SCENE1-3≪再動≫
目を覚ますと、どこか見覚えのある天井が視界に広がっていた。
「……喉が痛い」
カラカラなため息を吐き出し、耳を澄ませば。カチカチと時計の音が響く。目を向ければ時刻は朝の6時を回ったところ。状況から見るに、先程までの戦いは夢だったのだろうか?
手の甲を確認するが、傷跡は残っていない。
けれど背に受けた熱風や、指先に残る操縦桿の重さ、そして最後に背中に延ばされたユイの柔らかな指先がそれが夢では無かったと、宗次郎に告げている。
だから客観的な事実より、自分の感覚を信じる事にする。
宗次郎はすくりと起き上がり、部屋に建てられた姿見に顔を向ける。それなりに整った顔立ちの下に、不機嫌な顔で学校指定のジャージを着込んだ男と目が合って、自分が何者なのかを思い出そうと頭を捻る。
部屋を見渡せば漫画と小説と教科書と参考書がバランス良く詰まった本棚、つくりのしっかりした洋服タンスとクローゼット。小物がいくつか置いてあるが、散らかっているとまではいかないデスク。そしてその中に鎮座するノートPC以外に目立ったものはない。
標準より整理されている大学生が住む1ルームといったところだろうか?
(自分の部屋、って思えば納得は出来るが)
視線を更に巡らせ、洗面所とダイニングの合間にある冷蔵庫に気付き。中からミネラルウォーターを取り出し、一気に飲み干す。渇いた体が満たされ、それに伴い思考の回転速度が上がっていく。
「記憶がないわけじゃない。ぼやけているな」
平凡な人生を送って来た大学生。そんな漠然とした認識と、それに付随する知識が何となく脳味噌に詰まっている感覚。けれどそれを精査しようとすれば一昨日見た夢のように揺らいで掴めない。
(今日の講義はなんだった? 俺はバイトはしていた筈だ…… あやふやなのは
疑問を解消するために、辺りを見渡すがカレンダーは見当たらない。机の上を漁って見つけたスマートホンの表示を確認しようとするが、日付の部分が蠢くブロックノイズで隠されていて舌打ちする。
どうやらあの13機の
一応再起動をしてみるが、表示は変わらず。念のためにインターネットに接続してみればまともに見れるサイトの方が少ない。時間の同期が行えていない弊害だろう。それがシステム的な物ではなく、
「さて、ユイは俺が彼女の住所をメモしているって言っていたが……」
スマホの通話記録を開けば、これまた時間と同じくブロックノイズで塗りつぶされて電話の相手は分からない。けれど画面をスクロールしていくと、一つだけ読める名前が目に留まる、■■
通話しようと伸ばした指を止める。彼女は電話をしろとは言わなかった。家に来いと口にしたのだ。ならばそうするのが筋であろう。間違いなく敵が存在しているのだから盗聴され内容が漏れ出さないとも限らない。
連絡先から彼女の名前を選びなおして開けば、住所が表示される。自分が持つ定期区間内で3駅先だ。
(この場所なら、通学路の途中で降りればいいか)
電車賃を使う必要はないと考えて、こんな壊れた世界で気にするような事かと宗次郎は小さく笑う。そもそも電車が走っているかも怪しい。それでも3駅なら歩いてどうにかなる範囲なのだから、それはそれで構わない。
やることが決まったら、もう悩む必要はない。世界がどうあっても、記憶があやふやであろうと踏み出すための足があり、掴むための指があり、判断するための頭があるのだから。
さっと布団をクローゼットにしまって身だしなみを整えていく。記憶が不確かでも自然と体が動いていく、出来れば汗もシャワーで流したい。そんなことを考えつつ、今日着ていく服をさっと
彼女のモノトーンなミリタリーロリィタと並んでも見劣りしないよう。白いシャツと黒く細身ではっきりとした飾り気の多いアウター。そして太めのパンツを選ぶ。やや派手だが、彼女と並ぶなら丁度いい。
鼻歌交じりで洗面所に選んだ服をひっかけて、風呂場に向かう。昨日がどうだったか覚えていないが、間違いなく今日は良い日になるだろう。そんな確信と共に宗次郎は鼻歌を歌うのであった。
◇
一応動いていた電車に乗って20分、おそらく初めて降り立った駅から徒歩5分、途中で寄り道をして15分、そこから更にパラパラと目的が不明のままどこかへ向かう人波をかき分けたどり着いたのは、見上げる高さのタワーマンション。
感覚としては、どこかおかしい。人の気配はあるがどこまでもこの街には生気がない。電車は動いている、スーパーに店員がいる、道を歩く子供や大人の姿はある。
けれど声は聞こえない。
小綺麗なエントランスでインターフォンに、住所の最後に付け加えられている部屋番号を入力し呼び出しボタンを押し込む。自分以外誰もいないホールの中に電子音のドアチャイムが響いて消える。
それからたっぷりと10秒程、何も反応がなく。さてどうしたものかと悩み始めた辺りでガチャガチャと音が鳴り――
『……そー君、本当に来たの? 確かに期待はしていたけれど、時刻はまだ8時。こちらにも身支度というものがあるわ。30分、いいえ20分だけで良いから時間を頂戴? あくまでも身支度の為に必要な時間であって他意はないから』
確かに、言われてみればやや早い。常識的に考えるなら10時位まで待つのが常識的な対応だろう。それもよく知らない女子が相手なのだから、宗次郎の対応はあまりにも
「……で? 20分待てば部屋が片付くのか?」
『――片付くと、ボクは信じてる』
宗次郎からの突っ込みに、わずかな空白をもって応えた。ザナクトの時と同じだ、なんとなく彼女の性質が理解できる。20分、30分待っても結局彼女は片づけられない。時間を無駄に過ごすだけである。妙なところで思い切りが良い癖に、普段はどうしようもなくズボラでめんどくさがりなのだ。
『けど、身だしなみを整えなきゃいけないのも本当』
「分かった、5分待つ」
その一言を聞いた途端、ユイは無言になり、インターフォンの向こう側で部屋を片付け始めたらしい。宗次郎の口元が綻ぶ、彼女は生きている。電車に乗っていたサラリーマンや、通りですれ違った主婦や、先程寄ったスーパーで機械的にレジ業務をしていた店員とは違い。彼女は間違いなく生きていて。
それを無性に暖かく感じてしまい。結局宗次郎は10分近くもその生活音に聞き惚れてしまったのは。仕方のない事であろう。
◇
「実のところ、ボクも全てを理解している訳じゃないから。そー君が納得する説明は出来ないかもしれないからそのつもりで」
「まぁ、そこはこっちもある程度は予想がついている。とりあえず話してくれ」
銀髪ショートで碧眼の非現実的な見た目の少女が。いやあえて美少女と呼べる美貌の持ち主が座っている。それだけ見れば非常に可愛らしいのかもしれない。
けれどそんな彼女の服装が学校指定のジャージであったのならどうであろうか?
趣味人ならばそれを好むかもしれないが、木藤宗次郎はそうではなく。むしろ人を呼ぶのなら同じ部屋着であろうとマシな選択肢があるとすら考える。
ついでに周囲の惨状がどうしようもない。百年の恋すら冷めかねなかった。かろうじてナマモノをむき出しのまま放置はしていないが、大量のコンビニ弁当の殻が見えているのは頂けない。ざっと一週間分の生活の残骸が部屋中に積み重なっていた。
ついでに床や柱に無意味に傷が入っているのも気にかかる。あとで傷消しマーカーなりを買ってきて綺麗にする必要があるだろう。
「話は掃除をしながら聞く。あとここのゴミ捨て場は平日でも出せるだろう? 」
「流石にその反応は乙女として心が傷つく。いっそ笑ってくれた方が楽なのだけど」
「もうこれはそういうラインを超えている」
「……ギリギリ、ギリギリだけどゴミ屋敷じゃない、はず」
ジャージの袖を指先まで伸ばして着ている辺り、ユイは俗に言う萌え袖を狙っているのだろうか? けれどそれとこれとは話が別で、記憶は無いが勝手知ったるなんとやら。流し台の下からゴミ袋を取り出し、ホイホイとゴミを詰め続ける。
彼女も完全に諦めたのか、なされるがままに。袋を広げて彼がゴミを突っ込んでいくのを見守っている。最低限、本当に不味い物は事前にある程度隠したのであろう。それでも掃除中彼女が慌てだしたら見て見ぬふりをするかと、宗次郎は決意した。
「詳しい話を聞いてもいいか? アレが全部夢って訳じゃないんだろう?」
そう右手を持ち上げ、左手で指させばそれにユイが頬を染めてこくんと頷いたのを見て、宗次郎は自分の失態を理解した。この傷跡の記憶は、彼女の胸に宗次郎が突っ込んだ事実と結びついている。
それを攻めないだけ、彼女は理性的だ。数秒程互いにが落ち着く為に時間を使い、深呼吸した彼女が再び言葉を紡ぐ。
「流石に語ることが多すぎる…… まずはどこから語ればいい?」
反らした視線の先に転がっていたコーヒーカップを、流し台に入れつつ思考を巡らせる。彼女の名前は知っている。ならばそれ以外は後回しでもいいだろう。出来ることならもうちょっと落ち着いた時に、しかるべきタイミングで知りたいのが本音となる。
ザナクトについて詳しく知りたくもあるが、けれどそれよりも優先しなければならないことがあった。
「世界は、どうなっているんだ?」
何故、
「繰り返すけれど。ボクも詳しいわけじゃない」
赤いセルフレームの向こう側で緑色の瞳が揺れる。実のところ宗次郎はその答えを半ば予想出来ていた。ぼやけた記憶と、生気のない街、狂った電子機器と、それでも強引に回っていく日常。
「世界はもう滅んでいる」
数秒の
「けど、まだ終わりじゃないんだろう?」
「うん、だからボクは戦っている。ねぇ、そー君」
中腰になった宗次郎を、ユイはぺたんと座り見上げる。先ほどまでズボラの極みであった彼女の顔はどこまでも真剣で、震えていた。伸ばした手が振り払われることを恐れて、それでも手を伸ばさんとする愚かしさが詰まっていた。
「
その切なる願いに宗次郎は――
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