禁忌

禁忌 第一節

  入り口の三叉路はいまだ暗く、山道に入る前からヘッドライトが必要になった。

 頭部から照射される明かりが錆びついた立ち入り禁止の看板をぼんやりと浮かび上がらせた。錆によって爛れたような子供の顔が、まだ一度も見たことのない、祭祀を違えた私にむけて睨んでいる森山健太君のようにも思えた。

 看板を脇にずらし山道を見上げると、森の暗闇は一層深く感じた。

 山岳信仰に例をみるように山林は神々の棲まう異界、目の前に広がる暗がりの山道もどことなく神々から見下ろされているような雰囲気があった。その雰囲気が呼吸する度に与える圧迫感は、自然にとって人間がどれだけ矮小な存在であるかを誇示されているようだった。


 漠然とした恐怖は山道の半ばまで進んでも拭えず、むしろ増すばかりだった。

 正体不明の脅威に晒される恐怖とは毛色が違う、人など歯牙にもかけないような大きな存在に圧し潰されるような別種の恐怖感。地面に倒れ込めば、不可視の圧力によってペシャンコになってしまうような、叫び出したくなる不安感。

 暗く視界の不明瞭な飯盛山はそんな魔性を秘めていた。

 九十九折りの隘路まで辿り着くと、ようやく陽光がぼんやりと差し始めた。それでも隘路に入れば沼に潜るように暗かった。

 祭祀の晩、得体の知れない視線を感じた場所まで辿り着いたが、今回は何も知覚することはなく、暗闇の中を蛇行する道を進み、隘路のひらけた広場まで来ると、稜線から朝日の光がじんわりと顔を出していた。

 私は一度リュックを下ろして水分を補給のための小休憩をとった。

 再びまみえた首吊りの石鳥居は、不遜にも禁足地へと侵入しようとする私を阻むようだった。仄かな朝焼けの光が石鳥居に差すと、人形がぶら下がっていた貫に蛇が絡みついたような縄の痕が無数に残っていた。過去にどれだけ村の子供に似せた天子人形が首を吊られていたのかを、静かに物語っていた。

 鳥居の奥に獣道ほどの狭い山道があった。入り口には人の進入を遮るように低木が左右から伸びており、そこが人の立ち入る場所ではないことを森が示していた。


 私はそれを見て自分の予想に自信を持った。

 もし捜索が禁足地に及んでいるなら、すでに道を阻む低木は取り払われているはずだ。そう奮い立つ一方で、この先は村人が忌諱する禁足地なのだと改めて自覚させられた。

 ここから先は、この山麓で生きている人々が畏れてはばからない領域。

 アマゴサマの棲み家。

 それを犯すことに、今更ながらたじろんだ。

 それでも行かなければならない。健太君を見つけて、これが怪異の仕業ではないことを証明するためにはそれにしか方法はない。そう自分に言い聞かせリュックを背負い直すと石鳥居をくぐり、禁足地へと足を踏み入れた。


 ほどなくして、禁足地の獣道が私の甘い目論見を難なく打ち砕いた。

 昔から神域とされていたためか、伐採を免れた古齢の樹木の太く伸びた根っこが縦横無尽に地面を這っていた。それに私は何度も足をとられた。山の傾斜も更に険しくなるばかりで、周囲の幹や太い枝を支えに登らないと先へ進めなかった。

 禁足地に入って十分もしないうちに、ぜいぜいと息が切れだした。

 禁足地の道は悪路だった。進むにつれて険しくなる獣道は、しまいには道さえなくなり、只の雑木林に成り果てた。

 このまま進めば遭難の危険性も出てくる。それに見落とした道もあるかもしれない。そう思い、私は来た道を戻ることにした。

 だが、ときすでに遅し。

 戻っていると思い込んでいたのか、それとも獣道なので分かりづらくて見当違いの方向へ歩いていたのかは定かではないが、私はすでに引き返すべき道が分からなくなっていた。

 山岳初心者の遭難被害は峻険な山よりも、普通ならば道に迷わないような低山で頻発するらしい。

 理由として、登山を舐め腐った装備と軽い気持ちで脇道にそれる間抜けさが主な原因として挙げられるが、そのときの私は模範的なまでにその両方の原因にぴったりと当てはまっていた。

 鬱蒼とする山中で、自分の阿呆さ加減に空を仰いだ。

 青い空は緑の梢で塞がれて、微かな木漏れ日だけが差し込んでいた。

 全てが同じ景色に見える山中で、私は遭難したことを自覚した。



 遭難した際に絶対してはいけないことの一つに、迷った場所から無闇矢鱈に歩き回らないこと、とあるらしい。

 成る程、おおむね賛成だ。

 しかし体験者として一言言わせてもらえば、それは少々酷な話しだ。

 自分が遭難し、かつ一人で救助を待つとなれば想像を絶する不安が押し寄せてくる。

 それでも押し寄せてくる不安にただじっと耐えていると、ふと天啓のように、もしかしたらあの方向を進めば見通しの良い道に出られるのではないか、という根拠のない自信が頭によぎる。

 不安に晒される心を慰めるために、遭難者がその悪魔の囁きを採択するのは無理もないだろう。

 そして完全に方向感覚を奪われた頃になってようやく気付く。

 自分が莫迦であったと。

 それを極めて正確に実証してみせた私は大きな木の根に寄り掛かり、乳酸のたまった足をもみほぐしていた。

 腕時計を確認すると、既に正午を廻っていた。それほどまで無駄に歩き回り、そして迷い続けていた。

 そんな私に疲労に加えて睡魔も襲ってきた。

 考えてみれば、連日の奇怪な現象のせいで真っ当な睡眠など一日たりとも取れていない。昨晩は招かれざる訪問者の襲撃に神経を苛まれたあとに、四時間ほどの眠りの浅い仮眠をとっただけだ。

 その癖、祭祀や捜索で負担する疲労は心身ともに通常時よりも酷いものだった。その身体に拍車を掛けるような山の遭難は肉体が悲鳴をあげるに十分な要素だった。

 気付けば、私は失った睡眠時間を取り戻すかのように、こっくりこっくりと舟をこいでいた。捜索は日中のほうが格段に健太君を発見できる確率はあがることは十分承知していたため、雪山に遭難した冒険家のごとく、寝てはいけない、寝てはいけないと自分を叱咤したが、身体は私の理性的な命令を聞き届けるほどの余力は持ち合わせていなかった。

 膂力は萎え、気力もぼんやりと霞みだし、目蓋は二度三度上下したあと、ぴったりと閉じた。


 そして私が弾かれたように起きたとき、感覚的な時間はものの数分だったが、周囲はすでに朱みを帯びていた。

 夕暮れだった。腕時計で時間を確認すると、午後五時を過ぎていた。

 愕然とした。実感としては一瞬だった時間は、その実、五時間も経っていたのだ。

 狼狽えた私は早く健太君を探し出さねばと思った。それが私が禁足地へ踏み入れた目的だったからだ。

 リュックを背負い、勢いよく立ち上がったが、足は一歩として踏み出せなかった。

 私はここにきて改めて自分の浅慮を実感させられていた。

 禁足地へ向かえば何かが見つかるかもしれない。そんな行き当たりばったりの考えで行動したために、今や自分が遭難している。探すあてもなく戻る道も分からない。そんな自分がどこへ向かって歩き出せばいいか、分からなくなってしまったのだ。

 起こした腰をまた木の根に預けて途方に暮れていると、もしかしたら、と思った。自分が置かれているこの現状が、祭祀の晩に生じたアマゴサマの神隠しの舞台裏だったのではないか、と。


 シナリオはこうだ。

 首吊り雛の晩、健太君は六時に友人と集合した。彼等は大人の詰問に対して、集まった理由を各々口にしていたが、本当のところは首吊り雛の祭祀を盗み見ようとしていた。

 しかし大人に見つかりあえなく断念して散会、と見せかけて、健太君はひとりでその計画を実行しようとしたのではないか。山の中に潜み、私達が何をしているのかをつぶさに観察しようと考えたとすればどうだろうか。

 この憶測に従えば、私が行きの九十九折りで感じた何者かの気配は健太君だったのではないか推察できる。

 彼は山の中ではタケじぃの眼に見つかると思い、九十九折りの隘路の藪林の中に潜んでいたのではないか。そして倒れ込んだ私を心配して出てきたのではないか。

 加えて彼の遺留品が石鳥居の下に落ちていたことも、これで氷解する。

 彼は私を心配して出てきたあと、私のあとを追うようにして広場までやってきて石鳥居の作業を観察し、鳥居の先にある禁足地に興味を持ったのではないか。

 なにせ首吊り雛を吊してある鳥居の先だ。彼は鳥居の先には社殿があると考えたのだ。

それゆえに禍々しい社殿があると想起して、彼は禁足地に踏み入れたのではないか。そのときに遺留品が落ち、そして禁足地で道に迷って遭難した。


 これが健太君失踪の真実なのではないか。

 ならば彼が遭難してから既に丸三日。人が飲まず喰わずで生きられる限界も三日程度と言われている。もしも彼が衰弱しながらも生きていると希望を抱くなら、今を逃せば命が助かる見込みはない。

 私は気を取り直して立ち上がった。遭難してしまったのならとことん歩き回って健太君を見つけ出そうと決意した。

 まず目指すのは山頂だ。飯盛山はそこまで高い山でもない。禁足地は中腹より上の区域あるため山頂まで、そこまで時間は掛からない。そこから山を見下ろし、捜索の指針と下山ルートの目算をしよう。そう決め、私はリュックを背負った。

 するとリュックを寄り掛けていた根元、木の洞のように大きな根が盛り上がった空洞に山の奥地には似つかわしい人工物が見えた。


 堆積した枯れ葉を払って奥から取り出すと、それは手の平ほどの人形だった。

 ここにもか。

 苦々しい思いがした。人の侵入が妨げられているはずの禁足地にも天子人形が埋まっていた。彌子村に取り憑いている人形の影は、山麓の村だけではなく、こんな禁足地の山奥にも蠢いているのだ。

 それにしても良く腐らなかったものだと関心しながら手の中で人形を観察する。

 人形は少女の容姿をしており、簡素なものだがパステルブルーのワンピースもしつらえてあった。この人形もデフォルメされた造形ではなく、写実的に対象となる子供に似せてあった。

 間違いなく天子人形(あまごにんぎよう)だろう。ただ、祭祀で使われる物よりも二回り以上小さかった。

 ある程度調べ終わり、最後の箇所を確認するだけとなった。

 天子人形は首筋に模倣した人物の名前を刻む。私は誰を模した人形か確かめるべくその刻まれた文字を見た。ところどころ朽ちて分かりづらかったが、四文字の断片から読み取れた名前は、


 『木村実里』


 呆然とした。この人形はタケじぃの娘さんを模した人形だった。

 彼女は三十年前に神隠しにあったまま消息が絶たれている。だとすれば、タケじぃの娘さんも禁足地で失踪したのだろうか。彼女もまた禁足地に迷い込み、そして帰らぬ人となったのだろうか。

 若しかすると、神隠しにあった子供達は全て禁足地で失踪しているのではないか。

 そう考えた途端、身震いがした。

 飯盛山の禁足地は、首吊り雛の夜に、まるで食虫植物のように子供を誘い込んでは二度と山麓へは戻れないように山の中へ隠してしまう。

 そこへ安易に踏み込んだ私は今まさに危機的状況に見舞われているのではないか。

 見上げれば日も暮れ、山陰に沈む山中はすでに仄暗い闇と纏い始めていた。

 私はその人形を上着に入れ込むと、この忌まわしい禁足地から抜け出すためにも山頂へと向かった。

 その頃からだ。

 跫音がダブりだしたのは。

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