞こえる。何かの知らせだろうか。ややあって〈ゆりかご〉の中で大柄な影が立ち上がり、どこか急いた様子の父が出てきた。

「リューク、かあさまから手紙が届いた」

 その顔に笑顔は浮かんでいない。リュークは不思議に思った。普段なら、母からの手紙は尾白鳥などではなく、馴染みとなった配達人が運んでくるのだ。

「……どうかしたの、とうさま?」

「どうかしている、と言った方がいいかな……どうかしている」

 父が眉間に皺を寄せて首を振った瞬間だ。

 大きな生き物が羽ばたく音が近付いてきた。それを聞いて我に返った子供達が辺りを見回す、一人が指差した先に現れたのはサルペン。その大きな身体が太い枝の上に鉤爪を引っ掛けて後ろ足を着地させた時、サルペンの背に騎乗した騎士が、リュークの理解出来ない何事かを叫んだ。

 父は少し不自由な右足を素早く動かし、サルペンに近付いた。騎士の腕がその身体を引っ張り上げる。この後は父と手を繋いで一緒に帰る約束をしていたリュークは、思わず叫んだ。

「とうさま、どこに行くの」

「ちょっと用事が出来た……いや、ちょっとどころではないかな、何日も帰らないかもしれない。リューク、世話をしてくれる人をすぐに呼ぶから、〈ゆりかご〉の中で待っていなさい――それからその人と一緒に家に帰りなさい」

 父は笑顔を見せない。サルペンが急いたように鳴いて、騎士がそれを宥めている。急にリュークは落ち着かない気持ちになって、それから心細くなった。

「それとアルディール、君の方は後で話がある――私のいるところに降りてくるように使いを出すから、覚えておいてくれ。〈ゆりかご〉には代わりの語り部がすぐ来るから、皆は明日も普通に朝からここへ来ること――」

「――わかりました、ヴィオライトさん」

 アルディールがそう言うが早いか、サルペンの声が響き渡り、鱗に覆われた身体が飛び立った。それはあっという間にサーディアナールの枝と緑に紛れて、見えなくなった。

 父には訊きたいことが沢山あったのに。リュークは何となく、ただ、樹下へ戻りたい、と思った。


「おれの家に来いよ、誰か知らない人よりその方がいいんじゃないか?」

 そんなことを主張するアルディールに、ありがとう、を添えながら首を振って、リュークは父の言いつけを守るべく〈ゆりかご〉に戻った。

 教室は、クレリアが編み上げた大きな籠だ。枝から太い蔓のようなものが無数に生えていて、それが絡まり合って、複雑な網目を形成している。その隙間には所々に緑の葉が生えていて、見上げれば、天井は無数の生きた翠が折り重なっている。平らにするために削られた床に敷かれているのは、土の精霊王クレリアと大樹が重なり合う意匠の美しい絨毯。

 その上には、円形の小さな机がふかふかの椅子と一緒になって、クレリアを取り囲むように、沢山並んでいる。そして、平らな精霊王の腹の上にあるのは語り部の机だ。

 椅子の付属していない円形の大きな机は端に蔓と鳥の透かし彫りが施されている。その上に、奇妙な折り目のついた紙が開かれた状態で置いてあった。

 リュークはそれを手に取った。短い羽毛が紙の繊維に絡まっているから、尾白鳥が運んできた手紙だということがわかった。ハルスメリのインクが母の手による黒い筆跡を描いている。いつも父に読み聞かせている文字と違って、所々崩れて上手く読めない。

「……砂漠の、向き、向こう? 行く……シシルスとアリエン、一緒」

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