garden
村上いずみ
第1話神埜真紅
それはある夏の終わり。
彼は教室へ向かう。彼は遠野月人。
放課後。
渡り廊下、開け放たれた窓、グラウンドの喧騒、気だるい、死んだ夏の風。だれもいない教室に安堵する。なぜだ?彼にはそれがわからない。
待ち合わせていた。少女は眠っている。神埜真紅。傍らで文庫本が時間をさかのぼるようにめくれている。
彼は肩をゆすった。長い黒髪がすべり落ちて、うなじがのぞいた。鵠のように白かった。カーテンが激しくはためいた。影が大きく波打っている。音がないなと彼は思った。あたりから音が消えていた。まるで世界から切り取られたように。
彼女の首には知らない痣。それは赤く、円で、内側に模様が浮かんでいた。まるで烙印のようだった。
痣から朝露のような血が染み出す。細かい滴と滴が結びついてゆく。それは一条の流れへと変わり、やがて首筋を涙のように下っていく。彼はそこから呪いのように目を離すことができない。
不意に頭が割れるように痛んだ。彼は気を失うと思った。だがそうはならなかった。彼は意識を保っている。でももう、何かが違ってしまっていると思った。目を開くと彼女が目の前に立っている。
彼女は彼を見ていた。でも、その瞳にはいったいなにが映っているのだろうと彼は思った。それはどこまでも具象性を欠いた、非在的な視線だった。彼女はここにいる。でも。あるいは、と彼は思った。僕は、どこにいる?
彼女はなにかをつぶやいていた。それは彼の知らない言葉だった。しかしやがて、ある地点で、それは彼の知らない言葉であることをやめた。あるいは彼が、その言葉を知らない彼であることをやめた。
「神埜」と彼は言った。
「そうよ」と彼女は言った。「そうではないとも言えるけれど」
「寝ぼけている?」
「そうね、問題は寝ぼけてはいないということ」
「僕が見えているね?よくわからないことを言っていた」
「見えている。あなたに言っていたのよ。あなたでないとも言えるけれど」
「わからないな」と彼は言った。それから鈴が鳴った。「訊いている時間もないけれど」
それは切ない青さで響き渡って校舎を冷たくする。三怒鳴るまでに校舎を出なければならない。四度目のとき、此処は此処ではない。
彼らは森のなかにいる。校舎を出る。すると森なのだ。
空を征服せる樹冠。道は重く暗い。そこでは季節が淀んでいた。油絵のように一定の暗緑があった。いつでも空気が冷たかった。時計を失った森。
「夢を見ていたのよ」と彼女は言った。「そこで私は森の奥に住んでいた。ちょうどこんな暗い森。違いはあるわ。そこにはお城があった。そしてそれが私の家」
彼女は話を続けた。
それはとても古い、世界から忘れられたようなお城なの。尖塔が二つ、圧倒するように高い石の門、厚い城壁、でもどれも朽ちている。そこには一種の安らぎがある。戦う必要のなくなった彼らは、やさしい時間のなかで苔を纏っている。広いお庭があったわ。それは素晴らしく手入れがされている。息をのむように美しい薔薇園。庭師がいる。だから城主もいる。そしてそれは私。私はお城の主なの。どうしてって、そんなことはわからない。ただそうなのよ。ドレスを着て金色の髪をして。まるでお姫様。
それはまるでだれかの話のように響いた。彼女の夢の話だった。でもまるきりどこかから借りてきた物語のように。
「そこには 一頭の犬がいた。とても大きくて傷跡だらけ。彼には毛がないの」
「毛がないのよ」と彼女はもう一度言った。ガラスように悲しげだった。
「冬は寒いだろうね」と彼は言った。
「知っているのでしょう?」と彼女は言った。それは些か出し抜けだった「あなたは知っているのよ」
「知らない」と彼は言った。「だってそれは君が見た夢の話なのだから」
「
garden 村上いずみ @izumi_murakami
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