Ⅱ 潜入②
夜明けと共に
午前七時、使用人用の食堂で手早く朝食をとる。三十分後には、
合間合間に
後宮と主宮を含めた王宮全体での女官の数は約百名、侍女はおよそ三百名といったところだ。アルメリアは
王族と
「大体、王子はどこにいるっていうのよ」
迷ったふりをして庭園を散策しながら、アルメリアは
せめて女官なら、もう少し正確な情報がつかめるだろうが、侍女では限界がある。後宮は広く、建物も人間関係も
とはいえ、イーディスには勝算があるらしい。
アルメリアは小さな
――あの
「ルシオラ姫!?」
突然悲鳴が上がり、アルメリアは
振り向くと、四十歳くらいだろうか、オレンジ色の短い髪をした女性が、あんぐりと口を開けて立ち
アルメリアが
「生きてる。どうして。あなたは……」
服装から彼女を女官と見てとると、アルメリアは
「どうかお許しください、女官様。わたくしは先日入宮したばかりの侍女で、シルヴィアと申します。
女官は目を白黒させていたかと思うと、
「あら、ごめんなさいね、人違いをしてしまったみたい。私はモニカ。アレクト
「こちらこそ、よろしくお見知りおきくださいませ」
おしとやかに応じながらも、アルメリアは心の中で
何しろ乳母といえば、王子にとって母親より
「厨房まで行くのね? 送っていきましょう」
思いがけない気さくさで彼女は言うと、歩き出した。アルメリアは
「モニカ様。一つよろしいでしょうか」
「なあに?」
彼女はおっとりとした様子で振り返る。
「先ほどおっしゃっていたルシオラ姫というのは、」
言いかけた
「しっ」
と、モニカは人さし指をアルメリアの
「その名は口にしてはいけないのよ。ここではね」
あんたさっき思いっきり叫んでたじゃん、とアルメリアは内心突っ込んだが、
モニカは
アルメリアは目を
その花が、いや、後ろに
――《まじない》の力……。
神妙な
「
おかしい。
アルメリアは
「種はね、もともと自分の中に
「私は植物とお話をして、その力をほんの少し助けてあげるだけ。そういう《まじない》を神様から
「
「ありがとう」
モニカはにこっと笑う。
「歌は植物にしか効かないの。でも女王
風が
「ルシオラ姫は、私の歌を好きだと言ってくださった。私たちで王子を、共に、支えていこうと……」
モニカの瞳が
「……先輩方に
モニカは顔を上げる。庭園に
「アレクト殿下の
ルシオラ姫は現財務大臣エルゴ・ハミルトンの
当時十五歳だったアレクト王子に
しかし一月ほど前、ルシオラ姫は
事件のことは国民には一切知らされておらず、
とはいえ、これだけセンセーショナルな事件が起これば、誰かに話したいと思うのが人情だ。後宮内部であれば、身内意識もあって余計に口は
モニカは考え込んでいたが、しばらくして口を開いた。
「これも何かの
――やっぱり。
アルメリアは確信を得て、右手を握りしめた。
イーディスが指定したこの
侍女たちから噂を集めることはできても、
しかし、お目通りがかなう身分だったモニカは、シルヴィアの姿が死んだはずのルシオラ姫にそっくりだと知っている。だから、こんなにも
「アレクト殿下に婚約者がいらしたなんて、わたくし、知りませんでした」
「そうでしょうね。もともとルシオラ姫は
「でも、ルシオラ様はその婚礼の儀を待たずして亡くなった……と」
「ええ……。悲しいことだわ。お亡くなりになってなお、殿下をお守りしようと姫がうつし世を
モニカは
「王子のお皿にも毒は盛られていたのよ。けれど、先にお召し上がりになった姫が亡くなって、
「毒を盛った者は見つかったのですか」
「いいえ」
と、モニカは首を振る。
「一つ言えるのは、王子に
切り込むと、モニカは真っ赤な目をして
「それだけじゃないわ。王宮は数年前から開国派と
アルメリアは大きく頷いて続きを
ここ十年ほどの間で急速に高まった気運、それは
逆に鎖国派の筆頭が、現
「宰相
王弟シベリウスの話は、アルメリアも小耳に挟んでいた。
普段は南部地方の領主としてそちらに
ルシオラの姿が心を呼び覚まし、よい効果になっているらしい。モニカは初対面とは思えないほど打ち
「アレクト殿下は、女王陛下の意志を継ぐ開国派ということでしょうか」
「そうねえ……」
モニカは鼻をかむ。
「殿下はまあ、その……ご病弱ということもあって、
病弱で発言力がなく、後宮に引きこもり、
「ハミルトン財務大臣は中立的立場を
「おそれながら、最終的に全ての決定権は女王陛下にございます。鎖国派がどう出ようと、ビルキス様が国を開くと一言おっしゃればすむことではありませんか?」
「もちろん、法律上はそうよ。主権者である王または女王の決定は、他の何にも
開国か鎖国か。この国は今、張りつめた細い糸の上で
少しでも他から力が加われば――たちまち
「仮に開国するなら、最低でも宰相と
「五年前の事件……?」
アルメリアが首を
「アストリッド大臣が亡くなられた事件よ」
全身が総毛立った。
「あなたも聞いているでしょう。史上最年少宰相の座は確実と言われていたジャスティス様が一家
むごい事件だったわ、とモニカは
膝が笑い出す。息が上がり、目が回る。飲み込んだ
「シルヴィア?」
モニカが
「顔色が悪いわ。大丈夫?」
「いえ、何でもありません。ただ……あの事件は無理心中だと新聞にあったものですから」
「ああ……」
モニカは苦い顔をした。
「世間では、そういう話になってるみたいね。確かに新聞にはそう書いてあったけど、そんなの真っ赤な
「では、あの記事は
「恐らくね。どこかから圧力をかけられたのよ」
――この人も、五年前の事件のことを知っている。
――ううん、この人だけじゃない。王宮にいた人間は、あの事件が暗殺だったということは、みんな分かってるんだわ。
「アストリッド大臣は開国派だったのですね」
「もちろんよ。そもそも、女王陛下に開国を進言したのはジャスティス様だもの」
モニカは大きく頷くと、瞳を上向けて言った。
「あの方は……アストリッド大臣は、メラニー様に
本当に残念なこと――。モニカは言って、祈るように
それでも女王が開国しようとすれば、どうなる?
アルメリアが鎖国派なら、今度は王子を
――そうか。だから、アレクト様を
ようやくイーディスの狙いが読めた。が、分かったところでどうにもならない。思いどおりになるのは
いっそ、女王に助けを求めるのはどうだろう。父は女王の忠実なしもべであり、開国のために命を落とした。生半可な信頼関係ではなかったはずだ。その子どもたちが生きていると知れば、
いや――アルメリアは浮かんだ考えを打ち消した。リスクが高すぎる。一般人が女王と面会するには幾十もの手続きを踏まねばならず、アレクト殿下に会う以上に至難の
アルメリアが思案に暮れていると、
「ローランシアの秘宝」
「え?」
ぎくりとし、アルメリアは
モニカはあどけなく笑う。秘密の暗号を打ち明ける子どものように。
「開国を願う国民は、アストリッド大臣を敬意と理想を込めて呼んだのよ。ローランシアの秘宝――と」
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