第8話 「空の神兵」

太平洋マリアナ諸島アメリカ合衆国領グアム島 米空軍アンダーセン空軍基地上空、高度三〇〇メートル



初降下はつこうか二降下ニイこうか三降下サンこうか四降下ヨンこうか……点検!」


 大日本帝国陸軍第一空挺団は日本陸軍唯一の空挺作戦部隊だ。その空挺第三連隊第一中隊を率いる栗原智也くりはらともや大尉はC-2輸送機のジャンププラットフォームを蹴って空挺扉から高度三百メートルの空中に飛び出し、空気の奔流に身を任せるまま、どんなに慌てていても正しく五秒のタイミングをカウントするための発声をしつつ、頭上を見上げた。

 空気の海にダイビングしたかのように体をもみくちゃに振り回されながら感じた強烈な衝撃は落下傘の開傘衝撃だったことが明らかになった。

 栗原の13式空挺傘の傘体は輸送機の中の繋止索と繋がった自動索によって引きずり出され、無事開いている。これで落下傘が何らかの原因で不完全開傘なら胸の前に抱えて飛び出す際に手を添えていた予備傘を直ちに開かなくてはならなかった。幸い栗原の傘は何事もなく、しっかりと空気を孕んで綺麗に膨らんでいた。視界の端に自分をここまで運んだ空軍航空支援集団隷下の第二輸送航空団第402飛行隊のC-2輸送機の後ろ姿が映る。


「右よーし、左よー──うわっ!!」


 自分の傘を包装した傘整備大隊の隊員に感謝しながら、体を捻って周辺に仲間の傘が無いか点検していた時、頭上から自分の傘に誰かの足が突っ込んできた。落下傘が変形し、形が崩れる。


「前引け!前!」


 突っ込んでしまった隊員に向かって怒鳴りながら栗原は傘の操縦索を全力で引いて後退をかける。

 通称スタティックと呼ばれる空挺傘はスカイダイビングで用いられるようなパラシュートと異なり操縦性能は低い。また傘と傘が上下で重なると上の傘は浮力を得られなくなり、萎んでしまって降下速度が一気に増してしまう恐れがあった。

 自分の傘に突っ込んだ隊員が何とか前に脱し、事なきを得たが、栗原は絶句する。辺り一面落下傘だらけだ。四方八方で注意換気の声が聞こえ、自分と同じように傘同士で接触しないよう四苦八苦していた。

 中には傘と傘が絡まり、予備傘をお互いに引いて主傘を切り離そうとしている者もいる。

 陸軍予備士官学校を卒業、当時の不況からそのまま任官して現職将校となった栗原は今二十八歳だった。結局ずるずると軍隊生活を続けるはめになった栗原は使命感に燃えるようなタイプではなかったが、どうせやるなら高みを目指そうと空挺団の門を自ら叩いた。

 士官レンジャー課程も経てしばらく経ち、空挺団に志願したことへの後悔も薄れてきた矢先に戦争が始まり、今こうして自らの空挺徽章が実戦証明済みコンバットプロープンとなることになり、自らの境遇を嘆いている暇すらなく、必死に空挺傘を操作する。

 戦闘の最中に空挺降下するなんて自殺とどう違うのか。ただでさえ空挺降下というのは危険で、訓練でも死傷者が稀にだが出る。

 死にたくない。

 中隊長としての責任も使命感も、無防備に空中にふわふわと漂うしかない今はどうにもならなかった。

 栗原は左の操縦索トグルを引いて風下に正対すると背後や頭上、時には下を見回して接触しないよう気を配った。

 周りの隊員の方が早く降りていく。自分はどうやら地上からの上昇気流に捕まってしまったようだ。

 まずい。

 地上からは対空射撃が飛んできていた。緑色や赤色の曳光弾が打ち上げられている。栗原の頭上はその周りではまだ輸送機が轟音を響かせながらフライパスし、空挺傘や物量投下傘をばら撒いていて空にはクラゲのような空挺傘がいくつも漂っている。

 敵中降下を行う空挺部隊など第二次世界大戦後、世界広しといえど存在しなかった。やはり我が帝国陸軍の第一空挺団は第一狂ってる団だった。

 空挺部隊は前線の後方に展開して敵を脅かすことが出来る存在だ。しかしながら長らく受動的防衛政策を重視し、国内防衛が最優先であった帝国陸軍では敵中降下、降着戦闘もやむ無しと強引な訓練が平時から行われている。

 敵中降下である以上、長く滞空すれば危険だ。地上ではすでに着地し、落下傘を切り離して戦い始めている隊員もいる。上空から滑走路を見渡し、空挺部隊に向かって射撃してくる地上の機関銃陣地を探す。

 重機関銃が据えられた掩体が見えた。円を描くように射撃していてその銃口は栗原にも向く。足下を野太いアイスキャンディーのような曳光弾が過ぎ去った。このままでは死ぬ。心拍数は跳ね上がり、頭が真っ白になりそうになる。パニックに陥ったら終わりだ。自分がパニックに陥りかけていることを自覚しようとするが、死が目の前に迫っていた。

 死を振り撒いていた掩体が爆発する。降り立った隊員の一人が84mm無反動砲M4を撃ち込んだのだ。

 よくやった、貴様には習志野の酒保で飲み放題を奢ってやる。

 しかし84mm無反動砲を撃った射手の側で爆発が起き、その兵士は弾薬手と共にあっさり吹き飛ばされた。

 称賛を送った仲間がやられたのを見て一瞬呆然としたが、なんとか対空砲火を逃れた栗原は五十メートル程の高度で足の間にある背嚢の吊下ストラップを操作して背嚢を体から離して吊下帯でぶら下げると、地上で落下傘を切り離そうとしている者達の頭上を滑空して地面に降り立った。

 両足から着地した瞬間地面に向かって倒れ込み、体を丸めながら脛、大腿部、臀部、背中と地面に接地させる五接地転回着地によって衝撃を分散させた栗原はその痛みに悶える暇もなく、地面でしぼみ始めた落下傘が再び膨らまないよう閉傘作業に入る。

 ぐるっと落下傘の周りを走り抜け、落下傘を潰してその上で寝転ぶ。姿勢を低くしたまま、空挺傘とハーネスで固縛している銃袋を体から外し、その中から有坂20式6.5mm小銃を取り出して折り畳んでいた銃床を展開する。外観にポリマーを多用するそれは以前の89式小銃より華奢で不安だったが、高度三〇〇メートルからの空挺降下の衝撃にも耐えていた。


「頭上注意!」


 背後から声が聞こえて振り返ると今まさに降下しようとしている隊員からぶら下がった背嚢が頭上を掠めるように過ぎ去っていった。背嚢が地面に落ちてからその先に隊員が両足着地し、体を丸めるように転がって衝撃を受け流す。そしてそのまま転がり起きて片膝をついたまま肩から伸びる帯を掴んで体の前に振り出して傘が自分に被さってくるのを回避し、走って閉傘動作に移った。

 しかし中にはだらりと手足を垂らしてうなだれたまま地面に叩きつけられ、そのまま動かない空挺隊員もいる。上空で被弾したのだ。

 栗原はそれを横目に手を動かし続けた。20式小銃に樹脂製の弾倉を込めて槓桿を引き、初弾を薬室に送り込んでいつでも撃てるようにすると安全装置を確かめて地面に置いた。予備傘も外して落下傘のハーネスを外していく。

 準備を整えるまでの時間がもどかしい。散発的な銃声が聞こえる中、訓練では回収する落下傘をその場に放置し、米陸軍のABN-TAPロードシステムを参考に帝国陸軍で採用された降下用戦闘装着帯と呼ばれる装具の、降下時に空挺傘のハーネスと干渉しないよう開いていたベスト前部を閉め、緩めていたショルダーハーネスのストラップを絞ってチェストリグの状態にして戦える態勢を整えた。

 そうして三十キロ以上の荷物を詰めた背嚢を背負うと小銃を握り締めて集合地点に走る。

 走りながら小銃に備えたチューブ形状のスウェーデンのAIMPOINT社製光学照準補助具Comp M5のスイッチを回して狙点ドットを表示し、負い紐を首かけにした。チェストリグのマグポーチのフラップも開いて弾倉を直ちに取り出せるようにし、手榴弾や発煙筒の安全ピンが身体側に向いていて何かに引っかけて不意に外れないようになっていることを確かめる。

 上空では未だに輸送機の編隊が次々に通過し、爆音を鳴り響かせている。落下傘がいくつも花開き、地上へと空挺兵や物資が降りてきていた。


「中隊長、ご無事でしたか」


 飛行場の端を走っていると同じ第一中隊の下士官の藤原伍長とすれ違った。藤原は中隊ラグビー部に所属する若者で栗原よりも一回り大きく屈強で分隊支援火器である93式6.5mm機関銃を抱えており、初の実戦にも怯えたり過度に緊張する様子もなく、普段と変わらない表情なことがいかにも戦場では頼りになる姿だった。


「大分流されたな」


「ええ。自分も滞空時間が長くて置いていけぼりに」


「集合点まですぐだ。急ごう」


 曳光弾が時おり飛び交う。あちこちで戦端が開かれていた。途中同じように閉傘作業を終えた兵士達が合流したり、後を追ってきた。激しい銃声が聞こえ、時折頭上を曳光弾が通り過ぎたが、直接狙われることは無かった。


「中隊長!現在八十七名が集結。二名が戦死しました」


 集合地点で栗原の姿を認めるなり飛び込んでくる勢いで報告してきたのは第一中隊の三個小銃小隊のうちのひとつである第1小隊の中山貞守少尉だった。中山は経験が浅い若手士官だが、忠犬という言葉が似合うほど熱心で真面目な性格をしていて言動に滲み出ていた。

 中山の報告を聞いて栗原は大きく息を吸って心に受ける衝撃に耐えた。実際の被害はもっと出ているはずだ。まだ戦闘が始まって間もないのに部下が死んだという事実に、訓練との違いを思い知らされる。名前は確認出来なかった。知ってしまえばその顔が浮かんでしまう。


「1小隊長は、本郷中尉はどうした」


「行方不明です。代わりに1小隊の指揮を執ります」


「頼むぞ。先に潰されてるはずの高射陣地から攻撃を受けてるが、状況は?」


「連隊からはまだ何もありません。高射陣地の機関銃は先遣が破壊したはずでしたが、新しいのが据えられています。態勢が整った第3小隊がすでに攻撃を実施中です。第3小隊を支援するため、全小隊の軽迫分隊が支援中」


 第3小隊を率いる植崎中尉は熟練下士官から将校となる士官候補者課程SLCと呼ばれる制度で士官となった叩き上げの小隊長で栗原よりも一回り年上だ。

 言葉通り、各小隊の迫撃砲分隊が60mm迫撃砲の射撃を開始した。オーストリアのヒルテンベルガー社が開発したM6C-640Tコマンドモーター60mm迫撃砲は一般的な60mm迫撃砲弾の全種類を射撃可能かつ軽量で迅速な展開を要する火力要求に対応する事が出来る。二キロ弱の射程を有するが、今は四百メートル程の射程の目標に目視照準で射撃しており、次々に榴弾を敵陣地に撃ち込んでいた。

 敵陣地の機関銃が沈黙し、第3小隊は三個分隊に分かれて敵陣地に突入していく。


「現状を教えてくれ。人員の集結状況は?」


 栗原は聞きながら下ろした背嚢から防弾衣空挺用の名称のプレートキャリアを取り出して着用する。米軍のMBSS(Maritime Ballistic Survival System)プレートキャリアに似たそれは防護面積が帝国陸軍一般用に比して格段に少ないが、軽量で機動性に優れており、もっぱらチェストリグと併用して運用されることが多い。

 栗原も防弾衣を羽織るとその上からチェストリグを身に付けた。


「1小隊は二十六名、2小隊は二十八名、3小隊が三十名集まりました。中隊本部は―—」


「遅くなりました」


 中山が報告する中、一人の士官が栗原の元に駆け込んできた。副中隊長と呼ばれる中隊付将校の井上中尉だ。一般大卒の井上は要領の良く、頭の回転が速い男で栗原は幕僚として重宝している。使命感も厚く、特殊作戦群に行くための選抜を受けていて結果待ちで戦争が始まってしまった。

 その井上の肩や腰は赤黒く染まっていて中隊本部の位置に集まっていた一同はぎょっとした。


「大丈夫か」


「すみません。降下した所に負傷者がいて、近くの三中隊まで運んでいました」


「副中隊長の仕事じゃないな。無事で何より」


 井上は中隊に復帰するとすぐに状況把握など栗原の補佐に取り掛かった。


「中隊長、三中隊の隊員が三人、こっちに合流してしまいました」


 第2小隊長の北山中尉が報告してきた。


「代わりに第一中隊うちの隊員が二名、三中隊に紛れてるそうです」


「仕方ない。3小隊……いや、1小隊に回してくれ」


「それが一番少なかった1小隊は小隊長以外が全員揃ってまして、2小隊が一番少ない状態です。2小隊に臨時配属でも宜しいですか」


「分かった。そうしよう」


 程なくして第3小隊が抵抗していた敵陣地を制圧したと報告してくる。


「流石は植崎中尉。損害軽微、負傷者三名、戦死者なしです」


 井上が声を弾ませて報告した。しかし栗原には負傷者の様態の方が気になっていた。損害軽微だなんて、指揮所演習なら簡単な言葉だが、実際は血を流し苦しむ部下がいる。そんな感傷で中隊長としての職務を全うできる訳がなく、すぐにかぶりを振ってそれを追いやった。


「すぐに合流させて負傷者の手当と弾薬の再配分を行ってくれ。1小隊は物資の回収を」


「了解」


 中山も第3小隊長に負けじと意気込んでいる。駆け出して周囲に展開して簡易的な防御態勢を取っている第1小隊の元へ向かった。


「中隊長、連隊本部からです」


 中隊本部の通信手である鮫島上等兵が栗原の肩を叩いて声をかけた。空挺団には珍しい、徴兵制度で兵役代替服務を選ばずに入営した鮫島は、現代の若者らしく、あまり他人に関心が無いタイプの人間だった。配属当初から任期を終えた後に退職する事を面接した小隊長に告げていたが、再就職先が決まらずそのまま軍に残ることになり、下士官候補生試験にも合格して教育を終えており、一月に伍長への昇任が内定していた。普段覇気のない鮫島だが、今は緊張と興奮からか目を険しく光らせていて小銃をきつく握っている。

 栗原はその鮫島の様子を見ながら送受話器を取る。


〇一マルヒト、こちら三〇サンマル。送れ』


 送受話器からは空挺第三連隊本部からの呼びかけが入感していた。受け取ってすぐに栗原は応答する。


三〇サンマル、こちら〇一マルヒト。送れ」


『〇一は直ちに管制塔、司令センター庁舎を制圧せよ。送れ』


「こちら〇一、了解。管制塔、司令センター庁舎を制圧する。送れ」


『了解、終わり』


 無線は一秒でも時間が惜しいかのように乱雑に切り上げられた。中隊指揮系の無線は錯綜している。栗原は双眼鏡を取り出し、基地の南側の建物が並ぶ地区に立つ小高い管制塔を確認した。


「我々の攻撃目標は北側のハンガーだったはずだが」


 中隊先任軍曹の丸山曹長が呟いた。固太り体系の丸山は四十を過ぎているが、格闘指導官であり体の動きは冴えわたっていて、兵卒の誰もが畏敬の念を持っている。武装走競技会で丸山よりも順位が低ければ強制的に格闘錬成隊に加入させられてしごかれるという噂が立っていたお陰で中隊の基礎体力も練度も上がっていた。


「連隊本部と三中隊が北側に降下してしまったんです。二中隊が東側の補給施設から西側に攻めあがるようですね」


 井上は状況を的確に把握していた。


「戦場の霧が濃い」


 思わずぼやく。当初の計画とは大幅に任務が変わってしまった。栗原たちは基地の北西に中国軍が作った防御陣地のそばで交戦中だった。南側に行くには見通しが聞く飛行場の中を突っ切らねばならない。今まさに空挺降下している部隊もあるが、戦闘は本格的になり、銃弾が飛び交っていた。

 地図を広げて接近経路を考える。直ちにと言ったが、明確な時間は示されなかった。自主裁量の余地を残してくれたのか、それとも混乱していて訓練の時のようにまた・・示し忘れたのかは分からないが、連隊長の企図を中隊長は予想して行動しなくてはならない。直ちにと言われれば直ちにだ。


「滑走路脇の誘導路と外柵のフェンス沿いに前進しましょう。あの高射砲が燃えている裏です」


 井上が指さした。


「そうしよう。管制塔を誰かに監視させてくれ。狙撃手がいたら厄介だ」


「破壊しないのは基地機能をそのまま使いたいからですか?」


 丸山が聞いた。危険な建物などさっさと大砲か何かで破壊してしまえばいいという考えには栗原も賛成だったが、丸山の言葉を首肯した。


「ああ。なるべく米軍施設を破壊するなとのお達しだ」


「連中が奪還に来れば良いのに」


「第101空挺師団が可及的速やか・・・・・にグアムに向かっているらしい。定かじゃないが」


 井上はそう言いつつも懐疑的だった。米国への不信感はどうしても士官の間には拭えないものがあった。


「知らんけどってやつですか。どうせこっちが制圧するのを待ってから現れて、さも助けに来たぞという顔をするんですよ」


 丸山は怒りのままに吐き捨てた。


「とにかく命令は命令だ。進むぞ。小隊指揮系を」


「はい」


 鮫島がすぐに送受話器を渡した。栗原も自分の中隊の小隊指揮系の周波数に合わせた携帯無線機をチェストリグの左脇に携行していたが、出力の高い鮫島が背負うマンパック型無線機の方が確実だ。


「えーと、くそややこしいな……」


 呼び名を間違えそうになりぼやきながら送受話器の送信ボタンを押す。中隊指揮系と小隊指揮系では自分の符号も相手の符号も異なる。


各位ハイロ、こちら中隊長マルマル。中隊攻撃目標を下達する」


 頭の中で組み立てていた命令を言葉に起こしつつ命令下達を行う。その隣で丸山がそれを全て速記して写した。


「一、略。二、方針。中隊は管制塔及び司令センター庁舎を攻撃し、掃討。施設を制圧し、確保維持する。指導要領。前進順序、1小隊、本部、3小隊、2小隊の順。前進隊形、縦隊とするも臨機—―」


 命令の形式に則って指示を伝えると栗原は中隊本部の面々と立ち上がった。衛生下士官の横山二等軍曹が走ってきた。


「負傷者を連隊収容所へ後送しました」


「命令は聞いたか?」


「まだです」


「前進しながら伝える。急ぐぞ」


 一度腰を据えると体は重くなる。栗原は部下達の先頭に立って、弾除けの頼りになった中国軍が構築した土塁の陣地を出て進み始めた。アンダーセン空軍基地内での地上戦闘はようやく本格的になってきたと言っていい。各中隊が集結を終えて攻撃を開始し、中国軍も態勢を整えて抵抗を始めようとしていた。


『マルマル、こちら第1小隊ヒトマルアルファ。前進準備完了。送れ』


「ヒトマルアルファ、こちらマルマル。前進せよ。送れ」


 帯頭受話器の中隊系無線に響いた声に栗原は即座に応答した。


『ヒトマルアルファ、了解。終わり』


「中山ですか。張り切ってますね」


 無線を聞いた井上が言った。


「本郷中尉が行方不明だ」


「中山が小隊長代行ですか。荷が重いのでは」


「代わってきてもらいたいところだが、中山も仕事をしている。このまま行かせる」


「分かりました」


 第1小隊が先行して前進を開始した。飛行場のコントロール施設側からの射撃は不気味なほど無かった。第1小隊が滑走路の向こう側まで滑走路を迂回して到着し、援護態勢を取る。それに中隊主力が続く。散発的な銃声が聞こえてきたが、こちらを狙ったものでは無かった。


『敵と接触!』


 中隊が滑走路脇を進んでいると銃声が鳴り響いた。第1小隊が無線で敵と交戦していることを伝えてきた。


「ヒトマル、こちらマルマル。敵の位置を知らせ。送れ」


『マルマル、こちらヒトマルBブラボー、敵は管制塔建屋より射撃、前進できず』


「重機関銃がいますな、これは」


 丸山が言った。乾いた破裂音と甲高い空気を切る音の他に削岩機のような重たい銃声が聞こえていた。


第2小隊フタマルは管制塔北側の建物を制圧しろ。第3小隊サンマルはヒトマルを援護」


『こちらフタマル、了解』


『サンマル、了』


 端的に受領通知を行って第2小隊と第3小隊も走り出した。六十名以上の隊員がコントロール施設の建物に殺到する。

 栗原の視界の中に交戦する第1小隊とコントロール施設を構成する管制塔とその根元の建屋、その南側の司令センター庁舎が見えた。管制塔建屋の三階の角部屋の窓から火柱のような激しい銃火が吹き上がっていて、曳光弾を含む弾雨が第1小隊に降り注いでいた。

 さらに二階の複数の窓からも機関銃を含む小火器が第1小隊を射撃していた。銃撃が途切れず、第1小隊の隊員達はその建物に向かう道路の脇に放置されていた工事車両や資材を遮蔽物にして隠れているが、建物からの射撃に圧倒されていてろくに応射できていない。

 そしてその道路の中央付近で放置された中国軍の92式装輪装甲車のそばに二名の日本兵が倒れている。


「中隊長!敵が管制塔建屋にいます!」


 第1小隊の隊員がその場にくぎ付けにされて応戦しながらこちらに向かって怒鳴った。


「三階に据えられているのは重機関銃です」


 井上が言った。管制塔建屋の三階に据えられているのは85式重機槍(重機関銃)で、軽車両をたやすく貫通する12.7mm×108弾をばら撒いている。


「1小隊は応戦しつつ後退!北側の建物を制圧し、そこを火力基盤にして援護させる。敵を建物から逃がすな。3小隊は建物の東側に回れ」


「了解」


 管制塔建屋の二階から激しい銃撃が第1小隊に降り注いでいた。正面から交戦していた第1小隊が後退しないことに痺れを切らし、栗原は弾の飛び交う道路へ走った。

 遮蔽物にへばりついて進み、第1小隊と合流する。第1小隊には道路上に倒れた隊員以外にも負傷者が何名も出ていた。一人はすでに事切れていて、一人は右肘から先を失い、絶叫している。止血帯を仲間が必死に巻いて押さえつけていた。中山の姿が無かった。


「倒れているのは中山少尉か」


「そうです」


 第1小隊の隊員たちは道路上に倒れた中山を救出しようとしているらしかった。矢面に立つ先頭の分隊の分隊長が分隊員を振り返った。


「目標三階、西側窓、敵機関銃!擲弾指名!」


 分隊長の声に従って隊員の一人が40mm擲弾発射機M320を構えた。ドイツH&K社製のM320は20式小銃の披筒部下部にレイルシステムを介して取り付けることが出来るが、長距離長時間、徒歩機動で行動することも少なくない空挺兵は小銃に取り付けるよりも単体運用を好んでいた。


「準備よし」


「制圧射撃!」


 隊員たちが激しい銃撃を窓に向かって浴びせる。敵の機関銃射撃が一瞬止んだ。


「撃て」


 M320が栓の抜ける音を強くしたような発射音と共に40mm榴弾を撃ち出し、それが三階の窓付近の壁に直撃する。


「窓の中に撃ち込め!」


 分隊長が怒鳴り、M320を構えた隊員が狙いを定めようとする。その横合いから銃撃が襲い、隊員はなぎ倒された。建屋の一階、中央入り口からも中国兵が三人出てきてうち一人は88式汎用機関銃を連射してきた。その中国兵が今度は空挺兵たちの射撃になぎ倒される。


『こちらフタマル!北側建屋制圧!』


 その声が聞こえるや否や、撃たれた隊員の持っていたM320を分隊長が取ると40mm榴弾を窓にめがけて発射した。放物線を描いて飛んで行った榴弾が三階の角部屋の窓の中に吸い込まれた直後、部屋の中で炸裂し、無事だった窓が煙と共に砕け散って吹き飛び、窓枠も落ちてくる。


「スモーク!」


 発煙筒信管付という名称の手榴弾タイプの発煙弾の安全ピンを引き抜いて隊員達が投擲した。空中で安全レバーが外れ、撃針が作動して点火し、道路上に落ちるころには乳白色の煙が吹き上がり始める。


「行け!」


 二人の兵卒が飛び出し、道路に倒れた隊員二名に取り付くと遮蔽物まで一気に引きずった。撃たれた隊員のうち一人は首を撃たれていて夥しい量の血がすでに戦闘服を染めていて引きずられた地面にもその痕跡を残していた。中山は腰を撃たれていて震えていた。こちらも出血の量は多い。


「早く後送しないと死んでしまう!」


 補助担架員が叫んだ。腕を重機関銃の弾に切断されて悲鳴を上げていた隊員も今はぐったりしている。


「応急処置をしろ!連隊本部まで後送させる。横山二曹!」


 後方から射撃する第3小隊と共に戦っていた横山がすぐに這い蹲って銃撃が飛び交う第1小隊の元までやってきた。


「一名戦死、二名重傷だ」


「こりゃひどい。中山少尉、しっかり!」


「先任者は誰だ!」


「自分です」


 M320を発射して窓の機関銃を撃破した分隊長の上村一等軍曹が振り返った。


「上村一曹、管制塔建屋東側の建物を一個分隊率いて制圧しろ。ここにいては負傷者が増えるばかりだ」


「了解!第2分隊、機関銃MG手を残してあの建物まで行くぞ!他は援護しろ!撃て、撃ちまくれ!」


 第1小隊の隊員たちが猛射し、その間に上村は第2分隊を率いて建物の入り口に取り付いた。ドアを開けて中に入っていくのを見届けた栗原は負傷者を引きずる横山と共に中隊本部の位置へ下がった。


「第3小隊、管制塔建屋に突入する。東側の入り口と西側の入り口からだ。西側の建物側面には階段がある。西側に二個分隊送り、上階から制圧しろ」


「了解」


 第3小隊長の植崎中尉は短く応答し、十名の分隊をさらに分けて五名ずつ六個組編成にして突入を指示した。三十名以上の空挺隊員達が管制塔建屋に接近し、ドアをこじ開けて突入していく。栗原達も第3小隊に続いて建屋に接近した。ハリネズミのように三六〇度に各隊員が銃口を向け、建物に取り付く。

 空挺連隊では対ゲリラ・コマンド戦や市街地戦闘訓練も本格的にやってきている。ドアを開ける隊員がドアを蹴り開けると中にMk3手榴弾が投げ込まれた。

 金属片を広範囲にばら撒く破片手榴弾と違い、Mk3手榴弾は装薬の爆発によって生じた衝撃により人員を殺傷する攻撃手榴弾だ。

 Mk3手榴弾の炸裂後、隊員達が流れ込むように突入していく。

 20式小銃は従来の制式小銃だった89式小銃に比べて銃身長を短くして閉所での取り回しを向上している。またピカティニーレイルやM-LOKと呼ばれる各種光学照準補助具やアクセサリーを取り付けるための架台を標準装備しており、レーザー照準補助具や光学照準補助具を取り付け、瞬間照準能力を向上していた。室内などの閉所戦闘においてはハード面でも能力が向上している。

 三階から第3小隊の三個組が、二階から二個組が突入し、一個組が予備として一階の入り口を押さえて待機する。建物の戦闘、特に階段部においては上階側が圧倒的に有利なため、最上階から制圧することを追求していた。


「廊下よし」


「各部屋を検索!」


 空挺隊員達が二列に分かれて廊下を進み、左右の部屋に突入していく。


「廊下に敵!」


 列の先頭の隊員が声を張り上げながら単発で連続射撃を行う。隊員達は先頭の隊員が交戦しても敵の弾が飛び交っても列を乱すことなく、そのままのペースで進み続け、部屋を検索していく。


「敵二名排除!」


「二階へ降りるぞ」


 廊下の先まで達し、隊員達はそのまま階段を下りて進む。栗原もまた重機関銃が据えられていた角部屋のドアを開け、20式小銃に取り付けたフラッシュライトを点灯して影の部分も確認しながら部屋へ突入した。

 真っ先に目に入ったのは台の上に設置された85式重機関銃と12.7mm弾の弾箱にもたれかかった中国兵だったが、視界の隅に部屋の角で足を投げ出して壁に寄りかかった血まみれの兵士が95式自動小銃を持ち上げたのが見えた。


「くそ」


 ぎょっとした栗原は咄嗟に倒れこみながら単発に切り換えつつ20式小銃の引き金を連続で引く。栗原が先ほどまでいた場所を95式自動小銃から放たれた5.8mm弾が通過し、栗原が放った6.5mm弾が、座り込んでいた中国兵の背後の壁に弾痕を刻んでいき、それがミシン目のように壁に寄りかかる中国兵に近づいて中国兵を壁に縫い付けるように貫いた。白い壁に血飛沫が叩きつけられる。

 倒れこんだ栗原は小銃弾に撃ち抜かれた中国兵を見て顔を歪めながらなんとか起き上がった。蒼白な顔に飛び散った血飛沫が付着し、目をぎゅっと結ぶようにつむって歯を食い縛った表情で事切れていた。まだ青年という年頃で、先の榴弾に足を負傷させられ、動けなくなった所で自ら止血帯や包帯を巻いて処置していた様子だった。


「大丈夫ですか」


 一緒に部屋に突入した鮫島が振り返って聞いた。部屋へ突入する際は誰かが撃たれても自分の役目を果たすまで動きを止めてはならないことになっていた。鮫島と丸山は部屋の隅々まで確認し終えている。


「ああ。外も含めて異状ないか」


「異状なし」


 重機関銃のそばで倒れていた中国兵は榴弾の破片を顔面に浴びていてすでに虫の息だったが、突入した際に丸山に撃たれてとどめを刺されていた。


「管制塔制圧!」


 植崎の声が廊下に響く。


「出るぞ」


 栗原は声を張りながら鮫島と共に廊下に出た。丸山は重機関銃が据えられていた窓に携行オレンジ色の敵味方識別用布板を設置して制圧したことを示してから後を追ってきた。


「連隊本部に報告しろ」


「了解」


 鮫島が小気味よく返事をして連隊本部へ中隊の攻撃目標制圧を報告している。訓練なら言い間違えやその後の無線の対応の複雑さを嫌忌して栗原に送受話器を渡そうとするが、鮫島は明瞭に無線で連隊本部と通話していた。

 わずかな実戦が当人の責任か何かを刺激したのかもしれない。栗原は初めて至近で人を殺すという体験に衝撃を受けた自分に驚いていた。任務上人を殺すことになってもそれは職務を遂行するための必要な手段だったと割り切れると思っていた。

 心理学者のカール・ユングは「健全な人間は他を虐げない。人を虐げるのは自らが虐げられた者である」と示している。正常な人間は他人を傷つける事を躊躇するのだ。

 自分が健全な道徳心を持っている事と、部下達に比べて動揺している事とは別だ。彼らがサイコパスという訳ではなく、戦場という環境に早くも適応しているのに対し、後ろから指揮する自分は被弾する事どころか敵を撃つことも覚悟できていなかったということだ。


「負傷者二名。うち一名は重傷です」


 横山が報告する。横山の顔にはすでに疲労の色が浮かんでいた。


「連隊本部の患者集合点へ急いで後送してくれ」


「了解」


 鮫島の連隊系無線を聞くと錯綜する無線の中で状況が掴めてきた。

 空挺第三連隊が基地内で抵抗する敵との交戦を続ける中、空挺団の戦闘工兵達は空挺団情報中隊と合流し、輸送機を着陸させる滑走路を確保しようとしていた。

 情報中隊は戦闘航空管制も行ういわゆるCCTという戦闘管制官の任務も果たすため、飛行場復旧に必要な偵察を行っており、降りたばかりの工兵隊に指示を出し、物量投下によって下ろされた車輛や基地内の米軍や中国軍の車輛を使って工事が始まっていた。また工兵隊は飛行場の復旧だけでなく、飛行場に至る道路に地雷等の障害設置を準備し、敵の逆襲に対する防御準備も進めている。


「飛行場地域は概ね制圧。格納庫等も押さえました。連隊は残る基地施設を制圧中。敵は壊走しています。装甲車も降りました」


 井上からの報告を聞いて栗原は頷いた。管制塔に登って基地の全景を自らの目で確認したかったが、さすがに危険すぎるので部下に止められる前に自制していた。


「車を受領してくれ。負傷者後送に必要だ」


「すでに第2小隊がかかっています。中隊には当初三輛配当が」


「三輛だけ?」


「まだ開梱が間に合っていないようです」


 輸送機からの物量投下によりアンダーセン基地の滑走路周辺に落とされた軽装甲機動車LAVは連隊本部中隊により回収されて投下用パレットより下ろされて準備されていた。

 空挺第三連隊の軽装甲機動車の半数はオーストラリア軍も採用したホークアイ装甲車をライセンス生産して配備されている軽装甲機動車(B)だ。軽装甲機動車(B)は既存の軽装甲機動車よりも対地雷、即席爆弾への防護力強化を目的に調達されており、海外任務が予期される部隊を中心に配備が進んでいる。

 投下時は取り外されていた空中線アンテナや、銃架を上部ハッチのターレットに取り付け、54式12.7mm重機関銃を装備して各中隊が受領する準備を整えてあった。

 LAVが三輛、管制塔建屋前に到着する。12.7mm重機関銃の威力は小銃弾や並の機関銃と比べられないほど強力で、射程も長く、LAV程度の軽装甲車なら撃破することも不可能ではない。またLAVは車載無線機も搭載しているため、指揮統制にも重要な存在だ。栗原もすぐに建屋を出てLAVを運んだ第2小隊に合流する。


「飛行場は確保できましたね」


 北山が声を弾ませて言った。


「まだまだだ。敵の対空火器の準備が整うぞ。これから激化する」


 この空挺作戦でC-2輸送機一機が地上の敵対空火器によって被撃墜されている。他の輸送機はほぼすべての人員、物資の投下を終えて本土か周辺の日本領に反転し、新たな増援や装備を運び込むため、再び戻ってくるはずだが、敵もそれに対応するのは目に見えている。携帯地対空ミサイルも空投を行う輸送機には十分脅威だ。


「ヘリで負傷者を病院船に運べるようにならないと連隊収容所の負傷者の半数は明日の日の出を迎えられないと思います」


 北山と共に負傷者を後送していた横山が言った。


「中隊長。連隊本部からです」


 鮫島が渡した送受話器を取ると連隊からの防御準備命令が下達された。


「予定通り二中隊、三中隊は攻撃前進する。海上機動団は予定通り島中部に強襲上陸だ。ここの後詰めに米軍も来る。防御準備に移行するぞ。敵の逆襲対処を3小隊で実施。1、2小隊は陣地選定にかかれ。火集点はすぐに決定しろ。連隊本部の中距離多目的誘導弾チュウタに指向させる」


「米軍め。自分の基地くらい自分で奪還する気概は無いのか」


 丸山の悪態が聞こえてくる。


「連中、欧州にアフリカ、香港、東南アジアと戦線が拡大しきってる。仕方ないさ」


 栗原も丸山と同じことを思っていたが、いつも諌める役の先任軍曹が今日は実戦で気が立っており、立場が逆転していた。それでも丸山は普段の訓練通りきびきびと指示を飛ばし、中隊下士官達の模範となってくれていた。


「さぁ、休んでいる暇はないぞ。動け」


 飛行場を巡る初戦をなんとか切り抜けた隊員達は重い足を動かし、自らの役目を果たすべく散っていった。

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