怪異 第四節

 案内されたのは、童妙神社の裏手から鬱蒼と藪が茂る坂道をあがりきった先にあった小さな洞窟だった。

 飯盛山から湧く地下水の削磨作用によって浸食され、岩壁を地下に抉る形で穴が続いていた。

 人工的に足元の岩盤を段差状に削った石段を下りる。地下水が岩盤からしみ出て、ピチャリピチャリと音を立て、洞窟はひんやりと冷気が滞留していた。


 しかしその涼しさが洞窟内の冷気だけではないことを、私は奥に進むにつれて思い知らされた。

 洞窟内の最深部の岩壁には無数のお地蔵様が削り出されていた。削ったお地蔵様はとても古いらしく、ところどころに欠け朽ちて、頭部や手が欠損したものも多く散見された。

 そんなおどろおどろしい地蔵に挟まれるかたちで、奥に石碑が一基鎮座していた。

 水子永代供養と彫り込まれた石碑は一般的な供養碑で特筆することはなかったが、問題はその後ろに犇めく首の土塁だった。

 供養碑の背後にある壁の凹みには埋め尽くすほどの人形が足元から詰め込まれていた。穴から飛び出た真っ黒い髪が岩肌一面に垂れ下がっていて、黒の暗幕を布いたようだった。

 供養塔とは名ばかりで、私には人形の地下墓地に思えてならなかった。

「・・・・・・七つまでは神のうち」

 知っているか、と浦口は訊いてきたので、私は首肯した。


 明治期以前の日本人の死生観には、満七歳までの子供の魂は現世だけではなく幽世にも近しい存在であるため、もしも神様が望まれたならば、子供を幽世へ返さなければならないという死生観があった。

 この観念の背景には、近世の乏しい医学的知識や栄養状態の悪さがある。

 当時の日本人も口ではそう言っておきながら、経験によって半ばそれに気付いていたかもしれない。しかし乏しい知識と栄養失調に喘ぐ現状を改善するすべはなく、彼等は諦観とともにその言葉を口にしたのだろう。

 悔しさと無力感に打ち拉がれながら、七つまでは神のうち、と。

 そして彌子村でも、この諦めの言葉を吐かなければいけない時代があったらしい。

 その過酷な歴史の残滓が、この水子供養碑だと浦口はいう。

 それを聞いた私は足元にまとわりつくような寒気を感じた。

 汗ばむほどの残暑が一気に冷めていく。あれが洞穴の冷気なのか、それとも彌子村で夭逝した子供の霊気なのかは分からない。

 だが、今すぐに立ち去るべきだということは理解できた。

 私は本題を急かせた。アマゴサマは何処におわすのか、と。

 すると、浦口は洞に埋まる人形を呼び指して言った。

「あれがアマゴサマだ」

 

 私は莫迦にされているのかと思った。

 そんな苛立ちを見透かしたように、浦口は説明を加えた。

 話は天保年間まで遡る。

 当時の彌子村は飯盛山から湧く湧泉の恩恵や廻りの里山の恵みによって今よりも人口は多く、人は倍ほどいた巨大な集落だった。

 決して豊かではないが飢えに苦しむこともない安穏とした村。そんな牧歌的な彌子村に伝染病が蔓延した。

 当時コロリとも呼ばれ、治療法もなかったコレラの大規模感染だった。

 豊かな村は一変して死と病に蝕まれた。コレラによる多くの死亡者が村に溢れ、特に子供の夭折が極めて多かった。

 このような未曾有の危機に対して、外界から半ば孤立していた当時の山村がどれだけ脆弱かは容易に想像できるだろう。またコレラの収束は大正である。それまでは有効的な対処法は解明されず、コレラ菌に感染した罹患者は米のとぎ汁のような下痢と嘔吐を繰り返し、急速な脱水症状によって万人を殺戮いたらしめた。

 人間は考えうる策を講じ尽くしたあと、絶望とともに縋るのは、今も昔も超常的な解釈、いわば宗教だった。彌子村の住人も例に漏れず、コレラによる死の不安から逃避するために宗教を盲信した。

 医療と宗教が半ば同様の役割を有していたこの時代、誰がどのような根拠で立証したかも定かではない民間医療が跋扈する世の中では、宗教者の役割も大きかった。

 そのため村々には陰陽道や密教をかじった祈祷師や占い師、拝屋などが一人や二人いた。彌子村にも事実、流れ者の祈祷師がいた。

 そうしてコレラによる死亡者が続出した彌子村も、宗教にお鉢が回ってきた。

 夭折が増加する現状に対して、祈祷師が下した超常的根拠は、山の神の祟り、という実に在り来たり且つ真偽を確かめるすべもないものだった。

 それでも八方塞がりの村人は、それこそ藁をも掴む思いで、祈祷師が奉る正体不明の山神を畏れ敬った。


 しかしここでひとつ問題が挙がった。

 神の奉献する供物だ。

 神の祟りは神の怒りである。その怒りを鎮めるためには神への敬意と恭順の姿勢を見せる必要がある。社殿を造るのも、その姿勢のひとつだ。

 しかし村には社殿を建てるほどの金銭もなければ、明日食いつなぐ食糧すらままならなくなっていた。なにせ天保といえば、西日本全土を襲った天保の大飢饉が起きている。

 飢えて死ぬか、コロリで死ぬか。

 そんな状況下の彌子村に、残された恭順の方法はひとつしか残っていなかった。

 人身御供(ひとみごくう)。

 選ばれたのは働き手として活用できるほど成長しておらず、尚且つ口減らしにも出来る幼児だった。勿論、誰も納得はできなかっただろう。

 だが、子供達は遅かれ早かれ死ぬ運命だった。飢えて死ぬか、病で死ぬか、若しくは人柱となって死ぬか。それだけの違いだった。

 それゆえに誰かが呟いただろう。

 神様が望むなら、子供を天上へ返さなければならない。

 七つまでは神のうち、だ。

 そうして人身御供になった子供を、天上へ返った子供として敬い、天子(あまご)と呼んだ。


 この祭祀がいつまで続いたかは定かではない。だが、流石に戦後以降は医療も発達し、宗教が担う役割は縮小されていった。祭祀も形骸化し、この頃から供物が子供を模した人形となっていった。

 忌まわしい因習を払拭するように名を彌子村と変えた村は、供物の代替え人形としての天児人形(あまがつにんぎよう)をベースに精巧な人形を作り始めた。似れば似るほど良いとされた天児人形(あまがつにんぎよう)は次第に原型を変え、リアルな人形に変貌を遂げた。

 その頃から天児人形(あまがつにんぎよう)と区別するために、彌子村(みこむら)で作られた人形を、天子(あまご)の代わりにする人形という意味で、天子人形(あまごにんぎよう)と呼ぶようになった。

 そしていつしか、名も無き山の神も天子人形(あまごにんぎよう)を奉納する神としてアマゴサマと呼称されるようになった。


 人身御供となった子供である、天子(あまご)。

 その天子を捧げる山の神、アマゴ。

 いわば彌子村には二つのアマゴサマが存在するのだ。


 そこまで聞き終えると、私は自分が立っている場所がいわくつきの領域だと分かり、ぞっとした。

 ここは人身御供となった子供を慰霊する場所なのだ。

 私は厭な予感がして浦口に尋ねた。

 人身御供となった子供が此処に埋葬されているのではないか、と。

 浦口はそこまでは分からない様子だった。ただ、首吊り雛の祭祀で燃やした人形の灰は、寺の納骨のように水子供養碑の下に納めるらしい。

 私は疑問を口にした。なぜこんなにも彌子村の信仰の来歴に詳しいのか、と。

「気がかりがあったからな」

 と、意味深なことを言う。

 それは何か、と訊くと、浦口は質問を質問で返してきた。

「なんで部外者に近い俺達が祭祀の担い手として選ばれたか分かるか?」

 私は素直に首を横に振った。

「単純な理由さ。誰もやりたくないのさ。わざわざリスクを負いたくないからな」

 だろうな、と思う。見覚えのある村の子供に似せて作られた人形を惨たらしく扱うマネなどしたくもないだろう。その点で村との関係性の希薄な私や村の新参者である浦口や坂梨などが選ばれるのも頷ける理由だった。


 しかし、浦口のいうリスクというのが引っ掛かった。

「禁足地に踏み入れると、アマゴサマの悪癖の被害に遭う可能性が高くなる」

 禁足地と言われ、中腹の石鳥居の思い出した。

 あの鬱蒼とした山奥がアマゴサマが棲むという禁足地だろう。

 そう考えていた私の頭を叩くようなことを浦口は口走った。

「実は禁足地に該当するエリアは石鳥居が設えてある広場も含まれるらしい。だから村人も滅多な事が無い限り、あの場を忌諱して近づかない」

 私は言葉にならない呻きを漏らした。

 知らず知らずのうちに、私はアマゴサマの神域を犯していたというのだ。

「アマゴサマは山の神だからか、リスや百舌鳥のような習性がある」

 浦口は皮肉げに続けた。

「リスのように食糧を隠し、百舌鳥のように贄を捧げる」

 わざとぼかすような物言いに、妙な不安感を覚えた。

 リスの譬えは神隠しを指しているのだろう。

 だが、百舌鳥の早贄の譬えは見当がつかない。ただ、その譬えに含まれた不吉さは並々ならないものがあった。

 まるでアマゴサマの厄災が神隠しだけではないと言うように。

 そして私の予感は最悪な形で的中した。

「アマゴサマは幼い子供を幽世に引きずり込んだあと、もう一人を弄ぶ悪癖がある。村の爺婆共は、一踪一死(いつそういつし)、と呼んでるアマゴサマの祟りだよ」

 私は浦口の言葉に目眩を覚えた。

 それが事実なら、神隠しとは別の怪異が生じることになる。

 浦口は私の恐怖を煽るように、その惨状を語った。

「弄ぶ様は熊や野犬のそれと似ているらしい。言うのもはばかられるほどの惨状になるのは慥かだろうな。訊いた奴は頸骨(けいこつ)が砕けて首が背中に回っていたらしいぜ」

 浦口はまるでゴシップを喋るように饒舌だったが、聞いている私は気が気でなかった。

 私には次ぎに起こりうる怪異に心当たりがある。

 脳裏には、自室に転がっていた人形の不気味な姿態が鮮明に思い出されていた。

 途端、周囲の人形の眼が全て私を見ているような気がして堪らなくなった。

 若しかすると瞬きするたびに私ににじり寄ってきて、万力のような力で首をへし折るのではないか。そんな三流ホラーのような妄想が、あの時の私には現実感を持って心に巣喰っていた。

 まだ喜々として死体の惨状を語る浦口を無視して、私は出口を求めた。


 すると、出口の辺りに人影が差した。陽光を背負い、顔は陰になって見えない。ただ乱れた髪は腰辺りまで伸びていたので女性だと分かった。

「何をしていたの」

 ぞっとした。その声はおよそ真っ当な精神状態では出ないだろう生気の欠けた虚ろなものだった。

 たちまち浦口が何か弁解をしようとして、うまく言葉に出来ずにどもった。

 浦口は声を聞いただけで彼女が誰か分かったらしく、その幽鬼のような女に阿(おもね)るような、それでいて距離を取ろうと警戒するような、奇妙な百面相(ひやくめんそう)を作った。

 埒があかないので、私が水子供養碑を見に来たのだ、と正直に伝えた。

「なぜ」

 彼女は虚ろな声で尋ねた。声色に問い糾すようなニュアンスが混じった。

 私は彼女の問いに厭なものを感じた。

 教師や上司にありがちなことなのだが、彼等がやや高圧的に問い糾すような物言いをする場合、問題を解決しようという気持ちの発露ではなく、自分の欲している解答を求めていることが多々ある。私は彼女の言葉尻に同じ匂いを感じた。

 ただこの場合、謝罪を求めていたり、相手が言い淀むことを理解しつつ言葉でいたぶることが主な目的となってくる。

 だとすれば、彼女は私達に謝罪を求めているのか。それとも彌子村の古傷のような負の史跡を、彌子村とは関係性が希薄な私達に探られるのが、村の住人として気に障ったのか。

 そのどちらかだったとしても、私は軽率に謝ることを躊躇った。

 目の前に立っている相手は安易に謝罪もできないような酷い危うさを孕んでいるように見えたのだ。

 腰まである長髪は蓬髪のように乱れ、モカブラウンのチュニックワンピースは洗濯籠から引っ張り出してきたようにしわくちゃになっていた。まるで浮浪者のそれだ。おそらく数日は鏡さえ見ていないだろう。

 虫に噛まれたかのように左腕をずっと掻き毟っている眼前の女性はお世辞にもまともな精神状態とは言えなかった。静かな爆弾とでも譬えようか。不要なことをいうと一気に感情を爆発させそうな病的な危うさを感じていた。

「いやー、なんかノリで」

 私が返事に臆していると、浦口は頭の軽い学生のように答えた。

 そこには謝意の欠片もない。浦口はそのまま顔の前で手刀を構えて水飲み鳥のように頭を上下に揺らしながら女の横を透り抜けようとしていた。

 傍から見ていて、私は成る程と思った。病んだ女には阿呆な男で対抗する。眼には眼を、歯には歯を。この時ばかりは、空気の読めない浦口を心強く思った。

 私も彼に追随するべく愛想笑いをしながら女の真横を通った。

 ちらりと垣間見えた顔は目の下に隈が深く頬はこけおち、視線は何も捉えていなかった。

 だが、逃げるように通り過ぎた時、虚ろな視線は私を捕らえた。

 目はおよそ人の眼光とは思えない鈍い光をたたえていた。

「かえしてもらうから」

 女はか細い声を発した。

 その声は私の身体という身体を一瞬にして粟立たせた。これが人の声とは思えなかった。まるでノイズ混じりの機械音声のような擦れた声に、私は彼女の言葉の意図を聞き返すことなどせず、駆け足で浦口の背中を追った。

 洞窟を抜け、坂を半ばまで下りたというのに、悪寒は一向消えなかった。

 まるで彼女が背中に取り憑いているようだった。以前三叉路の暗闇で感じたような外耳を後ろに引っ張り上げるような違和感もある。ぴったりと影のようにつきまとう不快さに、私は堪らず後ろを振り返った。

 果たして、女はいた。

 朽ちた案山子(かかし)のように佇み、坂の上から私を凝視していた。

 振り乱したような前髪から垣間見えた目はしっかりと私を睨んでいた。

 私は叫び上げたくなるような気持ちをどうにか抑えて、逃げるように坂を下りた。

 私は童妙神社の裏手へと出ると、幽鬼のような女が近くにいないことを確認して、あれは誰か尋ねた。

 すると浦口は立ち止まり、振り返った。

「・・・・・・あー、あれね」

 顔は歯切れの悪そうな表情が浮かんでいた。

 私が詰め寄ると、渋々彼女の名前を教えてくれた。

「・・・・・・森山咲(もりやまさき)さん。失踪した森山健太君の母親だよ」

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