SCENE4-2≪不安≫


 時計の音が聞こえる静寂という表現があるが、どうやら宗次郎の通う大学の図書館には時計が無いらしい。雑談すらなく、本のページを無意味にめくるだけの人間が、ちらほらと散らばっているだけだ。


 近づいても反応すらない。目の前で手を振ってもこちらに視線を見せずに手に持った本を見つめ続けるだけ。


 抜け殻の相手に茶々を入れる趣味もなく。反応が無い事を確認してから宗次郎は新聞閲覧コーナーに向かう。図書館の中央、ちょうど学生がソファーに座って新聞が読めるよう誂えられた空間にホルダーにかけられた新聞が幾つか並んでいる。


 メジャーな新聞社が4つ、経済紙が2つ、あと技術系の新聞が2つあるのは理系大学故だろう。けれど宗次郎の目当ては地方紙だ。その一面を見て、彼は顔を顰める。見覚えのある建物が廃墟と化している写真が載っていたのだ。



『新世代エネルギーシステムR粒子炉の暴走』


『起動実験に参加していた人間の半数が死亡』


『ノーベル物理学賞候補の広兼教授に対する責任問題』



 先程入って来た入り口から見た大学が、文字通り半壊している。何かがおかしい。けれど何がおかしいのか説明出来ない。建物が崩れていなかった事がおかしいのか、それとも半壊した大学にこの新聞が届けられた事実がおかしいのか。


 あるいは既に滅びてしまった世界が、そんな当たり前の辻褄さえ合わせることを放棄してしまった。その事実がおかしいのか。


 改めて見出しを確認するとR粒子炉という言葉に覚えがあった。継王蒼機ザナクトの動力機関。日付は2025年5月19日(月)、軽く見まわしてみるがこれよりも新しい日付の新聞は存在していない。


 つまり、この事故が何らかの形で。世界が滅びた事実と関わりがあると考えるのが自然である。滅びたのならば新たな見聞など不要なのだろうと考えて。宗次郎は自嘲気味に笑う。


 そもそも世界が滅ぶ、滅ばない以前に。死人には新聞は必要ない。


 この事件による死亡者欄に並ぶ顔の中に見覚えがあるものが一つ。19歳、男、服装が学生服なのは卒業写真を流用したからだ。黒い髪と大きく鋭い目、意図的に釣り上げられた口角、毎日鏡で見ている顔と、木藤宗次郎の5文字がそこに並んでいた。



「そりゃ、東山の奴があんな反応する訳だな」



 ショックがあるかないかと、そう問われれば多少はある。けれどそれで動けなくなる程ではない。こうやって死亡記事があるとしても、自分はこうして動いている。もっともこの滅んだ世界で生者と死者にどれほどの差があると言うのだろうか?


 気を取り直して、パラパラと他の記事にも目を通すが印象に残るもの殆どない。精々技術系の新聞に載っていたR粒子炉の原理説明程度だが、面倒な数式が重ねられて今一つ理解出来ずに途中で諦める。



「ほんと、なんでこんなに分からないんだろうなぁ」



 もう少し自分の地頭は良かった気がする。この程度の内容でも概要なら理解出来たはずなのに。記憶だけでなく理解力もあやふやになっているのか。それとも元からこんなものなのか。それを調べようにも肝心の記憶が無ければどうにもならないのだ。


 さて、ここから調べるべきは何かと考える。自分の過去を調べたいのなら、このまま構内を雑にめぐるのも良いだろう。けれどこの新聞を見る限り、宗次郎は広兼ひろかね教授の研究室に所属していた。あるいは年齢を考えるに所属しようとしていたのだろう。


 ならば、調べ物は一気にまとめてしまった方がいい。


 新聞をかけ直し、その足で宗次郎は広兼ひろかね教授の研究室を目指す。そこには恐らく、自分が知りたい世界の滅びの一端位はあるはずなのだから。





 【 廃墟と化した大学 / 学生が歩く構内 】を宗次郎は進む。2つの認識が揺れて可能性が秒単位で揺れ動く。どちらが正しいのか? あるいはどちらも正しくないのか。分からない。自分が生きているのか、死んでいるのかあやふやなのと同じく、この大学も矛盾した可能性を孕んだまま存在している。



「……ああ、くそ。頭が痛てぇ」



 それでも今は広兼ひろかね博士の研究室に用があるのだ。廃墟と化す可能性から目を反らし。ただ平穏だった頃の構内を意識する。ぼやけた視界の中で重なった可能性が宗次郎の意志で収束させた。


 ただそれだけで莫大な体力を消耗し、汗が出てハァハァと呼気が熱くなる。


 それでも動けなくなる程ではない。まだいける、自分が何者か分からない不安に比べれば、自身の心に自信を持てぬ空虚さよりも。この熱はいっそ心地いい。



「本当に、女の子を好きだと思う為だけに、どんだけ回り道をしてるんだ俺は」



 だがどこまでも何もない自分が少しづつ埋まっていく感覚。その無意味さを否定するのなら、そもそも滅んだ世界で生きようと足掻くことを先に止めるべきなのだ。あるいは過去など知らぬと前だけを見つめて進むしかない。


 そんな事を考え【 鉄骨がむき出しになった床 / ロンリウムのフローリング 】を踏みしめて先に進む。だいぶ頭痛は収まった。フルマラソンに匹敵する体力消費の結果随分と感覚が、あるいは世界が安定したように思える。


 そして気付けば、広兼研究室の文字。研究棟の2階、そこそこ綺麗な建物の結構なスペースを占領しており。かなりの予算が注ぎ込まれていることが伺える。


 ノックを行い引き戸から間を覗き込むと、床の半分を資料棚とコピー用紙で埋め尽くされた部屋が見える。



(ああ、くそ。思い出してきた。この部屋掃除するのが厄介なんだよなぁ。つーかここの資料の9割はこの場に置いとく意味がないっていうか……)



 ふわりと記憶が蘇る。本来なら3年から所属する研究室に、半ば無理やり所属させられた事実が頭の中で形になる。まぁそこまで嫌なわけでもなかったし、広兼ひろかね教授だけでなく、外間とのま准教授や、院生のセラフィーナさん。


 良い人が揃っていていて、いつも楽しい時間をここで、いや正確には横の準備室で過ごしていた。


 一歩足を踏み入れると、ツンとした紙の匂い。自分がこの大学に入学する前から使えなかったと聞いている壊れた20年物のプリンター。既に何についていたのか分からないコードの類。あるいはOBが置いていったと思われるマグカップ。


 奥の方に見える教授のオフィスチェアーにはいつも誰か他の人が座っていて。教授本人はしばしばパイプ椅子の方に追いやられていた。


 そのどれもが懐かしく、木藤宗次郎という人間の内面が肉付いていく感覚に、しばらく足を止め感慨にふける。



「……こんにちわー、っす。って言っても誰もいないよな」



 人の気配がない事を、理解した上で戸棚の隙間を縫って研究室の奥に向かい。机の上に置いてある大型の据え置きパソコンの電源を投入する。画面が点灯してから30秒程でOSが起動した。


 認証に共用パスを打ち込んで、PCの中を検索する。


 ザナクトと検索し出て来たファイルは20個に満たない。あるいは20個も出て来たと表現すべきか?そのファイルを開いては確認し、また閉じていく。


 どれもこれも宗次郎に分かる言葉で書かれていない。一応デスクトップにフォルダを作りコピーしたものを保存。研究室の中にあるデータ持ち出し用のSDカードに入れて持っていけば役に立つ可能性も無きにしも非ず。


 けれど、出来れば何らかの成果が欲しい。自分の形を知れたという意味でこの研究室にやって来た意味はあったが。出来れば世界とザナクトについて、何か一つでも新しい情報を得ておきたい。


 あるはずなのだ


 ザナクト以外にもキーワードを打ち込み、ファイルを開いては閉じを繰り返す。そうやって暫く理解できないファイルを集めたところで宗次郎は気が付いた。



「……このファイルがあるフォルダはどこだ?」



 改めてパスを確認すれば、検索で見つかったファイルは全て同じフォルダに格納されている。


 カチカチとマウスでクリックしてフォルダを開けば、幾つかのテキストと共に、1つのファイルが目に留まる。【木藤君へ】と銘打たれた動画である。


 宗次郎はスピーカーの音量を確認し、再生のボタンを押した。スマートフォンで撮られた狭い幅のウィンドウ。映し出されたのは研究室いまこの場所。そしてその中央でカメラを見つめるのはよれよれの白衣を着た白髪交じりの男性。


 先程新聞で見た人間の一人。あるいは宗次郎が今この時に記憶の中から引き出された人物。即ち広兼ひろかね教授であった。

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