SCENE3-4≪代価≫



 一人きりで帰って来たマンションは妙に広くて落ち着かなかった。そもそも宗次郎が掃除してしまったのが良くない。ゴミ袋はともかくそこいらに適切に配置していた雑誌や漫画の類まで、綺麗に並べられたのが気に入らない。


 あれはあれで、彼女にとって最適化されている訳で。こうやってきれいに並べられると読みたいものをぱっと読めなくなって困るのだ。


 いや、困るのだがその事実が妙に嬉しい。


 世界が滅びてから、何日この部屋で一人きりで過ごしたか。途中まで寝る度に柱や床に傷を付けて数えていたが途中からやめてしまった。もう一度数えなおそうと、床や柱に指を這わせるが30を超えたところで飽きが来てしまう。



(いや、そんな無意味な事をしなくても。そー君と連絡だって繋がるし……)



 今彼女は一人きりではない。その事実が無性に喜ばしく。際限なく彼女のテンションを上げていく。ユイは無表情ではあるが無感情ではなくて。18歳という年齢に相応しい乙女心を持っている。


 逸る気持ちを抑えつつ、スマートフォンを取り出して画面を見る。日付と曜日のブロックノイズの下に表示される時刻は既に深夜2時を回っていた。もうそろそろ宗次郎も自転車で家にたどり着き布団を敷いた頃だろうか?


 そんな時に連絡をすれば、寝入るのを邪魔してしまうとスマートフォンの画面を消してミリタリィロリータのままベッドの上に倒れ込む。どうせこれも明日はアイロンをかけなければいけないのだから多少しわになっても構わない。


 。この手袋の内側がどうなっているのか想像してしまい。ユイは恐怖に囚われる。


 使。1度目のループで左足が、初めての敗北からの2度目のループで右足が、再びの敗北と3度目のループで左腕が。そして宗次郎と共に戻った最後の敗北と4度目のループで右腕に黒いひび割れに蝕まれている。


 それは生理的な物ではなく、空間的、あるいは位相的な統合性の不備である。


 今朝、ジャージの袖口でうまく隠していたつもりだったが、彼に見つかっていないか不安になる。


 いや、宗次郎は正直なタイプだ。もしも自分の手足がこうなっている事に気付いたら必ず問いただしてくる。



 ごろりと、天井を見上げて。フリルで飾られた袖口を天井に向けて指を動かす。感覚はある。問題なく動く。けれどそれだけだ。この派手な衣装の下に隠された彼女の肌は無機質な黒に染まっていて、それがたまらなく恐ろしい。



(たぶん、リブートをあと1回使えば。ボクは――)



 恐らくはその侵食は顔にまで及ぶだろう。あるいは死よりも恐ろしい事になるかもしれないと、ユイは漠然と理解出来てしまっている。それを繰り返せばいつか魂は砕けるだろう、肉体の跡形も残らないだろう。そして今まではそうやって積み重ねたものを継いでくれる人は居なかった。


 自分が終われば全てが無意味になる。だからユイに勝利する以外の道はなかった。



(けれど、今なら違う)



 仮に自分が消えたとしても、宗次郎が残ってくれる。それだけでどうしようもない恐怖が和らいでいく。自分だけではあの終王黒機ザナクトと13機のモノイーグル相手に勝利することは不可能だろう。宗次郎との二人でも確率はそう高くない。けれど1回きりであろうとやり直しが出来るのならば?


 可能性はある。そして彼なら間違いなく敗北から学び。より強くなって戦うことが出来るに違いない。本来いまここに居るはずのない彼がこの壊れた世界で、ああも鮮やかに救ってくれたのだから。


 一度目は奇跡。二度目は偶然。ならば三度続いたならば?


 その時点で彼はユイの王権を継ぐだろう。命が失われても終わりではない。その事実は、死の一歩手前で震えているユイにとって甘い救いだ。



(ああ、けれど。もし、もしも……)



 何もかもが上手くいって、ユイがリブートを使うことなくあの終王黒機ザナクトを倒せれば? そしていつの日にか、滅びた世界が再び命を育み、巡らせる時が来たのなら?



(困るな、それは…… 困る)



 彼はこの黒く染まった四肢を受け入れてくれるだろうか? 宗次郎は間違いなく優しい人間だ、理性では受け入れてくれる。だが心の中で一片もこの手を不気味だと、恐ろしいと思わない。そんな奇跡が起こるだろうか?



(ああ、なんて贅沢。どれほどの奇跡が重なればそこまで辿り着けるのだろう?)



 腕を体に引き寄せ、ユイはベットの上で幼子のように丸くなる。恐ろしい想像だ、万が一、億が一、那由他の可能性の先に。そんな優しい未来が待っているのならば。それはあまりにも辛すぎる。


 生きるか死ぬかではなく、ほぼ確定した死を目の前に。それでも希望を繋ごうと足掻く彼女にとって。そんな都合の良い展開は、想像だとしても心を蝕む毒に等しい。



(そんな都合のいい妄想を理想にしてしまえば、ボクはもう……)



 死ぬことは出来なくなる。命を捨ててまでこの世界に希望を残せなくなる。それは駄目だ。これまで多くの物を犠牲にして来たのだから。ザナクトを作り上げた父親、ユイが継王蒼機ザナクトとリンクする為に、時間を稼いだ春夫さん。あるいは他の研究室のスタッフ達。


 誰も彼も、ユイならばと希望を託し。そして消えていった。この世界に溢れる亡霊未満まで解体され。恐らくもう蘇ることはない。


 久方ぶりに彼らの事を思い出し、碧眼から涙が零れて赤いセルフレームを汚す。時間が経つと面倒な事になるのは理解していても。今日はもう動きたくはない。希望も絶望もたくさん積み重なり過ぎた。



(ああ、せめて。眼鏡は外さない、と……)



 けれど彼女の意識はゆっくりと解けていく。ただ眠るだけだ、けれどそれは眠れぬ夜を、終わらぬ今日を何度も繰り返した彼女にとってはとてつもない贅沢で。


 明日は大変な事になると、後悔するだろうと内心で理解しつつ。それすらも楽しんでしっかりとほのかな幸せを抱きしめて。ユイはあり得ない希望ユメを胸の奥底に沈めるのであった。

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