第7話 「掃除」

全機撃墜スプラッシュ。クーガー0-5、ボギー2キル』


 月島の後席の麻木が無感動に告げた。AIM-54Eフェニックス長距離空対空ミサイル二基を発射した月島は二機の敵機をたちまち屠ったのだが、まるで現実味は無かった。

 二名のパイロットの命を奪ったかもしれない。脱出したかは定かではなかった。だが、血の通っていない機械になったように体は訓練通りに手順通りの作業を進めている。

 月島は早期警戒管制機AWACSからの通信を聞きながら複雑な思いで空の先を見渡した。


『敵のCAPは全機片付いたな。集合ジョインナップ


 麻木の指示で間隔と高度差を取って散開していた編隊の列機が集まってくる。

 各機のパイロット達が麻木にハンドサインを送って異状が無いことを伝えていた。相互外観点検を行うまでもない。

 風は依然として出ているが、雲の切れ間が増えていた。遠くの空に黒い煙の筋が見える。荒れていた空はあっという間に移り変わっていた。グアム島も見えてきて南国の光景が広がり始めている。


『クーガー0-5、こちらキーノート。貴隊の担当空域内の敵性航空機はなし。警戒行動へ移行せよ』


『ラジャー』


 月島はまずはひとつの任務を達成できたことに安堵のため息を漏らす。低空を四機のF-2Aステルス戦闘攻撃機がグアム島に向かっていく。航空優勢を確保したことで入れ替わり立ち替わりで戦闘攻撃機の他にもヘリや無人偵察機がグアム島に押し寄せていた。


『これからだ。気を抜くな』


 早速麻木から釘を刺され、お見通しだなと月島は肩を竦めた。


『コークとホムラは東側へ。ダン、続け』


『ラジャー』


 TACネーム「コーク」こと象潟が応じ、機体をバンクさせてこちらに腹を見せ編隊を離れていく。それに「ホムラ」こと白石が続いた。二機編隊エレメントを組む「ダン」こと藍田は早速位置を変えた。


『こちらダン、右上方に位置します』


『それでいい』


 藍田が月島機の右上方で高度差をとって飛ぶ。月島は首を回して位置関係を確認しながら索敵した。体にその動きは染み付いていた。低高度からの攻撃にも警戒し、時折翼を傾けて眼下を見る。

 右側スターボードにまだ小さいがグアム島を一望出来た。


「……グアムも綺麗な島ですね」


 トルマリンブルーの海が輝き、トラック環礁に劣らない雄大な景色が広がっている。リーフは美しいエメラルドグリーンの海で島の海岸の大半は白い砂浜となっている。島内は美しい緑が溢れているが、今は戦場になっており黒煙があちこちから立ち上ぼっていた。


『何を暢気なことを言っているんだ』


 麻木が呆れた声を漏らす。


「戦争なんて起きなければ平和な景色だったのに……」


 月島は思ったことを思わず口にしてしまう。麻木を余計呆れさせてしまったかと思い、口をつぐんだ。


『……戦争が起きてしまったことを嘆いている暇はない。我々にできるのは終わらせることだ』


「我々には戦争を阻止する役目もあったのでは」


『自惚れるな。傲りだな、それは。戦争は外交、政治だ。政治は生き物だ。軍隊というのは政治の道具に過ぎない。政治という生き物が戦争を阻止する気がなければ我々もその役目を果たすことは出来ない』


「政治が悪いということですか。過去には軍が戦争を起こしたことも」


『良いも悪いもない。政治を動かすのは国民だ。独裁政治はやりにくい世の中になった。国民感情はその時々の流行に左右される。メディアが力を持ち、ネット社会になった今はそれをコントロールしようと思えば容易いが、コントロールされることを望む国民もいることは確かだ』


「コントロールされることを望む国民ですか」


『政治への無関心もそうだが、自分の運命を他人に委ねている。それは一種の罪だ。感染症の流行の時だって政府に非常事態宣言を出させることを要望したりする人間は多かった。誰かに決めてもらうという甘えがある。考える力が弱まっているんだ。お前だって指揮官に従っている方が楽だろう。まぁ、私以外の指揮官にならだろうが』


 麻木は最後だけ自嘲気味に笑った。責任も違ければ求められる判断も違う。部下の命を預かうことになる指揮官よりも命じられて飛ぶ方が楽なのは確かだが、勝つために部隊を動かすことに興味がないわけではなかった。


『考えることを放棄した人々が過半を締めればあとは主語が大きい者の主張がまかり通るようになる。彼らの正義は正しくも間違ってもいない。立場の違う者達によって見方が変わる。それに正義は流行みたいなものだ。移り変わりは早い。覇権主義、社会主義、資本主義。人権だとか平等だとか。ただ、間違いないのは弱い者は正義にはなれない。歴史は勝者の物だから』


「国家社会主義が成功するとは思えません」


『そうかな?一定の支持を得ているのは確かだ。資本主義経済は貧富の差を拡大し、投資家達の掌にもて遊ばせ、企業は低賃金で働く奴隷を求める。経済が最優先され、歴史や文化、そして国の未来より自分だけがいかに儲けるかを考える個人主義者によって支配されるようになった。国を愛するという大義名分が国家主義者達を突き動かし、それに反対する者は少なかった。欧州難民危機で難民を救えという人々の主張が国を動かしたのにいざ受け入れて自らの治安や文化、伝統が脅かされ、不況になると今度は排斥しろという声の方が強くなる。実際向こうのメディアだってベルリンの政変に協力的だったし、以前からそれを助長していた。枢軸に下った国も枢軸の政策を言い訳に難民を排除している国すらある。そんな朧気な正義を大義に掲げてドイツはヨーロッパを支配した』


 一昔前まではアフリカ難民を救おうとしたヨーロッパも際限なく続く難民の不法越境に高止まりの失業率、財政難、そして難民によるテロで今では難民への不満は高まり排斥運動が社会問題化していた。


『文化の破壊、治安の悪化。愛国心を掻き立て、国家社会主義にすがる気持ちも分からなくはないだろう。日本だって今は資本主義的個人主義の価値観が広まっていてそれに対する批判や危惧は絶えない。和を尊ぶ文化が破壊され、自分の利益を優先し、身勝手な連中が増えて目立つようになった。ヨーロッパのは自分が賢いと思っている正義感の強い連中が社会悪を排除し、団結のある国を取り戻そうとした結果だ。領土が欲しい、資源が欲しいみたいな覇権主義が突き動かした訳じゃない。正義の流行は時代によって変わり、我々の立場も変わる。だからこそ普段から油断なく事に備えるしかなかったんだ、我々は』


 麻木の言葉に納得はしたくなかったが、仕方無いことだと言い聞かせた。この世界で足掻こうとすればするだけ無力さを思い知る。今は後悔や反省ではなく何が出来るのかを考えるだけだ。


『しかし、だからこそな、スコーチャー……私たちは負けられないんだ』


 麻木の言葉に月島は「……はい」と返事をした。自由の灯火を消させるわけにはいかない。勝者が築く歴史に支配されるわけにはいかない。

 麻木は厳しい面が強いが時折こうした諭すような事もある。師と弟子の関係からはまだまだ離れられそうにないし、月島は自身がこの関係に甘んじていて受け入れている事にも気付いた。厳しく苦手な意識もあるが自分が強くなるためには麻木が必要だ。


『スコーチャー』


 麻木の口調が変わった。


『レーダーにコンタクトしたが、失探フェーデッド方位ベクター2-9-5』


「機首を向けます」


 麻木が編隊間の無線で告げ、月島は操縦桿を倒してレーダーに捉えやすいように機首を巡らせる。


『目標再探知。捉えた。非協同目標識別NCTRSu-27フランカークラス。上昇中。離れていく』


 島から離れる機影が三機、低空にいた。


「アンダーセンから離陸した機ですね。攻撃します」


 月島が攻撃を決心した時、AWACSが割り込んできた。


『──キーノートよりクーガー0-5。新たな目標、方位3-2-0』


『先にそっちを片付けるぞ』


「逃げられますよ?」


『仕方あるまい、優先対応だ。空挺作戦が始まる』


 タイミングを合わせて空挺団を乗せた輸送機群がグアムに近づいていた。


『ボギーは三……いや四機。タイプ14。恐らく艦載機だ』


 AWACSからの通報に月島は思いを馳せた。グアム島への攻撃を知って空母から飛び立った中国のSTOVL戦闘機、殲撃J-14だ。

 ソ連のSTOVL戦闘機Yak-141をベースにロシアで開発されたYak-201戦闘機をライセンス生産した殲撃J-14の最高速度はマッハ一・四に達する。原型は四ヶ所にR-77長距離空対空ミサイルを搭載出来た。

 軽空母で運用される足が長くはない──航続距離が短い──殲撃J-14が戦域に達したということは敵の艦隊はすでにグアムにかなり近づいているはずだ。

 警告音が鳴る。


『索敵レーダー波だ。クーガー0-7、0-8は敵編隊の側背に回り込め。ECM開始ミュージックオン


『コーク、ラジャー』


 麻木が指示を飛ばし、ECMで敵機のレーダーに対して妨害を開始した。象潟達の二機も向かってくる。


『捕捉している目標は四機。二機上昇中』


『クーガー0-5、注意せよ。新たに現出ニューピクチャー、ボギー四機。方位3-5-0、距離六十マイル』


 合計八機が接近している。


「挟まれますね」


『正面の敵機はコークに任せる。新たな敵機に正対しろ。私が撃つ』


「ラジャー」


 近づきつつある敵機に攻撃態勢を取る。藍田はすでに編隊間を大きく開けたコンバットスプレッド隊形に移行していた。警告音が鳴り止まない。不思議と気持ちは先程よりも落ち着いていた。


『こちらでも捕捉した。……FOX1』


 旋回して敵機に機首方位を合わせるや否や麻木がミサイルを発射した。AIM-54Eが二基発射される。同時に警報が鳴った。


J-14に捕捉されたスパイクジュリエット14九時方向ナインオクロック


防御機動ディフェンシブ増槽投棄タンクゼッション


 月島は機動に余計な抵抗となっている空の増槽を棄てると急旋回して敵のレーダー波から逃れようとする。チャフを放出しつつ旋回していると象潟達がJ-14を攻撃した。

 高度差を取っていた二機がレーダーから消える。さらに月島達が放った四基のミサイルもそれぞれの目標を撃墜していた。


『一発外れた。一機離脱中』


 残った二機の殲撃J-14が象潟達に正対し、中距離ミサイルを発射して反撃を始めるが、象潟達のF-14Jから次々に放たれる長距離ミサイルを前に散っていった。象潟達も回避行動を取っている。敵機が最後に撃ったのはアクティブレーダー誘導ミサイルで発射母機からの誘導が必要ない。


「回避しろよ……」


 月島はレーダー上で急旋回する象潟達の二機の輝点ブリップを見つめて祈っていた。麻木も藍田機もECMでミサイルを妨害しようとしていた。




 アンダーセン空軍基地の滑走路は等間隔に綺麗に爆弾を落として破壊されていたが、その脇の誘導路への爆撃は成功していなかった。その僅かな誘導路より離陸したSu-30戦闘攻撃機を駆る江少校はアフターバーナーに点火して速度を音速以上に加速させ、低空から戦域を離脱しようとしていた。

 普段は広大だと思っていた空でも戦闘があちこちで生起し、空中戦が目と鼻の先でも繰り広げられた。


「空が狭いな」


 航空優勢は敵にあると言っていい。もう我が物顔で日米軍の戦闘機がグアム島を蹂躙していた。


『中隊長、味方機が』


「構うな」


 後席の部下が呼びかけてきたが江は落とされる同志達を顧みずに機体を西に向かって飛ばし続けた。残念ながら今仲間を救うことはできない。しかし仲間の報いは果たすつもりだった。


「空中給油が完了次第反転する。決勝点を見誤るな」


 部下に戒め、江はレーダー警報装置を見た。先程まで鳴っていたが、敵が艦隊の殲撃J-14と交戦してそれも鳴り止んだ。彼らに助けられた。


「この恩は日本人の血で必ず返すぞ」


 冷静沈着を肝にしている江は語気を荒らげた。上層部の杜撰な部隊運用に苛立つ。戦力の逐次投入は愚の骨頂。このグアムを獲って何をしたかったのか江には分からなかった。



 ※



『回避に成功』


 息の荒い白石が無線に報告した。象潟共に二機ともミサイルの回避に成功し、無事に編隊に戻ってこようとしている。


「撃退できましたね」


 月島はほっと息を吐きながら機内通話で麻木に呼びかけた。


『今のは先触れみたいな物だ。もっと離れた位置にいる《薩鎮氷》の艦載機がすぐに来る』


 先行していたJ-14と当たっただけで、《薩鎮氷》はもっと大型の艦上戦闘機を搭載し、そしてそれはグアム島奪回を阻止すべく航空優勢を取り戻すために立ち向かってくるだろう。

 搭載兵装をちらりと見る。AIM-54E長距離空対空ミサイルは四基とも射ち尽くし、残りはAAM-4B中距離空対空ミサイルとAAM-5B短距離空対空ミサイル二基ずつだ。


『全機、状況報告ステータス


『コーク、アクティブレーダーミサイルアクティブ一、赤外線誘導ミサイルヒート二、燃料フュエルプラス二六・六』


『ホムラ、アクティブ一、ヒート二、フュエル二五・九』


『ダン、アクティブ二、ヒート二、フュエル二八・五』


 麻木の呼びかけに各機がすぐに序列順に応答した。


「燃料はまだ行けますが交代が必要ですね」


『そうだな』


『クーガー0-7、こちらキーノート。グアム島上空の航空優勢を全力で維持せよ。これより輸送隊が進入する』


「来ましたね」


『空挺団のお出ましだ』


 四機でフィンガーチップ編隊を組むC-2輸送機三個編隊十二機がグアム島に向かって隊形を縦隊へと変換しつつ降下していく。まれに見る大編隊だ。

 C-2はシロナガスクジラを表すブルーホエールという愛称を持つ通り大きな機体だが、民間航空路の高速路線を使用できる速度を発揮する高速巡航大型輸送機だ。

 護衛につくのは空軍のF-2戦闘機六機で、主翼と垂直尾翼を改造し、電子戦装置を搭載した電子戦機仕様のEF-2電子戦戦闘機も二機飛んでいる。電子戦ポッドや曳航式デコイを曳き、敵の対空火器を引き付ける囮役だ。

 EF-2二機がC-2を先導するように飛び、フレアを放出する。それに随伴した敵防空網制圧SEADのF-2が敵対空火器を攻撃しようと虎視眈々と狙っていた。

 麻木が無線を地上部隊との周波数に切り替えた。


『コメット0-1編隊。これより進入』


『コメット0-1、こちらパスファインダー3-1。コースよし、コースよし。用意、用意、用意……降下』


 地上の降下誘導部隊パスファインダーからの誘導でC-2輸送機の側面ドアから次々に落下傘を身に付けた空挺隊員が飛び出し、落下傘が花開く。三百メートルほどの高度が落下傘に埋め尽くされる勢いだ。

 そのC-2に続いて密集縦隊のC-2も次々に空挺隊員を降下させていく。


『勇敢なやつらだ』


 麻木が呟いた。地上からは対空砲火が打ち上げられている。そして無事に降り立てても過酷な地上戦が待っていた。自ら進んで地獄に飛び込むようなものだ。

 同じ軍人でも覚悟が違う。

 月島は彼らの武運を祈って心の中で敬礼した。

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