失ったもの

ウサギノヴィッチ

失ったもの

 リサは暗い部屋の中にいた。その部屋ではテレビだけがついていて、カウントダウンTVが流れていた。リサはテレビの音が漏れないようにヘッドフォンをテレビにさして、仰向けにして寝ていた。耳から入ってくる情報はどれも不愉快で、第十九位のaikoの「花火」が聞こえると無性に腹が立ってきた。自分の周りにはどうしてこのアーティストのファンが多いのか理解に苦しんでいた。一ヶ月前に寝たモチヅキ先輩もaikoが可愛いと言っていた。なのに、自分のことを抱いた。結局、男なんて抱ければいいのかと、心が荒んだ気持ちになる。

 自分は周りに流されまいとするリサの気持ちとは裏腹に、リサは今度高校の友人とカラオケで遊ぶための歌を仕入れるためにテレビを聞いてしまう。見てもいいのだが、今はそんな気分ではない。それは、さっきまで男と会っていたからだ。会っていた男は同級生のマサヒロだった。バスケットボール部の補欠で、補欠のくせに「自分はできる」という根拠のない自信を持っている男であった。リサにとってはそんなことはどうでもよかった。むしろ、そんなに薄っぺらい男の方が好都合だった。だから、選んだとも言える。彼女の友達からは趣味が悪いと言われることもあるが、逆に自分から見ればあなたたちの方が趣味が悪いし、いつまでも処女ぶっていることが気色悪いと思った。そんなことは噯にも出さないが。それに、自分が複数の男と関係を持っていることも言っていない。

 いらないことを考えていたら、郷ひろみが流れてきた。おじさんはどうしても苦手だった。リサは自分の今の俯瞰した姿を想像してみた。自分の頭からコードが出ていて、テレビにつながっている。自分が携帯電話のように充電されているようだった。男に会っていてもエネルギーなんて放出される一方で、決して自分は満たされない。抱かれているときもほんの一瞬だけで、その一瞬を味わいたいというのはある。N501がバイブするが、今はそんな気分ではないので無視をする。テレビは絶え間なく映像を映し出している。

 彼女には聞こえない足音が近づいてくる。一歩一歩が重い。部屋の前までくると一旦立ち止まる。

 部屋の中では九位が浜崎あゆみで耳障りだった。太ったブサイクな隣のクラスの女が、「あゆの歌詞がわかるわー。共感するぅ」と廊下を歩きながら言っていた。そのときの光景がフラッシュバックした。六位はポルノグラフィティの「アポロ」だった。マサヒロとカラオケに行ったときに彼が歌っていた。ただし、彼の声が低いせいか音程があっていなくて苦戦していた。暗いながらでも部屋に置いてあるCDラックの方に視線を向けた。

 ドアがノックされることなく開かれる。

 突然、暗かったリサの部屋に廊下の光が差し込む。眩しいと思い寝そべったままリサは顔に手をやる。その手の下では、ちくしょうと思った。

「帰ってくるの遅いじゃないか」

 ドアを開けたのはリサの父親だった。彼は無表情で、娘が遅く帰ってきたことに対して怒っているようではなかった。

「ノックしてよ、マナーでしょ」

 リサは顔に手を覆ったまま言った。言われた父親は息を大きく吸った。吐くと同時に筋肉を弛緩させてなるべくリラックスさせる。自分がここで怒ったら負けだと思った。母親を亡くしてからの十年以上、心理戦がずっと続いていた。それは消耗戦でもあった。

「いいじゃないか、そんなこと。それより、帰ってきたら、『ただいま』だろ?」

「関係ないでしょ? もう子供じゃないんだし」

「関係あるだろ。まだ子供だ。未成年だ」

 段々と会話のスピードが早くなる。二人の喧嘩は幼児退行していく。

「本当にあたしに関わらないでよ。本当に」

「なにを言っているんだ。お前は俺の娘だろ。監督する義務がある」

「義務? いつもお酒飲んで酔いつぶれている人に言われる筋合いはないわよ」

 ドンと部屋が、家が揺れた。リサは悲鳴をあげた。

「いいか、俺に刃向かうな。今度は歯向かったらタダじゃ済まないぞ」

 そして、勢いよく部屋のドアを閉めた。また暗くなった部屋でリサは泣いた。自分には力と勇気と経済力がないと実感させられた。そして、高校を卒業したら家を出ることを決意した。だが、今は泣いて自分の中にある負の感情を吐き出した。その時に、ヘッドフォンから流れていたのは、モーニング娘。の「LOVEマシーン」だった。マサヒロは、リサに後藤真希に似ているねって言われたことを思い出したが、自分はそんなに魚顔なのかと思い嬉しくなかった。さっき来たメールもマサヒロだった。

『明日、空いてる?』

 盛っている犬はどうしようもないと思った。


「ノストラダムスの預言ってなんだったんだろうな」

 マックフライポテトを食べながらマサヒロはリサに呟いた。「あー、そんなこともありましたね」と心の中で相槌を打ちながらも聞いてないフリをする。そんな子供じみたものには興味がない。


一九九九年七か月、空から恐怖の大王が来るだろう、アンゴルモアの大王を蘇らせ、マルスの前後に首尾よく支配するために


 世界まる見え! テレビ特捜部で取り上げているのを見た気がした。リサにとって七月はモチヅキ先輩と特に関係を持っていた時期であった。たぶん、それを見たのもモチヅキ先輩の家だったはず。そのとき、ビートたけしは助六の格好をしていた。たぶん、スペシャルだったのだろう。モチヅキ先輩はマルボロを吸いながら、情事の余韻に浸っていた。リサも彼の胸元に寄り添いながらテレビを見ていた。家にはだれもいないからなんでもやりたい放題だった。裸で台所に行きペプシコーラを取りに行ったり、大きい声で卑猥なことを言ったりした。いつ先輩の両親が帰ってくるかわからないというスリルから、二人の行動は過激になっていった。リビングやベランダでセックスをしたり、飼っていた犬の首輪をリサにつけて散歩をしたりした。幸いにも、彼らの痴態を見た者はおらず、町内の噂になることはなかった。

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失ったもの ウサギノヴィッチ @usagisanpyon

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