SCENE6-4≪奇襲≫
「へぇ、生きているユイちゃんかぁ。こうしてみると随分と雰囲気は違って見えるけれど。その服、どこで用意したの?」
「……その、ナインさん。ボクも同じ気持ち。なんでそんな恰好を?」
父の研究室に所属していた。自分より小さな、けれど大人の女性。ユイにとっては姉に限りなく近く。あるいは朧げな記憶しか残っていない急逝した母よりも、母性を感じた相手かもしれない。
ウェーブがかったアッシュブロンドの長髪と、幼いが大人の妖艶さを漂わせる表情は昔のまま。いや記憶よりも化粧の色が濃い、特に目元の隈を隠すために濃いアイシャドーを重ねているのが分かった。
けれどそんな細やかな印象は、注意深く顔色を窺わなければ。肩にひっかけたぶかぶかの白衣と、その下に着込んだ黒のマイクロビキニという非常識な服装に塗りつぶされてしまう。
あまりにも非常識で煽情的な服装は、些細な表情の印象を吹き飛ばす。
ある意味、自分が高校時代の制服にフリルと軍装を足し。黒いひび割れを隠すための手袋とタイツの印象を薄めるのと同じなのかもしれない。
「……この件に関しては、互いに深入りはしないようにしましょう。いいわね?」
「……わかった、そうする」
取りあえず、ナインの顔を立てる形で、操縦席に籠城するのを止めて外に出る。彼女も間違いなく敵なのだが、それでも自分の大切な誰かを殺そうとした外間よりまだマシだ。
何より、自分と同じ赤いセルフレームの眼鏡を付けているのが気持ち悪い。どうしようもない生理的嫌悪感、彼の瞳に自分が映っているのにこちらを見ていない。彼の悲しみも、寂しさも、優しさも。自分ではない誰かに向けられていた。
その点、ナインはユイを見ていた。今この場にいるユイと向き合ってくれている。そうでなければ手袋の意味など理解してくれなかっただろう。
ナインに手を引かれ、操縦席から身を乗り出して周囲を見渡す。
暫く目をつぶってから、開いてようやくピントが合った。どこまでも曇った空、舞い上がる塵と埃、辛うじてめぐる大気はあるがその温度は肌寒く、周囲に立ち並ぶコンクリートを切りつけて削っていくのか、随分と荒廃して見えた。
そして、見覚えのある壊れ果てた建物。何度かこの場所に来たことがある。ここでユイは外間やナインと出会って、。して一度だけ、もう思い出すことが出来ないが、なにか大切な誰かとここを歩いた事実だけが脳裏に刻まれていて――
つまりは父親が務めていた大学である。最もその校舎は半ば吹き飛び建物の体裁を成していないが、それでもなおそこで僅かながら人間が生活している息吹が見え隠れしている。
「ここ、なんで人が集まってるの?」
「
ボロボロの服を纏って、こちらを指さす子供。街から使えるものを拾って来たと思われる大人の群れと、それを迎え入れる老人や体力のない人々。自分たちの世界と比べれば生きてはいるが。どうにもその瞳に光は無く、ただ日常の中で動き続けるゾンビと大差がないように見える。
カツンとローヒールのパンプスで金属の板を鳴らし、パイプで組まれた足場を下っていく。そのサイズは降地姿勢の
「春夫さん…… いえ
「続けたいのよ、終わらないように」
颯爽とあるくナインを、誰もが意識しているが。それでも話題にも出さず距離を取っている。その視線は悉く伺いを立てるかのようで、この狭い瓦礫の世界が持つ息苦しさに、ユイの胸が詰まりそうになる。
「何のために?」
「貴女じゃない、ユイの為よ」
廃墟と化した大学をユイとナインは進む。滅びた世界の中を歩む二人の姿は、その非日常な装いと合わさりいっそのこと一つの絵として成り立つ程に纏まっていた。
鉄骨がむき出しになった床を超え、二人は大学の構内奥深くに進んでいく。
頭がくらくらと揺れる。失った記憶と合わせて自分が何なのかゆっくりと綻びていく。これ以上進んではならないと理性は警告を続けるが、けれど足は止まらない。そもそもこの先に自分が向かう意味はあるのだろうか?
「……外間君は、貴女にとって。とてもフェアじゃない事をするつもりよ」
ナインの声には間違いなく自分を、今ここでふらふらと訳の分からぬままに歩むユイを気遣うやさしさがあった。ひらひらと白衣とウェーブがかったアッシュブロンドの長髪を靡かせて、一歩先を行く。
「そして、私はそれを望まない。二度も妹だと思っていた貴方を失いたくはない」
ナインの声色には悲しみがあった。どうしようもない悲しみ。止められなかった悲劇に押しつぶされた悲鳴で味付けされていて。それでようやくユイは自分にとっての彼女は
襲い掛かる敵のザナクト、鳴り響くアラーム。誰も彼もが自分が
「最後まで、出来る限り貴女を生かすつもり。結果として殺してしまった私のユイに対する代償行為でしかないけれど」
ああ、そうだ。この可能性における
「けれど、たぶん駄目ね。本気で彼が望んでいるから。いつか私は貴方も――」
戸惑いのある、殺意と呼ぶにはあまりにもはかなげな感情を向けられて。ユイはどうしたらよいのか分からなくなった。彼女が敵である事は間違いない。けれどもそれでもなお、憎むことは難しい。
気が付けばユイは砕けたガラスが散らばる建物の1フロアに立っていた。その中央に据え付けられたオフィスチェアは、まるで滅びた王国を忍ばせる玉座のようで――
低く唸る電子機器、埃の中に散らばった
そして誰のものか分からないマグカップを見た時に、ようやく彼女はこの場所が何なのか理解した。
広兼研究室。父親の仕事場であり、あるいは引きこもっていたユイにとって、数少ない知っている場所の一つ。外間やナインと出会った場所であり、そして――
思い出せないが、確かにここに居たのだ。自分にとって大きな意味を持つ人が。
その事実でどうにか気を取り直す。
「それで、ナインさん。ここは何なんですか?」
「彼の玉座よ、あるいは貴女のお墓」
耳鳴りが響く。低い機械の唸り。そして部屋の影から聞こえる水音。
ふらふらと、まるで熱病に侵された。いや、実際ユイの呼吸は荒く、その頬は赤く色づき、全身から汗がじっとりと湧き出している。ドクドクと脈打つ心臓は最早自分を殺そうとするかのように血流と共に意識を回す。
影の向こうに何かが見える。それは円筒形の培養槽。あるいは電動の棺。つまり死体が入れられている。傷一つないどこまでも白い手足と、裸の体。そして見覚えのある銀髪と、閉じられた瞳。
ユイはもう立っている事すら出来ずに、ぺたんと掃除の行き届いていない床の上に座り込む。知っている。知っている。ユイは目の前で死んでいる少女を知っている。
「落ち着きなさい、これは広兼由依の死体であっても。貴女ではないわ」
そっと肩に置かれたナインの掌で、ようやくユイは理性を取り戻す。床に座り込んでようやく自分より大きくなる。それほどにナインの背は低いけれども、その声と、その手の暖かさはやはり彼女にとって安心できる相手となにも違わない。
そして、気が付いた。ボコリと培養槽に揺蕩っている自分が吐息を吐いたことを。
「いきて、る?」
「死んでるわ。魂がないもの。最も記憶はあって、肉体も生きているのだけれども」
ゆっくりと、水槽の中に浮かぶ自分の瞼が開く。しかしその
「何のために、保管しているの?」
「決まっているじゃない、蘇らせる為よ」
その声に込められている感情が、ユイには分からなかった。死んだこの世界の自分に対して、いったいナインは何を思っているのか。培養槽の前に座り込むユイには、背中に立つ姉の、あるいは母に等しい女性の表情は見えないのだから。
「外間は、愛してしまったのよ。そして貴女も、少なくともこの世界においては」
ぽつりと語られた事実に、そういう世界もあるのかもしれないと漠然と感じた。自分にとって兄と等しい彼から求められれば、共にある事を望んでしまう程度には自分の世界は狭かったはずなのだ。けれど、違和感がある。
「どう、やって?」
「R粒子炉とは変換器よ。物質を、エネルギーを、時間を、空間を、記憶を、そして魂を―― それらのものを自在に変換するためのシステム。未だにルールがあやふやなプロメテウスの火」
つまり彼らは、あるいは外間は。自分の魂を、このボロボロの体と、僅かな記憶と切り離し、目の前で死んでいる自分を蘇らせる生贄とするつもりなのだ。余りにも狂っている。歪んだ可能性と、砕かれた世界が紡がれた結果の悲劇。あるいは喜劇か。
何より客観的には、体に黒いひび割れが走り。記憶すらズタボロの自分の魂を、体と記憶が揃った目の前の死体に移植するというのは。ある意味合理的ですらあるのが恐ろしい。
パズルのピースがかけたから、同じ商品のパズルを組み合わせ。1枚の絵を作ろうというのだ。そのパズルが何を思うかも考えることも無く。あるいは考えた上で蹂躙するつもりなのか。
あるいはそれでも1枚の完成した絵が欲しいのか。
「あるいは彼が関わらなければ、もっと違った結末があったのかもしれないけど。この炎は、私たちが認知できるこの世界を焼き尽くしたの」
心臓が高く跳ねた、失われた記憶が叫ぶ。ただ2音の彼という響きを聞いた途端、ユイの中でドクンドクンと何かが熱を帯びていく。
「名前を――」
「何?」
「その人の名前を、教えてください。ナインさん」
知りたいのだ、それが浅ましい事だとしても。理屈のない空想だとしても。ナインが呟いた彼が自分の守りたかった人なのだとユイは直感で認識する。あるいはそれは大きく開いた心の穴を埋める、防御反応であったのかもしれない。
けれど彼女は、それが奇跡であると。信じることにした。
立ち上がり、振り返る。重ねられ、フリルがついたスカートの重みにふらつくし、ハイソックスと長手袋の下には、黒く
ナインは一瞬だけ不思議そうな顔をするが、すぐにそれは納得に移り変わる。自分が何を犠牲にしてここにたどり着いたのか。自分の大切な人の記憶を代価にしたのだと理解したのだ。
その上で驚きに、あるいは喜びに彩られたナインに対し瞳を合わせる。明らかに彼女の口元には喜びの笑みが浮かんでいる。
「そうね、彼の名は――」
けれど、ナインが名前を告げる前に。研究室の廃墟に着信音が鳴り響く。ため息を付いてビキニの上に纏った白衣からスマートフォンを取り出して、再び彼女の口元が笑みに変わった。
「ふふふ、どうやら彼は貴方の為に世界を超えて来たみたい」
遠くで大気が切り裂かれる音が聞こえた。その数は11機。
13機のモノイーグルの内、2機は奪い。1機は倒した。それは憶えている。即ち1機、この世界にとっての敵がいる。
「どうせなら、直接聞きなさい。そちらの方がロマンチックでしょう?」
あるいは世界の滅びを望むかのように、ナインは振る舞う。あるいは存亡などどうでもよく。ただ外間と共に過ごしたいだけなのだと。ユイは漠然と理解して。
そう思えることは幸せなのだと羨んだ。
まず自分は知らなければならないのだ。自分が恋した、あるいは愛した筈の人を。
それは初恋である。あるいは恐怖である。自分が理解できない過去の自分との邂逅であり。そして出来る事なら―― 未来になって欲しいと。
そう、願いながらユイはナインの言葉に頷きを返した。
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