解呪

解呪 第一節

 アマゴサマを紐解くには、まずその核を覆う分厚い皮膜(ひまく)を取り除かなければならない。

 ここでいう皮膜とは、彌子村(みこむら)を取り巻く信仰に他ならない。

 天保年間から息づく天子人形(あまごにんぎよう)の祭祀は、その信仰の中でも何よりも欠くことが出来ない鍵となる。

 したがって、己(おれ)が先んじて解明するのは天子人形に関する怪異と、その誤解だ。

 己に送られてきた文章には、天子人形は天児人形を基とするものと記してあった。

 天児人形(あまがつにんぎよう)というのは、穢れや厄災を肩代わりする形代の一種だ。

 元をただせば古代、疫病を祓うために路傍に人の等身大の草にんぎょうを立てる風習があり、それを家屋に安置したり、御守りとして身につけたりするために小型化した祓えの人形が由来とされている。

 時代下ると、幼児の枕元におかれ、上巳(じようし)の節句に雛人形とともに使用され、厄災や病気を祓う魔除けとされていた。その形代信仰(かたしろしんこう)は如実に天子人形に引き継がれている。

 天子人形が精緻(せいち)に模されているのもそのためだ。

 天児人形は身代わりとなる赤ん坊の産着(うぶぎ)などを着せて穢れ祓いの形代としているが、天子人形ではその形代の効果を引き上げるために様々な改良を加えている。

 身代わりの子供に似せることは先に述べた。衣服を着せているのも産着と同じ発想からだろう。そして一日目の夜、天子人形を燃やした時に嗅いだ異臭。

 あれは文章にも書いてある通り、子供の髪の毛だ。それもやはり、形代としての効果を期待してのことだろう。

 さて、天子人形が彌子村において形代として活用されていることを留意(りゆうい)すると、ひとつの怪異の正体が明らかになる。


 そうだ。あの神出鬼没の天子人形の怪異だ。

 送られてきた文章では、三日目の真夜中に自室、四日目の未明に自室前の廊下、そして帰宅後にキャリーケースから天子人形が出現している。

 文章中では天子人形をアマゴサマの祟りに関わる、呪詛人形(じゆそにんぎよう)のようにほのめかしているが、その実、模した相手の身代わりとして活用されていた。

 そして天子人形を形代として活用したのは親御さんだろう。

 一日目の晩と二日目の朝の様子から、祭祀の失敗を感じ取った彼等はアマゴサマの厄災が子供へ降りかからないよう天子人形を拵えた。そして形代の効果を上げるため、天児人形を枕元におくように、二日目の夜に子供の部屋へ忍び込んで天子人形をおいたんだ。


 これは憶測だが、彼等はその人形を翌日の未明に回収しようと思っていたのだろう。

 懇切丁寧に天子人形について説明するという選択肢もあっただろうが、それを行うためには祭祀の失敗で降りかかるかもしれない祟りについての言及や、健太君の失踪への罪悪感をあおる懸念があった。彼等はそれを考慮し、内々に行うことにしたのだろう。

 だがことはそう上手くはいかなかった。ちょうど回収する前に見つかってしまったのだ。文章では悲鳴をあげたが両親の起きた気配はなかった、と記されているが、恐らくそれは間違いだ。

 彼等は起きており、人形が庭に埋められている光景も見ていたはずだ。だからこそ、同じ人形が四日目の未明に戻ってきた。その時の人形は、三日目の晩にゴミ箱に捨てられた衣服を纏っていたとしているが、これも形代の効果を上げるために着古した衣服を活用したのだろう。

 残念ながらこれも発見され、挙げ句の果てに四日目の未明にも回収する前に見つかってしまうが。

 さて四日目の未明、人形は童ヶ淵(わらべがふち)に流された。文章から四時半から五時頃と推測されるが、これを回収したのは流石に親御さんではないだろう。

 おそらくだが、回収したのは彌子村の村人だ。文章中にも農家の朝は早いと言及しているとおり、農作業へと向かう村人があとをつけ、そのあと放り込まれた人形を回収したのだろう。川に投げたとしても、人形が下流まで流れてくれることは稀だ。蛇行した川の岸についたものを拾って親御さんの元に返したとすれば辻褄があう。

 そして五日目、彼等は人形をキャリーケースに入れておいた。

 これは確実に発見されてしまうが、多分五日目の朝にこれまでの謝罪とともに説明する手筈だったのではないか。だが、禁足地での遭難と五日目で早々に帰ったことから、話す機会を得られなかった。文章には記されていないが、回収する機会も与えないほど足早に駅へと向かったのではないか? それまでの顛末を思慮すれば、それもいたしかないだろう。


 と、以上の通りが神出鬼没の天子人形の正体だ。

 この怪異は人形を形代という御守りであるということを誤認したために生じた虚妄(きよもう)だったのだ。そのため、三日目の昼に見た健太君の遺留品も妙な勘違いをしてしまっている。

 三方の上でベールを被されていたのは、確かに健太君の遺留品であり、彼が携帯していた御守りだった。

 文章中では言及されていないが、おそらく御守りと言われて想像していたのは、一般的な神社などで売られている小さな包みに入ったものだろう。

 だが、彌子村で御守りを指すのは人形だった。たったそれだけのことなのだ。


 天子人形の役割を取り違えているために生じた誤解はもうひとつある。それは他でもない首吊り雛の祭祀だ。

 文章では忌まわしき因習の如く記されている首吊り雛の祭祀も、視点を変えれば印象も様変わりする。

 首吊り雛の大筋は文章に書かれている通りだ。天子人形を供物の代替えとしてアマゴサマという山神に奉献する。いわば贄の身代わりが天子人形にあたるのだが、ここで少しばかり言葉を加えるならば、これは決して生け贄を模しているのではない。


 首吊り雛は死んだ贄を模してるのだ。

 そのため、首吊り雛の祭祀は贄を差し出しているのではない。これは贄となる子供が全て死に絶えたことを山神に奏上(そうじよう)する祭祀なのだ。

 だからこそ神の棲まう禁足地の玄関口となる石鳥居で形代に首を吊らせ、それを串刺しにして燃え盛る壇にくべた。

 全てはアマゴサマに贄の子供が死に絶えたというポーズをとるために。

 ひるがえって考えてみれば、だからこそ祭祀の間は子供の外出が禁じられ、祭祀の失敗は神隠しに繋がるのだろう。形代で誤魔化して死んだように扱って山神を騙そうとする祭祀に子供が現れてしまっては、手品の種を明かすようなものだ。

 手品を見透かされてしまえば、山神に贄として子供を攫われてしまう。

 アマゴサマに禁足地に引きずりこまれてしまうのだ。


 だが神隠しでは飽き足らず、アマゴサマはもう一つ怖ろしい怪異を為す。

 それはまるで騙した氏子(うじこ)たちへの報復だというかのように、神隠しがあった年は祭祀の担い手となった大人が無惨な死体となって発見される怪異が生ずる。

 これを文章中では『一踪一死(いつそういつし)』と呼んでいたが、己は通読している途中でその仕組みが簡単に読み解けたよ。

 それは己が彌子村で生じた五日間の怪異譚を第三者の視点で俯瞰してたためだろう。そしておそらくだが、彌子村の人々も口にはしないだけで薄々は何が起きているのか勘づいているのだと思う。


 これはアマゴサマの報復ではなく、遺族の報復だと。

 その最たる証左は被害者の死体にある。


 今一度思い出して欲しい。過去被害にあった三人の遺体の惨状を。一人は殴打され全身打撲の末に死亡。一人は首をねじ切られ死亡。一人は死体を切断したあと肥溜めに放棄。

 この死体が若しも彌子村ではなく人口の坩堝(るつぼ)たる都市圏で起きたなら、犯罪心理学に詳しいコメンテーターを呼ぶまでもなく、うらぶれた俳優も知識人ぶるアイドルも異口同音に真実を口にする。

 これは怨恨殺人(えんこんさつじん)だと。

 過剰な暴行や隠蔽を意図しない死体の損壊がある場合、被害者と加害者との間に憎悪の関係性が示唆される。これは彌子村でも示唆されるべき因果関係だった。

 しかし首吊り雛の祭祀と子供の失踪という目を引くブラフと、彌子村(みこむら)の村人の心の何処かに棲み着いているアマゴサマへの畏怖の念、そして村という密接な共同体から復讐の一念を孕んだ醜悪な殺人鬼を焙り出すことへの抵抗感が、見えるはずのロジックを霞の中へ包んでしまった。日本人の悪癖ともいえる隠蔽体質は、共同体が密であればあるほどに合理的な判断を阻害してしまうものだ。


 さて祭祀の壇に焚く煙りに紛れるように仄暗い殺意を振りかざすのが遺族だとすれば、四日目の窓辺の侵入者や五日目の禁足地で襲いかかってきた怪異が、白日の下に晒されたように正体を現すだろう。

 正体は森山健太君の母親、森山咲だ。

 彼女は愛する子供を神に奪われた喪失感を埋めるようと、過去三件がそうであったように、殺意を以て祭祀を失敗した担い手の殺害を試みた。

 彼女の犯行を列挙するならば、四日目未明の家宅侵入未遂と禁足地での暴行及び殺人未遂。

 これは文章中では窓辺の怪異であり、禁足地の化け物として怪異的に記述されているが、その実、森山咲の犯行だった。


 さぁ、残る怪異は一つ。

 アマゴサマの神隠しだけだ。

 だが、その前に処理したい案件がある。

 それは森山咲がどうやって殺意の矛先を定めたか、という件だ。


 殺意を向けられる可能性がある担い手は三人、それとタケじぃとの愛称で呼ばれていたご老人、木村武雄(きむらたけお)氏を含めれば四人いる。

 文章中では、彌子村では浦口の言で祭祀が失敗したことは周知であることと、周囲の監視する視線から失敗した担い手は誰だが分かっていない、と記されている。

 であるのに、彼女は一人に絞っている。

 それがどうして可能だったのか?

 この答えを出す前に、文章の所見(しよけん)に対して少々修正を加えなければいけない。

 先に述べたとおり、童ヶ淵(わらべがふち)に天子人形が流したときに回収したのは村人である。ならば、村人達は天子人形という身代わりが必要になった人物こそ祭祀を失敗した人物であると考えるのは自然だろう。だから村人は、その周知の度合いは定かではないにしても、ある程度の人数が祭祀を失敗させた人物を特定できていたと考えるべきだろう。


 しかし、森山咲は噂が広まるより早く、おそらく二日目の昼には確固たる証拠を有して対象を特定していたと己は考えている。

 どうやってか?

 無論、森山健太君の人形を回収したからだろう。


 森山咲は二日目の昼、誰もいない山儀家(やまぎけ)に侵入して物的証拠を得たのだ。

 そうやって彼女は殺意の矛先を定め、森山健太君も模した人形は消失した。

 が、ここでも疑問が生じる。部屋が荒らされていないことから、彼女は侵入してすぐにキャリーケースを狙っている。つまり彼女は人形のある場所を知っていたのだ。


 それは何故か?

 簡単だ。とある人物に聞いたのだ。

 そこに天子人形があると。

 彼女が殺人を犯せば、『一踪一死(いつそういつし)』は完成しアマゴサマの祟りは完成する。そうすることでお前への疑いの目は有耶無耶になる。アマゴサマの祟りという心象を植え付ければ、森山健太君は幽世の山に眠り続ける。

 ──そうだろう、アマゴサマ?

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