発端 第六節

 山門をくぐると、村人に出迎えられた。

 その誰もが表情が固く、いまだ祭祀が終わっていないことを語っていた。タケジィの姿を探したが境内には人が多く、容易に見つからなかった。

 ただ拝殿の中央にタケジィが背負ってきた竹籠がぽつねんと置いてあった。近くにいた村人曰く、竹籠は全部の人形が集まるまで一旦拝殿の中央に集めておくらしい。

 私は竹籠の中身から目を逸らしながら、背負っていた竹籠をタケジィの竹籠の右隣に下した。背負っていた負荷から解放されると、張りつめていた緊張が一気に弛み去っていき、寄せては返す波のように、どっと疲労が押し寄せてきた。

 足がもつれるような強い疲労感が、決して竹籠を背負っていた重量のせいだけじゃないことは分かっていた。

 自分が自覚していた以上に、首をくくった人形を運ぶのは多大なストレスだったらしい。

 もたつく足で社務所の横に設営された仮設テントへ辿り着くと、空いていたパイプ椅子に半ば倒れこむように座った。

 背凭れに体重を預けて少し経ったあと、山門辺りがざわめきだした。

 どうやら三人目が戻ってきたようだった。

 山門から出てきたのは肩で息する坂梨だった。不健康な生活が祟ったのだろう、丸い顔は疲労で歪み、汗という汗が顔の毛穴という毛穴から噴きだしていた。

 肩で息をする坂梨は倒れそうになりながらもどうにか拝殿に竹籠を置くと、休憩所も兼ねている仮設テントまで行く体力もなかったらしく、拝殿の軒下に腰を下ろして、陸に打ち上げられた魚のように喘いでいた。

 その五分ほどあと、浦口が童妙神社の山門をくぐった。

 ストレスと疲労で窶れた蒼い顔で境内を歩き、拝殿へ竹籠を下した。

 私はその様子を隣の老婦人と談笑しながら見ていた。その頃には疲労感もだいぶ抜け、テント内にあったケータリングから甘酒を一杯貰い、悠々と啜っていた。

「あなたがきぃくれて、よかったぁ」

 タケじぃと同じ訛りながら、温和な人柄がよく表れたゆったりとした声だった。

 私は彼女の台詞がよく田舎に帰省してきたという歓迎の意図かと思ったが、話を聞いているとどうやら少し違うようだった。

「つまらんやつぁ、おってなぁ」

 老婦人曰く、私は祭祀の代役をさせられていたらしい。

 元々は村の若者がやる予定だったが、急な用事が入ったと書置きに残して、今日の朝一番の便で村の外へ出ていったらしい。

「あいつぁ、にげよぉったぁ」

 老婦人の推理によると、以前からこの祭祀の参加に消極的だったようで、数日前から挙動不審だったらしく、大方芋を引いて逃げたに違いないとのことだった。


 老婦人はこの件について大分御立腹だったが、私は非難する気にはなれなかった。

 脳裏にあの首吊りの鳥居が浮かんでいた。

 私だってあの奇景を知らずに済むなら多少の誹謗中傷など構わないだろう。無理にトラウマを作りにいく理由などもない。

 子供の絞首刑をみせられるより役立たずの譏りを受けるほうが幾分かマシというものだろう。

「もうひとふんばりね」

 老夫人はそう言って、私の肩に手を置いた。

 しわくちゃな手は農家の人だけあって、骨の太いがっしりとした指だった。

「ちゃんとせんと、アマゴサマがおかくしになるけんね」

 そう言い残して老婦人は去って行った。

 私は老婦人の丸まった背中を見つめるだけで、莫迦のように呆然としていた。

 ──アマゴサマがおかくしになるけんね。

 平淡な口調で残していった台詞が、私をその場に縫い付けた。

 なにか不吉なことを聞いてしまったような気になった。

 しかし、その予感を確かめるすべもなく、残っていた甘酒をゆっくりと啜った。

 甘い口当たりが、少し不快に感じた。

 浦口が戻って十分ほどの小休憩ののち、祭祀は再開された。


 まず拝殿に置かれた竹籠の中から人形を取り出し、板張りの拝殿の上に並べた。

 これ以降、作業にタケじぃが参加することはなかった。あくまで首吊りの鳥居までの道案内人であり、タケじぃが運んできた人形も手分けして並べた。

 絞殺された子供の人形が横一列に並んでいる光景は息を呑む凄絶さだった。

 次に宮司が三本の刺叉を持ってきた。

 渡された刺叉の先端部はU字で窪んだ部分には五センチほどの鋭利な棘が突き出ていた。

 宮司は刺叉の用途の説明はせず、私たちも訊かなかった。

 言わずとも、誰もが用途を察していた。

 各々が刺叉を持って、拝殿に寝かされた人形たちの前に立った。

 十五体三十の瞳が私達の所業を見つめていた。

 その人形たちへ、私達は刺叉を突き立てた。

 トン、と包丁がまな板を叩くような音が拝殿に響いた。刺叉の鋭利な棘は深々と人形の胴体を貫く。

 突き刺したまま護摩の壇まで持っていき、燃え盛る火焔の先に高々と掲げた。

 片手で刺叉を支えながら、もう片方の手を石突きに移す。そこにはピストンのような出っ張りがあり、それを注射器で血液を抜くように引いた。

 すると人形を貫いた刺叉の棘は引っ込み、取っ掛かりをなくした人形は護摩壇にくべられた。

 ボトボトボト──。

 人形は火の中へ。雑木のなかで転がる人形は熱さで身悶えるようだった。

 私の頭に三叉路で見た看板がかすめた。錆で爛れた少年の顔。あれよりも惨く、人形の面貌は爛れ黒ずんでいく。顔の木片が火焔によってパチパチと爆ぜる。

 小さな破砕音が声帯のない人形の悲鳴にも思え、すぐに拝殿へ踵を返した。

 あとの二人も思い思いに人形の焦げる様子を眺め、拝殿へ戻り、新たな人形を突き刺した。


 三体目を壇に放り込んだ辺りで異臭を感じた。鼻を突くような刺激臭だった。それはどうやら浦口もかぎ取ったらしく鼻をひくつかせていた。

 臭いは温泉街特有の腐卵臭に似ていた。なぜ人形を焼くだけでこの異臭がするのか。私は考え、最後の五巡目の人形を刺した時に、理由に思い当たり愕然とした。

 人形の髪は人毛ではないのか。

 人毛はケラチンという硫黄を含んでいるタンパク質で構成されているため、加熱すると火山性ガスのような刺激臭を発する。ドライアーで髪を焦がしたときのような臭いの、その何倍もの異臭が護摩壇から嗅ぎ取った。

 人毛だとわかると、途端に胃の奥から吐き気がせり上がってきた。

 この人形には名前がある。

 この人形はその名前の子供を模してある。

 ならば、この毛髪は?

 自明の理だ。これは模されている子供の髪の毛なのだ。

 私はこれほどまでの偏執的な模倣に身の毛がよだった。

 ここまで模倣して何になると言うのか。狂気じみた模倣の果てに、なぜこのように首を絞め、胴体を串刺しにして、あまつさえ焼き殺すのか。

 私は自分の故郷に対して、拭い去れないほどの恐怖を感じ始めていた。

 ここは狂気の村だ。私はその村の忌まわしい祭祀に加担させられているのだ。

 この村を取り巻く異質なおぞましさに絶叫したかった。

 しかし、その衝動をなけなしの理性で押し殺し、最後の一体を焼却処分すると刺叉を放り投げ、逃げるように童妙神社を出た。

 途中、耐えきれず山門のそばで嘔吐した。

 何人かが心配して声を掛けてきたが、それを振り払い石段を下りた。

 もうこれ以上、この祭祀に付き合いきれなかった。

 私は鳥居に立て掛けたキャリーケースをひくと、実家へ逃げ帰った。



 朝の目覚めは最悪だった。

 眼底がズキズキと鈍痛をはっし、口内は粘ついて気持ちが悪い。

 私服で倒れ込むように寝たので服にはくしゃくしゃに皺がつき、横倒しになったキャリーケースは無惨にも口を開けて衣類を散乱させていた。

 軋む身体を起こすと、キャリーケースを覗き込んだ。そこには下着の山から一体の人形が頭を出していた。

 首吊り鳥居から童妙神社に戻る前、石段の鳥居に立て掛けたキャリーケースに人形を一体隠していた。人形を護摩壇で燃やすのだろうと予期し、その行為に嫌悪してのことだった。だが実際には、その前に串刺しにするという残忍な行程が入ったが。

 私はその人形を持って帰り、人形の供養寺に安置しようと考えていた。

 そのため丁寧にキャリーケースに戻すと、部屋の物置の奥へと押し込んだ。

 部屋から出ると、洗面所で顔を洗った。鏡に写る顔は疲れでむくんでいた。

 居間に行くと、眉を顰めた両親が顔を突き合わせて何やら話していた。

 私はそれを横目にキッチンで湯飲みに水を注ぎ、一気に飲み干した。渇いた喉に染み込んだ。

 もう一杯注ぐと居間に戻り、テレビをつけた。両親はまだ何やら問答を繰り返している。特に観たい番組もなかったので電源をオフにした。

 小腹が空いたが、居間のテーブルには朝食が並んでいるわけでもない。母に催促しようとしたが父との話に夢中のようなので、しょうがなく冷蔵庫でも漁ろうかと腰をあげた時、母から聞き覚えのある名前が出た。


「──ケンタくん。ほんとうに何処にいったんやろうか」

「無事なら良いんだかな」


 立ちかけた私は腰を下ろすと、素知らぬ顔を作り、何があったのか訊いた。

「今ね、村の子が一人、行方が分からんくなったんよ」

「森山さん、っといってもお前には分かるはずもないか」

 途端に鼓動の音が脈打つ度に大きくなった。

 それを抑えようとゆっくり水を飲み、フルネームを尋ねた。

「名前? モリヤマケンタくん。六歳から七歳か、そこら辺の歳の子よ」

「たしか今月で七歳だったはずだ」

 私はそれだけ訊くと、そう、とだけ述べて居間から出た。

「なんやろ、あの子?」

「さぁ?」

 両親の暢気な声を聞き流し、私は自室へと急いだ。

 自室へと戻ると、物置の奥のキャリーケースを引っ張り出した。

 心の中で何度も見間違えであることを願った。

 キャリーケースの留め金を外し、衣服の奥から一体の人形を取り出した。面差しは幼く、小学校低学年ぐらいの男の子を模した人形が、凝っと私を見つめていた。

 人形を裏返し、衣装の襟を親指で引っ張り、うなじに彫り込まれた文字をみた。

 ──森山健太。

 見間違えではないかと凝視しながら、昨晩老婦人が呟いた台詞が頭に反芻されていた。

 ──ちゃんとせんと、アマゴサマがお隠しになるけんね。

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