怪異

怪異 第一節

 捜索隊本部も兼ねた童妙神社(どうみようじんじや)の社務所から出たのは、日も暮れた午後七時頃。

 浦口と坂梨と一緒に捜索の一応の報告を済ませたあと、陰鬱な気分を引きずったまま神社の石段を下りていた。

 二人とも顔が窶れていた。

 行方不明の少年の捜索とはいえ、閉鎖的な村落の失踪だ。誰も希望的観測などを持っていなかった。捜索の中ずっと苛まれる、若しかすると子供の遺体と対面してしまうかもしれないという恐怖は単純に捜索する以上の負荷を精神にかけていた。


 それとは別に、私達三人は弱った心根を針でチクチクと刺していたぶるような不快さも感じていた。

 童ヶ淵(わらべがふち)の周辺を捜索していた時のことだ。視線を感じて振り返ると、駅と村を繋ぐ石橋の上に中年の男性が立って、凝っと私を見下ろしていた。それだけではない。社務所のトイレを借りようと廊下で雑談する婦人会の女性達の脇を通り掛かったときも、彼女達はあからさまに声をひそめた。

 怪訝に思いながらL廊下を曲がろうとしたとき、正面の窓ガラスに映り込んでいた光景に目を見張った。そこには私の背中を凝然と見据える彼女達の面貌(めんぼう)が並んでいた。

 訊けば他の二人も同様だったらしく、私の時よりも明け透けに凝視され、もはや監視のレベルだったという。

 帰る際にも、昨晩は眠れなかったと目の下に隈をたずさえる浦口は不快さを隠さず舌打ちを繰り返し、昨晩の登山で身体の節々が痛むと訴える坂梨は口の中でブツブツと悪態を述べていた。

 私も賛同するところはあったが、目下(もつか)私の心を占めていた懸念事項は別にあった。


 健太君を模した人形のことだ。

 祭祀の晩、私は境内で焼くはずだった健太君を模した人形を持ち帰った。

 時を同じくして、祭祀の夜に健太君が失踪する事件が起きた。

 このふたつの事実は、健太君という共通項はあるにしても、偶然として処理できる事実関係だろう。

 しかし、私の頭にはそのふたつを結びつける呪詛の如き言葉が反響していた。


 ──ちゃんとせんと、アマゴサマがお隠しになるけんね。


 祭祀の夜、老婦人が去り際に呟いた言葉は、私の行為と健太君の失踪との因果関係を示唆していた。

 おかくしになる。この言葉が、いわゆる神隠しを指しているのはまず間違えない。それを踏まえて老婦人の言葉を正しく訳すなら、

 ──祭祀を正しく行わなければ、アマゴサマの神隠しに遭うぞ。

 という警句になる。

 そこまで考えて、私ははっとした。

 村人達の監視する視線は、私達の内の誰が祭祀を誤ったのかを探っていたのではないか。

 そうすると得心がいく。彼等は祭祀を失敗した人物を探っているのだ。連れ去った神を罰するすべはない。だからこそ、その引き金をひいた人物に責任を追及しようとしているのだ。


 私の中の不快感は、たちまち焦燥感に変容した。

 いち早く人形を処分しなければならない。私が持っていることが露見すれば、健太君失踪の責任を一途に負わされかねない。

 二人と別れると、私は足早に自宅に駆け込んだ。

 まだ両親は帰宅しておらず玄関は静まり返っていた。靴を脱ぎ散らかし、廊下を勢いよく駆け、自室の襖を開け放った。

 弾む息もそのままに押し入れを開け、奥のキャリーケースを引っ張り出した。

 手元に引き寄せ、留め金を外す。

 キャリーケースは勢いよく口を開け、ぎゅうぎゅうに押し込んでいた衣類を吐き出した。

 下着を払いのけ、靴下を放り投げる。

 内側のネットを広げ、ポケットのチャックを開ける。

 しまいにはケースを持ち上げ、内容物を床下に散乱させた。

 しかし、肝心の物が見当たらない。

 神経を掻き乱す焦燥感は、額に流れた汗で急速に冷めていく。

 そして代わりに嘔吐くような悪寒が生じた。

 

 バレた。

 直感した。誰かが証拠をキャリーケースから見つけ出してしまったのだと。

 瞬間、私が石鳥居の前で首をくくられるイメージが湧いてきた。

 嫌がる私の首に縄をくぐらせ、結節をしめる。

 泣き叫ぶ私の両脚を二人の村人が持って浮かせ、禁足地のほうへ引っ張っていく。

 どんどんと頸動脈と椎骨動脈が仕舞っていき、意識が白滅していく。

 目玉が浮き出し、舌根が前へでる。

 数十秒のあと、抵抗しなくなった私は力なく鳥居の下で膝をつく。

 屍体となった私は首吊り雛のように、だらりと鳥居の下にぶら下がるのだ。


 がくがくと全身が震えた。過呼吸になり、目の焦点が合わなくなる。

 だが、次第に震えはおさまっていった。

 私には恐怖のほかに、とある疑問が湧いていた。

 果たして、あの人形を誰が見つけたのか。

 両親だろうか。しかし今日は二人とも私より先に家を出た。父は消防団に入隊しているために飯盛山の捜索に掛かりきりだから、父ではない。母はどうか。だが母も無理だった。母は婦人会に属し、捜索に駆り出されている人のための炊き出しやその他の雑務のため、日中社務所に詰めていた。なお後日婦人会にそれとなく尋ねたが、この日、捜索に加わっていた消防団の一人が脚を滑らせ転落し、落差が三メートルほどの小さい崖だった為に右足を骨折するだけに留めたが、その救護に母も駆り出されたらしい。

 そのため母も神社から自宅に戻って家捜しをし再び神社に戻るだけの余裕はないものとして考えてもいい。


 で、あれば誰か?

 結局、この件は分からずじまいだった。

 というのも、両親以外の誰もが可能だったのだ。田舎の悪癖といおうか。ろくに戸締まりをしないのだ。だから他人の家に無断で侵入しようと思えば、鼻歌まじりに不法侵入ができる。彌子村(みこむら)を初めとした田舎の住人は盗難に無警戒なのだ。

 しかし、見つかったのには変わりない。

 気持ちは徐々に落ち込んでいき、判決を待つ被告人のような心境だった。

 私は少しばかり忘我して散乱した衣類と空のキャリーケースを呆然と眺めていた。

 我を取り戻したのは、玄関から母の緊張感のない、どっこらしょ、という生活感溢れる声が聞こえたからだった。


 それから悶々とした時間を過ごした。

 いつ両親から本題を切り出されるか。若しくは据え置きの電話が甲高い音をたてて、この家に罪人がいることを告げるか。気が気でなかった。

 しかし、幾ら待っても言及はなかった。

 まるで人形自体がキャリーケースから飛び出して、人知れず失踪した本体のほうへ向かったかのように。

 それから私は誰にも人形のことを問い糾されることなく、午後十一時頃、寝具に潜り込んだ。


 田舎の夜は、音が絶えたような静けだった。

 興奮した神経を宥めるのに時間を要したが、その日は捜索の疲労もあり次第に目蓋は落ちた。

 ただ過敏になった神経が熟睡をさせてくれず、一時間おきに目が覚めた。

 何度目かの睡眠から醒め、とうとう目が冴えた。目を瞑って寝転がってもみたが、頭は覚醒するいっぽうで、仕方なく掛け布団から身体を起こした。

 その時だ。右足の指先に硬い物が当たった。

 それと同時に、ゴトッという硬質な音が聞こえた。

 霞む目を細め、足元にあるソレを確認して息を呑んだ。


 人形だった。

 仰向けの人形が、私に足を向けて倒れている。見当たらなかった健太君の人形かと思い手に取ったが、すぐに全くの別物だと分かった。

 健太君を模した人形のような頭髪はなく、衣服も着用していない。体格から察するに随分大人びている。

 手にとって色々な角度から観察していると、頸部辺りに小さな凹みが点々とあることに気づいた。電灯をつけてなかったので細部は見えず、電灯から垂れている紐を引き、部屋の明かりを点けた。

 そして人形の首の部分、ちょうどうなじ辺りに彫られた文字を見て、私は短い悲鳴とともにその人形を壁に投げつけた。


 そこには、私の名前が刻まれていた。

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