発端 第二節
車両の扉が開き、傾いたホームに降りたった。
何処に向かうと知れない列車を見送り、無人改札を出ると、枯葉の腐ったような匂いが出迎えてくれた。もう十年以上嗅いでなかったのに、その匂いは帰郷の実感を強く与えてくれた。
その一方、ことある毎に帰省をせっついてきた両親は駅の前で迎えてくれるという殊勝な気持ちはなかったらしい。伝えていた時刻通りに到着したのにも関わらず、その影さえ見せない。
私は時間にルーズだった両親を見限って無人駅を出ると、一人侘しくワインレッドのキャリーケースを転がした。
駅を離れてしばらく歩くと、小川を跨ぐ石橋にでた。川は山から下り駅付近を右に迂回して淵に入る。夏の子供たちの遊び場となっている其処は童ヶ淵(わらべがふち)と呼ばれており、石橋のすぐ傍にあった。川は橋の袂から小さな崖になっているので、石橋で佇むと打ち付ける滝の涼やかな音が聞こえた。
ただ一緒に聞こえるはずの子供の声はなかった。今は秋とはいえ暑さも残る。子供たちが童ヶ淵にいてもおかしくはない。
首を傾げながらも、石橋からほどなく歩いたが一人として村人を見かけなかった。夕暮れ時とはいえ帰宅を急ぐ子供の声ぐらいあってもいいはずだ。
それなのに、村に人影はなく物音さえない。
村の中心部へと辿り着いても、商店は軒並みシャッターを閉め、道の脇から覗いた民家は雨戸さえ閉めている。まさか降りる駅を間違えて見知らぬ廃村に迷い込んだかと疑ったが、慥かに其処は記憶に違わぬ彌子村だった。
私は化かされたような気分で、実家までの帰路を幼少期の記憶と現在の情景との照合に費やした。
そして照合が合致する度に、では何故誰も居ないのか、という疑問に酷く悩まされた。
そんな最中、ふと飯盛山が目に入った。
飯盛山は彌子村を囲む山々のなかの一つで、その山麓に沿うような形で彌子村が広がっている。
山容はお椀を伏せたような形のために飯盛(めしもり)とも呼ばれ、それが時代を経て飯盛山と呼ばれるようになったらしい。私の目についたのは、そんな飯盛山の中腹辺りに見える、灰色のガードレールのようなものだった。
それは記憶にも朧げながらあった。
しかし、あれは何だったか。記憶に霞みがかかったように思い出せなかった。
誰もいない道の真ん中で頭を捻る。するとガードレールから下った右下辺りで小さく明かりがちらついた。
不審に思い注視していると、時折、深緑の隙間から朱い炎が揺らめくようにちらりと顔を出していた。
彼処に誰か居る。
気づけば実家を通り過ぎ、誘蛾灯に誘われる虫の如く明かりの在処へ歩いていた。
麓(ふもと)にさしかかると緩やかだった傾斜が、息が荒くなるような坂になった。道幅も進むにつれて狭くなる。家屋も少なくなり代わりにと聳えるクスノキが道に影を落とす。日の入りを告げるヒグラシの鳴き声が酷く孤独感を煽った。
西日が尾根に隠れ山陰が道筋を薄暗闇に包む頃、目の前に三叉路が見えてきた。
低木に紛れた朽ちかけの案内板には、左の道に『智慧の水』があり、右の道には『童妙神社(どうみようじんじや)』に至るとだけ表示され、正面のひときわ傾斜のきつい山道には一切触れていなかった。
案内のない山道の進入口には紙垂(かみだれ)の下がった注連縄が吊り下がり、その下に進入禁止の立て看板が立っていた。
立て看板は子供へ注意を促すため、デフォルメされた少年の絵が描かれていた。ただ長い間野ざらしにされていたのだろう、雨風に晒されたために錆びつき、少年の屈託のない笑顔は赤褐色に爛れ、痛みに呻いているようだった。
目標の明かりは、位置的に考えると右側の童妙神社(どうみようじんじや)の方面から漏れているようだった。私は明かりを求め、足早に童妙神社へ向かった。
秋の日は釣瓶落(つるべおとし)、とは良く言ったもので、道はものの数分で暗闇に満ちた。
私の脚は次第に早歩きになり、しまいには息急き切って駆け出していた。
暗闇が怖ろしかった。
暗闇がこんなにも人の不安を助長させるものとは。
ありもしない妄想が次々に掻きたてられるものだとは。
げんにこのとき、私は耳たぶを後ろに引っ張られるような違和感を覚えていた。誰かにじっと睨め付けられているような感覚で、まるで少年の絵が横目で睨んでいるとさえ思った。
無論、それは私の恐怖心から産声をあげた妄想の視線だろう。
だが、それを信じ込ませてしまう魔力が慥かに其処にはあった。
幻覚から目を背けるように左に曲がりくねった道を進むと、ぼんやりと暖かな明かりが見えた。縋るような気持ちでキャリーケースを引きずった。
すると右手に鳥居が立ち、その奥に長い石段が伸びていた。
石段の左右には等間隔に献灯籠が灯され、参拝者を参道へと誘うように苔むした石段を仄かに照らしていた。
私はキャリーケースを鳥居の脇に立て掛け、一段目へと足をかけた。
周囲は蟲(むし)すら押し黙り、灯芯(とうしん)の先についた炎がチリチリと揺らめくのみ。
足音は荘厳な世界に染み込んでいく。
一段、一段と登り進む度に、心を握り込んでいた恐怖感は薄まっていった。恐れだけじゃない。雑多な意識さえも立ち籠める樹木と整然と並ぶ灯籠に吸い取られていくようで、肉体が山へと還るような気分になっていった。
意識が溶け、ゆっくりと自壊していく。
今にして振り返れば、彌子村に帰省してからというもの、感受性が異様なまでに研ぎ澄まされているようだった。あのとき村にいた私には、それが郷愁からくる一時の感傷だと思っていた。
だが、私には彌子村という土地が有する超自然的な形質、オーラ、地脈に依るものではないか、と今更ながらそう思えてならない。
彌子村という土地自体が一種の怪異であるかのように。
ゆえに私は彌子村に到着してからずっと怪異に蝕まれていたのだろう。
陶然と石段を登り、山門をくぐると、童妙神社の全容が見渡せた。
しかし目に映ったそれらは、神社というには全てが妙だった。
まず、御神体を祀る本殿がなかった。
本来、拝殿と本殿はワンセットだろう。一般に参拝する際に柏手(かしわで)を打つ場所が拝殿の前面になる。拝殿は本殿より大きく建てられ、祭祀のときに神職が着座するために吹き抜けであることが多い。童妙神社も例に漏れず、切妻造(きりづまづく)りの大きな拝殿はあった。
本殿はその奥に建てられることが多い。人の行き来を考慮しないため拝殿より小さく建てられ、神霊を宿した鏡などの神代が安置される。いわば神社の核の部分だ。
それが童妙神社にはない。
飯盛山を背にして境内の中央に相撲の土俵が設えてあるようだった。
しかし、本殿が設えてあるかのよに床は板が敷かれ、手前には賽銭箱で設置してあり、その上には鈴の尾が垂れている。
慥かにそこは拝殿だった。
しかし拝むべき肝心の本殿がない。
拝殿の手前には、四方を注連縄で囲み護摩焚きのように壇が作られていた。壇の中に入っている雑木は既に点火されており、炎々と火の粉を舞上げながら暗い境内を照らしていた。麓でちらりと見えた明かりの正体はこれだった。
奇怪な境内には、犇めき合うほどの村人たちが集まっていた。その誰もが険しい表情を浮かべながら囁き合っている。その渦中において、私は呆然と立ち尽くしていた。
あの時の私は、さながら人を攫う算段をしている鬼の棲み家に迷い込んでしまった間抜けのようだった。
私が山門をくぐった時、彼等は誰一人として気づかず雁首(がんくび)そろえて不景気な顔を突き合わせていたが、その中の一人が私に気づくと、かっと目を見開いた。
彼はそのまま視線を外さず、隣の男に耳打ちする。された方は耳打ちした方と同じように驚き、私を凝視した。そしてひとしきり見定めると隣の人へ耳打つ。
耳打ちは連鎖的に広がり、また周囲の雰囲気を察した者が私を見つけ、瞬く間に境内に犇めいていた村人の視線が私一点に集中した。
大勢の人が居ながら、その瞳は一様に空虚ながらんどうだった。
狼狽える私に、しかし彼等は何も言わず、凝っと見据える。
そのうち、ひとりが訛りの強い言葉で、私の名を呼んだ。
突然のことで戸惑いながらも頷くと、境内の方々(ほうぼう)から私の名前を呟く声が、ザワザワとわき出した。
すると、どうだ。無機質だった瞳はなりを潜め、初めて鏡を見たほ乳類のように不思議そうな視線が全身を弄(まさぐ)った。
居たたまれない時間を過ごしていると、村人の一群の中からひとり、白髪交じりの老人が進み出た。彼は落ち窪んだ眼窩の奥で品定めのように見回したあと、
「むかぁし、よぉなきよぉた。おぼえとぉ。山儀(やまぎ)んところの子よなぁ。よぉきた、よぉきた」
皺だらけの掠(かす)れた喉をふるわせ、梢(こずえ)のざわめきのような声を発した。
さきほど私の名前を呼んだ声だった。
その声が引き金となり、ぱっと当時の記憶の断片が甦った。
まだ私が彌子村に住んでいた頃、慥か二軒隣に「タケじぃ」と呼んでいた老人が一人で住んでいたことを思い出した。
タケじぃはいつも縁側に座り、飽きもせずぼんやりと飯盛山を眺めていた。妻子や親族を見かけた覚えはない。彼は日がな一日独りで山を眺め続けているので、小学低学年の頃、友人と一緒にタケじぃの家の垣根から覗いては、本当は人ではなく人形なのではないかと観察していたものだった。
勿論、話し掛ければすぐに判別できるのだが、あの落ち窪んだ眼球で睨まれるのを想像すると誰もが二の足を踏むので、呼びかけはしなかった。
だからだろう。私はタケじぃが人並みに動き、しかも喋っていることに魂消(たまげ)て、そのままの気持ちを口に出していた。
それを聞いた村人たちは、一様に瞬きすると、ドッと笑い出した。
先ほどまでの背中がひりつく緊張感は晴れ、どかどかと村人が押し寄せてきた。
よぉかえってきた。おぅおぅ。おもいだした。よかった、おった──。
思い思いに話し掛けては、仏像にあやかる観光客のように肩や腕をぺたぺたと触りに触る。どうやら歓迎されているのでひとまず安心したが、境内に犇めいていた村人の大半があやかるように触ってくるので、数分の間は棒立ちのまま至る所を撫で回された。
ひとしきり村人の慰みものにされたあと、仮設テントの下で一息いれていると、タケじぃが二人の若者を引き連れてやってきた。
彼等が村の人間ではないことは一目で分かった。恰好や仕草が村人よりは垢抜けているし、どこかタケじぃに対して余所余所しかった。
だが、それ以上に、ニオイ、とでもいおうか。
感覚的に村人とは違うと判断できた。彼等は浦口(うらぐち)と坂梨(さかなし)と名乗った。
「よろしく!」
浦口と名乗った男は見た目は三十路前後で必要以上にフランクで、無駄に溌剌とした面持ちで握手を求めてきた。髪は脱色しており、白髪か黒々とした頭の群れのなかでひときわ悪目立ちしていた。
君に賛同を得られるか定かではないが、譬えるなら、サークルなどで飲み会の幹事やサークル長を率先してしたがるタイプだ。こういう類いは往々にして、リーダーシップを取りたがるくせに必要な能力や人脈を持ち合わせていない傍迷惑な野郎だが、例に漏れず彼はそういう類いの男だった。
「・・・・・・ど、どうも」
一方で坂梨は二十代後半ぐらい、ぼそぼそと喋る軟弱者の印象を受けた。話す間は視線が合うことなく、人と話すことに慣れていないのが分かる。多分、童貞だろう。問題が過ぎ去るのを傍から待つような無責任な男だと、即座に判断した。
先に断っておくが、この第一印象が裏切られることはなかった。
一目見ただけで無茶苦茶言う奴だと思われるかもしれないが、私の勘は中々当たるのだ。今度、人相見のアルバイトでもしようかと半ば真面目に考えているほどに。
私は殊勝な態度で笑顔で対応したが、腹の中ではこの二人を、なぜタケじぃが紹介してきたのか、頭を巡らせた。
「てつだってほしいことがぁ、ある」
タケじぃはそう言うと、坂梨が私の前に目の細かい竹籠を置いた。
子供ならすっぽり覆えるほどの大きさの籠で、背負えるように麻紐(あさひも)が通してあった。
まさか今から山菜採りにでも行かされるのかと驚いたが、その竹籠の内側をのぞき見た瞬間、そんな暢気な考えは霧散した。
籠の内側には帯状の和紙が隙間なく貼り付けてあり、和紙には経文のような漢字の羅列が毛筆で書き連ねてあった。
弾かれたように顔を上げると、タケじぃの窪んだ眼球が凝っと見つめていた。
「てつだってほしいことがぁ、ある」
再度、梢のざわめきに似た、人ならざる声が聞こえた。
私は奇怪な竹籠の意図を問うことも出来ず、ただ頷くことしか出来なかった。
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