首吊り雛
織部泰助
序章
序章 二〇二号室
その部屋は暗く澱んでいた。
築年数をかぞえるだけ野暮な、黒く煤けたモルタル二階建ての1Kマンション。
赤錆びた鉄骨の階段をのぼり、廊下を左に折れた先の安っぽいスチール製のドア。
部屋番号は二○二号室。
靴が散乱した玄関。フローリングの廊下が伸び、その左隣にユニットバスとキッチンがある。わずかに開けられたユニットバスから、チカ、チカ、と喘鳴のように電灯が明滅して、無灯の廊下に不気味なシグナルを送っている。
六畳ばかりの狭い部屋だ。玄関からみて右手に簡易ベットが、左手に組み立て式の本棚がある。中央にはパステルブルーのカーペットが布かれ、ガラスのテーブルがある。
部屋はまだ夕方にも関わらず、夜中のように暗い。
無論、そうしたのは私だ。
部屋の電灯は消した。深緑の遮光カーテンも隙間をつくらないようにきっちりと引いて、照射されるような茜色の西日も遮断した。道路からマンションのベランダを見上げれば、入居者は不在と思うだろう。
それでも恐怖は拭えない。
最近、誰かに監視されている。
何度も被害妄想だと言い聞かせた。それでも人影のたえた路地や人ごみの雑踏で背筋をなぞりあげられるような視線に襲われることがある。
あの日以来、頻度は格段に増した。
手をもみ合わせる。身体を縮こませ、深呼吸を繰り返した。
膨れあがる不安を鎮めていると、玄関越しに廊下を歩く跫音(あしおと)が聞こえてきた。
肩が引きつったように跳ねあがる。
暗闇のなかで息を潜め、玄関のドアノブを凝視する。
カン、カン、と階段を登る音が響く。
跫音にあわせ、ユニットバスから漏れる光がチカ、チカ、と点滅する。
廊下のコンクリートを踏む音が聞こえる。
カツ、カツ、カツ。音はドアの前に迫る。
緊張でしゃくり上げそうになる口を両手でおさえる。
カツ、カツ、カツ──。
・・・・・・通り過ぎた。そのまま耳を澄ませていると、跫音は二部屋ほど隔てた扉に鍵を差し込み、部屋へ入っていった。
どうやらマンションの住人らしい。
安堵で大きく肩を下ろす。
「・・・・・・大丈夫、大丈夫、大丈夫、大丈夫」
張り詰めた緊張を慰めるように、小さい声で呪文のように何度も唱えた。小さな頃から緊張したときはこう言って自分を落ち着かせていた。
既に連絡はしてある。もう少しの辛抱だ。
心のなかで自分に言い聞かせた。折り返し連絡が来れば、もうこの罪の呪縛から解放されるから、と。
それでも凝っとしていると、心に巣喰う不安で叫びあげそうになる。
何か気を紛らわせることがしたい、と思った。
考え抜いた末、自分の中で総点検と称して、何度もあの忌々しい五日間の記憶を再生しては点検することにした。
正直一度たりとも思い出したくもない悪夢のような記憶だが、顧みることで何か見落としたものがないか、再度確認しておきたかった。
私は要所要所を思い出しては、推理に抜けがないことをチェックしては、見落としがないことを確認してゆっくり首を縦に振る。
記憶の総点検を終えたあと、ふと彼女のとある発言を思い出した。
「・・・・・・まさかね」
最初はそんなことはあるはずないと思い、無理矢理苦笑してみた。
だが少しでも気になってしまうと、その痼りがどんどん肥大化していく。
落ち着いていた鼓動も煽るように高鳴る。
これも点検しなければならない。
「どこだ、どこにある」
周囲に目を配ると、ベットの隅で小さな光がチカチカと点滅していた。
ベッドのシーツを慎重に捲ると、そこに待機中の折りたたまれたノートパソコンが顔を出した。
私はすぐにノートパソコンをガラステーブルの上に置いた。
パソコンを開くと、起動音が機体のスピーカーから流れ、画面にテキストファイルが広がった。なんとも都合が良い。まるで超然とした意思が、私にこのテキストファイルを点検しろと指摘しているかのようだった。
そして私はその意思に導かれるようにテキストファイルに目を通した。
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