Ⅱ 潜入③


***


 窓のふさがれた馬車にられながら、ティルザは所在なげに手をひざの上でぶらつかせていた。

 わざと迂回うかいして感覚をぼかそうとしているが、おそらく市街地から郊外こうがいへと街道を南下している。伝わる荒い振動しんどうが、舗装ほそうされた道から砂利じゃり道へと変わり始めたことを教えてくれる。

「いいもの見せてやるよ」

 と唐突とうとつに言われ、やかたから連れ出されて十数分。向かい合ってこしかけるイーディスは、いたずらっ子のようにひとみかがやかせている。

 殺すつもりなら、わざわざ連れ出す必要もない。何が目的だろう。

「心配すんなって」

 思考を先回りしたのか、イーディスはあっけらかんと言った。

うたぐり深いのは悪いことじゃない。お前らのいた環境かんきょうじゃ、『人を見たら泥棒どろぼうと思え』っていうのも至言しげんだよ。でもな、あらゆる可能性を想定したところで、なお凌駕りょうがするのが現実ってもんだろ? 結局、考えても仕方ないってことさ」

 ティルザは周囲を観察した。

 馬車の馭者ぎょしゃ一人と従者が二人。イーディスを含めてたった四人だ。殺すのは無理にしても、逃亡とうぼうできなくはない。

 けれど、王宮にはゴッドアイとの連絡役としてベオが潜入せんにゅうしている。《まじない》を抜きにしても、その強さは相当なものだ。ティルザがげれば、彼は容赦ようしゃなく姉を殺すだろう。

「なあ、お前さ、いつ寝てんの?」

 出し抜けの質問に、ティルザは顔を上げた。

「見張りの奴に聞いても、寝てるところを見たことないって報告受けてるんだが」

 イーディスは緋色ひいろの瞳でじっと見つめてくる。ティルザはこの男の目が苦手だった。それは血の色の目だった。

「僕の体、ほとんど睡眠すいみんが必要ないらしいんですよ」

「へえ。便利べんりだな」

 イーディスは軽く受け流し、「あんまり無理するなよ」と頭に手を置いた。

 すきだらけのように見えるのに、仕掛けることができない。ティルザは歯がゆい思いだった。この余裕、にじみ出る自信。どんな攻撃こうげきも簡単にあしらわれそうだ。

「ベオに聞いたけど、お前、つかまったとき女装してたんだってな。何でだ?」

 アジトに突入してきたイーディスの部下たちは、少女の姿をしたティルザに少なからず混乱した。その隙に乗じて、ティルザは何人かに手傷を負わせて逃亡をはかった。手練てだれの者がいなければ、そのまま逃げ切れていただろう。

「女の姿をしていたほうが、油断を誘いやすいですから」

「ま、本当の理由は、いざってときはお姉さんの身代わりに死ねるからってとこか」

 言い当てられてティルザは鼻白む。

 イーディスは茶化すように拍手はくしゅした。

「図星だろ。ほんと、美しき姉弟きょうだい愛だねえ。……ていうか、お前ら本当に姉弟なの?」

 するどい目つきで切り込んでくる。

「あいつのお前に対する入れ込みぶりは異常だろ。何をどうやったら、あんな病的なブラコンができ上がるんだ?」

 ティルザの表情は平淡へいたんなまま、瞳は奇妙きみょうなほどいでいる。

「おまじないですよ」

「は?」

 イーディスは目をしばたたかせる。

「小さい頃、どっちかが泣きやまないと、どっちかがああやってひたいにキスしてたんです。寝る前にも、よく眠れますようにって。その習慣が何となく続いてるだけです」

「話をすり替えようとしても無駄むだだぞ」

 イーディスの胸元むなもとに、クリスタルの首飾りが光を添えている。

「そういうことを言ってるんじゃねえんだよ。あいつの一番は自分じゃない。自分の命なんか二の次三の次、その気になればいつでも捨てるつもりだ。お前のためだけにな」

 反論しかけたティルザを手で制し、イーディスは続けた。

「はったりかどうかなんて見れば分かる。きもわってるとか、そういう次元の話でもない。ぶっとんでるよ、あいつは」

 ティルザはだまったまま、膝の上に置いた手を見つめている。

「……ま、そういう奴はきらいじゃないけどな。そんだけ愛されて幸せだなー、弟君は」

 イーディスが冗談じょうだんめかして言うと、ティルザは苦笑して首を振った。

「姉さんは、実は僕のこと、そんなに好きじゃないんですよ」

うそつけ」

「嘘じゃありません。あの人は、ああやって僕のこと監視かんししてるんです。死なないように」

 淡々たんたんとティルザはべた。

 イーディスは興味深げな眼差まなざしでしげしげとながめてきたが、やがて話題を変えた。

「しかし、よくできた《まじない》だな。容姿を想像したとおりに擬態ぎたいさせる力……身をかくすには絶好の能力だよ。お前らとの追いかけっこの最中、一つの可能性として考えてはいたが、」

 ティルザはさえぎるように、

「先日の肖像画しょうぞうがの方は、ルシオラ姫ですね」

 矛先ほこさきらされてイーディスは目を丸くしたが、うなずいて答える。

「そ。ルシオラ・ハミルトン。王子様の元婚約者こんやくしゃ。よく知ってたな」

「用意がいいですね。《まじない》の精度を高めるために、模写もしゃしやすいよう肖像画まで準備しておくなんて、まるで最初からこうなることが分かってたみたいだ」

「それはこっちの台詞セリフだよ」

 腕組みしたイーディスは低く言い放つ。

「お前、わざと捕まったろ」

「……何のことでしょう」

 ティルザは薄く笑った。イーディスは片手でそのかたつかむ。

「何が目的だ? ゴッドアイに潜入せんにゅうして、俺たちを内部からつぶすつもりか。大好きなお姉さんを危険にさらしてまで、お前は何をしようとしてる」

 鋭い眼光がんこうを、ティルザはこうからね返した。

「一方的な取引に応じるつもりはありませんよ。あなたの目的を先に教えてくれるなら、話は別ですけど」

 イーディスは舌打したうちした。

手強てごわいな。お前もアルメリアも」

 渋面じゅうめんを作ってはいるが、目は笑っている。

 ティルザは不思議ふしぎな思いだった。冷徹れいてつかと思えば親しみやすく、掴んだかと思えばはぐらかされる。まるで姿形のない風のようだ。

「なあ、あれをどう思う?」

 と言って、イーディスは閉ざされた窓の先を指さした。見えなくても、ティルザは何のことを聞かれているのか分かった――魔導結界アルス・マグナだ。

「神の守護しゅごだとか結束けっそくあかしとかぬかす奴らもいるが、あれはていのいいおりだ。俺らを閉じ込めて、よそへ逃がさないためのな」

 イーディスは身を乗り出して問う。

「そう思わないか」

 ティルザは目を細めた。

「……さあ。政治のことはよく分かりませんから」

「よく言うぜ。この国きっての開国派の御曹司おんぞうしが」

「父が死んだとき、僕十歳ですよ。開国だの鎖国さこくだの知るはずないじゃないですか」

「ばーか。そこから五年ってるだろ」

 人さし指でティルザの額をはじき、イーディスは真剣な顔で告げる。

「お前たちは死にものぐるいで調べたはずだ。どうして父は殺されたのか。どうして母や自分たちは巻き込まれたのか。どうすれば追跡から逃げびられるのか。

 ……そうでなきゃ今頃どっかで野垂のたんで、ドブネズミにでもかじられてるよ」

 馬車が一段と大きく跳ね、ティルザは座席を掴んで持ちこたえた。

 ――姉さんは、五年前の事件を忘れたがってる。

 真実を知りたいという気持ちより、向き合うことへの恐怖きょうふが先に立つ。本当のことを知れば、もう後戻りはできない。だから、必死で目をそむけようとしている。

 子どもの身で集められる情報は多くはなかったが、その中でも確かなことがある。その一つが、五年前の事件は組織的なものだということだ。夜盗やとうなどによる突発的な犯行ではなく、計画を整え、武器や火種の準備をし、人員をそろえた上で実行されている。その組織として有力な候補こうほがっているのが、イーディスが総領そうりょうつとめる民間軍事組織『ゴッドアイ』だ。

 目の前のこの男が、親のかたきかもしれない。ティルザにとっては、その考え自体にさほどの動揺どうようはない。姉の身が無事ぶじでさえあれば、五年前の事件も、イーディスのこともどうでもいい。

 ――ただ、姉さんは違うだろう。

 知りたくないと思う一方で真実を強く欲し、にくむべき相手と思いながらもイーディスを憎み切れない。その狭間はざまで苦しむ彼女の姿が見えるようだ。

 ――姉さんは優しすぎるからな……。

 思索にふけるティルザの瞳を見つめ、イーディスは不敵に笑った。

「お前ら二人はさ、これからいろいろやらかしてくれそうで楽しみなんだよ。だから特別に連れてきてやったわけ」

 やがて振動はゆるやかになり、馬車は少しずつ徐行じょこうし始める。

「そこまで言うなら教えてくださいよ。あなたの真の目的」

 落ちつき払った様子でティルザは問う。

「どうせ僕たちを生かしておく気はないんでしょう?」

 イーディスは思わず吹き出した。

「どうせ死ぬんだから全部教えろってか。やっぱ面白おもしろいわ、お前ら」

 わしゃわしゃと乱雑らんざつに頭をでられ、髪が四方八方に跳ね広がる。ティルザは鬱陶うっとうしそうに手を払いのけた。

「ま、いいさ。もともとかくす気もなかったしな。任務が成功すればいやでもおおやけになることだ」

 イーディスは窓の外を指した。

魔導結界 あれ を消す」

 ティルザは絶句した。

 空と海、気流と潮流ちょうりゅうつかさどり、この島国を絶対不可侵ふかしんとする神聖なかなめ。二百年以上昔から堅持けんじされる、大いなるはがねよろい

 失えば、この国は根底から揺らぐだろう。

 イーディスは真っすぐな瞳で言った。

「ローランシアの秘宝の遺志いしは俺がぐ。魔導結界アルス・マグナいて、この国を開く」

 ――ローランシアの秘宝。

 その言葉に打たれ、ティルザは身震みぶるいした。

 それは父の異名。くなってなお、人々のむねに残り続ける称号。名乗ることは、この国を開国にみちびくことを意味する。

 しかし、そもそもガリア商会と父ジャスティス・アストリッドは敵対関係にあったはず。イーディスがジャスティスの遺志を継ぐなどと言い出すのはおかしい。

 ティルザは眉をひそめた。

「あなた方は鎖国さこく派の依頼いらいで動いていると思っていましたが」

「お、さすがの弟君も読み切れなかったかー」

 屈託くったくなく笑うイーディスを見て、ティルザはひらめいた。

 ――違う。

 ――この人の動機は金でも、鎖国派からの依頼でもない。

 ――この人は自分の目的のために、アレクト王子を利用するつもりだ。

 彼はアルメリアが屋敷やしき侵入しんにゅうする前から手筈てはずを整え、計画を実行に移す機会をうかがっていたのだ。そもそも開国という動機があり、みずからの手で完成図を描いていた。そこへ王子誘拐の依頼が舞い込み、その依頼を逆に利用することを思いついたのだろう。

 誘拐の真の目的は、アレクト王子を人質に魔導結界アルス・マグナを解くこと。ゴッドアイとガリア商会は、富と私兵を集め、王宮に対抗たいこうし得るだけの武力と勢力を保持するための手段。そう考えると全ての辻褄つじつまが合う。

 しかし、それでもなお残る一つの疑問を、ティルザは相手に投げかけた。

「なぜ開国を求めるんです? 外界に、金がいて出る土地でもあるんですか」

「さて、何でだろうな」

 イーディスはのん気な口調でけむに巻く。

「勝算はあるんですか。アレクト殿下でんかの誘拐に成功したところで、そう簡単に事が運ぶとは思えませんが」

「まあ見てなって」

 馬車がまる気配を感じ、ティルザは顔を上げた。

 着いたな、と言ってイーディスは立ち上がる。

「俺たちがこの国に引きこもってから二百年、大陸の奴らが昼寝でもしてたと思うか? 航海術も造船技術も日に日に進歩してる。明日にでも異国の船が結界を破って流れつくとも限らない。そんな状況で《まじない》なんかに頼ってるほうが危険だって、何で分かんないかねえ」

 とびらが開き、流れ込んできたのはしおの香りと波の音だった。海が近いのだ。

 身軽に馬車から飛び降り、ティルザは水のような空を見上げた。

の中のかわず大海を知らず」

 小声でつぶやいた言葉を、イーディスが聞き取って応じた。

「いにしえの言い伝えだな。まさに今の俺たちがそうさ」

 うながされて歩き出すと、そこは倉庫街だった。少し先にはみなと防波堤ぼうはていが見える。

 遠く白鳥が一羽、悠々ゆうゆうつばさを広げて飛んでいく。海風が服をはためかせて体にまとわりつく。ティルザは前髪まえがみをかき上げた。

 ――確かに僕らがいるのは、きとおった硝子ガラスびんの底なのかもしれない。

「着いたぞ。ここだ」

 開けろとイーディスがめいじ、大きないかめしい鉄の扉が両側から押し開かれる。乾いた空気と木くずのにおいに鼻がひくついた。

 薄暗うすぐらい倉庫の中には、だだっ広い空間が広がっている。

 そのほとんどをめる容積の建造物を前に、イーディスはほこらしげに言った。

「これが俺たちの船だ」

 ――船。

 そう、それは単純に船と言ってのけられないほど巨大きょだいで、の打ちどころがないほど美しく、圧倒的な威容いようていしていた。

 それは光だった。希望の象徴しょうちょうだった。黎明れいめいきざしであり、始まりを告げる歌だった。

 衝撃しょうげきが背骨を突き抜け、ティルザは呆然ぼうぜんと立ちくした。胸がふるえ、耳の奥でかねが鳴り響いている。

「この船で、俺たちは外の世界に行く」

 見える。奔放ほんぽうに笑うこの男のとなりで、運命が手を差し伸べている。お前も共に行くのだと。

 どうしてかは分からない。けれど、この船をの当たりにした瞬間しゅんかん、ティルザはこれに乗ってはる彼方かなたにある未知の世界をめぐる自分の姿が、ありありと脳裏のうりに浮かんだのだった。

「な、いいもんだろ」

 イーディスがほがらかにたずねる。

 きっと、この男はやりげてしまうだろう。その行く手に、どんな困難が待ち受けていようとも。

「名前」

 屹立きつりつするメインマストを見上げ、ティルザは呟いた。

「ん?」

「船の名前は」

 その船はゆりかごの中でおだやかに眠り、やがて大海原おおうなばらへとでる日を夢見ている。

 イーディスは会心のみを浮かべ、宝物のようにその名を口にした。

「メメント・モリ」

 と。

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ローランシアの秘宝を継ぎし者 往け、世界はこの手の中に 橘むつみ/角川ビーンズ文庫 @beans

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