#2
数日後。
暗闇の中にいたリアセドの元にも、光が降り注いだ。
「――時間だ」
声が来る。
ああ……とうとう自分の出番か。
その声に逆らう気は起きなかった。
立ち上がり、連行される。
――自分はここで終わる。
ならばせめて。
「……頼みがある。シュヴァールに伝えてほしい」
……その願いは、聞き届けられた。
死者の声を聞いたところで、生者は何の痛みも感じないからだ。
◇
砂利と、ガラスを踏む音。
それらはまるで当時と変わらないのに、状況はなにもかもが変わってしまっている。
廃教会。
リアセドはふたたび、そこを訪れていた。
今度は一人ではない。左右と後方を取り囲む天使が居る。
――情景は何もかもがそのままだった。
建物の中に足を踏み入れたときに感じた、あの妙に空気が澄んでいる感覚も。ステンドグラスの模様に沿って帯状に差し込んでくる光も。その中をたゆたう埃の粒子も、何もかもがそのままだった。
黒檀のグランドピアノは、それらに包まれて、どこかから聞こえる鳥の声を受けながら留め置かれていた。
リアセドは一歩、二歩と進み、相対した。
――イリルを殺した後、このピアノを取り壊さないよう命令を出したのは自分だった。
ただの気まぐれではなかったということだ。あのときから、自分はこうなるさだめだったのかもしれない。
彼女は重く黒いふたを開けて、鍵盤を見つめた。
白と黒の帯が彼女を迎え入れる。冷たい二色。重ねて奏でることで、音色が生まれる。
見つめる――髪の毛が垂れる。口に少しだけ入る。気にしない。
……過去は今や現在と混ざり合ってそこにあった。
彼女の目の前には、鍵盤に指をそっと沿わせるイリルの姿が見える。
奏でるのは、『パッヘルベルのカノン』。もう何度も、頭の中で流れ続けてきた。
だから、トレースするのは簡単だった。
彼女の白い指が、鍵盤を圧した。
音が鳴った。
――透明な、『ソ』の音。響いて、尾を引いて、消えた。
鳥が羽ばたいた。
リアセドは続けた。
緩慢に、だが――確実に。
ミファソ、ミファソ。
ソラシド、レミファ――。
――ああ、リアセド。
――なんだ。
――これが死なのね。どこかで、待ちわびていたような……。
――そうだ。これが、死だ。イリル。
ミドレミ、ミファソファミ、ファソドシド。
――リアセド。
――……。
――ありがとう。
「……」
言葉はそこで途切れて、調べは絶えた。
その瞬間――すべてが『起きた』。
「ぐ、あああああああ……!!」
突如として、リアセドの後方で天使達が首筋を押さえて苦しみ始める。彼女など目に入らぬかのように悶え、うずくまる。
「――……」
と、同時に。
ピアノの鍵盤が、おもむろに動き始め、狂ったようなメロディを奏で始める。何のメロディもない野放図な旋律。
それから、ピアノの裏の隙間から何かがせり出してきて、リアセドの目の前に展開される。その音色を合図にするように。後方では、なおも天使達がひざまづいている――リアセドには効いていない。しかし、びりびりと鼓膜を打つように感じるこれがなんであるのかは理解できた。
――『
それが何故かを考える前に、目の前にはさらなる変化が起きる。
ピアノから展開されたのは、巨大なスクリーンモニター。それが起動し、画面を映し出す。
「この声が聞こえているということは、嘆きが作動したということね」
そして、リアセドは画面の中にイリルの声を聞き、その顔を見た――。
裏切りの天使 緑茶 @wangd1
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