禁忌 第二節

  雑木林をジグザグに縫うように斜面を登った。

 周囲は日が落ち、ヘッドライトに照らした腕時計は七時を指していた。

 暗闇の中、登れる斜面を探すために迂回しながら進んでいった。

 飯盛山の登頂は難なく進んでいた。

 しかし一方で妙な気配に苛まれ、度々後ろを振り返った。

 近くを照らすヘッドライトは乱立した雑木林を浮かび上がらせる。だがそこには誰もいない。だというのに歩き出すと、自分の足音に別の跫音が混ざるのだ。

 

 跫音は、近づく訳でもなくヘッドライトが照らし出す視界の外からついてくる。足を止めると、彼方も止まったように足を止めた。まるで小学生が友人の喋った言葉を悪戯に繰り返すように、私が踏み締めた足音に似せて、私と同重量の人間が腐葉土を踏みつけるようだった。

 私は背後を付いてくる者に心当たりがあった。

 昨晩、私の部屋に押し入ろうとした、あの存在。

 私は気持ちを奮い立たせると、振り返って叫んだ。


 誰ですかッ。

 そう言った声は暗闇に溶けていく。

 何者かはじっと黙ったままだ。


 何が目的ですかッ。

 声を張り上げて叫んだ。それにも相手は無言を通す。

 

 貴方がアマゴサマなのかッ。

 それにも返答はない。

 だが、

 ──ジャキンッ。

 代わりに響いたのは鋭利な金属音だった。

 まるで大きな鋏を噛み合わせたような。

 それは言葉以上に相手の意思を示した。

 殺意。切り刻んでやるという明確な意思。

 私は放たれたように駆けだした。

 後ろからは跫音が迫ってくる。

 それは徐々に距離を詰め、彼我の距離はどんどんと縮まっていく。

 私は走りながら身を軽くしようとして、リュックの両紐から腕を外そうとするが、もたついて上手くいかない。

 やっとのこと脱ぎ捨てたときには、もう十メートルほどの距離まで接近していただろう。

 殺される。殺される。殺される。

 鼓動と連動するように、その言葉が頭に反芻させた。

 神隠しが生じた年は、百舌鳥の早贄のように無惨に殺害される。

 一人は首をへし折られ背中まで曲げられた。

 一人は内出血で全身が膨れあがった。

 一人はバラバラに解体された。

 私はッ──。

 その時、ずるりと右足が宙を踏み抜いた。急な浮遊感とともに勢いよく身体が右側に傾ぐ。そしてすぐに傾斜に身体を叩きつけ、転がるように落ちていった。

 再び背中を叩く痛みが走った。私は傾斜に生える樹木に打ち付けられていた。

 痛む肺で息をして、自分の落ちてきた先を見上げる。

 ヘッドライトは落下の衝撃で壊れて、私の荒い呼吸をなぞるように明滅していた。

 明かりは見上げた景色を明確に照らしはしなかったが、見上げた先に誰かいるのは分かった。距離はさほど遠くない。斜面の端から私を見下ろしている。

 そして見せつけるようにカチャン、と凶器を鳴らした。

 

 ヘッドライトを投げ捨てると、傾斜を滑り下りてくる音から逃げるように再び走り出した。

 左足に鈍い痛みがあった。転落した衝撃で左足を捻っていた。

 踏み出す度に熱い痛みが沸き上がる。それでも叫びたくなる気持ちを抑えて、左足を引きずりながら前へ前へ逃げた。左足を庇いながら逃げているため、焦る気持ちに反比例して進む早さは遅かった。

 背後から迫る跫音は、私の荒れる息づかいを追って、ゆっくりと距離をつめる。

 さっきまでヘッドライトをつけていたため、暗闇に順応していない視界は深海に潜ったかのように暗く、数メートル先の樹木さえ見えなかった。

 何度もぶつかりながら、私は後ろから迫り来る脅威から逃げた。

 追いつかれるのは時間の問題だった。

 隠れなければ。

 でも、どこに!?。

 迫る跫音は怯える私を嘲笑うように枯れ葉を踏みしめる。

 相手は足取りからして夜目が利いている。安易に何処かへ隠れても、その動きは完全に見通されてしまう。

 片や私は暗順応も追いつかず、隠れられる場所さへ見当がつかない。折りたたみのスコップで対抗することも考えたが、それは脱ぎ捨てたリュックの中にある。

 持ち物といえばズボンに入れた携帯電話ぐらいだろう。だが、それは何の役にも立たない。通報するにも隠れなければならないし、そもそも飯盛山に電波が十全に通っているとは思えない。


 万策尽きたと諦めかけた矢先、携帯の活用法を一つ閃いた。

 ただしそれにはタイミングや運が左右する。

 成功する可能性はかなり低い。

 だが、その可能性に賭けなければ、待っているのは悲惨な結末なのだ。

 私は携帯を取り出すとカメラ機能を呼び出した。そして設定を整えると、すかさず相手へ放り投げる。

 彼我の距離にカメラがゆっくりと弧を描く。

 そして相手の元へとぶつかる間際、セットしたタイマーの時間になり、携帯から一斉に連写音が鳴りフラッシュが何度も瞬いた。

 私は携帯をいわば閃光手榴弾(フラツシユグレネード)のように投擲すると、その隙を見て片脚で大きく飛んだ。

 そして身近な樹木に飛びつくと、地面を踏まずぶら下がりながら、くるりと樹木の背に廻った。枯れ葉を踏めば、シャッター音があるとはいえ、音で居所がバレる。

 何者かの暗闇に順応した眼はフラッシュによって眩んでいた。

 すかさず上着から木村実里ちゃんを模した小さい人形を取り出して、自分が居る場所とは反対の方へ放った。


 ────ガサリ。

 人形は上手く音をたてて、遠く枯れ葉の上に落ちた。

 何者かはその音を聞き取り、音の元へ歩いて行く。私はその背中を樹木の幹にぶら下がりながら、どうか此方に気付かないでくれと祈った。

 暗闇になれ始めた眼は、影に縁取られたような何者かの背中を写した。それが左右に揺れるように歩きながら音の元へと歩いて行く。手に持っていたのは長く大きな鋏にも思えたが、これも輪郭を捉えるだけで何なのかは分からなかった。

 私は下手な枝の擬態から脱するために、ゆっくりと木の幹を伝いながら滑り下りた。

 枯れ葉の上にゆっくりと足先をつけ、慎重に体重を掛けていく。

 耳元に聞こえる、チリ、チリという枯れ葉の踏み音が、何者かの耳に入らないか気が気でなかった。

 そして両足を地につけて爪先立ちから徐々に踵をつけようとしたときだった。


 パキッ。

 渇いた音が雑木林の中に響いた。

 枯れ葉の下に隠れていた枝を踏み抜いた音だった。

 途端、枯れ葉を巻き上げるように走ってくる音が生じた。

 何者かが荒い息づかいとともに猛然と迫ってくる。

 その狂い猛る何者かの気配を、私は樹木を背にして硬直したように立ちながら聞くしかなかった。それしか出来なかった。

 何者かは数メートルまで接近すると、嗅ぎまわるように周辺を徘徊し始めた。枯れ葉を踏みしだく跫音がすぐそこで聞こえた。

 私は息を潜めながら、五月蠅く跳ね回る鼓動の音がどうか相手へ聞こえないことを祈った。何者かはその祈りを許さないというかのように荒々しく周囲を踏み歩き、他に手掛かりがないか探し回る。

 音が死に絶えたような山で、私を殺さんと化け物が蠢く。

 その殺意の籠もった蠢動を、私は木を背にして間近で聞かされていた。

 相手は呼吸の音さえ耳聡く知覚しようとする。


 私は恐怖で過呼吸のように喘ぐ口を必死に両手で塞ぐので精一杯だった。

 何者かは探すのを諦めたのか、忙しく枯れ葉を踏みならす音は止んだ。代わりにゆっくりと跫音が近づいてくる。明確に、私のいるほうへ。

 チャキリと鋏が口を開くような金音が耳朶を舐めた。

 跫音はすぐそばで止まった。


 緊張が高まる。此方に気付かれたのか。

 そう思った矢先、左耳の産毛をなぞるように、にゅうっと刃先が伸びてきた。

 驚きで込み上げてきた悲鳴をどうにか押さえ、それを横目で窺う。

 その両刃は鰐の顎のように大きく開き、ガシャン、とひときわ響かせるような金叩音(きんちょうおん)が左耳の鼓膜を叩いた。


 ガシャン、ガシャン、ガシャンッ!!

 癇癪を起こしたように三度、刃金(はがね)の噛み合う音が雑木林に鳴り響いた。

 そしてようやく気が済んだのか、凶器はゆっくりと下ろされ、何者かは踵を返した。

 跫音が少しづつ遠ざかっていく。

 その音に混じり、男とも女ともつかない掠れた声が、

 ──ころさなければ。

 と、呪詛めいた殺意を残していった。


 私は何者かの跫音が遠ざかるのをじっと待って、まったく聞こえなくなると腰砕けに地面に尻をつけた。

 押さえつけていた荒々しい呼吸が闇のなかに溶ける。

 私は呼吸を整えることに専念した。極限状態で嗚咽が混じりに呼吸を繰り返し、数分後にようやく落ち着きを取り戻してきた。思考も次第に快復してきた。

 早く禁足地から逃げなければならない。

 それが目下の目標となった。残念ながら健太君の消息を追うことは断念せざるをえない。今、飯盛山の禁足地には疑うことなく、怖ろしい化け物が鋭利な凶器を持って徘徊している。その狂気から逃れることこそ、第一目標だった。

 私はじくじくと痛む左足を庇うように立ち上がると、もう一度、化け物が去ったか木の陰から覗いた。

 暗闇に慣れた目は、鬱蒼と並ぶ雑木林をうつした。


 林立する常葉樹は日光を得るために葉を上へ上へと伸ばすため、禁足地一帯は太い幹が支柱のように生えている。

 そんな支柱のような幹の横にひとつ、小さな樹木が立っていた。

 それは若木というには枝がなく、二メートルもない細い幹が一本たっているだけだった。

 私は怪訝に思って凝っとその奇妙な若木をみつめた。

 ・・・・・・いや、違うッ! あれは木じゃないッ!!

 私があわや叫びそうになったのを見計らったように、案山子のように屹立するそれが葉音もなくすうっと滑るように前に出た。

 そのまま呆然としている私の前まで音もなく近づくと、案山子のような奇怪なナニカは片腕を振りかざす。

 途端、頭蓋骨に鈍い振動が走った。

 私は薄れゆく意識の中で、私を見下ろす誰かの笑みを見た。

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