SCENE5-3≪墜落≫


 ピースが足りておらず。どこまでも理解が追い付かない。けれど失われた筈の記憶が、これまで得られた情報によって形作られた輪郭がぼんやりと今の状況を指し示していた。


 ゆっくりと終王黒機ザナクトが仰向けに倒れた継王蒼機ザナクトの眼前に降り立つ。微かな水飛沫と衝撃がアスファルトに広がるが、ただそれだけ。


 せめて一矢報いようと、宗次郎は操縦桿を左右に動かすが、電源が落ちたモニターも、先程まで自由に動いてい機体も反応しない。それでいてガンガンとした頭痛警告は未だに続き、思考をかき乱す。


 最も宗次郎のたくらみが成功したとしても、周囲に展開している量産機モノイーグルがこちらに向けた銃口から吐き出されるレーザーの方がずっと早い。


 そこまで理解して、ギリリと歯を食いしばる。胸が痛い。背中から聞こえる微かな吐息。彼女の無事を確認したいが、それ以上に目の前に仁王立ちした終王黒機ザナクトの姿から目を離せない。いや違う。本当は後ろを振り向くのがとてつもなく恐ろしいのだ。


 雨が降りしきるなか、終王黒機ザナクトの胸が開き、そこからスーツの男が現れる。記憶のままの長身とやや猫背な姿勢。知っている。知っている。宗次郎はあの男の事を知っている。


 広兼研究室でいつも笑顔で、教授から頼まれた無茶を困り顔で引き受け。それを何でもこなしていた、天然パーマとキッチリと着込んだスーツが印象的な長身の男。



「なんで、外間とのま准教授が?」



 外間春夫とのま はるお。助教授として広兼研究室の実質中心としてまとめており、宗次郎も何度か世話になっていた。単純な研究や高度な内容だけでなく一般教養課程の試験対策を手伝ってくれるところまで。


 正に良き兄貴分と呼ぶのにふさわしい好漢であった。


 けれど表情がまるで違う。人のよさそうな笑みは、幽鬼の如く生気を失い。見覚えのある、けれど似合わないの内側からこちらを見下ろす瞳には狂気と負の感情が満ちている。



「ああ、お前も生きて…… いや、それは無いな。



 死んだ癖に蘇ったと罵られたことよりも。ただお前と呼ばれた事が辛い。それだけのことを記憶にない自分がやってしまったのかとギリギリと心が痛む。間違いなく彼もまた宗次郎を形作っていた世界の一部であったのに。



「新聞記事にはそう書いてあったけれど、いま俺はここで生きているだろう」



 どうにか虚勢を張って、視線を合わせようと努力する。語勢を強く、口元を無理やり釣り上げようとするがどうにも上手くいかない。



「ああ、それは認めよう。お前は生きて継王機ザナクトを駆っている。けれどだからこそ問わねばならん」



 外間とのまのスーツが雨に濡れていくそれでも彼は一歩たりとも微動だにすることなく、こちらに目を向けたまま。宗次郎に対して底冷えした声で問い書ける。



「お前の目的はなんだ?」



 喉が渇く、声が出ない。ユイや爺さん達相手にああも回った口が。今はこうも動かない。操縦席を割いた亀裂から零れる雨粒を額に受けて。ようやく心を振り絞った。



「この世界を、守ること…… だ」



 終王黒機ザナクトの胸、20m以上の高所から見下ろした視線を受け止めきれずに。宗次郎は目を反らす。どの口が言うか、目の前に立ちふさがった壁に目がくらみ、救いたいと思った世界と、想いを告げたい相手のことすら忘れてしまった自分にそんなことを言う資格はない。


 けれど、それ以外に。外間准教授が放った問いかけに返せるものは何もなく。少なくとも最初は、ユイとした時は真実だったはずなのに。今この瞬間はどうにも空虚で嘘まみれになっている。



「分かった上で口にするか。度し難い」



 スーツ姿の外間とのま准教授が終王黒機ザナクトから飛び降りる。先ほどまで、知らぬとはいえ殺し合っていた相手の乱心とも思える行動を止めようと、無意味に手を伸ばす。が――


 目の前に衝撃が叩きつけられた。倒れた継王蒼機ザナクトの胸に男が降り立つ。スーツ姿の外間とのま准教授が、叩きつけた革靴から水蒸気を立ち上らせて、こちらを見下ろしている。


 20m以上の落下を、まるで何もなかったと受け止めて。目の前に現れた外間とのまの目は、似合わない女物のセルフレームの内側に隠れて、うかがい知ることが出来なかった。


 雨粒が垂れる、外間とのま准教授の前髪から、雨粒が頬に向けて流れて落ちる。ざぁざぁと2人の間に雨音が満ちる。


 だが、互いに相手を見ていない。宗次郎の意識は背後で気を失っているユイに。そして外間とのま准教授の視線もまた、継王蒼機ザナクトの後部座席で倒れるミリタリーロリィタの少女に注がれていた。



「俺を、殺すんですね。准教授」



 他に言いたいことは沢山あった。けれどいまこの時に、彼に対してぶつけるべきものはそれ以外に無い。覚悟を決める、顔の分からない何かではなく。自分を育んだものと対峙する為に。



「ああ、殺す。いや元に戻す。お前は死んだんだよ。この世界が滅びた時に」



 外間准教授の言葉はどこまでも冷たく、宗次郎の心に突き刺さる。優しかった、いつも困った顔で笑っていて、それでいて人の成功を心から喜べる善人。そしてこちらが助けようと伸ばした手をいつだって握りしめてくれる。


 どこまでも優しかった彼の姿は、もうどこにもない。


 それこそ自分とユイを殺すのならば終王黒機ザナクトに乗ったまま叩き潰せば済む話。その殆どはユイに対するもので。自分に向けられているのは純粋な殺気。いや憎しみだ。



「いや、違うな。R粒子炉の起動実験時、お前が世界を滅ぼしたんだ」



 思考が固まる。どうにか積み上げた戦意が崩れ落ち。今度こそ完全に、意識が空白になった。自分が世界を滅ぼした。何故? そもそもどうやって? 理解すら出来ぬまま、記憶にない世界滅亡の責任が叩きつけられて。


 ガンガンと頭痛警告が酷くなる。



「ああ、一応言っておいてやる。お前は悪くない。ただ理解出来ぬまま、広兼教授の指示に従っただけのお前に責任は一切ない。間違いなくお前は被害者だ。保証する」



 そこには慈悲があった。殺さなければならぬ相手に対して、その理由を知らぬままに死ぬのは余りにも無念だろうと。冥途の土産を断罪の刃と共に叩きつける行為を、そう呼んでも許されるのならば。



「だがお前はやり過ぎた。広兼教授が理解していたよりもR粒子との親和性が高かったのか。それとも他に理由があったのか。今は分からない。だが結果として



 頭痛警告が止まらない。ああそれは真実だ、世界が反転したあの感覚の中。間違いなく自分と継王蒼機ザナクトは燃やしていた。可能性セカイを。マイナスのエネルギーゲインは取り返しのつかない何かを燃やしていたのだ――



「だからお前はここで終われ。彼女が望んだ世界を守る為にお前は邪魔だ」



 分かっていた、彼がここまで言うのなら本気だと。必ず自分を殺すつもりだと。だからこそ意味がないと分かった上で前に出る。純粋な戦力差で勝ち目はない。けれどもし生身で手が届けば、その上で外間とのま准教授を取り押さえられれば――


 外間とのまの手は自分に向けられていない。


 彼の右手はスーツの中に吸い込まれ、そして取り出されたのは予想外の拳銃モノ。9mm拳銃、40年以上前にこの国で正式採用された自動式拳銃。継王蒼機ザナクト量産機モノイーグルとかけ離れた、日常から遠く、けれど充分に人を殺せる凶器。


 発砲音が聞こえたのは1発目だけ。その後2回、腹と胸に衝撃が走る。ゆっくりと視界を埋めた赤でようやく宗次郎は自分の体に弾丸が叩き込まれたことを理解する。


 突き出した手は、外間とのまの体に届くことなく。操縦席から飛び出し、力を失った体は地に向かい――


 ぐしゃりと、何かがつぶれる音と。ザァザァと降りしきる雨の音が最期に残った。

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