第04話「己ノ形」

SCENE4-1≪日常≫


「……意外と、なんつーか。自分の写真って撮ってねぇなぁ」



 布団の上でスマートフォンの中にある画像をフリックしても、そこに表示されるのは知っているわけでもなく。かといって見覚えのないわけでもない。そんなレベルの光景と人々の羅列であった。


 内容を確認する限り、それなりにリアルが充実していた雰囲気が察せられる。新入生歓迎会の様子、サークル活動と思わしきサッカーでシュートを決めている誰か、あるいはバイト仲間と面白半分で撮った制服姿の写真。


 辛うじてこの3枚に自分の姿が映っていた。



「自分の名前を検索しても…… そもそも検索出来ないな」



 ついついネットに頼ってしまいそうになるが。そもそも情報機器は動いていなかったことを思い出す。これ以上部屋の中にいても調べられる事はなさそうだ。本棚をひっくり返してもアルバムの類どころか、紙の日記も出てこないに違いない。


 そんなものはせいぜい古い漫画かゲームの中でしか見たことは無いのだから。ネットが機能しなくなるただそれだけで、ここまで自分の事が調べられなくなるのかとあきれてしまう。


 これが小説や漫画なら、机の中に何かキーワードが隠されている所だと思い立ち。がらっと引き出しを開いてみるが。そこに閉じ込められていたあられもない姿の少女に見える18歳以上と銘打たれた美女と目が合って、そのまま押し込んだ。



「エロ本…… そうか、俺はあんな本を買うタイプの人間だったのか」



 いや、一般的な成人男性ならば普通の事だ。けれどこうも赤裸々に忘れていた自分の性癖を直視させられてしまうと気恥ずかしさで死にそうになる。


いくら何でも19歳でセーラー服というのは好みとしてどうなのだろう? つい1~2年前まで毎日見ていた制服に欲情するというのは、随分と業が深い性癖ではあるまいか?


 あるいはロリコンめいた性癖に頭がクラクラする。じゃあどれくらいの相手に欲情すれば良いのかと思考が飛んで、ミリタリィロリータと赤いセルフレームを脳内に思い浮かべそうになり、頭を振って吹き飛ばした。



「いや、違う! そういうんじゃねぇ…… そういうのとは違うんだよ」



 誰に聞かせるわけでもない言い訳。けれどそれがかえって昨日の自転車で感じたユイの柔らかさを想起させどうにも止まらなくなる。そのまま暫く宗次郎は布団の上でジタバタと、もがいてもがいて、雑念を振り払おうと足掻き続けて数分。ギリギリの所で彼女を汚すことなく正気を取り戻すことが出来た。



「ああ、くそ。朝から無駄に疲れた」



 別に知り合いの艶姿を妄想することが異常なわけではない。それこそ宗次郎は童貞…… かどうかは定かではないが。最低でもこの年頃の男子が一人で試す事には手を出している。


 理屈の上では何をオカズにしようが、発生する生理現象に有意な差はない。


 けれどそれでも尚、宗次郎は彼女でそういう妄想をすることを卑怯だと感じる。彼女を汚したくないなんて話ではなく。単純にシンプルにそんな風に発散する位なら、もっと健全な形でユイにぶつけたいのだ。


 その先でそういう関係になるかもしれないが。それはそれ、これはこれである。



「ったく、理由がひでぇ。半分位性欲で動くなんて余りにも酷い」



 男の恋心なんて、半分はそういった生理的な現象である。けれどだからこそもう半分を大切にしたいと強く願う。さて他に自分が何者か知る術はないかと、宗次郎はスマホを脇に置いて、枕元にある財布を開く。


 免許証とクレジットカード、定期券と学生証…… なる程、自分探しが家の中で終わらないのなら外まで出れば良いのだと思いつく。


 ならば直に行動に移す。何かあるなら連絡してくれと、ユイにメッセージを入れて宗次郎はシャワーに向かう。別にユイと会う時ほど気合は入れるつもりはないが、最低限身綺麗にしなければ外に出る気にもなれない。


 大学にいけば自分探しが出来るのか分からないが、それでも部屋の中でうだうだしているよりは何かが分かる可能性が高いのだから。





 自分が通っている大学はどうやら急行で1駅、各駅停車で5駅先にあるらしい。学部は理工学部で最寄駅から一気にチェック柄とジーンズ、そして眼鏡をかけた人間が一気に増えていく。


 無論彼らもビジネス街のサラリーマンや、住宅地の主婦と同じく。彼らもまた何もしゃべることなく無気力な顔でゆらゆらと歩いている。



(不気味に感じるのは、数の多さか?)



 軽く周囲を見渡せば。学生の数は明らかにビジネス街をさまようサラリーマンよりも多い。あるいは本来騒がしい学生が無言で歩いているからこそ、不気味だと思うのであろう。


 益体のない事を考えつつ。白いシャツに藍色の細身なジーンズを合わせたラフな格好で、学生の合間をすり抜けて構内に足を踏み入れる。


 休日並みの静けさの中、黙々と歩き続ける学生の群れはいっそ一周回って恐ろしさすら感じる光景であった。


 だからこそ、宗次郎は自分の後ろから近寄って来る違ったリズムに気が付けた。振り返れば見覚えのある顔、茶色の髪と、平均よりもやや大きな胸は好みが分かれるだろうが構内で上から数えたほうが早い程度の美人。


 今朝スマートフォンの中で見た恐らくバイト先の先輩か、あるいは後輩か。場合によっては同級生かもしれない。



「っと、木藤久しぶり~?」



 ただしその恰好は写真に映っていたコンビニの制服姿ではなく。工学部ではやや浮きがちなゆるふわな黄色いフレアスカートと、肩を出したオフショルダーのトップスが目に眩しい。


 ただ折角の可愛らしい雰囲気も本人からあふれ出るチャラい空気が台無しにしているのだが。



「ああ、お前の名前を忘れる程度には久々だな」



 色々な意味で探りを入れる。彼女が現状をどこまで理解しているのかハッキリしないし。何よりぱっと名前が出てこない。けれどそもそも残った記憶の残滓が、たとえ異性であっても、彼女ならこれくらい雑に扱うくらいが丁度いいと囁いてくる。



「くそぉ! お前ガチか!? ガチで言ってんのか!? 言ってそうだから怖いんだよ!東山だ、お前の数少ない友達のひーがーしーやーまーだー!」


「ああ、そうだな山田」


「くそぉ~! 東の方を抜くなぁ! きーふじくぅん! 友達料金を増額するわよ!」



 口を曲げて、彼女は人としてあるまじきジェスチャーで怒りを表現するが。けれどむしろその行動が付き合いやすさを上げて、彼女の人間としての魅力を高めていた。



「ならばこちらも釣り上げて相殺させてもらう」


「じゃあ、それで今月の友達料金は互いにゼロ。通算…… 何回目、だったっけ?」



 あれ? と頭を捻る東山。どうやら宗次郎と同じく記憶もあやふやで、けれどこの滅んでしまった世界の異常性の一端は理解出来ている。深い事は聞けなくとも、軽く自分探しの為に利用してもよさそうだ。



「知らんが10回以上は相殺してるだろう?」


「あー、そうだそうだ。10回記念は暫く前にやったよね? バイト先のコンビニで写真撮ったでしょ? 暫くって具体的にどれくらい前か思い出せないけど……」



 どうやら東山の時間感覚は自分よりはっきりしているらしい。この辺りに関してはユイにも確認した方がよさそうだ。このおかしな世界で何が間違っているのか、いないのか。それを確かめずに考察を深めることは致命傷になりかねない愚考である。



「ああ、じゃあそろそろ俺達の有料お友達期間も一周年を迎えるって訳だ」


「……あれ? いや、。いや、おかしいよ。なんで木藤きふじ君、ここに居るの?」



 東山の顔が切り替わった。理解できない状況に対しての不安感、そしてそれよりも強く出ているのは木藤宗次郎きふじ そうじろうに対する恐怖の色だ。彼の頬に汗が流れる。



「ああ、いや…… じゃあ、どういう事なの? おかしいでしょ、何もかも!?」


「どうした、東山。落ち着けよ」



 宗次郎が踏み込み手を伸ばすと。ひっと声を上げ、東山は後ずさり、そしてそのままこちらに背を向けて走り出す。驚くほどの逃げっぷりに、あっけにとられてそれを見送る事しか出来ない。彼女の背中に延ばした手を引き戻せたのは姿が見えなくなってから10秒ほど過ぎてからであった。



「ったく。あんな反応されたら気になるだろうが」



 スマホを取り出し、連絡しようかとも思ったがそれは止めておく。死んだと思っている相手からの電話やメッセージなど完全に怪談の領域に突入してしまう。記憶や世界や自分探し以前に。まず自分の生死確認から手を付けた方がよさそうだ。


 出来る事なら、次の連絡は生存報告にしたいものだと呟いて。宗次郎は大学構内の奥にある図書館を目指す。デジタルは使えなくとも、紙媒体の情報ならば無事な可能性もある。


 もしも自分が死んだのならば、新聞に死亡記事くらいは乗るだろうし。そしてただで自分が死ぬとも思えないし、思わない。そこに世界の全てはなくとも、滅びの始まり位はまとまっている筈だ。


 記憶の残滓の叫びを受けて、宗次郎は歩みを進める。真実を知るために。


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