成功しない

鍍金 紫陽花(めっき あじさい)

そこに第三者はいらない

 今日は復讐をするつもりだ。その相手はスポットライトが当てられた舞台にいる。彼は俺のことなど気にもとめず、練習の成果を観客に届けている。俺は舞台裏で今か今かと気持ちが焦る。そして、この復讐は俺の娯楽じゃなく、観客にいる息子に見せて完成するものだ。観客の中から、息子の席を探した。

 そのとき、後ろから肩を叩かれる。スタッフが俺に耳打ちする。


「比嘉さん。急用の連絡みたいです」


 俺は頷いて目線をそらした。復讐をやるにはまだ早い。少なくとも、物語のクライマックスに取っておく必要があった。この舞台の流れは起承転結の起でしかない。俺が綴った物語だから、流れは頭に入っている。


 今日、俺は息子をいじめた『井出』を打つ。



「それではオーディションを始めます」


 隣のマネージャーは私の代わりに司会をする。若い人を見ると過去を思い出してしまう。


 当時の俺は誰よりも輝いていた。テレビは俺の顔を全面に映し出して、いけ好かない演出家に意見して困らせていた。出演した映画はヒットしなかったが、それなりに稼げて、自尊心も満たされた。人生は順調で、ドラマ撮影が終わり宴会が行われたときに美人の元アイドルと連絡先を交換する。その彼女と結婚し、育児ブログも立ちあげた。ファンからも好評で、土曜の昼はブログを好意的に取り上げられたことがある。この人生は永遠に続く、そんな甘い夢を描いていた日々。

 俺の転落はすぐに降りかかる。それは、息子が高校生一年にたって半年たった頃だった。


『ジンちゃんが、虐められたみたいなの』


 俺の息子がイジメにあっていた。妻は息子のイジメを気づかなかったらしく、俺に報告してこなかった。息子はいじめが発覚したのがキッカケで、不登校になり高校は中退する。息子は俺の顔を見たくないと、挨拶さえしてこなくなった。当然、育児ブログは第三者の正義で燃え尽きた。彼らはコメント欄で『出来損ないの親父』と書き込んでいた。どうやら、妻も俺に不満を抱いていたようで、息子を連れて実家に帰る。久しぶりにカップラーメンを食べた。洗濯物は指が冷たくなる。洗濯物は生きるだけで溜まってくる。

 つまり、俺は誰よりも期待されない大人に成り下がった。仕事に熱意を注いだツケが当たってしまったわけだ。

 それから名義を変えて活動している。ほかの仕事を知らないから演劇に食いついているけれど、もう俺の人生は終わりが近いかもしれない。

 最近は眠れなくなってしまった。家族と行った遊園地を思い出してしまうから。

 

「比嘉さん、聞いてますか」


 次の公演の場所と段取りが決まり、キャスティングを揃える時間になった。今回は主役になる男性を前に座る5人のなかから選定する。今はそこにいるんだ。


「悪い。気を抜いていた」


 若者が俺を疑わしげに見ている。彼らの立場だったら不服に思うはずだけど、そのままにした。

 マネージャーは次の人と空気を切り替えた。


「エントリーナンバー3。井出です」


 瞳はタレ目で、顎は不自然じゃない。癒しという分類に入る顔立ちだ。イケメンすぎず、自己投影しやすい風貌に当たる。声の高さは気になるものの、教育すれば改善できる。

 この公演は主人公が苦悩して成長する話だ。彼は10代の顔を残しているから、書きやすい。ただ応募した若者と意識が違う。


「〜です」

「井出さん。ありがとうございます。座ってください」


 だが、好きなタイプじゃない。見切りつけようと用紙を手にとる。喪失感が湧き上がった。何か大切なものを落としたような不安だ。もう一度、紙を舐めるように見る。


 最初は気付かなかった。彼は意気揚々と発言し、訓練通りにセリフを読み上げ着席する。仕事はこなす雰囲気を肌で感じつつ、違和感が胸の中に残り続けた。

 このプロフィール欄の名前が何かと結びつこうとしている。


『ジンちゃんが……』


 彼は井出孝介か?


 ふと顔を上げ、彼の顔をじっと睨む。井出孝介と口の中で復唱する。

 口が痺れたように緩み、思考が声になってしまった。


「井出くん。どこ高校出身かな」


 一度だけ、俺に教えてくれた。息子はイジメた相手を憎めるようになり、名前を告げてくれたのだ。この名前を見たら殺してやろう。転落していた俺は億万長者になるというようにぼんやりと思案していた。


「はい。△〇高校です」


 彼は興味持たれたと息巻いている。若者の興奮が眩しかった。


 その高校は息子も通っていた。

 引きこもった息子が語った名前と同じ。俺の息子を虐めていた人間の名前。

 今、ここで現れたのは偶然か。見間違いの可能性を捨てず、前のめりになった。


「なぜ演劇の道に進もうとした」

「比嘉さん」


 同じ仲間が俺を窘めるけれど、勢いは止められなかった。彼を逃がしたら聞き出せなくなる。俺の息子をどうして虐めたのか。謝ったら喧嘩してやる。

 井出は淀みなく受け答えする。


「幼い頃からの夢です。私は失敗ばかりの人生でしたが、これだけは忘れられませんでした」


 俺の息子は失敗という言葉で片付いてしまうのか。黒いモヤが俺の中に沈殿していく。そして、良心は喰らい尽くすだろう。

 絶対に落としてやる。黒い感情のまま、ペンを握って名前に垂らす。それは天啓だった。閃いてしまったのだ。


「答えてくれてありがとう」


 彼を採用した。


 数日後、彼は練習に顔を出した。その時に知ったけれど、井出はモデルとして活躍していた。舞台の前から人脈が広いようで、親しい共演者と話している。彼は稽古でも息苦しそうにしていないし、運動神経は見た目通り悪くなかった。その声量は練習の跡がみえ、声の高さを講師が調整している。舞台の俺が頭で告げた。彼は夢を叶えるため努力ができる人だ。口だけじゃなく、身体に情報を染み込ませている。進路先を書く紙に、突拍子もないことしない人間だ。それと、彼は人懐っこく、他人の心に取り入れた。裏を知ってる俺は話しかけられても、親しい素振りで場の空気を大切にする。彼を選んで正解だった。


 彼は俺の合図を素直に答えた。一つの仕草で主張してくることもあったけど、のちのち理にかなっている。彼の瞳も申し分なかった。虐めっ子じゃないなら愛せるほどだ。

 訓練の休憩中だった。俺は復讐を練っていると、隣からマネージャーに話しかけられる。


「一時はどうなるかと思いました。でも、比嘉さんの目は間違ってないですね」


 彼は別の人間にしたいと言っていた。譲らない俺を睨んだが、それは正しい。


「俺は仕事ができる人を選べる。元モデルは知らないがついてこれる人間だと思ったんだ」

「そういえば井出くん。比嘉さんの作品のファンらしいです」


 もし、彼が井出じゃなかったら力を注いだだろう。ありえたかもしれない未来で、心酔する自分がいる。しかし、俺は彼のことを許すことが出来ていない。

 井出は息子を虐めていた。彼の人生を奪われてしまったから、俺たちの番がきた。


「比嘉さん、今回の公演は成功しそうですね。彼を採用してよかった」


 俺は井出の演劇人生を終わらせるために採用した。

 話のトリで機材トラブルを起こす。慌てる彼はアドリブができずに、ひどいときは中止になる。俺がこんなことしなくても、上に登る人間だ。でも、足ぐらいは引っ張りたかった。

 息子は今どうしているんだろうか。学校生活の不自由を社会で味あわせてやる。報復の気持ちが胸を熱くした。

 俺は早速電話した。留守電を決められたけれど、妻に頼み込み、まずは会うことにする。全く会話しなかったけれど、チケットを二枚だけ手渡した。妻は舞台にしがみつく俺を再起に挑んでいると解釈していた。その期待は裏切る。しかし、息子を虐めていた子どもを社会的に虐められるわけだ。彼女も見たいはずだ。

 そうだ。虐めっ子という言葉が甘くさせている。井出は加害者だ。加害者を俺の正義が照らす。

 そして、公演初日になる。



 音が響かない部屋に入る。そこに、電話の受話器が置かれていた。俺は迷わず耳に当てる。


『父さん?』


 息子の声がした。後ろは音もせず静かだ。この舞台と違う場所にいる。


『ごめん。俺はレポートがあるから来れない』

「レポート?」

『聞いてないの? 俺は通信制の高校に通ってるんだよ』

「か、金はどうしているんだ」

『バイトで稼いでるよ。母さんに迷惑かけてばかりじゃダメだから』

「ジン、もう大丈夫なのか?」


 一呼吸おいて返事した。


『俺の名前、初めて呼んだんじゃない?』

「……」

『俺は井出を許さない。それだけだよ。じゃね』


 電話は切れる。俺は元に戻したら急いで舞台へ帰った。


 彼は復讐を望んでいなかった。いや、既に先を見据えていたわけだ。だったら、俺の計画は無駄になるということか。彼を置いて計画は成り立たない。


 舞台は主役を一度遠ざける。彼は舞台裏に戻っていた。俺の顔を見て笑いかけてくる。


「比嘉さん」

「何だ」

「良いですよ」


 彼はそう言って舞台に戻った。


 俺は訓練中の質問を思い出す。気を許してしまい、イジメについて討論した。


『井出君はイジメについてどう思うんだ。君たちは若いからよく見るだろ』

『見て見ぬふり許せませんが、加害者は一生背負うべきです』

『へえ、君の口からそれが出るとは』

『イジメは決してなくなりません。許してもらえるわけがない』

『だったら虐めた人間は死ぬべきだろう』

『死ぬべきですかね。でも、俺は夢に焦がれてしまったんです』

『夢?』

『少しだけ待ってください。それまで』

『君の夢の話じゃないが』


 携帯に手を突っ込んでいる。舞台は彼の輝きが客を占領した。全ては一つになり、次のステージへ上り詰めていく。世界は舞台の中に収束され、部外者の意見は聞こえなくなるだろう。


「俺は、ここで生きている!」


 脚本のセリフが読み上げられる。マネージャーは真剣な眼差しで成り行きを見守っていた。彼らは公演に満足しているのか。

 強い明かりに、眩しくなるほどの熱狂。公演後の騒がしい安らぎ。栄光が足元に当たっている。

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成功しない 鍍金 紫陽花(めっき あじさい) @kirokuyou

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