怪異 第七節

 日付は変わり午前零時過ぎ。

 うつらうつらと微睡んでいた私の耳に微かな音が聞こえた。


 ・・・・・・かさり、がさり。


 風に揺れる梢にも似ていたが、時折手で掻き分けるような葉擦れの音が混じった。

 窓側には人一人が通れるほどの犬走りを隔て、シダの垣根が壁を作っている。高さは部屋から覗くと私の胸辺りに垣根の頂(いただき)にくるが、道路から垣根に向かうと二メートル半ほどの高さがある。


 がさり、・・・・・・かさり、かさり。

 上から覗きみることはできない。そのため自室のほうへ近づいてくる何者かは生き垣に触れながら歩いて、時折、思い出したように垣根を掻き分けている。

 

 矢張り来た。

 予想していたことながら、何者かにつけ狙われているという実感が、私の心臓を五月蠅いほど跳ね上げた。


 かさり、かさり。

 まるで子供が道端で拾った小枝で壁をなぞりながら歩くように、何者かは垣根を手で触れながら、時々立ち止まって垣根を掻き分けて中を窺っている。葉擦れ音は自室の窓辺りまで近づくと、葉を掻き分け。

 ふっと音が消えた。


 ────ガザッ、ゴトッ。

 聞こえた異音は、私を戦慄させるのに充分だった。

 それは垣根の支柱に足を掛け、垣根を乗り越えようとしている。

 私は早鐘を打つ心臓の音に妨げられながらも、外へ耳を澄ました。木刀を掴む手に汗がぬめる。窓のカーテンを見据えながら、それが外気で揺れないことを一心に祈った。


 恐怖の渦中で切に祈る私の耳に、ドサリと体重がのった音が聞こえた。枯葉の溜まった犬走りのうえに下りた音だ。何者かは垣根を越えたのだと分かった。相手は私と窓一枚の距離になった。


 ギシ。

 窓が軋んだ。

 施錠されていることが意外だったのか、何度か確かめるようにガタガタと揺らした。そして鍵が閉まっていることが分かると、諦めたようにすっと音が止んだ。


 自室は静寂さを取り戻した。

 壁掛けの時計が、チク、タク、チク、タク、と規則正しい音を刻む。

 鼓動も落ち着きを取り戻し、正常な脈拍を打つ。


 十分が経過した。

 しかし、一向に窓際から立ち去る音が聞こえなかった。あの音が幻聴かと疑うほど、外からは何も聞こえない。

 動物だったのだろうか。猫や鼬(いたち)、狸は村の周辺でよく目にした。それらは夜行性なので夜中は活発に行動する。喧嘩する猫の鳴き声が赤ん坊の夜泣きに聞こえてしまうように、私の恐怖心が動物の足音を悪意ある何者かの跫音に聞き違えたかもしれない。窓の揺れは突然吹いた風によるものだったかもしれない。

 それが幻聴であったかどうか、カーテンをずらして窓から覗けば判断できた。

 ただ、もしも覗いた先に凶器を握る殺人鬼が立っていたなら、あるいは私の名前が彫られた人形が海外のホラー映画『チャイルドプレイ』のチャッキーのように、自律した殺意を有して窓枠に立っていたならば、私は脆弱なガラス一枚を隔てた部屋で殺意ある化け物と向き合わなければならない。


 両親に助けを求めるか。だがそれは死体を二体増やすことになりかねない。何も予期していない人間の家に、突然殺人鬼が侵入して、それを防ぐ術を的確に取り得るだろうか。おそらく混乱の只中で嬲り殺しになるのが関の山だ。

 放置も考えた。

 だが殺人鬼がいる可能性を前に無視を通せるほど肝は据わってはいない。

 様々な可能性を逡巡していると、窓辺の異音から二十分も経過していた。

 思い悩むよりいっそカーテンを開け放って不安を解消したほうが良いのではないか。考えあぐねた果てに、そう結論づけ窓に近づいた、まさにその時だった。



 ガタガタガタガタガタガタガタガタッ──────。

 窓枠から外さんばかりに窓が揺れた。

 まるで暴風雨にさらされたような雨戸のような振動だ。それは窓枠に手をかけた何者かが、癇癪を起こしたかのように荒々しく打ち鳴らす。私が短い悲鳴を漏らし窓からあとずさると、揺れ動かす音は手で叩く音に変容した。


 ドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドン─────。

 拳の腹を打ち付けるように、ドンッドンッと窓が叩きつけられる。

 あわや叩き破られると思った瞬間、激しく打ち鳴らす音はぴたりと止まった。

 ひそめるように静かになると、垣根の支柱を踏む音とともに葉擦れが聞こえ、それは垣根から飛び降りると彼方へと走り去っていた。


 窓辺の怪異が失せると、私はその場にへたりこんだ。

 それにしても何者だったのか。あれが昨晩私の足許に不気味な人形を置いた犯人なのか。そう考えると再び鳥肌が立った。

 それから窓を振るわせた何者かが舞い戻ってくるか警戒をしたが、ついにそれは訪れなかった。私は明日のことを考え、掛け布団を引きずり出すとそれに包まり、壁を背にして目蓋を閉じた。


 仮眠から目覚めると、時刻は予定より三十分遅れの四時半となっていた。半覚醒した頭が携帯のアラームを設定し忘れたことに気付き、小さく舌打ちした。

 準備しておいたリュックを背負うと、木戸の溝に差し込んでいたつっかえ棒を外して廊下に出た。両親に気付かれないように忍び足で一歩進んで、指先に異物が触れた。


 右足の爪先に、あの人形がいた。


 昨晩よりも細微が整った人形は拾わずとも自分を模した物だと理解できた。顔形が自分と似通っていることもあるが、忌々しくもそれは私の切り取られた上着の生地で作られた衣服を着ていた。

 ここで悲鳴をあげなかった自分を我ながら賞賛したい。

 私は呼吸すらまごつきながら、恐怖に震える手で人形を掴むと玄関から外へ出た。

 今日の目的上、人目を避ける必要があったため事は迅速を要した。

 とはいえこんな不気味な人形を持ち歩くなどまっぴら御免だったので、埋める手間を惜しんで童ヶ淵(わらべがふち)に向かった。

 童ヶ淵に着くと、水音など気にも留めず全力で川へと投げ込んだ。

 明け方の静かな村のなかに、ドボンと大きな音が響いて、消えた。

 私は人形が見えなくなるまで遠くに流れていくのを見届けると、振り返って悠然とそびえる飯盛山を見据えた。

 私が昨晩立てた計画。それは一日掛けて飯盛山へ健太君の遺体を探すことだった。

 この一連の怪奇現象は健太君の失踪から始まった。ならば彼の遺体を発見することができれば、この異常事態が怪異によるものではないと内外に証明できる。

 苦肉の策ではあったが、私に出来ることはそれしかなかった。

 無論、山には消防団が分け入りくまなく探しているはずだ。だが、私には健太君を探す上で一箇所だけアテがあった。それは昨晩、遠回しに父に尋ねて確信を得たことでもあった。


 それは村人で組織された消防団では、探すにしても信仰が邪魔をして無意識に遠ざけていたであろう場所。

 飯盛山中腹にある首吊りの石鳥居より更に奥。

 忌まわし祟り神がおわす場所。

 私はこの日、禁足地へ足を踏み入れようとしていた。

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