吸い口に柚子を添えて

しらたま。

吸い口に柚子を添えて

「ただいまぁ」


私の中に残っている最後の力を振り絞って扉を開ける。肩にのしかかる鞄、足を締め付けるヒール、上半身を縛り上げるジャケット、1つ1つ鎧を脱ぎ捨てながら廊下を進み、インナーにタイツという低装備でソファーにダイブ。あぁもう一歩も動けません。私はこのまま永遠に眠るのだ...

「お姉ちゃんおかえり、またそんな格好で寝て...もうすぐご飯にするから先お風呂入っちゃって」

なんかカチャカチャ音するなと思ったらいたのね、我が愛しの妹ちゃん

「あぁ香穂かほきてたんだ、いらっしゃ〜い。お姉ちゃんはもう動けないので好きにしていいよ、そしておやすみなさい...」

「おやすみなさいじゃありません、さっさとお風呂入ってきてください」

「うぇぇぇん腕ひっぱんないで動けないよ〜痛たたたわかった、わかったから!お風呂入ってきまーす」

うぅ...昔はこんな乱暴じゃなかったのに...可愛かった妹ちゃんはどこに...いや、今でも可愛いけども





ガラガラガラガラ......


おぉ〜いい匂い。ゆずの入溶剤かぁ、そういえば香穂にもらったまま結局使ってなかったわ。というか湯船に浸かるのもいつぶりだろう、いつも帰りが遅くてシャワーだけだったからなぁ。今日は妹ちゃんがいろいろやってくれてるみたいだし、甘えてゆっくりしますか。

はへぇ〜......気持ちいい〜

本当にしっかりした良い妹を持ったもんだ。小さい頃から私よりずっとしっかりしてて、どっちが姉かわからないなんてよく言われたっけ。

小学生の頃なんか私が忘れ物した時、上級生の教室行くの怖かっただろうに勇気を出して届けてくれたり、地域の子供会で友達が大切にしていたカチューシャがなくなって私が盗んだと疑われた時もただ1人「お姉ちゃんはやってない」って味方してくれたり。結局遊ぶのに邪魔で友達がテーブルに置いたのを友達のお母さんが回収していただけだったっていうオチで。あれは妹ながら1人で立ち向かう姿かっこよかったな。そしてうろたえるだけで何も言えなかった私...ダサいな...。香穂に守られてばっかだったわ。

歳が2つ差だから中学では1年しか一緒じゃなかったけど、その1年は朝起こしてもらって一緒に登校して、よく一緒にお昼食べたり、一緒に帰ったりしたな。本当は寄り道しちゃだめなんだけど内緒で家の近所にあるクレープ屋で買い食いしたりもしたっけ。お金ないから1個を半分こして、それでも夕飯食べきれなくて買い食いバレて2人で怒られたり。懐かしいなぁ。

高校も一緒で......









......












あれ













.........なんで














なにも出てこない















何かあったはず、何か













何か













忘れちゃいけない何かがあったはず















なにかが!!!!!!











「お姉ちゃーん、ご飯出来たからそろそろ出て」


...出よう、仕事で使いすぎて脳に糖分が足りてないんだ。米食べよう、米。今日のご飯何かな



「随分長風呂だったね、のぼせてない?」

「お風呂久々だったからゆっくりしようと思ったらしすぎちゃったよ。おっハンバーグか、いいね美味しそ〜私大好きなんだよね」

「知ってるよ、だから作ったんだもん。はい、ポン酢」

うちのハンバーグは刻んだシソ入り大根おろしにポン酢をかける和風ハンバーグ。そこには決まって吸口が柚子のお味噌汁。

「香穂本当に柚子好きだね、入溶剤も柚子だった」

「私が好きって言うより味噌汁に吸口入れるのはお母さんがやってたから。それに家に柚子の木あったでしょ?結構ずっと身近にあったと思うけど」

「そうだっけか、もう家出て5年近く経つから忘れ...」



そうだよ、柚子だよ。どうして忘れてたんだろう。うちには柚子の木があって、お風呂に入れたりご飯に使われたりもしてた。私も香穂もこの香りが大好きだった。就職して家を出る時に家の事を思い出せるようにって香穂がくれた柚子の香りの入溶剤。なんで使ってなかったんだっけ。5年も前なのに。そもそもなんでここに香穂がいるの?なんで香穂は5年前家を出た時と同じ高校の制服を着ているの?





あぁそうか、そうだった



使えなかったんだ、思い出してしまうから。

棚の奥にしまいこんで見えないようにしてた。



香穂はあの後....






「お姉ちゃん、そろそろ帰ろうか。皆待ってるよ。」

「香穂、ごめんね。お姉ちゃんずっと信じたくなくて辛くて香穂の事忘れようとしてた。忘れたくていろんな事がむしゃらに頑張って...でも仕事も友人関係も全部上手くいかなくて、いっぱいいっぱいになって。都合のいい時だけ会いたくなって...それで...

あれだけ忘れようと逃げてきたのに...私は香穂を...」

「いいんだよ、私は頑張れなかった。それだけ。お姉ちゃんは何も悪くないよ。」


悪くないはずないんだ、だって私が。私が香穂を



殺したんだ



高校3年の時、香穂は同じ高校の1年生になった。私は部活に入っていて中学の時のように香穂と一緒に行動することはほとんどなかった。本当は中学の頃に気づいてあげるべきだったんだ。香穂は正義感が強く困っている子は放っておけず、クラスでいじめがあれば真っ先に止めに入るような子だった。それがいじめっ子からは面白くなかったのだろう。いじめのターゲットは香穂へと移り、香穂への嫌がらせは日に日にエスカレートしていった。香穂はクラスでの居場所を失い私のところにきていた。お姉ちゃんがいれば大丈夫、そう思いながら生活していたようだった。私が卒業してからも、高校生になればこの子達と離れてまたお姉ちゃんと一緒にいられる、それを支えに耐え続けた。しかし、中学で香穂をいじめていた子が運悪く同じ高校に進学しており、クラスまで同じになってしまった。私とも一緒にいれず、クラスでも孤立し、独りを耐え続けた香穂は私が家を出た数ヶ月後、自ら命を絶った。


どうしてこんな事になってしまったのだろう

どうして気づいてあげられなかったのだろう

どうしてそばにいてやらなかったのだろう

私は一体香穂の何を見ていたのだろう

私が、私がちゃんと香穂を見てあげていれば

いつも私のそばにいることを何故不思議に思わなかったんだろう。もし気づいてあげられていれば、私がもっとしっかりとしていて相談してもらえるような姉だったなら、もっと私が、私が


ぎゅっと身体を締め付ける力で思考が途切れた。誰かに抱きしめられるなんていつ以来だろう。耳元で鼻をすする音が聞こえる。温かい。2人の目から涙がぽろぽろと零れていく。真っ黒になった私の心を洗い流してくれているような温かい涙だった。


どのくらい泣き続けただろう。香穂は私の肩を持って身体を離し、ふと笑顔をみせた。

「あの入溶剤いい香りでしょ」

「うん、すごく温まった。気持ちよかった」

「辛い時はまたいつでも会いにきてよ。また一緒にご飯食べよ、ハンバーグ作って待ってるから」

「うん、ありがとう。お姉ちゃん頑張るよ」


だんだん意識が遠くなっていく


香穂ごめんね...守ってあげられなくてごめんね...頼りない姉でごめんね...


ありがとう



「大丈夫だよ、ずっとそばにいるから」














「...え....さえ....咲依!!!!!」



...!!!!!!!


気がつくと目の前には真っ白な天井と涙を目に浮かべた母親がいた。ここは病院だろうか、看護師らしき人が医者を呼びに行く姿が目に入った。

どうやら私はお風呂の中で意識を失いそのまま朝をむかえ、無断欠勤はおかしいと様子を見に来た同僚が風呂場で動かない私を見つけ救急車を呼んでくれたらしい。


母親の泣きながらの説教を聞き、見舞いに来てくれた上司と同僚に頭を下げ、退院した。

そしてまたいつもどおりの日常を送っている。


「いってきます、香穂」

写真の前で手を合わせ、ジャケットを着て、ヒールを穿いて、鞄を持って、玄関の扉の前へ立つ。

「よし」

勢いよく扉を開け1歩を踏み出した。

どこからかゆずの香りが鼻をかすめたようなきがした。

写真の前に供えられた柚子には2箇所丸く削られた後が残っていた。

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吸い口に柚子を添えて しらたま。 @shiratamazarasi

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