発端
発端 第一節
君は私のことを覚えているだろうか。
ちょうど大学の後期受講申請届の締め切りだった日だ。
ふらりと立ち寄った学生ホールの隅で、足を組みながら険しげな面持ちでくすんだ文庫本を熱心に読み耽る君へ、無粋にも声をかけた私だ。
君は私の名前の頭文字すら覚えていないだろう。だが、私は君が声をかけた私に向かって胡乱な視線をむけたことも、その洞察眼でどのような答えを導き出したのか、テーブルに置かれたスナック菓子を手元に引き寄せたことも昨日のことのように覚えている。
だというのに不思議なもので、なにゆえに君に声をかけようと思い立ったのかは全く覚えていない。
私は断じて社交的な性格ではないし、むしろ自発的に友人関係を築くことに躊躇うタイプだ。自分で言うのも恥ずかしいが、私は自他とも認めるシャイな性格だ。
そんな私が自発的に君に話し掛けたのだから、自分の事ながら妙である。
それに加えて、始めて君と連絡を取るために選んだ手段が学生界隈では一般的なメールや電話、SNSなどでもなく、このように古めかしく文章をしたためている現状を鑑みると、君との縁には運命的なものを感じざるをえない。
だが私がこんなロマンティズムの塊のような言葉を述べたところで、君の琴線には少しも響かないのは心得ている。
だから君の言葉を借用しよう。
そう、私達の奇縁は君の言葉でいうところの、
──怪異に行き逢うた、というものだ。
知らず知らずの内に、超然とした意思が背中に這いよられる感覚。
今までの合理性が溶け出して、非合理的なものを享受してしまう感覚。
以前笑ってしまったこの言葉だが、いまや一笑に伏すことは出来ない。
君のことだ。薄々は気づいているのだろう。
そうだ。私は文字通り、怪異に行き逢うた。
図らずとも結ばれる縁というのは当然のことながら君と私のような良縁だけではなく、仄暗い淵の奥底から想像を絶する怪物を釣りあてることもある。
私が引き当てた奇縁は、私に有り余る害意を有していた。
ここより心して読んで欲しい。
この先は怪異譚だ。
妖しげで異質。おぞましい臭気を漂わせながらも、決して姿を現さない幻惑の塊。
飯盛山(いいもりやま)に棲まう御柱を奉る私の故郷──彌子村(みこむら)。
その村で体験した五日にもわたる恐怖体験。
それは生還したはずの私の精神を、なおも蝕んでやまない。
今も震える指先は、いまだ染み付いて離れない恐怖の残滓だ。
率直に言う。
助けて欲しい。
君だけが頼りだ。
怪異をこよなく愛し、一方でそれを盲信せず悟性(ごせい)ある解釈を追求する君ならば、複雑怪奇な私の五日間に一筋の光明(こうみょう)をさしてくれると願わずにいられない。
そのためならば、恥ずべき貧弱な語彙を隠すことをせず、タイプキーを叩く音とともに思い出したくもない悪夢の五日間を掘り起こすことに一片の躊躇いもない。
身勝手な願いだと思う。
しかし私にとって君だけが一縷(いちる)の望みなのだ。
もう一度、切に願う。
君だけが頼りだ。
助けてくれ。
怪異はもうすぐ其処まで来ているんだ。
断じて錯覚じゃない。
信じてくれ。
私は怪異に行き逢うた。
そして遭遇した怪異はまだ私の背後にいる。
ここから先は君が私の切実な気持ちを汲み取ってくれたという前提で記述する。
では、心して読んで欲しい。
私の故郷で起きた、五日間の怪異譚。
その発端たる、首吊り雛の祭祀を。
君と杯を酌み交わした翌日、私は帰省のため、三両列車のところどころ破れた座席に身体を預けていた。
以前から両親にいつ帰るのだとせっつかれていたのだが、大学生活にも慣れ、少々時間的余裕が出来たため、私は重い腰をあげることにした。
全寮制の高校に通い、そのまま市内の大学へ入学した私にとって、およそ五年ぶりの帰省だった。
私の故郷である彌子村(みこむら)は県境にある山間の村だ。
市内から乗り換えをするに四度、同県民の一割も知らないであろう駅を何度も見送り、車内から乗客を吐ききってもなお、その遠景すら望めない田舎街。
道程は果てしなく長い。午前中から傍らに積み上げた文庫本が五冊目に到達した頃には、車窓から斜陽がさすほどだ。
周囲を見渡すと、朱く染まる車内には私一人だった。
六冊目には手を伸ばさず、変わり映えのしない山容を眺めた。
車窓から繁茂する藪林や荒れた田畑、トタン屋根の古びた家屋が見える度に、帰郷する田舎街もこんな風にうらぶれていたらどうしようか、と思った。
二十四時間のコンビニが営業していろとまではいわないが、頭の片隅に残る彌子村の風景が昔以上に寂れたものでないことを祈った。
列車はトンネルへと入った。そしてすぐに出たかと思えば、すっと視界が開けた。
そこには先程の心配を払拭するような、懐かしい村落が広がっていた。
緩やかな傾斜に並ぶ棚田(たなだ)。
点在する木造家屋と滅多に見ることのない木製の電柱。
彌子村(みこむら)。私が幼少期を過ごした山間の村は、時間の流れから忘れられたかのように寸分変わらず残っていた。
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