解呪 第二節

 私は弾かれたように携帯から耳を離した。

 薄暗い室内でぼんやりと光る画面からは男のせせら笑う声が漏れ出ていた。

「聞いたぜ? 彌子村(みこむら)で再度森山健太君の捜索が始まるらしいな。

 だからお前は焦った。なにせ捜索網は以前よりも拡大し、禁足地へと踏み込もうとしているからだ。そうなるとお前の、いやお前とその歴代のアマゴサマが隠したものが続々と見つかってしまう」


 私は凝然と手に持ったスマートフォンを見据える。

 手の中のスマートフォンはバイブレーションしていた。

 それが自分の震えによるものだと気づき、慄然した。

 そんな様子を見透かしているかのように、男は嬉しげに自分の推理を語る。

「それではいけない。飯盛山の禁足地はアマゴサマの畏怖によって成り立つ神域だ。もしも森山健太君の失踪が神隠しだと認定されなければ、ルールに則り一人が消えて一人が死ななければ、禁足地に神の御業を疑うものの捜索の手が伸びてしまう。お前が九十九折りの隘路で殺した森山健太君の死体が発見されてしまう」

「──お前は誰だ」

 私は声を出した。

 この男は全てを知り得ている。隠す必要などない。

「書いてあっただろう。名探偵さ」

 嘲笑う声は揚々と答えた。


「巫山戯るなッ!」

 咄嗟に怒鳴ってしまった。

 折角、跫音さえ潜めていたというのに、これでは今から殺害現場になるはずの室内に男がいたという証拠を残してしまう。

 自分の浅はかさに舌打ちし、苛立って通話を切った。

「くそくそッ」

 携帯をベットに投げつけると悪態をつきながら周囲をぐるぐる回る。

 あの男は私の犯行を全て知っている。だから今更ながら取り繕う必要はない。

 それにあの男がどれほどの探偵だろうと、森山健太の死体が見つからなければ、まだ自分に利はある。あとは彌子村から出立している森山咲がこの部屋に来て、彼女を殺してくれさえすればアマゴサマの畏怖は再来する。

 あの男が何と言おうと禁足地への侵入を忌み嫌い発見の確立は格段に下がる。以前の神隠しのように見つからずに事なきを得られる。

 そうだ、森山咲さえ来てくれればッ!

 そう思ったとき、私の携帯が鳴った。

 祈るような気持ちで携帯を開くと、画面には森山咲と表示されていた。

「森山さん、今どこですかッ! はやく来てくださいッ」

 通話口に向けて怒鳴るように言う。

 すると森山咲は萎縮したのか、彼方からの声はしなかった。

 私は聞こえないように舌打ちをした。

「いいですか、森山さん。時は一刻を争うんです。彼女を殺さないと健太君は帰ってきませんよッ。それでもいいんですか!?」

 すると、深く息を吸うような音がした。

 私は憔悴した彼女のか細い声を思い出し、耳を澄ませた。

「・・・・・・予想はしていたが、成る程、お前は彼女にそういう焚きつけ方をしたんだな」


 えっ、と困惑の悲鳴が漏れた。

 通話口から生じる声は、さきほどの忌々しい男の声だった。

「残念ながら、森山咲はその部屋には来ない。先回りさせてもらったよ。彼女は駅で確保させてもらった。なに簡単な話だ、到着予定駅の改札でお前の名前のプラカードを掲げただけだ。あとは文章の容姿と憔悴した姿で照合して確保、という手筈だ」

 それにしても、と男は続ける。

「気にはなっていたんだ。森山咲が禁足地で漏らした『ころさなければ』という台詞。普通なら『ころしてやる』がその場に則する。だから思った。彼女が殺すのはいわば自分に科せた義務だったんじゃないかって。その義務を果たせば『帰ってくる』。だから水子供養碑で森山咲が呟いた台詞は『帰してもらうから』だったんだ。殺せば、いやアマゴサマの生け贄として連れて行かれた子供の代わりに大人を一人捧げれば、帰ってくる。そう言ったんじゃないか?」

 男は滔々と私の脳内を読み解くように計画を詳らかにしてみせた。

 私は男の推理を呆然と聞くことしか出来なかった。

「殺人に美醜などないが、自分の利益のために失意の親を誑(たぶら)かして殺人へ誘導するお前の所業は、紛れもなく醜悪だ」


「・・・・・・うるさい。だまれッ!」

 もはや周囲を憚ることなど出来ずに怒鳴った。

 この耳障りの声が勘に触って神経がささくれだつようだ。

 コイツも殺したい。

 コイツも俺を馬鹿にした餓鬼のように殺してやりたい。

 呻き悲鳴をあげ、泣き崩れて命乞いを懇願させてやりたい。

 後悔に押し潰され、喚き散らす姿を見下ろしながら鈍器で頭蓋骨をたたき割りたい。

「・・・・・・そうだ」

 私は最高に冴えた考えを思いついた。

 途端に苛立って癇癪を起こしかけた気持ちがすうっと冷め、代わりに非常に心地の良い悦に入った。口角が自然と上向きになる。

 あれを殺そう。浴槽の中で失神しているあの女を殺してしまおう。

 そうすれば、この名探偵気取りの糞野郎も悔しがる。

「ざまあみろ」

 通話口に口を寄せて囁く、相手の反応も聞かずに通話を切った。

 電話の向こうで、探偵気取りの男が焦る姿を妄想すると気が晴れた。

 私は鼻歌交じりに台所を物色して刃渡り十五センチほどの料理包丁を取り出した。

 刃先を舐めるように眺める。あまり使っていないのか目立った刃こぼれもなく人体に突き刺すなら支障はないだろう。

 感触を確かめるように包丁を振りながらユニットバスに向かった。扉を開けると、莫迦になった電灯がチカチカと明滅するなかに、洋式トイレがぽつんとあり、その右隣にシャワーカーテンが引いてある。

 シャワーカーテンには浴槽の影が映り込んでおり、その左縁に頭部の影が見えていた。

 カーテンを引くと、そこには気絶したショートカットの女性が寝ていた。


 山儀晶(やまぎあきら)。

 彌子村出身で高校入学とともに学生寮へ寄宿。大学へ進学後このマンションで一人暮らしを始めた。それが私が知る彼女だった。

 私は包丁を逆手に構え直して彼女を見下ろす。

 眉を顰めて目を瞑るこの女は、村への何の貢献もない癖に、同郷だからと村人からは好意的に扱われていた。あの探偵気取りが言っていたように、この女が首吊り雛の祭祀の失敗の原因と知った村人は庇うように立ち回っていた。

 天子人形(あまごにんぎよう)という形代を拵えたのは噂によると木村の爺だと聞く。

 あの爺なんぞ俺が挨拶しても居ない者のように扱う癖に、こいつが森山咲に脅かされると察知すると、自発的に警邏なども始めた。

 おそらく四日目の晩に森山咲がしくじったのは、この女の家の周辺を警邏していた木村の爺のせいだろう。

 他の村人も程度こそ差があれど、こいつを助けるために立ち回っていた。

 一方で私の扱いはどうだ?

 二年前に脱サラして念願の農業を始めたってのに、どいつもこいつも足を引っ張ることだけが上手かった。

 折角短期で収穫できる野菜をブランド化して農協を通さずに直納する生産体制を考えてやったというのに、どいつもこいつも事業プランを理解できず、しまいには農業の知らない無知な新参者として扱いだした。

 それだけではない。彌子村で農業を初めて半年ほど経った頃、陰湿な嫌がらせを受けた。

 会合の日程が伝達されないことから始まり、農業用重機借用の拒否、言われない責任追及、八つ当たりじみた暴言、頻繁な陰口や無視。

 貯まりに溜まった鬱憤をいつか晴らしてやると思いながら過ごしていた。

 暗澹とした気持ちで働いていたサラリーマンの時代に戻ったかのような日々だった。

 その暗雲が晴れたと思ったのは、三度目の夏。刺すような日差しの強い昼だった。

 野良仕事に一区切りをつけて畦に腰を下ろしていた私に、いつもなら近寄りもしない村人が数人でやってきた。

 面食らう私に彼等は祭りに協力して欲しい、と訛りの強い声で言った。

 首吊り雛という奇祭があることは以前から知っていた。それは重陽(ちょうよう)の夜、しめやかに行われる天子人形を用いた祭祀。私はその参加権を得たのだ。

 それから村の会合にも呼ばれるようになり、会合場所である童妙神社の社務所にも良く顔を出すようになった。

 ようやく新参者から村の一員として認められたと浮かれる想いだった。

 しかしその想いが踏みにじられるのは早かった。村の噂は瞬く間に伝播する。私と同じ担い手の一人が祭祀の参加に消極的だという噂を聞いたのは、祭祀の担い手に選ばれた一週間後のことだった。

 その担い手は村で育った若者で来年成人を迎える。祭祀の参加は通過儀礼も兼ねていたため、彼も私と同じく村の成員として正式に認められることとなる。いわば彌子村の成人式といったところか。その参加に消極的だという理由が、私には分からなかった。

 村人とも会話する機会も増えていたため、会合の帰りその青年に直接尋ねた。

 場所はちょうど三叉路辺り。なぜ参加を嫌がるのか、と訊く私に彼は心底莫迦にした笑みを浮かべた。

「本当におめでたいやつだな」

 そう悪態をつくと、彼は首吊り雛がどのような祭祀であり、その祭祀に纏わる不可解な事件の数々を、まるで私に当たり散らすように語ってみせた。


 全てを聞き終えたあと、私は茫然としたまま帰宅の途についた。

 彼が言った、おめでいたやつ、という言葉が楔のごとく心に刺さった。

 泣けば良いのか憤れば良いのか、私には分からず廊下に寝転んだ。

 床はひんやりと冷たく、もう聞き慣れてしまったヒグラシの声がする。

 身体に染み付いた汗がいつも以上に不快に感じた。

 私が一人の少年を殺してしまう、半月前のことだった。

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