第9話 「鉄鯨の戦い」

 太平洋 グアム島北西百八十キロ、水深四〇〇メートル 日本海軍潜水艦《黒鯨》



 陽の光の届かない北太平洋の深海に無機質な冷徹さを帯びた黒い巨影が潜んでいた。高張力鋼とチタン合金の葉巻型の船形のそれは、日本海軍の最新鋭攻撃型原子力潜水艦SSNである蒼鯨そうげい型潜水艦の三番艦、《黒鯨こくげい》だった。

 その発令所には息を殺したような静けさがあったが、その沈黙を発令所の右舷側前方に位置するソナー操作卓コンソールに向き合い、ヘッドフォンをかけた水測長の神田達紀かんだたつき大尉の声が破った。


に感。接近するキャビテーションノイズ聴知。方位三二〇サンビャクフタジュウ度、距離一万二千イチマンフタセン。目標は潜水艦です。S11シエラワンワンとします。音紋解析中」


 青白く光る滝状表示ウォーターフォールディスプレイに照らされる、神田の顔は幼さが残る童顔で中性的な顔付きだが表情は厳しく真剣そのものであった。

 十五歳から海軍の専門兵曹や将校候補者を育成する海軍工科学校出身で、高校生の歳で聴音技術を学んできた神田はソナーのプロ中のプロであり、自らの仕事に対する熱意と自信は人一倍だ。その神田に育てられた部下達も優秀であり、《黒鯨》の優れた水測技術を存分に発揮していた。

 旧来の潜水艦は発令所と水測部門は別にあったが、光ファイバー技術などにより、発令所に機能が集約されている。そのソナー自体も光ファイバー技術を用いた新型の高性能ソナーシステムを装備して、探知能力は格段に向上していた。


「シエラ11は093型、商級潜水艦です。接近中。方位三二〇サンビャクフタジュウ度、距離一万二千イチマンフタセン。深度二〇〇フタヒャク


お友達・・・か?」


 発令所の中央指令卓の前に立つ篠原海斗しのはらかいと少佐は神田に向かって確認した。

 国防大学校を経て海軍に入ってから潜水艦一筋で齢三十二歳で最新鋭攻撃原潜ハンターキラーの副長職を任せられた篠原は、この戦争が始まるまで順風満帆だった。海軍史上最年少で攻撃原潜の艦長になる目標も夢では無かった。しかし今はそんな夢や人生の希望の事など頭の片隅にも無かった。


「いいえ。まだ本艦は未遭遇の音紋になります。七番艦の093B型、《長征15号》です」


 お友達・・・とは、《黒鯨》が哨戒任務中に遭遇したことのある潜水艦のことだ。平時における哨戒任務中に他国の潜水艦と一度遭遇すればこっそりと後を付け回して音紋やその他、収集できる情報を収集している。その間はだるまさんが転んだやかくれんぼ状態で、能力が格段に優れる《黒鯨》には中国の潜水艦は遊び相手も同然だった。そして遭遇した潜水艦の音紋データは艦内のデータベースに残っており、また海軍で共有されている。

 日本海軍の対潜ASW能力は大東亜戦争で潜水艦に苦しめられた教訓からその能力を重視し、冷戦期のソ連の潜水艦の脅威と相対していた事から世界最高と言われており、日本海軍は中国海軍の新造潜水艦の音紋等のデータは彼らが主張する聖域である南シナ海の九段線内にまで潜入して積極的に収集している他、太平洋の他、重要な海上輸送経路等に水中固定聴音機を敷設して米海軍の海洋監視システムSOSUS に相当する音響監視網を構成しており、就役している潜水艦のデータに取り漏らしは無かった。

 NATOコードネーム商級攻撃原潜こと、093型潜水艦は中国人民解放軍海軍の主力攻撃原潜で、一九七六年代から建造されたソ連のヴィクターIII型原子力潜水艦の技術を導入して建造されたと言われ、静粛性はヴィクターⅢ級に劣ると言われている。093B型はその093型をベースに騒音の元となる原子炉などを改良し、静粛性を向上させていた。しかし《黒鯨》の水測員達の耳を誤魔化せるような性能は無かった、もしくはそのような運用はしていなかったようだ。


「巡航ミサイルを発射した本艦を探しに来たな」


 篠原はそう呟いて《黒鯨》と接近する敵性潜水艦との関係を確認した。《黒鯨》は日米軍によるグアム島奪回作戦における一番槍を担い、巡航ミサイル八基を水中から発射していた。

 

「もしくは艦隊攻撃のための露払いか……何にしてもあの艦を通すわけには行かない。攻撃するぞ。魚雷戦用意」


 篠原の隣に立つこの《黒鯨》の艦長、唐澤誠史郎からさわせいしろう中佐の宣言を聞いた篠原は頷く。


「了解。魚雷戦用意」


 篠原の復唱を皮切りに各部で復唱が走り、艦内の静けさは静かに熱を帯びていく。すでに合戦準備が発令されて数時間が経ち、巡航ミサイル発射に続いての戦闘となる。乗員達は訓練通り手際よく動いていた。各部署より魚雷戦用意が整った報告が入る。


「艦長、各部準備よし」


 篠原は毅然とした態度を意識しつつ、緊張を覚えながらも報告する。国防大を出て海軍士官に任官し、主席選抜で昇任してきた篠原は、潜水艦については精通はしているが、副長という役職においては経験が足りないことを自覚している。

 この《黒鯨》の乗員達は副長の篠原を筆頭に皆若い。士官クラスはほとんど新人と言っても過言ではなく、数少ないベテランの兵曹達の存在が《黒鯨》を支えていた。

 中国海軍の勢力の拡大によって、日本海軍も通常動力艦、原子力艦含め、攻撃型潜水艦の定数を五十隻に増強したが、中国海軍はそれでも七十隻もの潜水艦を保有している。

 潜水艦戦力の増強を図る日本海軍だが、潜水艦乗員の養成には非常に時間を要するため、ただ潜水艦の数だけを増やせば戦力を増強できるというわけではない。この最新鋭かつ最高の性能を持つ《黒鯨》も練習潜水隊を出たばかりの乗員が半数を占めていた。

 数で勝つことのできない日本は、それを質で補うためあらゆる分野で仮想敵である中国海軍、そしてロシア海軍の原子力潜水艦を凌駕する超高性能艦として設計された蒼鯨型を世に送り出すに至った。

 蒼鯨型は艦体全てが水中吸音材または反射材で覆われ、潜舵はオホーツク海や北極海で活動するロシア原潜を狩るために氷海行動力のため艦首に備わり、後舵は従来の水平舵と垂直舵を四枚の舵全てが担当するX舵となっていて、スクリュー部外周は円形シェラウドで覆い、静粛性の向上させたポンプジェット・プロパルサー推進となっていた。

 二十ノットの巡航速度でも静粛性を維持でき、艦隊の露払いとしての任務も果たせるが、今は静粛性を最大発揮するため微速で進んでいる。

 篠原の報告を聞いた唐澤は唇を固く結んでしばらく考えていた。

 唐澤もまた海軍兵学校出身の根っからの海軍軍人であり、エリート街道を突き進んできた男だ。年齢は四十歳。細縁の眼鏡の奥に冷静な知的さを感じる目に、狭い艦内で動きやすいすらりとした体系で、軍人よりも官僚的な雰囲気があり、制服よりもスーツで霞が関を歩いていた方がしっくりくる男だ。


「引き付けるのですか?」


「いや」唐澤は篠原を見ずに言葉を重ねた。「攻撃後、敵艦はどうする?」


「デコイを放出して回避行動を取るでしょう。魚雷を準備済みならこちらに即射を」


「その回避機動に有利な海底地形は?」


「西マリアナ海嶺の隆起でしょうか。シエラ11はその南に位置していますが」


「シャドーゾーンは?」


「温度逆転層は海面に近い状態です。深度一〇〇ヒトヒャクに。敵艦よりも浅深度で魚雷を発射すれば探知を困難にすると思われます」


「敵の核魚雷の使用公算は?」


 篠原は思わず言葉に詰まった。大西洋では限定的戦術核戦争が米英と枢軸間で繰り広げられているという話だ。枢軸ロシアは東独政権のUボート群に出力〇・〇一キロトンから〇・一キロトン級の戦術核弾頭を配備して海上戦闘に使用して米英軍を攻撃しており、戦争初期に米海軍は西アフリカ沖とインド洋で計三隻の空母を失っている。

 先の大戦でアメリカが日本に落とそうとした核爆弾の一パーセント程度の出力でもこの戦争には大きなゲームチェンジャーの役割を果たした。


「……公算は高くないと見積もっていますが、責任をもって言える明確な答えはありません」


「公算が高くない理由は?」


「枢軸軍の戦術核弾頭の在庫は限られています。それに彼らは友軍地上部隊が展開するグアム島のそばで戦術核を使用することは避けたいはずです」


「水中での核爆発による放射線降下物の量は地上で爆発した核に比べれば無いに等しい」


「それでも二十メートル近い高波が発生することもありますよ」


「大体は数海里で消える。私が《長征15号》の艦長なら帝国海軍最高のハンターキラーを沈めるために手段を選ばないぞ……自分の都合良く考えないことだ」


「はい」


 篠原は答えながら、この狂った戦争に辟易とした気持ちになった。


「まあ、いいだろう。計画は?」


「まだ距離が遠すぎます。このままの深度を維持し、敵に接近。八〇〇〇で無音浮上し、シャドーゾーンから魚雷を発射します」


「距離が離れているうちにシャドーゾーンに出ない理由は?」


「浅深度ですと航跡や温度を残すことになり、敵の偵察衛星や偵察機に発見される恐れがあります。それに水圧が低いほどキャビテーションが響きます。そもそもシャドーゾーンは気休めみたいなものですし、気まぐれです」


 唐澤は頷いた。


「よろしい、副長。そのプランで行こう」


 ひょっとして試されていたのか?篠原は唐澤の意味深な言動に戸惑いつつも副長らしい意見提言が出来たことにまずは安堵した。緊張に弱い自分の性質は理解している。


「このままの針路、速度で無音航行を維持。一番魚雷に目標データ入力。発射扉開け」


 唐澤の命令が下される。


「宜候。針路、速度を維持」


 航海長の彦江孝一ひこえこういち大尉が復唱する。


「一番管魚雷戦用意。前扉開放」


「宜候。発射管注水。一番前扉ぜんぴ開放」


 篠原の復唱を聞いた砲雷長の細野幸将ほそのゆきまさ大尉が復唱する。


『発令所、発射管室。一番管発射用意よし」


 艦首に備わる八門の660mm魚雷発射管のひとつに装填済みの18式魚雷のひとつにデータが入力され、注水後発射管の扉が開かれる。兵器管制卓の一番発射管を示す表示が赤から緑色に変わった。


「目標まで九五〇〇」


「一番管、発射始めよし」


「シップスレディ」


「ウェポンズレディ」


「オールレディ」


 各部からの報告を聞いて篠原も唐澤の指示を待って横目で見る。唐澤は躊躇う事無く流れるように号令を続けた。


「一番発射用意」


「発射用意──」


「待ってください。新たな目標聴知。方位〇六五ロクジュウゴ度、距離五七〇〇!」


 神田が号令を遮って声を張り上げた。


「近いな!」


 篠原は思わず抗議に近い声を上げた。


「サーモクラインの下にいた模様です。シエラ12とします。シエラ12は敵性です。音紋解析、シエラ12は093型潜水艦です。針路一五五ヒャクゴジュウゴ度。四ノット、無音航行中」


 神田も焦った表情を浮かべて早口で報告する。


「本艦に気づいた兆候は?」


「ありません」


 神田の隣に座る水測員が報告した。「シエラ12は《長征8号》です」


《長征8号》は093型の初期型艦のひとつだ。《長征15号》より本来は探知が容易なはずだった。しかしながら海中の変温層は厄介で海中に伝わる音を変温層がブロックしてしまうことがある。おそらく原子炉の出力を最低にして息を潜めて移動していたのだろう。


「厄介だな」


 唐澤は素直に呟いた。その落ち着いた様子に篠原は脅威認識のズレを感じた。


「厄介なんてものじゃありません。敵は攻撃原潜二隻です。合わせて十二門も魚雷発射管があるんですよ」


 篠原はそう言うと位置関係を視覚的に分かりやすく表示したモニターを見る。二隻目の093型潜水艦は《黒鯨》の右舷前方側に位置し、正面に一隻目の093型潜水艦がいる。正面の艦は着実に近づきつつあった。各艦に百名弱の乗員が乗り込んでいる。

 唐澤は篠原に向き直った。


「勝算が無いわけではない。我々の任務は第二機動艦隊の防護であり、敵空母機動部隊の襲撃だ。あれは艦隊の脅威であり、敵艦隊を攻撃する障害となる。それに大局を考えろ。枢軸の攻撃原潜SSNと核戦力は一隻でも減らさなければならない。発見できたチャンスをみすみす逃がすわけにはいかない」


 インド太平洋航路の日本の海上輸送経路は枢軸による通商破壊を受けている。マラッカ海峡に機雷を敷設され、南シナ海の九段線は中国の勢力下にあり、日本は海上輸送経路を大きく迂回させざるを得ず、その海路を枢軸は原潜によって無差別攻撃で襲撃していた。現在日本は船団護衛方式で海上輸送を防護しているが、日本はエネルギー安全保障や経済、国民生活が脅かされていた。そして日本の海上輸送の危機はそのまま同盟国の危機でもある。中国、ロシアに囲まれ、大陸において陸の孤島となっている満州は日本の支援なしでは成り立たない。


「了解です」


 篠原は心から納得している訳では無かった。こちらの勝ち目は奇襲しかない。しかし艦長の決心は戦略上、戦術上、総合的に状況判断を行ってのものだ。日本海軍の攻撃型原子力潜水艦を預けられている艦長の意思決定に従い、この場で不要な押し問答をするのは篠原の仕事ではない。その意思決定を実行するための最善の行動を行うのみだ。


「七番、八番にデコイ装填。ノイズメーカー準備。シエラ12から片付ける。無音浮上。深度八〇につけ」


「深度八〇。宜候」


「七番、八番、デコイ装填」


 復唱がこだまし、艦の意志がひとつのものになり、それに向かって動き出す。攻撃型原潜とはいえ潜水艦の兵器搭載量は限られており、ぎりぎりまで搭載するために魚雷発射管にも魚雷を装填した状態で出港することも多い。今回も同じで発射管室をモニターする画面には七番と八番発射管から装填済みの魚雷を抽出し、敵の魚雷に《黒鯨》だと思い込ませるための自艦に酷似した偽のスクリュー音や反射音を発する囮魚雷デコイが装填される様子が映っていた。

 自動装填装置により高度に自動化された《黒鯨》の魚雷発射管室でも乗員達は狭い区画を素早く行き来して作業を行っている。


「シエラ11及び12に対し、同時魚雷攻撃をかける。11への魚雷は牽制だ。12に対して追撃を行う。三番、四番魚雷にデータを入力。一番をシエラ11、フタ番をシエラ12に目標設定」


「深度八〇です」


「シエラ12との距離は?」


「まもなく五五〇〇です」


「一番、二番、発射用意」


「一番、二番管、発射用意」


「セット」


「シュート」


「発射」


「ファイア」


 圧縮空気によって魚雷が発射管から飛び出す音がかすかに聞こえた。


「魚雷出た」


「魚雷正常航走」


「命中まで二分三十秒」


 細野が報告し、篠原は首から下げたストップウォッチのひとつを押した。

 発射された18式魚雷は約七十ノット、時速一三〇キロの高速で海中を疾走する。


「シエラ12、変針。増速しながら回頭中。ノイズメーカーとジャマーを射出しています」


「目標は追尾できているな?」


 唐澤の問いに水測員が「はい」と応答する。母艦が目標潜水艦を追尾できていれば有線誘導により目標から外れることは無い。


「シエラ11の反応は?」


「未だありません」


 神田は答えながら左手を上げて会話を遮るポーズを取った。


「……水中に新たな音響反応!」


 神田が声を張り上げた。


「シエラ11か」


 唐澤は平然とした様子で聞いた。


「シエラ11です。方位と深度は一定、信号強度は増しています。魚雷音聴知。水中に魚雷あり。目標は本艦です。方位二九〇フタヒャクキュウジュウ度、二九二フタヒャクキュウジュウフタ度、魚雷二基接近中」


 神田の声に背中を向ける乗員達にも緊張の色が浮かぶ。魚雷が迫ってきている。


フタ番魚雷で対処しますか」


 篠原は唐澤に確認した。シエラ11に向かう二番魚雷で敵魚雷を迎撃することは理論上は可能だが、現実的ではない。


「いや。二番魚雷はこのままシエラ11に。命中しなくても敵の有線誘導を切らせたい。接近する魚雷はノイズメーカーとデコイで対処する」


「了解」


 篠原はこんな時も事務的で平静な唐澤を前に失態を表さないよう感情を押し殺して自らも事務的に応じた。指揮官たちの動揺は部下の動揺に直結する。しかし篠原の脳裏には強力な破壊力を持った魚雷が五十ノット以上の速度で《黒鯨》に迫る光景が浮かんでいた。それは普通の人間には知覚できない恐怖だが、篠原にとっては退避する場所もない大海原でホオジロザメに追われている以上の心理的圧迫だった。

 潜水艦指揮幕僚課程の教育では日本海軍だけではなく、世界各国の事故艦船、特に潜水艦の悲惨な映像を見てきた。沈没した潜水艦の艦内は地獄であり、悲劇だ。その地獄をもたらす存在が海中を疾走して迫っている。乗員達も同様の恐怖を持っているはずだが、恐怖に囚われないのは自らの役割を果たすことに全力を尽くしているからだ。脳に恐怖を感じる暇を与えるほどリソースは余っていない。


「面舵二十フタジュウ度。下げ舵十度。最大戦速。シエラ12に方位を合わせ、シエラ11の魚雷に対し、回避行動」


「面舵二十度、下げ舵十度、宜候!」


「深度六百へ潜航!ワイヤーを切るなよ」


 発射された魚雷は有線誘導でコントロールされていた。有線誘導のワイヤーが切れないよう、《黒鯨》の右に向かって回避するシエラ12に頭を向け続けなければならない。しかし反対の左方向に向かって回避し、なおかつ魚雷を発射したシエラ11に対しては回避を行わなくてはならなかった。

 艦首が沈み、《黒鯨》は深く潜り始める。前に倒れないよう、後ろに体重をかけて体を支えた。


「敵魚雷、なおも接近!」


 スピーカーに張り詰めた金属を擦るような不快な音が響いた。


「艦長、二番魚雷、ガイドワイヤーの角度が限界です」


 細野が報告した。《黒鯨》の艦首方位とシエラ11との角度がつきすぎているのだ。


「ワイヤーカット。アクティブホーミングへ切り替え」


「ワイヤーカットします」


「二番魚雷、アクティブに切り替わりました」


 有線誘導の光ファイバーを切られた魚雷は自らのアクティブホーミングシーカーを使用して目標を捜索し、追尾にかかった。


「シエラ12に命中まで。五、四、三、二、一、今」


 スピーカーに爆発音が聞こえた。


「水中爆発音あり。方位〇七六!シエラ12です!」神田は一呼吸を置いて続けた。「艦体破壊音あり。敵艦は破壊されました」


 若い乗員達は顔を見合わせて喜ぶか迷うような素振りを見せた。篠原はすかさず声を張る。


「シエラ11を見失うな。魚雷の距離は?」


 爆発音等、水中雑音でソナーの探知状況は悪化する。水測員達は必死に耳を凝らしていた。


「魚雷接近中、距離三三〇〇サンゼンサンビャク!方位二八六フタヒャクハチジュウロク度!」


 神田の隣の水測員が叫んだ。目は見開かれ、血走っている。艦首方位は一一〇度。魚雷は左舷後方より迫っていた。


「あれが核魚雷で、標準的な〇・一キロトンなら」唐澤が篠原に向かって不吉な言葉を囁いた。「せいぜい二〇〇〇フタセンが致死距離だろう」


「ええ!」


 篠原はやや投げやり気味に皮肉のような言葉に応じた。


「私が敵艦の艦長で、この艦が蒼鯨型だと知ったら喜んで核魚雷も使用して撃沈するな」


 唐澤の言葉に篠原は顔をしかめた。それだけの価値が《黒鯨》にはある。


「敵魚雷はアクティブに切り替わりました!敵魚雷、探信音を発し、こちらに向かってきます」


「二番魚雷、シエラ11に命中まで二十秒」


 怒涛のように報告が飛び交う。シエラ11もまた《黒鯨》の魚雷に対する回避運動で有線誘導を切った。


「取舵一杯。右舷、ノイズメーカー、ジャマー発射」


「取舵一杯!」


「ノイズメーカー、ジャマー発射!」


「ノイズメーカー、ジャマー発射」


 ノイズメーカーとジャマーが発射され、ソナーのスピーカーからはごぼごぼという大きな音と唸るようなサイレンの音が聞こえてきた。


「デコイ発射用意」


 命じる唐澤は平静そのものだった。


「七番、八番、発射用意!」


「セット、シュート!」


「魚雷なおも接近!距離二〇〇〇フタセン!」


 水測員が声を張る。いよいよだ。あれが高性能爆薬の通常弾頭でなく、戦術核弾頭を搭載した魚雷なら《黒鯨》は回避できても死を免れない。


「七番、デコイ発射。続いて八番」


「デコイ発射」


「ファイア!」


 再び魚雷発射音に似た音がスピーカーから聞こえ、圧縮空気で囮魚雷が発射された。


「デコイ出た」


「デコイ、正常航走!」


「距離一五〇〇!」


 口角泡を飛ばす勢いで水測員が怒鳴る。


「衝撃警報」


「衝撃警報出します」


 冷静な唐澤に悔しさすら覚えながら篠原は復唱した。全艦で衝撃警報の赤色灯が回転し、サイレンが鳴った。乗員達が衝撃に備える。


「敵魚雷、デコイに向かっています!」


 水測員が叫ぶ。思わず手すりを握りしめた力を緩めた時、神田が割り込むように怒鳴る。


「もう一本、左舷より接近!」


 次の瞬間、耳を聾するような轟音と共に篠原は足先と背骨をハンマーで打たれたような衝撃を受けた。スチール缶の中に入れられて巨人に蹴り上げられたようだった。衝撃に備えていた乗員達は床から足を浮かすほど跳ね上げられ、篠原もまた管制卓につんのめった。

 非常灯が点灯したが、艦内の照明や耐衝撃性の高い発令所のモニターはちらつくこともなかった。

 しかし艦内で圧縮空気が漏れるような音が聞こえ、発令所では二人の乗員が床に蹲っていた。


「近かった」


 唐澤が呟いた。


「距離五〇〇で起爆した模様です。ノイズメーカーにより本艦を見失ったものと思われます」


 さらに爆発の衝撃が艦に伝わる。今度の衝撃は最初の物よりも少なかったが、それでも艦は激しく揺さぶられ、篠原は管制卓に手をついた。


「敵魚雷、デコイに命中!ソーナー、爆発音の残響により目標失探」


「全艦、被害報告!」


 篠原はやってくる被害報告に身構えた。応急班を送るための手順を頭の中で整理する。発令所でも二名が負傷していた。


「各部急速探知はじめ」


「主配電盤より火災!」


「火災、場所は主配電盤。火災の種類はC火災。応急指揮所の位置、発令所。用具の集中箇所2L」


 哨戒長が艦内放送を行う。


『電路管制を行え。可燃物の搬出も行え』


「魚雷発射管室で浸水発生!負傷者二名!」


「初期遮防急げ。応急班、主配電盤及び魚雷発射管室へ。各部はもう一度異常の有無を確認しろ」


 篠原の指示の最中、二番魚雷が爆発したと神田が報告した。


「艦体破壊音等は確認できません。二番魚雷は外れました」


「ソーナー、敵艦及び魚雷は確認できるか?」


 唐澤が尋ねるが、神田はヘッドホンに耳を当てて首を振った。


「現在水中雑音激しいですが、シエラ11は水温境界層に退避したものと見られます。現在失探」


「追撃を?」


 篠原は唐澤を見て聞いた。


「直ちに反転、離脱だ」


 その言葉に篠原は思わず安堵した。十数隻の艦艇からなる南海艦隊が接近していた。

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