閑話 山儀晶の推理『森山健太君失踪の経緯』

 結論から述べる。

 今も尚、森山健太君は行方不明だ。

 以下、村人から伝え聞いた森山健太君の失踪前後の様子を記す。

 首吊り雛当日、九月九日。

 午後三時半、妙ヶ崎(みようがさき)分校から帰宅。このとき、自宅にいた母親が迎えている。

 午後六時頃、彼の母親が部屋に呼び掛けても反応がないことを不審に思い、宅内を探すが彼が外出していないことに気づく。

 同時刻、健太君らしき少年を含めた三人の少年を、件(くだん)の三叉路で村人が見かける。童妙神社側にいた村人は彼等に注意をしよう近寄ると、村人に気づいた彼等は村の方へ走り去った。

 そのときに集合していた二人の少年の証言によると、各自帰宅するために散会したようだ。その二人が六時過ぎに帰宅しているのは両親が確認している。

 またなぜその時間に三叉路に居たかについて言及された際、一人は智慧の水へ飲料水を汲みに言ったと話し、もう一方は童妙神社にいる父親に用事があったと述べている。健太君がその場にいた理由は二人とも知らないと答えた。


 以上が、失踪するまでの森山健太君に関する目撃情報だ。

 目撃情報から察するに、健太君は当日午後六時過ぎに村人の注意を受け、友人と散会した後に失踪したことになる。

 彼の失踪について考え得る理由を稚拙(ちせつ)ながら私が考察し、年齢から考慮して二つ理由を挙げようと思う。


 ひとつは不慮の事故だ。

 飯盛山での高所からの転落や遭難、童ヶ淵(わらべがふち)での水難などがこれに当てはまる。

 可能性ではこれが一番高く、そのため村役場から消防団が組織され、すぐにこの二箇所が捜索された。消防団員ではない私や浦口、坂梨などは山での二次被害を考慮され、童ヶ淵やその周辺の捜索に割り当てられた。

 午前九時に開始された捜索は、健太君を見つけることなく日暮れとともに中断した。

 しかし捜索開始から一時間も経たない頃、健太君のものと思われる遺留品(いりゆうひん)が山中で発見された。現物(げんぶつ)は確認していないが、御守りだという。これは健太君の父親が確認され、彼の物だと断定された。

 その為、もう一方の失踪の理由は薄れたともいえる。


 健太君が村人の注意をうけ友人達と散会したあと、悪意ある第三者が彼に危害を加えたという、人為的犯行という可能性だ。

 これは以下の要素により漸減(ぜんげん)する。

 まず彌子村(みこむら)の住民以外の人物による犯行。

 刑事事件に際し、見知らぬ人物による偶発的(ぐうはつてき)な悪意によって悲劇的な事件が生じることは決して少なくないが、ここ彌子村においては考えにくい。

 隣人の名前さえ知らない市街地ならまだしも、総じて相互に顔見知りである彌子村の中に悪意を持った見知らぬ人物が混ざろうものなら、他人の臓器が移植されたことによる生体の拒絶反応のごとく、村の異分子として村全体が拒絶反応を示す。帰省した私が童妙神社に迷い込んだときの反応を鑑みれば、これが過剰な表現でないことが分かるだろう。

 更に言うならば、悪意ある部外者がわざわざ辺境の彌子村(みこむら)を訪れ、子供一人を連れ去る理由などあるのだろうか。

 ない、と断定は出来ないが、これは限りなく零に近い。

 思索の外に置いていいだろう。


 ならば部外者ではなく、彌子村の住人というのはどうだろう。

 これには現場不在(アリバイ)を確かめるのが定石(じようせき)であり、初動捜査でもつつがなくおこなわれた。飯盛山中で発見された遺留品の場所や六時以降から目撃されなくなったことを加味し、健太君が殺害された、若しくは拉致された時刻は六時過ぎから村人が祭祀を終えて解散する九時までとして、その間の行動を調べた。

 村人全員に現場不在(アリバイ)証明をとることは気が遠くなることだが、しかし驚くべきことに全員が証明して見せた。ただし、限りなく不透明な証明ではあった。

 顔見知りによる相互証明だ。

 当時村人は大別して二箇所に居た。祭祀が行われる童妙神社と各々の自宅だ。

 童妙神社で祭祀を執り行っていた大人達は、諸々の雑務に追われていた。その場から抜けて遺留品が落ちていた山中の場所まで、往復で一時間は掛かる。その猶予があった人物が居ないかを調べる聞き取りがあったが、誰一人いなかった。勿論、これは第三者による証明ではないため、安易に信用はできない。


 信用のなさでいえば自宅に残っていた者たちも大概だ。彼等とはいえ、おおよそ母親と子供が多いが、彼女達が家族間で相互に現場不在(アリバイ)を証明している。

 この点でひとつだけ信用に足る情報としては、当時の午後七時から八時に掛けて、健太君の母親が村の家々に子供が在宅していないか、訊きに廻っている。その際、家人が全て童妙神社にいった家をのぞいて、不在だった家はなかったという。


 なにより健太君を殺害する動機があるのだろうか、という疑問も残る。

 なにせ被害者は子供。その子供に悪意を有して綿密な計画を立てて祭祀の日に実行する、というのは甚だ空想が飛躍しすぎているのではないか。

 彼ではなく、彼の親族に対する悪意、と言う可能性も考え得るだろうが、これについては彼の両親や村人たちも顔を横に振るばかりだった。なにせ閉鎖的な村だ。誰もが村人の相関図を諳(そら)んじられる。その彼等が一様に否定するのだ。その信憑性は決して低くない。


 長々と書いたが、要するに健太君が人為的犯行による失踪は考えにくく、好奇心から飯盛山へ登り、事故にあった可能性が極めて高い、ということを私は主張したいのだ。

 重ねて言う。森山健太君は事故による行方不明だ。

 彌子村を脱し、この文章をタイピングしている今も、この主張を自分に強いている。


 なぜか。

 彌子村では、不慮の事故、人為的犯行とは別の、異なる第三の可能性が秘やかに主張され、支持されているからだ。

 そして君にこのような長々とした文章を読ませているのは、私の弁護をしてほしいからなのだ。あの村では第三の可能性があたかも事実のように語られ、そのために私は被告のような立場をとらざるを得なかった。


 あの村では、健太君を殺した犯人は私なのだ。

 勿論、私が殺意を以て彼を殺害したということではない。

 直接手を下したのは、──アマゴサマだ。

 アマゴサマよって健太君は隠され、現世(げんせ)から幽世(かくりよ)へと失踪した。

 この冗談ともいえる考えが、彌子村では公然の秘密として語られている。

 そしてアマゴサマが健太君をお隠しにされた理由をつくったのが、首吊り雛の祭祀を意図的に違えた私にあるとされた。私が健太君を模した人形を護摩壇に捧げなかった為にアマゴサマが怒り、本人である健太君を連れ去ったのだと。

 それを立証するかのように、健太君の遺留品は飯盛山の中腹、禁足地の手前、あの首吊り鳥居の傍に落ちていた。鳥居は神世(かみよ)と俗世(ぞくせ)を隔てる。遺留品は彼が鳥居をくぐり神世へ旅だったと示す書き置き代わりだと、そうまことしやかに村で囁かれている。


 君は浅はかだと言うかもしれない。だが、かくいう私もなかば信じ始めている。

 アマゴサマは存在し、その御柱(みはしら)の神呪(しんじゆ)によって健太君はこの世の者ではなくなったのだと、私は考えている。怖ろしげな神に手を引かれ、禁足地の奥へと引きずり込まれる少年の姿が鮮明に想像できてしまう。

 それは罪悪感のせいでも、ましてや村人に洗脳されたわけでもない。

 怪異に行き逢うたからだ。

 失踪事件が開始の号令(ごうれい)だったかのように、次々に奇妙な怪異に見舞われたのだ。

 まるで罪を贖えと、アマゴサマがいわんばかりに。

 つぎに語るのは、私に降りかかった怪異譚。

 まずはそのひとつ目から、今も震える指先で画面に打ち込もう。

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